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『すべての国の民への証言』ものみの塔 1968 | 11月15日
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でした。その当然の結果として,御国の希望について話し合う道が開かれたのです。
この国の兄弟たちにとって,「六日戦争」は,思いもよらぬすばらしい結果をもたらしました。それは,国境線が変更されたので,イスラエルと,以前アラブ連合の領土にあった諸会衆とが喜びの中に再会する道が開かれたことです。およそ20年間,国境線の両側の伝道者たちは,実際のところ連絡できなかったのです。しかし今や互いに訪問できるようになり,協会のF・W・フランズ副会長の訪問中には,エルサレムで合同の大会を開催できました。8月初旬,いろいろな会衆と孤立した群れのほとんど全部の伝道者と,外国からの少数の訪問者とがこのすばらしい大会に出席しました。それは,最近の戦争のために一層激化し悪化する不信の念や偏見の全く見られない,国際的で人種間の障壁のない集まりでした。アラブ人とユダヤ人の別なく兄弟たちが互いに楽しく交わり,ことばの通じる範囲内で経験やニュースを話し合う光景は実にすばらしいものでした。そのような心からの純粋な一致を生み出し得たのはエホバの霊だけです。
エホバという尊い御名を言い表わすことにより,エホバの民はなんと明白に見分けられるでしょう! 近年,アラブ領内の諸会衆は,シオン主義運動を行なっているとして偽りの容疑で訴えられ,政府の手でわざは禁止されましたが,集会と野外奉仕活動は組織されてきました。当局者はその種の告発の根拠として,エホバという聖なる御名の使用されていることを指摘しています。しかし興味深いことにエホバの御名を口にするユダヤ人はイスラエル国内に一人もいません。もし口にしようものなら,多くの人々は直ちにその人々をキリスト教国に属する者と見なしてしまいます。それら多くの人々はキリスト教国の手で苦しめられてきたため,その制度を憎んでいるのです。人々が神の御名をあまりにも知らないため,兄弟たちは家から家の宣教に際して,「エホバの証人」とは「神の証人」の意味であると説明しなければなりません。それに加えて,キリスト教国と真のキリスト教の組織とは異なっていることを絶えず説明する必要もあります。
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読者からの質問ものみの塔 1968 | 11月15日
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読者からの質問
● コリント前書 1章17節の記録によると,キリストが自分を遣わしたのは「バプテスマを施させん為にあらず」,と使徒パウロは言っていますが,それはなぜですか。パウロは信者にパプテスマを施したのではありませんか。
コリント会衆内に起きた分派の問題を論じながら,使徒パウロは次のように書いています。「そはキリストの我を遣し給へるはバプテスマを施させん為にあらず,福音を宣伝へしめんとてなり。而して言の智慧をもってせず,是キリストの〔刑柱〕の虚しくならざらん為なり」― コリント前 1:17,〔新世訳〕。
弟子を生み出し,かれらにバプテスマを施すようにとのイエスの命令を,パウロが深く認識していたことは確かです。(マタイ 28:19,20)パウロは広く伝道旅行をして人々を弟子とし,イエスの命令されたすべてのことを守るように人々を教えました。彼はバプテスマの重要性を軽んずるどころか,それを勧めました。―使行 19:1-5。
コリント前書 1章17節に書かれていることを理解するには,その前後関係を調べる必要があります。その前の節の中でパウロは自分がクリスポとガイオ,それにステパナの家族にバプテスマを施したことを述べています。(コリント前 1:14-16)それはキリストに認められていない自分勝手な行ないによるのではなく,マタイ伝 28章19節に記録されている命令に従ったものでした。
使徒が言おうとしていたことは,個々の人にバプテスマを施すことが自分の独占すべき,あるいは主要な任務とは考えていないということでした。キリストはパウロが伝道すべきこと,諸国民に対する「証人」となるべきことを彼に特に話されました。(使行 26:16; 9:15)パウロは人々にバプテスマを施すことができ,現に施しました。しかしその数が,おそらくあまり多くなかったとする見方には十分な理由があります。聖句の文脈を調べると,分派の生じる危険があったことがわかります。使徒たちが自らバプテスマを施すことに専念していたならば,特定な人からバプテスマを受けたクリスチャンから成る分派や徒党が形成されていたかもしれません。
このような理由でコリントの会衆に最初の手紙を書く数年前,パウロがコリントに滞在していた時に,かれは確かに数人の人にバプテスマを施しました。しかし,バプテスマはただ使徒たちによってのみ行なわれる特別な儀式ではありませんでした。また,使徒から施されたバプテスマは,クリスチャン会衆の他の男の成員によってなされたものより一層重要であったのでもありません。
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