異国なる,この世における神権的な結婚
『彼らと婚姻をなすべからず,汝の女子を彼の男子に与うべからず。彼の女子を汝の男子に娶るべからず。そは,彼ら汝の男子を惑わして我を離れしめ,これをして他の神々に事えしむ。』― 申命 7:34
1 なぜ結婚は極めて尊厳なものですか。何によつて結婚は安全となり,幸福が保証されますか。
人間の結婚は,最高の神の高尚な御考えに由来しています。人間の結婚は神により完全に結ばれた一組の夫婦によつて,地上の楽園で始められました。その由来は,清いもの,神のものである故に,人間の結婚はきわめて尊厳なものです。その根源にふさわしい,人間の結婚は,この結婚の契を祝福された神の御意に従つて行われ,そして成し遂げられねばなりません。すると,結婚は神権的なものになる,つまり,神の規則に従うものになることが必要です。そうするならば,神の祝福を頂くようになつて,結婚は安全となり,幸福が保証されます。
2 (イ)結婚の幸福や,結婚問題を取扱う知恵を得るために,私たちは何をしなければなりませんか。なぜですか。(ロ)何の故に事柄は極めて複雑になりましたか。私たちは,どのように神とカイザルにそれぞれの属するものを捧げることができますか。
2 結婚したすべての人と,結婚を考えているすべての人のために,神の御意と規則は愛の御心から霊感を与えて書かせた神の言葉,聖書の中に記されています。結婚の真実の幸福を求めるなら,また結婚問題を正しく取扱うための知恵を欲するなら,神の言葉から学び,そして結婚に関して聖書の述べている原則の導きをうけるべきです。罪と死が入つて結婚が不利になつて以来の数千年のあいだ,この事柄は極めて複雑なものになりました。なぜなら,ちがつたいろいろの儀式や,習慣や,取極や,法律が多くの国民,人々,そして種族のあいだに生じたからです。私たちを導いて,結婚についての神の原則に従わせる神の言葉がないなら,私たちは全く当惑してしまい,はつきりとは分らなくなります。それらの原則は,例外なしに地上にいる神の民すべてに適用するものです。それらの原則に固く従い,かつ人間のすべての取極よりもそれらの原則を重んずることによつて,私たちは神に属するものを神に捧げます。同時にカイザル(すなわち,異国なるこの世の人間政府)に属するものをカイザルに与えます。これは,クリスチャンの行為の規則です。―マタイ 22:21。
3,4 (イ)神はイエスの前に,どんな種類の父親の地位を置きましたか。そして,何時イザヤ書 9章6,7節は成就し始めましたか。(ロ)イエスは,どのように,又どんな道を追い求めた為に,アダムよりも勝れた私たちの父になりますか。
3 いまから1900年前に地上にいたイエス・キリストは,結婚しませんでした。天から遣わされた彼は神の完全な子であつて,この地上に来たのは,結婚して家庭を持ち人間的な父親になつてこの地上に制束される為ではなかつたのです。ヱホバ神は御子イエス・キリストの御前に,ずつと素晴らしい父親の地位を置かれました。その父親の地位は,生きている者も死んでいる者も,数え切れない程に多い人間家族に恩恵をもたらすでしよう。イエスが,ベツレヘムの小さな町で敬虔なユダヤ人の処女から生まれたとき,彼についての神の予言は成就し始めました。そして,地上にいた神の民は,神の予言の言葉を用いて,こう言うことができたのです,『ひとりの嬰子われらのために生れたり。我らはひとりの子をあたえられたり。政事はその肩にあり,その名は奇妙,また議士,また大能の神,永遠の父,平和の君ととなえられん。その政事と平和とはましくわわりて窮りなし。……万軍のヱホバの熱心これを成し給うべし。』(イザヤ 9:6,7)彼は議士そして永遠の父という名にふさわしい生活をしなければならない,ことに注意しなさい。イエスが人間の花嫁と結婚して,人間の家族を養うならば,彼は私たちの永遠の父にはなれません。私たちは,罪を犯して私たちを死に陥れた最初の父親アダムの子供たちなのです。
4 しかし,イエス・キリストは今やたしかに天に居られ,そして生命の授与者なる父親を欲するすべての人間の永遠の父になる用意は整つているのです。父となる彼は,彼らに永遠の生命を与え,そして永遠にわたつて彼らの父になることができます。イエス・キリストは,地上で結婚しなかつたために,その素晴らしい地位を持つことができました。彼は御自分の人間としての生命を私たちの為に棄てることにより,人間的な家族の父親になる機会を持たなかつたのです。全能の神は彼を死人の中からよみがえして,天に高め,そして私たちの為に捧げられた彼の人間としての犠牲をうけいれました。天的な栄光につつまれているイエス・キリストは,私たちが受けいれるなら,永遠の生命を私たちに与えることができます。このように,彼は私たちにとつてアダムよりも良い父になります。
5 神は報いとしてどんな種類の妻を御子に与えますか。
5 ヱホバ神は,天における大きな栄光をイエス・キリストに与えるだけでなく,愛の心から自分自身を犠牲にした御子に,花嫁なる『妻』を与えて報われます。その花嫁とは,ひとりの御使でもなければ,ひとりの被造物でもありません。ヱホバの『女』なる『妻』が,被造物たちの制度である宇宙的な制度であるように,神が御子に与える『花嫁』も,忠実にして聖なる被造物で成り立つひとつの制度です。すなわち,イエスの足跡に従う14万4000人の弟子たちです。彼らは,人類の中から選ばれて,自分たちの為に捧げられたイエスの犠牲をうけいれます。そして,住民のいる栄光に輝く天的な都にたとえられています。(黙示 21:2,9-23)これらの者たちが,イエス・キリストにたいする純潔な忠実を死にいたるまで証明した後には,神は彼らを天的な生命に復活せしめ,そして一つの群として彼らを御子に結婚させます。―黙示 2:10; 19:7; 20:4-6。
許婚(婚約)の条件
6 誰がキリストの花嫁の成員をその頭に交らせることをしましたか。それは,人間のどんな習慣に適応するものですか。
6 洗礼者ヨハネは,イエスの最初の弟子をイエスに紹介しました。ヨハネは,神の子の結婚にみちびく最初の手段を取ることをたいへんよろこびました。ヨハネは,次のように言つています,『花嫁を持つ者は,花婿である。花婿の友人は立つて(花嫁級に語る)彼の声を聞き,その声を聞いて大いによろこぶ。こうして,この喜びは私に充ち足りている。』(ヨハネ 3:29,新口)それで,ヨハネは花嫁級をイエス・キリストに渡しました。使徒パウロも,花嫁級の成員をキリストと結ばせることによろこびを持ち,そしてキリストと共になる天的な結婚の準備をしたのです。パウロは彼らをキリストに許婚させるつまり婚約させてから後,彼らに深い関心と気がかりを抱いていたのです。彼らは汚されてはならず,忠実を保ちつづけて,婚約の期間が終つてから,キリストに加わるのにふさわしいものでなければならないからです。パウロは次の言葉を語りました。『私は神の熱情をもつて,あなたがたを熱愛している。あなた方を,きよい処女として,ただひとり(二人でなく,二人以上でもない)の男子キリストにささげるために,婚約させたのである。ただ恐れるのは,エバが蛇の悪巧みで誘惑されたように,あなた方の思いが汚されて,キリストに対する純情と貞操とを失いはしないか,ということである。』(コリント後 11:2,3,新口)このことは,婚姻を結ぶことに対する人類一般の仕方にも良く適応するものです。妻を盗むということはなく,娘を男に婚約させる,許婚させる,結婚の約束を与える,ことが行われます。それからは,娘が実際に男に与えられ,二人の者が人目のない自分たちの住居で契を結ぶまでの期間が設けられます。
7,8 (イ)配偶者を注意深く選ぶということについて,どんな聖書の例がありますか。(ロ)こうすることは,なぜ賢明であり,また聖書的ですか。
7 神の御言葉によると,神の民のなす結婚は,息子と娘の両方の両親か,または仲人によつて取極められました。洗礼者ヨハネは,その仲人のことを『花婿の友』と呼んでいます。洗礼者ヨハネは,キリストの花嫁を選ぶに当つては注意深く行い,ヱホバ神に献身した者たちを選んで洗礼を施しました。―すなわち,悔い改めたユダヤ人たちで,彼らは約束されたメシヤなるキリストの来るのを待ち望んでいたのです。使徒パウロも注意深く行つて,献身して洗礼をうけた人々のみを選びました。結婚の招待は,ユダヤ人だけでなく異邦人にも差し伸べられたため,パウロはユダヤ人の他に非ユダヤ人をも選びました。それは神権的な行でした。異教のカナン人の地には,多くの娘がいましたが,アブラハムは自分の息子であり,嫡子であるイサクの為に,カナン人の娘を選ぼうとしなかつたのです。アブラハムは,家の一番古い僕に命じて『花婿の友』にならせ,そしてカナンの地を出て,北方にある親族たちの家,すなわち自分の兄弟の家族のところに行かせました。そして,イサクの為にひとりの娘を選ばせたのです。なぜなら,アブラハムの親族はヱホバ神を信じていたからです。
8 このことには,十分もつともな確かな理由がありました。それは,仲間の信者と結婚させることによつて,真の神に対する息子の信仰を守る為でした。『悪い交わりは,良いならわしをそこなう。』(コリント前 15:33,新口)信者が不信者と親密な夫婦生活をするなら,神にたいする信者の信仰はそこなわれ,霊的な死をもたらします。そして,神に忠実を守らなかつた故に,神より永遠の亡びをうけるようになります。丁度アダムがエバによつて影響されたように,その者は結婚配偶者によつて悪い影響をうけるでしよう。この悲しい結果を始めた者たち,そしてその基を置いた者たちは,結婚の契約者たちでした。神はこの可能性,否むしろこの見込を,前もつて御存知でした。それで,御自分の選民である昔のイスラエルの国民をカナンの地に定住させる以前に,神は律法の一つに次のいましめ ― それは,助言ではない ― を与えておられます。『(異邦人の住民)と婚姻をなすべからず。汝の女子を彼の男子に与うべからず。彼の女子を汝の男子に娶るべからず,そは,彼ら汝の男子を惑して我を離れしめ,これをして他の神々に事えしむ。』― 申命 7:3,4。
9 ヱホバに忠節を保つとき,結婚配偶者を選ぶことと結婚式を行うことには何を必要としますか。
9 その後の苦難に充ちたイスラエル人の歴史から,その警告の正確さと,その律法の正しさが,分ります。『不信者と,つり合わないくびきを共にするな。』(コリント後 6:14,新口)そのわけで,あなた自身にせよ,あなたの子供にせよ,あなたの友人にせよ,結婚配偶者を選ぶときには神権的でありなさい。そしてヱホバ神に忠節を保ちなさい。霊的な破船に対する責任をはつきり自覚しなさい。結婚配偶者を選ぶに当つては,軽々しく非神権的に手を置くべきではありません。『ほかの人の罪に加わつてはいけない。自分をきよく守りなさい。』(テモテ前 5:22,新口)新世社会の結婚媒介者が,つり合わないくびきを共にする男女の結婚を挙式するか,否かは媒介者自身の良心によつて決定されます。もしも,御国会館か又は別の場所で結婚式を行う,と決定するなら,彼は国家政府の代理人として行うに過ぎないのです。そして,この世の人である献身していない人に向つて,クリスチャンと結婚することの責任を是非とも指摘すべきです。さらに,配偶者のごとくヱホバの証者の一人になるように,その人を励まします。
10-12 (イ)結納についてどんな習慣が生じましたか。(ロ)結納が悪いものでないことを示すどんな聖書的な例がありますか。(ハ)しかし,何が悪いのですか。そして,なぜですか。
10 アブラハムの結婚媒介者は,娘のリベカとその兄弟や母親に貴重な贈物をたくさんしました。それから,リベカを家に連れてきてイサクに渡しました。(創世 24:22,30,50-53)或る国々では,また或る人々の中には,女に対して花嫁金を払う,つまり結納を送る習慣があります。そして,それぞれの地方的な法律はその習慣を認可しています。或る人々の中では,結納は花嫁の両親から花婿に送られているところもあります。しかし,一般に言つて,花婿またはその両親は,結婚の報償として花嫁に結納を送ります。アフリカの或る種族の中では花嫁金は『ロボラ』と言われています。そして,花嫁の父か,或はその最年長の兄である伯父は,『ロボラ』を要求して,受け取ります。ロボラは,お金か又は,家畜か,或はその両方のものです。地方の習慣法に従い,村の記録所で結婚登記をするために,このロボラは必要かもしれません。
11 本質的に見て,結納は悪いものですか。悪くはありません。イサクの息子であるヤコブは,妻のレアとラケルを得るために,妻の父親であるラバンの為に14年間働きました。(創世 29:18-28)巨人を殺したダビデは,サウロ王の娘であるミカルを自分の妻にするため,敵なるペリシテ人の200の陽皮を支払つたのです。(サムエル前 18:20-27)イエス・キリストでさえも,14万4000人で成立つクリスチャン会衆,すなわち自分の『花嫁』の為に自分の生命を捧げました。(エペソ 5:25)ヱホバは,御自分の『女』に何も与えません。ヱホバは,神聖な宇宙的制度である彼女の造り主だからです。(イザヤ 54:5)それですから,花嫁の父に花嫁金を払うことが悪いのではありません。それは,今まで育てて教育した娘を手離すことを償うものとなるからです。花嫁金であるロボラの悪いのは,それが濫用されることなのです。それを償いのものとして取扱わず,子供や子供たちを用いて金儲けの手段となし,多額を要求したり,不当なものを略奪したり,そして苦しい働きを必要とするような事を要求したりすることは悪いことであり,非クリスチャンの行であり,非神権的な行です。
12 神はすべての略奪者を憎みます。略奪者の中には,自分の娘を商売にする花嫁金略奪者もいるのです。クリスチャンと自称するそのような貪欲な者は,花嫁金であるロボラに関して略奪をするなら,何時如何なる場合でも,必らずクリスチャン会衆から除名されます。パウロは次のように言いました,『私が実際に書いたのは,兄弟と呼ばれる人で,不品行な者,貪欲な者,偶像礼拝をする者,人をそしる者,酒に酔う者,略奪をする者があれば,そんな人と交際をしてはいけない。食事を共にしてもいけない,ということであつた。その悪人を,あなたがたの中から除いてしまいなさい。』(コリント前 5:11,13,新口)略奪者の値段は,不当に高く,まわりの状態を無視したものです。そして,娘を手離すことに対する正しい償い以上を要求します。次のような場合に,金を得たいと欲する人の貪欲は,はつきり示されます。すなわち値段が高すぎるためにクリスチャンはその娘を得ることができず,かつその人は法外な値段を引下げず,その値段を払うことのできる異邦人に娘を結婚させる時です。それは,兄弟愛の足りないことを表わすと共に,有害な金銭愛を表しています。―テモテ前 6:10。
13 (イ)父親は,なぜこの世の人からクリスチャンの娘に対する金を受け取つてはなりませんか。(ロ)両親が聖書の規則を破るとき,息子や娘はどんな道を取ることができますか。そして,なぜですか。
13 この世の人から,多少なりとも花嫁金をもらい,献身したクリスチャンの娘をその者に結婚させることは,神権的なことでありません。それは,イスラエルに与えられたヱホバの厳格な律法に倣つていません。それは娘の永遠の福利を危険なものとし,献身していないこの世の人に娘を従わせてしまうことになります。その兄弟は,すくなくともクリスチャン会衆内の特別な奉仕特権を得る資格を無くします。その行をしたからといつて,この兄弟が徐名されるようなことはありません。丁度,息子や娘が新世社会外の者と結婚するのを許可する親や,また「主の外」,つまり,真理の外にいる者と結婚する息子や娘が除名されない,のと同じ具合です。しかし,そのような人々は会衆の監督や宣教上の僕になる資格を失しています。それらの人々は,信者たちに対する悪い模範になつているのです。息子や娘が,異邦人であるこの世の人との結婚を拒絶しても,父母を敬え,といういましめを破つたわけではありません。父母は,この世と婚姻関係を結ぼうとしたために,『主にあつて』ないことを示しているからです。拒絶する息子や娘は,『主にあつて』いようと努めており,それは正しいことです。―エペソ 6:1-4,新口。
14 (イ)クリスチャンが花嫁金を支払うのは,どのような時に適当ですか。(ロ)しかし,両親が花嫁金の要求を止めるのは,なぜ賢明ですか。
14 クリスチャンは花嫁金を支払うべきですか。もし,それが普通一般に行われている習慣であり,花婿やその両親が,他の方法によつては,その求めている娘を得ることができないならば,花嫁金を支払うべきです。花嫁を得たいと欲する人の能力に従つて贈物がなされ,それが花嫁に対する感謝と愛情のしるし,として受け入れられるなら,極めて結構なことです。花嫁を盗む,というようなことは,あつてはなりません。それですから,もしあなたのクリスチャンとしての立場を納得させることができず,しかもいくらかの収入があるなら,自分の欲しているものを得る為に支払いなさい。それとも,無料で得なさい。品物を買う時には,普通にはこの世の値段を払います。花嫁金であるロボラが濫用されているといつても,それ自体が悪いわけではありません。全時間奉仕者であつたパウロは,彼の奉仕した会衆から生活の扶助をうける資格を有していました。しかし,彼はそれを受け入れず,また要求しなかつたのです。それは,自分の特権を濫用して,神の是認を失いたくなかつたからです。パウロは,ピリピの会衆から送られた贈物を受けとりました。(コリント前 9:6-18。ピリピ 4:15-18)パウロは,ローマの総督ペリクスに金を与えるのを拒絶しました。それは,賄賂を行いたいとは欲せず,公正な裁判によつて自由に釈放されることを欲したからです。(使行 24:26,27)そのようなわけで,クリスチャンの両親は,花嫁金または結納の要求を止める方が賢明です。それは,この世に倣うのを避けるためと,特権を濫用して霊的な問題をひき起さないためです。しかし,このことは,各人の良心によつて決められねばなりません。
15 (イ)クリスチャンであるアフリカ人は,花嫁金についてどのような見解を持つべきですか。(ロ)花嫁金の支払いがないという理由のために村の登記が拒否されるなら,どうすべきですか。
15 自分の娘にたいする花嫁金を要求する不信者に結婚しているクリスチャンの妻は,事態を思うままに処置することができません。しかし,その妻が夫に提案をすることはできます。花嫁金が支払われて結婚が行われた場合に,クリスチャンの花嫁は,その花嫁金が多かつたといつて誇りを感ずべきでなく,また少かつた,といつて恥ずかしく思うべきでありません。クリスチャンの妻は,自分の花嫁金は安いものでしたなどとほのめかして,他の人に恥ずかしい思をさせてはなりません。また,クリスチャンの夫は,自分の妻に恥ずかしい思をさせようとして,同様なことをしてはなりません。夫は妻を愛し,妻は夫を愛しなさい,という神のいましめに従わねばなりません。(エペソ 5:25,28-33。テトス 2:4)兄弟愛があるなら,愚かにも自分を他の者と比較してみるとか,あるいはお互いを嘲笑し合うことは,行われないでしよう。花嫁金の支払いなしに妻になる人の数は,花嫁金の支払いを受けて妻になつた人の数よりもずつと多くなつています。だからといつて,それらの多くの妻たちを非難してはなりません。アフリカ人が,ロボラである花嫁金の支払いなしに結婚を行つた場合,村の登記所では,花嫁金の支払いがない,という理由でその結婚を記録しなくても,その夫婦は心配すべきでありません。夫婦は,地方の会衆にその結婚を登記することができ,また登記すべきです。特に地方の会衆でそうすることが一番重要なものです。かくして,結婚した夫婦は新しい世の社会にあつて正い立場を保つことができます。
試験結婚は許されず,清い婚約
16 (イ)花嫁金に基づく結婚は,どの位続きますか。(ロ)その故に,花嫁の父親は,何をしてはなりませんか。しかし,どんな条件のときに,そうすることができますか。
16 両親が花嫁金を受領して,娘を嫁がせるとき,その結婚は永久のものとなります。花嫁が妻の義務を破つて姦婦にならないかぎり,その結婚が解消されるようなことはありません。たとえ,夫が花嫁に不満を感じて,花嫁を追出して父親のところに帰し,花嫁金を戻して貰いたい,と思つても,その理由だけでは結婚は解消しません。神の言葉の律法によると,娘を引取つて,花嫁金を戻しても,結婚は解消しません。それで,クリスチャンの父親は,ロボラを得るためにせよ,または花嫁金を一切求めない場合にせよ,娘を再婚させることは決してできないのです。もしそうするなら,娘に姦淫を犯させることになります。しかし,その間に彼女を追出した夫が再婚するか,或は他の婦人と性関係を持つか,または死んだ場合には,娘に姦淫を犯させることにはなりません。
17,18 (イ)花嫁金を全額払わない場合,何時の時になつて男は女と交接することができますか。(ロ)神の律法は,婚約している処女と,婚約していない処女の区別を,どのようにはつきり示しましたか。(ハ)処女を誘惑すると,どういう罰をうけますか,なぜですか。
17 若干の花嫁金,すなわち結納を送ると同意して,その一部を払い,そして将来の花嫁を自分のものにして性関係を結び,試験結婚をする,などということは許されません。満足しなかつたから,という理由で娘を実家に帰し,そして自分の払つた花嫁金の一部を戻して貰う,などということは神の律法によつて認められたものではないのです。花嫁金を支払い終るまでは,その娘と性関係を結ぶ権利はありません。男は,その娘と婚約しているだけであり,もしこの婚約期間中に娘と性関係を結ぶなら,娘を汚し,不道徳な淫行を犯すことになります。昔のイスラエルの場合,イスラエル人に婚約している娘は,そのイスラエル人に捧げられたものと見なされ,結婚している者と同じように取扱われたのです。彼女は,男と関係を結んだ婚約していない処女,とは,違つた取扱いをうけました。『人もし許婚あらざる処女を誘いてこれと寝たらば,必らずこれに贈物して妻となすべし。その父もしこれをその人に与うることを固く拒まば,処女にする贈物にてらして金を払うべし。』― 出エジプト 22:16,17。申命 22:28,29。
18 しかし,婚約している娘の場合は違います。『処女なる女すでに夫に適の約をなせる後,ある男これに邑の内に遇いてこれを犯さば,汝らその二人を邑の門に曳いだし石をもてこれを撃ちころすべし。是その女は邑の内にありながら叫ぶことをせざるに因り,またその男は(誰を?)その隣の妻を辱しめたるに因てなり。』(申命 22:23,24)それで,処女マリヤが,ヨセフとの婚約の期間中に,子を身籠つたとき,ヨセフはマリヤを秘かに離縁しようとしました。つまり,婚約していながら操を破つた処女として,マリヤが石撃ちされるのを防ごう,と思つたのです。(マタイ 1:18,19)メキシコやシンガポールでは,婚約中の女が不道徳な行をしたならば,結婚を解消することができます。男が処女を誘惑して,その処女を犯し,そして犯した男と結婚せねばならぬというような感じを娘に抱かせるのは,結婚についての清いクリスチャン的な行ではありません。犯した男は,クリスチャン会衆から除名されます。また,もしその処女が犯されることに進んで同意したならば,彼女もクリスチャン会衆から除名されます。
19,20 (イ)婚約者たちは,なぜ性関係を結んではなりませんか。このことについて,両親にはどん責任が課せられていますか。(ロ)淫行に対して,会衆のどんな処罰がなされますか。そのような者は,何時になつたら宗教的な結婚をすることができますか。
19 婚約の期間中に婚約している男と女が互に性関係を結ぶなら,これは不法な関係です。なぜなら,結婚は未だ合法のものになつておらず,二人は結婚の特権を全部持つ夫と妻と宣言されていないからです。婚約している二人の間だけの性行為である,といつても何の弁明にもなりません。それは道徳的に汚れた行であり,淫行だからです。それは,合法の許可なしに,勝手に或る事柄を為すものです。それは性欲にたいして節制の欠如していることです。それは,婚約している二人のふしだらな行であつて,御霊に逆う肉欲の業です。両親がこのことを許したり,または幇助してそのことの段取りをするなら,その両親は有罪であり,神権的な義務を果していません。婚約している二人が淫行を犯すなら,たとえその結果に女が妊娠しようと,しなかろうと,その二人を除名すべきです。また,淫行に賛成して,是認した両親をも除名すべきです。
20 会衆の結婚媒介者は,除名されているそのような汚れた婚約者たちの結婚の挙式をしません。不道徳を行つた婚約者たちは,次のことをして,始めて霊的に癒されます。すなわち,自分たちの罪を神と会衆の委員に告白して,悔改めたことを述べ,そして今後は二人の間に汚れた関係を結ばぬことによつて悔改めたことを証明しなければなりません。そして,会衆の委員の命ずる試験期間と要求に従うことも必要です。そうしてから,会衆の委員は初めてその両人に宗教的な結婚を許可します。
21 若い者たちを淫行から守るために,両親は何を許してはなりませんか。
21 そのようなわけで,15歳か16歳の娘を家からずつとはなれた場所に行くのを許したり,またはすすめたりして,職を得させ,そしてその娘の婚約者の近くに部屋を借りさせる,というのは,分別の無い両親の行です。同じく,1週間か2週間のあいだ青年と娘の二人だけの休暇旅行や,自転車旅行や,また天幕<キャンプ>旅行を両親が許すなら,その若い二人を淫行に誘つていることになります。休暇を楽しむ若い二人が,いつしよに天幕<キャンプ>旅行をするなら,誘惑を感じ往々にして淫行をなすからです。徒徒パウロは次のように言つています,『あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。』― テサロニケ前 5:22,新口。
22 どのような時に,主の外の者と結婚しようとする特別な誘惑が生じますか。しかし,どんな責任と罪をともないますか。
22 御子イエス・キリストに忠実に従う,ヱホバ神の献身した民の中の者同志で結婚せよ,と神は諭しています。この神の諭しの言葉に特別の注意を払つて,従うのは各人の義務です。結婚できる兄弟の数よりも娘の数がずつと多いところでは,娘をこの世の人々のところに嫁がせて,娘に夫を持たせたり,または,両親の重荷を軽くする,というような誘惑が生じます。またこれとは反対に,兄弟たちの数よりも結婚できる娘の数が少いところでは,神の律法や警告を無視して「主の外の者」,すなわち新世社会外の者と結婚し勝ちです。そのような事を行つたり,または他の者に手助けしてそのようなことをさせたりする人は,みな清い神権的な結婚を始められた神の御前で責任を取らねばなりません。そして,このような釣合わないくびきを共にすることから悪い結果が生ずるなら,それはその者の罪であります。
23 (イ)幸福で神権的な結婚を確かなものとするために,どんな段階を取らねばなりませんか。(ロ)結婚の婚約をするなら,それをどのように保つべきですか。
23 結婚という厳粛な取極めには,重要な事柄がたくさん結びついています。それで,各人は,自分の欲する配偶者の背景を十分に調査し,そして結婚を申し込んだり,または結婚の申込みを受諾するのは神権的であるか,また,幸福な結婚になるか,ということを決定しなければなりません。結婚の約束をするなら,道徳的に清い行を為すことによつて,婚約を清いものに保たねばなりません。かくして,イエスとその花嫁の場合のように,汚れのない配偶者として身を捧げることができます『しみも,しわも,そのたぐいのものがいつさいなく,清くて傷のない栄光に輝く会衆を御自分に迎えるためである。』― エペソ 5:27,新世。
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悪しき者の謀略に歩まず,罪人の途に立たず,嘲ける者の座にすわらぬ者は幸いなり。かかる人はヱホバの法をよろこびて日も夜もこれを思う。ヱホバは義しき者の途を知り給う。されど悪しき者の途は亡びん。―詩 1:1,2,6。