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イスラエルが荒野でエホバを試みたことものみの塔 1977 | 10月1日
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誓いを立てる事に関し教えて後,モーセは,エホバに対する罪をイスラエル人に犯させた仇をイスラエルがミデアン人に報いたことを記録しています。―民数 28:1–31:54。
イスラエルがヨルダン川を渡って約束の地を領有する時は近づいていました。しかしルベン,ガドの部族とマナセの部族の半数は,ヨルダン川の東側に定住することを許されるようにと願いました。なぜですか。彼らは家畜の大きな群れを持ち,この土地は理想的な放牧地であったからです。この願いは,他の9部族と1部族の半ばがヨルダン川の西側の土地を征服するのを彼らが助けるという条件で許されました。
この40年の間にイスラエルはひとつの場所から他の場所へ何回移動していますか。40回ほどです。(民数 33:1-49)民数紀略の巻末近くには,カナンの地に住む偽りの崇拝者を一掃することを命じたエホバの言葉,エホバの定められた約束の地の境界線,各部族に土地を分配する際にヨシュアとエレアザルを助けるため,各部族からつかさ一人をエホバの任命されたことが記されています。また相続する土地を持たないレビ人のために与えられる42の町および過って人を殺した者が逃れるための,レビ人の町六つに関して指示が与えられています。故意の殺人と過って人を殺した場合とを律するエホバの律法が簡明に述べられています。女性相続人の結婚に関する規定で民数紀略は終わっています。
確かに民数紀略はエホバを試みることの重大さを強調しています。エホバのお約束は成就してイスラエル民族は約束の地に入りましたが,エジプトを出て反逆した者たちは一人も入らなかったのです。これらイスラエル人の例にならうことのないようにと使徒パウロがクリスチャンに警告しているのはもっともな事です。(コリント第一 10:8-11)「入り混じった群衆」がイスラエル人に加わってエジプトを去り,遂には約束の地に入ったのと同様な事が今日にも見られます。地に住む希望を抱く「大群衆」が現代的なエジプトである今のこの世から出て,霊的イスラエル人すなわちイエス・キリストの足跡に従う油そそがれた追随者たちに加わり,新しい事物の体制を目ざす彼らと旅路を共にしています。(啓示 7:9-14; 11:8。ヨハネ 15:19)来たるべき大患難において現存する邪悪な事物の体制が滅びる時に生き残りたいと切に願うならば,わたしたちは不信仰にもエホバを試みることを決して,決してしないように心掛ける必要があります。―ゼパニヤ 2:3。
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『賢い者は愚かな者となりなさい』ものみの塔 1977 | 10月1日
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『賢い者は愚かな者となりなさい』
■ 賢い人に愚かになるよう勧める人がいたら,あなたはどう思われますか。随分ひどい助言だと思われるでしょう。しかし,それが最善の助言となる場合があります。使徒パウロはコリントのクリスチャンにこう書きました。「あなたがたの中で,自分はこの事物の体制において賢い者であると考える人がいるなら,その人は愚かな者となりなさい。こうして,賢い者となるためです」。(コリント第一 3:18)ある人は特定の技術や洞察力を持ち,あるいは哲学に通じていて,人間の見地からは賢い者とされているかもしれません。しかし,エホバ神の是認されたしもべとなるために,彼は真の崇拝を生活の中心としなければなりません。クリスチャンの業によって裏付けられる信仰ゆえに,その人は世の人の目には愚かな者と映ります。しかし,こうした意味で愚かな者となるなら,その人は賢い者とされます。なぜなら,そのことによって現在,霊的な報いを豊かに受け,神の新秩序での永遠の命の約束を与えられるからです。
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