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二つの救いについての絵ものみの塔 1962 | 4月1日
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でしょう。そのわけで,象徴的に言うと,彼は先ずエジプトにくだり,「御名を取られた」のです。―ガラテヤ 3:16,27,29。創世 22:18。出エジプト 15:21。サムエル後 7:23。
17 ヨハネ第一書 2章2節をどのように理解するべきですか。
17 それで,これらの初子たちに手紙を書いたヨハネの言葉の意味が分かります。イエスはまず「わたしたちの罪のための,あがないの供え物である。ただ,わたしたちの罪のためばかりではなく,全世界の罪のためである」。―ヨハネ第一 2:2,新口。
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親密で貴重な関係ものみの塔 1962 | 4月1日
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親密で貴重な関係
1,2 (イ)どんな面でイエスは彼の「兄弟たち」と親密な関係を持つようになりましたか。(ロ)このことは,主の夕食とどのようにむすびついていますか。
イスラエルの初子についての絵の成就を考慮するとき,ひとつの事柄がはっきり大うつしに示されます。それは,エホバによりイエスと初子の霊的な会衆のあいだにもたらされる,極めて親密な関係です。初子はアブラハムのすえの一部として彼とともにあずかります。ヘブル人に宛てたパウロの手紙をふたたび見ると,彼はヘブル書 2章10-18節(新世)でこのことを強調して,次のように説明しています,「多くの子らを(天的な)栄光に導くのに,彼らの救の君〔イエス・キリスト〕を,苦難をとおして全うされたのは」,ふさわしいことでした。これら多数の子たちは「血と肉とにあずかっているので,イエスも同様に同じものを備えておられる。それは死をもたらす手段を持つ者,すなわち悪魔をご自分の死によってほろぼし,……たしかにイエスは御使たちを助けられず,アブラハムのすえを助けておられる。そこで,イエスは,神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって,民の罪をあがなうために,あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかった。主ご自身,試練を受けて苦しまれたからこそ,試練の中にある者たちを助けることができるのである」。
2 たしかにこれらの子たちは,約束されたすえの一部としてイエスと親密な関係を持っています。しかし,いま別の親密な類似点に注意をひきたいと思います。すなわち,イエスと彼の「兄弟たち」の両方とも「血と肉とにあずかる者」であることです。このことによって,主の夕食とそのときイエスの論じた真理は密接にむすびつけられます。その点を研究することは,前に約束しておきました。
3 イエスは弟子たちと共にこの最後の過越にどのように近づきましたか。
3 忠実なユダヤ人イエスは,ニサン14日の恒例の過越の祝いをいつも守ってきました。しかし,
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盲人が目あきに伝道ものみの塔 1962 | 4月1日
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盲人が目あきに伝道
トルトラにて
目がほとんど見えないある年配の兄弟が,どのように伝道し,文書を配布するかを聞くと,心の暖まる思いがします。その兄弟の御国会館は,人々が足しげくかよう道のそばにあります。彼は御国会館の石段にすわります。そして,足音が近づいてくると,その人に声をかけるのです。このような方法でその兄弟は,1ヵ月に43冊という多くの雑誌を配布することができました。それは,会衆の1ヵ月間の平均配布数の半分以上に当たります。その兄弟は,石段の上である人と一緒に研究さえすることができました。彼はその石段を自分の伝道区域と呼んでいます。―1962年のエホバの証者の年鑑(英文)より
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