エホバの御霊により活動的になりなさい
「神はちからをわれに帯ばしめ」。「エホバはわが力」。―詩 19:32; 28:7
1 全人類の中でも物事を深く考える人々は,何を学ぶことに興味を持つべきですか。そして,なぜ?
幾世紀ものあいだ,人間は戦争にうみつかれたこの世界に永遠の平和と幸福をもたらそうと努力しましたが,結局死んで行くのみでした。ひとつの例外をのぞけば,この強く待ちのぞんだ目標を達成できた制度はひとつもありません。その例外とは,エホバの証者として知られている群れです。一致した考えと活動も強く望まれましたが,それはエホバの証者以外の人々には達成できませんでした。エホバの証者は幸福な生活をして,平和と一致の中にいっしょに働いてきました。そして,人種的,国家的,社会的な背景あるいは以前の宗教にかかわりなく,エホバの証者は互いに対する真実の愛を示します。それで,このひとつの群れがどのようにどんな力によってこれらの最ものぞましい状態にはいることができたかを学ぶことは,全人類の中で物事を考える人々にとって,非常に興味ぶかいものでしょう。
2 この世の指導者たちは,エホバの証者を観察するときに何を見のがしますか。
2 宗教指導者たちや他の者たちは,これらの事柄やエホバの証者の急速な進歩を見ても,しばしばどんな力によってこのことがなされているかを認めることができません。たとえば,ノートルダム大学の一牧師ジョン・エイ・オブライェンは次のように語りました,「254の他の教会では平均74パーセントの増加であったが証者たちは過去25年間に驚くべき増加 ― 2300パーセントをも示したのである。……もしわれわれカトリック信徒がそれだけの増加率を示したなら,アメリカで教会に行かない幾億という人々をキリスト教に改宗させただけでなく,全世界も改宗させることができたであろう」。―「拡大」1959年1月。「われらの日曜訪問者」1956年12月16日。
3 神の民は,その大成功を何に帰しますか。
3 エホバの証者(その中のだれにでもたずねてごらんなさい)は,まったく謙遜な心で次のことをすぐ告白するでしょう。すなわち,彼ら自身の思考能力や力だけではこのような良い名声を得ることができなかったということです。全能者なるエホバに依り頼んで必要な力を求め,あらゆる強烈なエネルギーと強い力のこの真の源から力を受けることによって,前述の権威者が「現代歴史に類がない」と言えたことを行ない得ます。しかし,これら謙遜な証者たちは,どのようにしてその神の援助,力および活力を受けますか。
4,5 (イ)人が良い心を持つことは,なぜ大切ですか。(ロ)聖書の研究は,エホバから力を受けることとどのように関係していますか。
4 エホバの力を受けるために,まず最初,特定な条件にかなわねばなりません。それは自動的に来るのではないのです。最初に良い心を持つことが必要です。心の動機が利己的であって,神の御霊を利用して自分の儲けを図ったりあるいは御霊による人気を得ようとするなら,神の御霊を持つことは決してありません。(使行 8:17-22)もし人が悪行を誇るなら,あるいは悪行をよろこぶなら,その人はこの最も聖なる源から御霊をいただけると期待することができません。人は謙遜で従順でなければならないのです。
5 心の状態がそのように良くなると,神の御言葉なる聖書に示されるエホバの御心と目的の正確な知識を植えるための正しい土を持つことになります。(ルカ 8:5-8,15)モーセとイエスは,生きるのにパンだけでは不十分であると言明しました。神からの活力と力を受けるめたには,神の言葉によって心と思いを養なわなければなりません。ヨシュアを「雄々しく,かつ強く」ならせるために,エホバは彼にこう告げました「この律法の本をあなたの口から離してはならず,昼も夜もそれを小声で読まなければならない」。「神の言は生きていて,力があり」と使徒パウロは言葉をつけ加えています。(申命 8:3。マタイ 4:4。ヨシュア 1:7,8。ヘブル 4:12)生命を保たせるこの神の言葉は,信者の信仰,希望,そして愛を強くならせます。「このうちで最も大いなるものは,愛である」。そのような備えをうけた者は強力なわざをすることができ,人生の悲劇を耐えます。「愛はいつまでも絶えることがない」。それは「すべてを忍び」「すべてを耐える」。―コリント前 13:7,8,13,新口。
6,7 どんな例は,エホバの霊を受けるためにエホバの制度との交わりが大切であると証明しますか。
6 神の御言葉を研究して分かる通り,エホバは,宗教制度と称するもの全部を用いて強烈なエネルギーを与えません。また彼はエホバの妻のごとき制度,すなわち神に献身しているすべてのものの「母」から独立しては各人と交渉を持たれません。(ガラテヤ 4:26)エホバは御自分の伝達の経路をつねに地上に持たれており,その経路を通して御自分の御霊を働かせます。ミリアムとアロンがこの経路を無視したために,あやうく生命を失いかけたことをおぼえていますか。イエスはエホバの代表者によって洗礼を施された後になって始めて聖霊と力を受け,強力なわざをすることができました。(民数記 12:1-16。マタイ 3:16。使行 10:38)イエスはこの聖霊によって,彼に交わる者たちを援助したので,彼らは真理を理解することができました。また,彼らは「病人をいやし,死人をよみがえらせ,らい病人をきよめ,悪霊を追い出す」力を受けることができたのです。それで,エホバの制度と交わる重要性が強調されます。―マタイ 10:8。ルカ 24:45。コリント前 2:10。
7 過去の場合と同じく今日でもエホバは御自分の見える制度を地上に持っておられます。そして,神の御こころについての理解は,その制度を通して啓示されます。この制度はまた多くの国民で成り立つクリスチャン全部の努力を結集するためにも必要です。かくして再び努力しなおすということもなく,活動が不一致になることもありません。このように付加された理由により,エホバの御霊を受けたいとのぞむなら,この制度と交わることは絶対に必要です。
8 神から聖霊を受けるには何が必要であるとガラテヤ書 3章2節は示していますか。
8 しかし,これで全部ですか。神から聖霊をいただくために,知識を取り入れて,エホバの見える制度と交わるだけで十分ですか。そうではありません。それ以上のものが必要です。「わたしは,ただこの一つの事を,あなたがたに聞いてみたい。あなたがたが御霊を受けたのは,律法を行ったからか,それとも聞いて信じたからか」。(ガラテヤ 3:2,新口)それで,聞いて信ずることがなければなりません。つまり聞くことに従ってよろこんで行なうという意味です。古い律法契約の死んだわざによるのでなく,クリスチャン信仰に刺激される熱心な活動によるのです。かくして,私たちはエホバの御霊を受けるにふさわしいとエホバに示します。それで,イエスの場合と同じく,私たちはエホバに生命をささげ,エホバの御霊をうけるために洗礼をうけねばなりません。
9 エホバの御霊で私たちを活動させるようエホバに願うことは正しいですか。
9 前述の段階を取ると同時に,人はエホバの御霊を熱心に求めねばなりません。だまっていてはなりません。あなたの願いを知らせなさい。この面において忠実な信者はいちばん幸運です。なぜなら,彼は祈りによってあらゆる力の真の源なる創造者と直接交わることができるからです。イエスは次のように言われました,「すべて求める者は得,捜す者は見いだし,門をたたく者はあけてもらえるからである。……このように,あなたがたは悪い者であっても,自分の子供には,良い贈り物をすることを知っているとすれば,天の父はなおさら,求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。それで,天の御父の御こころを行なうための十分の力を天の父に求めるのにちゅうちょしてはなりません。天の父は,「わたしたちが求めまた思うところのいっさいを,はるかに越えてかなえて下さることができる」かたです。このわけで,パウロは初期教会のために神の力を祈りによって求めたのです。「わたしはひざをかがめて……父に祈る」と彼は書きました,「どうか父が,その栄光の富にしたがい,御霊により,力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように」。―ルカ 11:10-13。エペソ 3:20,14,16,新口。
10 エホバは「他の羊」と「残れる者」の両方に,御霊を豊かに注がれますか。
10 この雑誌を読む人の大多数は,イエスの述べる(ヨハネ 10:16)「他の羊」級である故,エホバがキリストのからだの油注がれた「残れる者に」力を与えられるのと同じように,「他の羊」級にも力を与えるかどうかを知るのに特別な興味をいだくでしょう。「残れる者」と「他の羊」の両方の級も同じ問題に直面しませんか。両方の級も同様の責任を持ちませんか。両方とも同じつらい環境下で同じわざをしていませんか。それで,両方の級は聖霊による神の力を必要とします。公正な神がひとつの級に御霊を与えず,他の級に御霊をたくさん与えるなどということは,とうてい考えられません。また,むかしの忠実な人々を思い出してごらんなさい。彼らは油注がれた「教会」級の者でありませんでしたが,それでも聖霊にみたされたので霊感された聖書を書くことができました。彼らは異教の寺院をこわしたり,獅子や熊を殺したり,らい病人をいやしたり,死人すらよみがえすことができました。同様に今日でも「他の羊」級の者はエホバの活動力の援助により,数多くの強力なわざをすることができます。
11 それでは,どんな要素は,エホバの御霊をうける資格のあることを決定しますか。
11 それで,聖霊をいただけるだけの資格を備えているか,どうかを決定する要因は,その人の行く場所に左右されず,むしろ彼の霊的な円熱さと心の態度であります。ある人は,心から進んで御霊をいただいてその導きに従うでしょう。一方,別の人は御霊の指示に従って歩こうとしないため,御霊を消してしまいます。もし神の指示に逆らうなら,その人はサウロ王と同じようになります。彼については次のように書かれています,「ヱホバの霊サウロをはなれ……」。エホバの御霊を失うとは,なんと残念至極のことでしょう! サウロは,イスカリオテのユダのように自殺しました。油注がれた「残れる者」でも「他の羊」級の者でも,もし注意をおろそかにするなら,それと同じことが生じます。―サムエル前 16:14。
エホバの御霊の表われ
12 電気についてのどんな三つの面は,聖霊の力を良く示していますか。
12 私たちはエネルギーそのものを見ることができません。しかし,エネルギーが使用されるとき,その結果を容易に見ることができます。人間の目に見えないエホバの強烈なエネルギーが,人間に働きかけるとき,私たちはその結果をすぐに認めることができます。この面においてエホバからの聖霊は電気になぞらえます。電気は照明のために使用されるか,通信の手段に用いられ,多くの仕事をする強力な力です。人を見るだけで,その人が聖霊にみたされているかどうかは分かりません。ちょうど,銅の電線を見るだけでは,それに「電気が通っている」かどうか分からないのと同じです。電池を見るだけでは,それが充電されていかどうかは分かりません。
13 エホバの御霊が啓発を与える強力な道具であることを証明するどんな証拠がありますか。
13 電気は照明のために使用されます。同じくエホバの御霊は,このくらい時代にあって神の御言葉に解明と理解を与えます。(詩 119:105。ヨエル 2:28)理解と指示が聖霊によってのみ来ることは,この世界のいろいろの宗教制度に示されている混乱状態,および理解と指示が一般的に欠如していることからも明白に分かります。彼らは,神の御国が人類の唯一の希望であるという事実を認めません。彼らはその御国の王が御くらについて,いま天で支配していることを認めることができません。彼らは現在の悪魔の組織制度の滅亡が急速に近づいていることを認めません。彼らは約束されている実際の楽園が,ごく間近に設立されることを認めません。彼らは心をなぐさめるそのような真理をまったく認めません。なぜなら,そのような真理はエホバの御霊によってのみ啓示されるからです。―コリント前 2:9,10。
14 クリスチャンの参加している宇宙的なはげしい戦争において,聖霊はどんな役割を果たしますか。
14 複雑な電気通信組織がないなら,司令官は世界的な規模を持つ大軍に命令を下すことはできないでしょう。全地のクリスチャンたちがいま行なっている戦争でも同様なことが言えます。エホバの御霊がないなら,指示は与えられず,また敵と取りくみ合うはげしい戦いのときに十分な力はないでしょう。―コリント後 10:4-6。エペソ 6:11,12。
15 ノア,サムソンそして他の者たちは,エホバの御霊によって強められたとき,どんな力のわざをすることができましたか。
15 電気で動かされる巨大な機械は,人間ひとりではつくれないものをつくり出します。同様にエホバの力は人々に力を与えて,人の力だけではとうていなし得ないことを行なわせます。ノアとその息子たちは造船業者でありませんでしたが,神の御霊のみちびきの下に,暴風に耐えることのできる巨大な避難所をつくるのに大成功しました。後日,荒野で聖なる幕屋を建てたときについて,次のように書かれています,「視よヱホバユダの支派のホルの子たるウリの子ベザレルを名指て召たまひ,神の霊をこれに充して智慧と了知と智識ともろもろの類の工事に長しめ,奇巧をつくして金銀および銅の作をなすことを得せしめ,玉を切りはめ木にほりきざみてもろもろのたぐひの工をなすことを得せしめ……」。この同じエホバの御霊によって,普通の人であったサムソンは超自然の力わざをすることができたのです。―出エジプト 35:30-33。士師記 13:25; 14:6,19; 15:14。
16 聖書の預言の記録についてエホバの御霊はどんな役果たしましたか。
16 聖書の筆記者たちは,すこしの間違いなしに預言をしるすことができました。それはどうしてですか。使徒ペテロは次のように答えています,「なぜなら,預言は決して人間の意志から出たものではなく,人々が聖霊に感じ,神によって語ったものだからである」。エホバからこの指導の力をうけなかったなら,ダニエルがこの20世紀における出来事を2500年もむかしに前もって預言することはまったく不可能だったでしょう。しかし,エホバのこの預言者は神の先見の力をうけることによって,いま東のブロックと西のブロック間で行なわれている,「冷い戦争」を,日々の新聞の見出しと同じくらいまったく明白に書きしるしました。―ペテロ後 1:21,新口。
17 イエスと使徒たちの時代には,エホバの強烈なエネルギーは奇跡的にどう示されましたか。
17 キリスト教は神が始められたものです。イエスと使徒たちがそのことを証明するためには超自然の力を示さねばなりません。彼らは超自然の力を示しました。歴史の記録は,イエスについて次のように述べています,「大ぜいの群衆が,足なえ,不具者,盲人,おし,そのほか多くの人々を連れてきて,イエスの足もとに置いたので,彼らをおいやしになった。群衆は,おしが物を言い,不具者が直り,足なえが歩き,盲人が見えるようになったのを見て驚き,そしてイスラエルの神をほめたたえた」。(マタイ 15:30,31,新口)エホバの強烈なエネルギーはなんとすばらしく示されたのでしょう! この神の力は,使徒たちにも与えられました。「イエスは十二弟子を呼び寄せて,汚れた霊を追い出し,あらゆる病気,あらゆるわずらいをいやす権威をお授けになった。イエスはこの十二人をつかわすに当り,彼らに命じて言われた……『病人をいやし,死人をよみがえらせ,らい病人をきよめ,悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから,ただで与えるがよい』」。後日の五旬節<ペンテコスト>では,次のように記録されています,「一同は聖霊に満たされ,御霊が語らせるままに,いろいろの他国の言葉で語り出した」。―マタイ 10:1,5,8。使行 2:4,新口。
18 エホバの導きの御霊により,現代の彼の民が為し行なったもののいくらかは何ですか。
18 キリスト教は神からのものであるということがしっかり確立されました。それで,使徒たちが死ぬと,人々をいやす御霊の奇跡的な贈り物はなくなりました。しかし,エホバの民を助けるためのエホバの聖霊は,今日にいたるまでずっと注がれています。エホバの証者の新しい世の社会に長年交わっている人々は,この神の御霊の働きを良く知っています。神の御霊は,たしかに彼らのわざのうしろにあって彼らをはげまし,彼らを動かしてきました。全世界179の国々や区域でエホバの証者が一致して伝道のわざをしていることについて,何人も誉をうけることができません。すばらしい聖書の真理が与えられることに何人も誉をうけることができません。神権制度についての決定,ものみの塔のギレアデ聖書学校の運営,御国宣教学校の取りきめ,世界の多くの場所で印刷工場を設置したり拡張したりすること ― これらのことや,もっと多くのことは,人間の考える能力や先見だけに頼っては,とうてい達成できないものです。数多くの法律上の大勝利によって,地上の真の崇拝は守られ,合法的に確立されました。それは実際にはエホバの勝利です。エホバの御霊はこのわざの全部を指示しました。エホバの民は,一般人のかたく信じている輸血に対しても独自の立場を取ります。たしかに,神の指導的な御霊がないなら,嘲笑や侮べつを耐え,そして誠実な心をいだく親族や尊敬をうけている専門家たちによる輸血勧誘の「助言」を拒絶することは不可能でしょう。神聖な血に対するそのようなかたい立場は,人間の考えや指導によるもではありません。すべてのさんびとほまれは,エホバの指導的な御霊にあたえられます。
19 神の御霊にそむく罪を犯すとはどういう意味ですかなぜこれはそんなにも危険ですか。
19 エホバの聖霊の他の表われは,犯罪者を排斥して処刑するときに示されます。たとえば,コラ,ダタン,アビラム,アカン,イスカリオテのユダ,アナニアそして,サッピラの場合です。後者の二人については,彼らは神の聖霊を『あざむいた』と聖書は述べています。したがって,神の御霊に対して罪を犯さぬよう細心の注意を払わねばなりません。イエスの時代のパリサイ人たちは神の奇跡を否定して,神の御霊に逆らう罪を犯しました。彼らは御霊の働きの明白な表われを拒絶したのです。人は,御霊の指示と助言に反対したり,反抗すべきでなく,むしろよろこんでそれに従うべきです。御霊の働きに逆らったり,御霊の指示に反対の生活をすることによって御霊をさまたげたり,制限したりしてはなりません。―民数記 16:1-35。ヨシュア 7:1-26。マタイ 27:3-10。使行 5:3。
20 どこにエホバの御霊の実を見出しますか。なぜそこで見出しますか。
20 「御霊の実は,愛,喜び,平和,寛容,慈愛,善意,忠実,柔和,自制であって……」とガラテヤ書 5章22,23節(新口)は述べています。今日そのようなよろこばしい実をどこに見出しますか。この世界の多数の社会の中に見出しますか。そのようなことはもちろんありません! そこにはくさっ実 ― 憎しみ,戦争,偏見,いつわり,盗み,不道徳その他が見られます。それに反して,エホバの証者の新しい世の社会はエホバの御霊の美しい実を産出しています。これは秘密なことではありません。この世の人々は,聖霊がこのように明白に示されているのを見ます。しかし,不思議に思えるかも知れませんが,彼らはこの一致した幸福な制度の一員になる気持をいだきません。エホバの目に見える制度の平和,調和そして一致に驚嘆する人々の中のある者は,驚嘆して目撃するものエホバの強烈なエネルギーによってのみ産出できるものに対して,実際に戦かっています。彼らは偽善的なパリサイ人と同じ類の者であって,神の御霊に対して罪を犯します。これはゆるすことのできない罪です。―マタイ 12:32。ヘブル 6:4-6; 10:26。
エホバの力によって共産主義を征服する
21,22 エホバの証者は,共産主義者の迫害に耐えるのに必要な力をどこから得ますか。どんな結果が得らますか。
21 神の御霊が御自分の民を活動させる別の証拠は,彼らが全体主義政府のたえまない迫害にも耐えることができたことです。迫害をうけるこれらのエホバの証者は,詩篇記者の言葉を借りてこう歌います,「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。このゆえに,たとい地は変り,山は海の真中に移るとも,われらは恐れない。たといその水は鳴りとどろき,あわだつとも,そのさわぎによって山は震え動くとも,われらは恐れない」。―詩 46:1-3,新口。
22 神を認めぬ全体主義的な要素に対するこの戦いにおいて,エホバの民はその力の天的な源にたえず頼り,次のように言います,「神はわたしに力を帯びさせ……あなたは戦いのためにわたしに力を帯びさせ……」(詩 18:32,39。サムエル後 22:2,3,40)鉄のカーテンの背後にいるエホバの証者は,そのような備えを身につけているので,たとえ世界の他の場所にいる兄弟たちとの連絡が切りたたれても,その忍耐において,活力において,強烈な力において,無情な迫害者たちよりはるかにすぐれていると証明します。神より与えられた彼らのわざは,ますます進歩繁栄し,暴君的な独裁者たちを大いにあわてさせ,おどろかせています。
23 物事を深く考える人々は,エホバの忠実な証者たちを注意深く考慮して後,どんな結論にかならず達しますか。
23 すべての人の中でも,物事を良く考えるあなた方はエホバの証者を注意ぶかく観察して下さい。エホバの証者が,分裂をもたらすすべての国家的,人種的,社会的,および宗教的な障害をうちくずしたことに気をつけて下さい。彼らがひとつになって,一致して活動し,崇拝をささげていることに気をつけて下さい。彼らは全世界からひどい反対をうけて試練をうけているにもかかわらず忠実を保っていることに注意して下さい。彼らの制度が繁栄し,その数が増加しているのに気をつけて下さい。エホバの正義の御国にささげる彼らの燃えるような熱心と愛を見て下さい。このすべてを注意深く考えるとき,強力な見えざる力,すなわちエホバの聖霊がこの民をして活動させているということをたしかに知るでしょう。それは大きな世界的な規模において「御霊の一致」を表わすものです!―エペソ 4:3。
24 (イ)クリスチャンの力は,軍事力や人間の力から来るものでないなら,どこから来ますか。(ロ)どんな大切な理由の故に,神の奉仕者たちはエホバの与える力に依存しなければなりませんか。
24 さて,このすべてはエホバがずっと以前に言われた通りです,「万軍のヱホバのたまふ是は権勢に由ず能力に由ず我霊に由なり」このわけで使徒パウロは彼の力がエホバの力によると言明して次のように語りました,「わたしを強くして下さるかたによって,何事でもすることができる」。それで,エホバの僕は,自分自身の力や他の人の力に頼ってはならず,むしろ「奉仕する者は,神から賜わる力による者にふさわしく奉仕すべきである。それは,すべてのことにおいてイエス・キリストによって,神があがめられるためである」。―ゼカリヤ 4:6。ピリピ 4:13。ペテロ前 4:11,新口。
25 エホバの御霊によって活動的にされるすべての者はいまどんなすばらしい幸福を十分に楽しみますか。
25 エホバの献身した僕たちは,あらゆることを行ないエホバを賛美してあがめます。それでエホバは彼らに多くの祝福を与えます。これらの祝福の中にはよろこびと幸福があります。聖書の言葉によると,「あなたがたは,多くの患難の中で,聖霊による喜びをもって御言を受けいれ……」ました。(テサロニケ前 1:6,新口)さらに次のように約束されています。「その力なんぢに……ある者はさいはいなり……かれらは力より力にすゝみ……」。このよろこびと幸福は,この世の「こっけいな人」によるうわべだけの楽しみではありません。むしろ,それは真実の深い,内面的な満足の感情です。たとえかびくさい刑務所内の防音室で無情に打ち叩かれて,苦痛のためほほに涙が流れ落ちようとも,満足感をおぼえさせます。それはエホバの心を幸福にさせる者たち,エホバの大いなる御名と聖なる御言葉の立証に参加する者たちにのぞむ幸福です。―詩 84:5,7。箴言 27:11。