「上なる権威」に服従 ― なぜ?
「すべての人は上なる権威に従うべきである。なぜなら,神によらない権威はなく,存在している権威は,神により比較的な地位に立てられたものである」。―ロマ 13:1,新世。
1 ヨセフとマリヤがこの世の政治権力に従ったことは,神の御心と預言に一致するどんな結果になりましたか。
西暦前2年,ヤコブの子ヨセフと,妊娠していた彼の妻,ヘリの娘マリヤは,ローマ皇帝カイザル・アウグストの勅令に従いました。彼らはユダヤの故郷の町で登録し,マリヤの息子,イエス・キリストはベツレヘムで生まれました。これはイエスの天の御父エホバ神の御心に従うことであり,エホバ神は,7世紀も前に,預言者ミカを通して,その地における御子の誕生を予めに告げられました。(ミカ 5:2。マタイ 1:1,16,18。ルカ 2:1-7; 3:23)パレスチナのユダヤ人たちは,エホバ神が預言者モーセを通して与えた十のいましめや,他の法律に従っていましたが,その面において政治的な権力に服従することは,神の御心と目的に反するものではありませんでした。
2 ユダヤ人はどんな二組の法律の調整を図らなければなりませんでしたか。イエスはそのためのどんな完全な規則を述べましたか。
2 ユダヤ人たちは神のすぐれた律法下にいました。しかし,彼らはユダヤとガリラヤの地を支配して,秩序を保ち税金や貢を集めていた帝国政府の法律に服従することが必要でした。イエス・キリストは,この服従に関する完全な規則を一群れのユダヤ人たちに語りました。彼らの中のある者は,ローマ帝国を支配し,他の者はローマ帝国に反対していたのです。イエスは,「それでは,カイザルのものはカイザルに,神のものは神に返しなさい」と彼らに言いました。(マタイ 22:15-22,新口)ローマ帝国を支持したユダヤ人も,ローマ帝国に反対したユダヤ人も,この規則に欠点を見出すことができませんでした。
3 1914年の持つ意味にもかかわらず,クリスチャンがこの完全な規則に今でも従うのはなぜですか。
3 ローマ帝国の皇帝たちは,その帝国と共にずっと以前に滅びました。しかし,19世紀前にイエスの語ったその言葉の中でカイザルと表わされているものは,今でも残っています。それは単なる帝国主義とか植民地主義ではなく,この世の政治的な政府です。これは西暦1914年以来でも真実です。イエスがこの世の組織制度の終りについての預言の中であらかじめに告げたごとく,異邦人の時すなわち「諸国民の定められた時」はこの時に終わりました。(ルカ 21:5-7,24)それで,イエスの述べた指導的な規則は,今日でも尊重され,守られねばなりません。特にエホバの証者のように献身して洗礼を受けたクリスチャンはそうするべきです。諸国家は今でも存在しています。しかし,神も存在しています。そして,1914年以来地上の全国民はエホバ神によってさばかれています。神に対して羊のような性質を持つ人々は,カイザルのものをカイザルに,神のものをみな神に返す,という規則に従うでしょう。クリスチャン使徒であったパウロとペテロは,この規則に従い,その規則を支持する言葉を書きました。―マタイ 25:31-40。
4 (イ)何時そしてだれに宛てて,パウロはこの論争に関し書き送りましたか。したがってどの支配者のことを言っていますか。(ロ)この手紙を受け取った人々は,パウロの述べた事を理解しましたか。今日のクリスチャンはどうですか。
4 56年頃,パウロはローマ帝国内の首都にあるクリスチャン会衆に手紙を書き送りました。彼はその手紙の13章の中で,この問題を特に取りあげました。これはいわゆるキリスト教国が(4世紀に)存在するようになった200年以上も前のことでした。神権により「神のめぐみによって」支配すると主張した自称クリスチャンの王が現われる以前に,パウロは異教のローマ帝国の只中で,書きました。それで,パウロはローマにいたクリスチャンたちに,手紙を書送りましたが,それはキリスト教国の政治的な支配者に関するものではなく,カイザルとか彼の長官あるいは各国々の王のような異教の支配者に関するものでした。特にローマにいたクリスチャンたちは,次の質問について明白な見解を持つことが必要でした。すなわち,この世の支配者たちはクリスチャンでなくエホバ神に献身していないが,それでもクリスチャンは,国を支配しているそれらの支配者たち,およびパレスチナの国やエルサレムの町を支配している支配者たちに,何かを負っていますか。ローマの会衆は,キリスト教のために,この論争点に関し明白な認識を持ち,啓発された良心にしたがって行動することが必要でした。彼らに宛てた手紙の中で,パウロはその事柄を思慮深く取りあげました。彼ははっきり述べたので,彼らは彼の書いたことを理解しました。しかし,それから19世紀後の今日,パウロの意味した事柄については論争が行なわれています。分割されたドイツ内の宗教的な出来事により,それは,最近,世界の注目を集めるに至りました。a
5,6 (イ)パウロは誰の益を図って,ロマ書 13章1-7節を書きましたか。しかしこれに関してどんな質問が出ますか。(ロ)正しい答えを得る手がかりはどこにありますか。そこでいま何をしますか。
5 パウロは,「ローマにいる,神に愛され,召された聖徒一同へ」書きました。彼はクリスチャン会衆のために手紙を書きました。(ロマ 1:7新口)しかし,彼がこの手紙の中で論じている全部は,会衆内のことではありません。パウロがロマ書 13章1-7節で書いた事柄は,会衆内のものですか,あるいは会衆外のものですか。これが今日の大問題です。第一に,13章以前の各節によって,このことを決定する手がかりが得られます。パウロは,彼の書いた手紙を節と章に分けなかったということを忘れるべきでないでしょう。パウロは,現代にある本のように,つまり現代の形式の聖書としてそれを書いたのではなく,手紙として書きました。彼が現在の13章1-7節と先行の部分とを分けたという証拠はありません。それで,紹介的な文脈を正しく理解するため,いま12章17節から13章7節までつづけて読みましょう。それは次の通りです。
6 「だれに対しても悪をもって悪に報いず,すべての人に対して善を図りなさい。あなたがたは,できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。愛する者たちよ,自分で復讐をしないで,むしろ,神の怒りに任せなさい。なぜなら,『エホバが言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する』と書いてあるからである。しかし,『もしあなたの敵が飢えるなら,彼に食わせ,かわくなら,彼に飲ませなさい。そうすることによって,あなたは彼の頭に燃えさかえる炭火を積むことになるのである』。悪に負けてはいけない。かえって,善をもって悪に勝ちなさい。すべての人は上なる権威に従うべきである。なぜなら,神によらない権威はなく,存在している権威は,神により比較的な地位に立てられたものである。したがって,権威に逆らう者は,神の定めにそむく者である。そむく者は,自分の身にさばきを招くことになる。いつたい,支配者たちは,善事をする者には恐怖でなく,悪事をする者にこそ恐怖である。あなたは権威を恐れないことを願うのか。それでは,善事をするがよい。そうすれば,それからはほめられるであろう。それは,あなたに益を与えるための神の僕なのである。しかし,もしあなたが悪事をすれば,恐れなければならない。それはいたずらに剣を帯びているのではない。それは神の僕であって,悪事を行う者に対しては,怒りをもって報復するからである。だから,ただ怒りをのがれるためだけではなく,良心のためにも従うべきである。あなたがたが貢を納めるのも,また同じ理由からである。彼らは神の公共の僕として,もっぱらこの務に携わっているのである。あなたがたは彼らすべてに対して,義務を果しなさい。すなわち,税を納むべき者には税を納め,貢を納むべき者には貢を納め,恐るべき者は恐れ,敬うべき者は敬いなさい」。
7 序論の部分から見て,「上なる権威」は当然にどんな背景を持つものですか。
7 前述の聖句から次のことは明白です,すなわち12章の最後の5節でパウロは,クリスチャン会衆外の人々,「すべての人」の中における神の聖徒たちの振舞について告げています。「すべての人」の中には,クリスチャンに悪を行なう敵もふくまれています。したがって,会衆内の者でなく,会衆外の人です。そのすぐ後のところで,パウロは「上なる権威」について論じて,会衆内に注意を向けず,会衆外に注意を向けています。それで,論理的に言っても,「上なる権威」は,会衆外のこの世の中にあるものですb。私たちは,クリスチャン会衆外に権威があるという事実に目を閉じることが決してできません。
8 (イ)パウロの使った「権威」という言葉の原語は何でしたか。この言葉はだれを指して用いられていますか。(ロ)サタン悪魔とカペナウムのローマの百卒長は,この言葉をどのように使いましたか。
8 会衆はローマにありましたが,パウロはその手紙をラテン語で書かず,ギリシャ語で書きました。パウロが「権威」という言葉のために用いたギリシャ語は,「エクスオウシア」でした。ヘブル語聖書の昔のギリシャ語「七十人訳」を読んでいた人々は,そのエクスオウシアという言葉が異教の支配あるいは統治に適用することを良く知っていました。(ダニエル書 7:6,14,17; 11:5を見なさい)サタン悪魔でさえも権威を主張しました。サタン悪魔は世界の支配と統治でもって,イエス・キリストを誘惑しようとつとめたとき,次のように言いました,「これらの国々の権威〔エクスオウシア〕と栄華とをみんな,あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて,だれでも好きな人にあげてよいのですから」。しかし,イエスは神の大敵対者と取引して,この世の権威を得ることを拒絶しました。(ルカ 4:6-8,新口)後日,カペナウムにいたローマの百卒長は,従僕をいやしてもらいたいとイエスに願ったとき,ロマ書 13章1節に出てくる言葉を用いて,次のように語りました,「ただ,お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります。わたしも権威の下にある者ですが,わたしの下にも兵卒がいまして,ひとりの者に『行け』と言えば行き,ほかの者に『こい』と言えばきます」。―マタイ 8:5-9,新口。ルカ 7:8。
この世の権威
9 イエスとその敵は,世の権威を指してこの言葉をどのように使いましたか。
9 イエスは,キリスト教の敵のもたらす迫害について弟子たちに前もって告げたとき,次のように語りました,「あなたがたが会堂や役人や高官の前へひっぱられて行った場合には,何をどう弁明しようか,何を言おうかと心配しないがよい」。(ルカ 12:11,新口)ユダヤ人の宗教指導者たちは,義人ぶった人々をイエスのところにつかわして,話をさせました。その目的は「イエスを総督の支配と権威とに引き渡すため,その言葉じりを捕えさせようとした」とルカ伝 20章20節(新口)は述べています。イエスはゲッセマネの庭で捕われるために身を渡したとき,敵共にこう言いました,「今は汝らの時,また暗黒の権威なり」。(ルカ 22:53,新口。コロサイ 1:13)総督ポンテオ・ピラトは,イエスに対して何をしましたか。「ヘロデの支配〔エクスオウシア〕下のものであることを確かめたので,……そちらへイエスを送りとどけた」。(ルカ 23:7,新口)この世の総督たちの権威ということに関連して,イエスはかつて使徒たちにこう語っていました,「異邦の王たちはその民の上に君臨し,また,権威を持っている者たちは恩人と呼ばれる。しかし,あなたがたは,そうであってはならない」。(ルカ 22:25,26,新世)そして私たちの時代の出来事を前もって告げる聖書の最後の本は,10人の象徴的な王について語り,次のように述べています,「彼らは,……獣と共に,一時だけ王としての権威を受ける。彼らは心をひとつにしている。そして,自分たちの力と権威とを獣に与える」。(黙示 17:12,13,新口)それで,これらのものはみなこの世の「権威」です。
10 これらの「権威」には「上なる」という形容詞がつけられているため,この世よりも上にあるものですか。この質問の答えを決めるものは何ですか。
10 しかし,ある人は次のような反対論を唱えるかも知れません,すなわちロマ書 13章1節でパウロは権威を「上なる」と呼んでいるから,それらの権威はこの世のものでないというのです。神よりも「上なる」権威があるでしょうか。ありません。しかし,それらの「権威」は「上なる」ものであっても,神に従うとパウロは述べています。どうしてそうですか。パウロはこう述べています,「神によらない権威はなく,存在している権威は,〔だれに?〕神により比較的な地位に立てられたものである」。もし神が,神と比較的な立場にその権威を置くなら,そのような「上なる権威」は,最高者である神に従わねばなりません。(ルカ 6:35。使行 7:48。ヘブル 7:1)パウロの用いたギリシャ語の動詞分詞によると,「上なる」という言葉は,「占有すること,高いこと(あるいは良いこと)抜きん出ること,他のものよりすぐれること」という意味です。それは必らずしも最高という意味ではありません。このギリシャ語の動詞の他の使用にも気をつけて見ましょう。
11 テモテ前書 2章1,2節,ペテロ前書 2章13節およびピリピ書 2章3節において,ギリシャ語の同じ動詞は,どのように使われていますか。
11 テモテ前書 2章1,2節で,パウロはあらゆる人に関する祈りについて論じたとき,祈りは「すべての人のために,王たちと上に立っているすべての人々のために……ささげなさい」と述べています。「上に立っている」という言葉は,ギリシャ語の名詞ヒペロクヘを訳したもので,それはパウロがロマ書 13章1節で用いている動詞の分詞ヒペレクヘインから来ている名詞です。ペテロは同じギリシャ語の動詞をペテロ前書 2章15節で用いて,王を「主権者」と述べています。また,ピリ書 2章3節(新口)で,使徒パウロは会衆内のクリスチャンにどのように互を尊敬すべきかを告げています,「へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい」。これはもちろん,エホバ神のような最高者にするわけではありません。
だれに対して「上なる」ものか
12 外部の世の中には,クリスチャンよりも位の高い人々がいますか。クリスチャンはこの点に関して何を覚えなければなりませんか。
12 クリスチャンはこの世のものではありません。しかし,クリスチャンの住むこの外部の世には,真のクリスチャンよりも高い地位や権威を持つ人々がいます。このことは政府に見られます。なぜなら,エホバの証者のように真実に献身しているクリスチャンたちは,政治に介入せず,政治の要職につこうとしないからです。しかし,彼らはエホバ神が地上の最高の者よりも高いという趣旨の伝道之書 5章8節(新口)の言葉をおぼえています,「あなたは国のうちに貧しい者をしえたげ,公道と正義を曲げることのあるのを見ても,その事を怪しんではならない。それは位の高い人よりも,さらに高い者があって,その人をうかがうからある。そしてそれらよりもなお高い者がある」。
13 なぜ「すべての人」は従うべきですか。これが天使にあてはまらないことは,どうして分かりますか。
13 クリスチャンたちはこの世の政府との交渉を避けることができません。それで,パウロはローマにいるクリスチャンたちにこう述べています,「すべての人は上なる権威に従うべきである」。彼らが魂なること,および魂としての彼らの生命が関係していると,パウロは彼らに思いおこさせています。会衆のすべての魂,すべての人は,服従をしなければなりません。例外の人はひとりもいません。パウロの生涯から,彼自身も例外でなかったことが証明されます。しかし,このクリスチャンの服従は,どの程度までのものですか。極限までですか。決してそうではありません。ロマ書 13章1節が,神と栄化された御子イエス・キリストだけに従っている天の御使たちにあてて述べられていないことを記憶して下さい。(ヘブル 1:5,6。ペテロ前 3:21,22)むかし,天の御使たちは人間の政府に対して戦いました。そして,将来の「全能の神の大いなる日の戦争」の時に人間政府と戦うでしょう。(黙示 16:14-16; 19:14-20)ロマ書 13章1節は天の御使たちに宛てられたものでなく,この地上にいるクリスチャンたちにあてられたものです。この地上には,この世の組織制度の政治的な政府がいまでも存在しているのです。
14 限られた範囲において,クリスチャンの守るべき服従にはどんなものがありますか。
14 この地上には,神の書かれた言葉に従いクリスチャンたちが従わねばならぬ,限定された服従の範囲はたくさんあります。ナザレにいた少年イエスでさえも,彼の地的な監督者ヨセフとマリヤに「お仕えになった」。(ルカ 2:51,52,新口。ガラテヤ 4:1-5)それで,テモテ前書 3章4節,エペソ書 6章1-4節では,子供たちがクリスチャンの両親に従うことが命ぜられ,若いクリスチャンたちは古い者に従い(ペテロ前 5:5)奴隷または僕は所有者すなわち主人に従い(テトス 2:9。ペテロ前 2:18。エペソ 6:5-8)妻は夫に(コロサイ 3:18。テトス 2:5。ペテロ前 3:1,5。エペソ 5:22-24)婦人は会衆内の兄弟たちに(コリント前 14:33,34)そして会衆の成員は,彼らに忠実に仕える兄弟たちに従うことが命ぜられています。(コリント前 16:16)この全部は比較的な服従の例であって,制限つきのものです。私たちは,あらゆることにもまして,ヤコブ書 4章7節(新口)のクリスチャンに対するいましめを行なわなければなりません,「そういうわけだから,神に従いなさい。そして悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば,彼はあなたがたから逃げ去るであろう」。
15 したがって「上なる権威」に対する服従はどんな種類のものですか。そしてなぜ?
15 同じく,クリスチャンがこの古い世の「上なる権威」に行なう服従は,比較的なものに過ぎません。それは神と良心を度外視しないからです。たとえば,各人が服従しなければならぬひとつの理由として,「神によらない権威はない」と使徒パウロは述べています。
神のゆるしによる
16 サタン悪魔はどうして権威を持っているのですか。サタンはそれをどうしましたか。
16 サタン悪魔の持つ力は,もともと神から来たものです。しかし,私たちは一瞬といえども悪魔に従うべきでなく,彼に反対しなければなりません。悪魔は,この古い世を支配する目に見えぬ権威を持つことをゆるされました。さもなければ,彼がイエスを誘惑して罪を犯させようとしたとき,イエスに全世界的な権威を提供することができなかったでしょう。権力と権威を持つ人は,それを他の者に渡すことも,その一部を与えることができます。「大いなる龍」サタンは,彼の目に見える制度にそのことをしました。黙示録 13章1,2節(新口)は,この制度を獣と示して,次のように述べています,「龍は自分の力と位と大いなる権威とを,この獣に与えた」。
17 クリスチャンは政治政府に従うとき,サタンに従うことになりますか。どこに違いがありますか。
17 もちろん,このすべてには神のゆるしが必要でした。その結果,今日存在している政府や支配形態ができました。しかしサタン悪魔は,クリスチャンが服従しなければならぬ目に見える,地的な権威ではありません。クリスチャンが,存在していて,目に見える,地的な人間の政府,すなわち「上なる権威」に服従するとき,彼らはサタン悪魔なる龍に従っていません。彼らは神の命令に従っているのです。
18,19 (イ)神はどんな目的を述べたゆえに,サタンを滅ぼすことをさし控えましたか。(ロ)約束の「裔」に関して,神は何を証明することが必要でしたか。
18 ノアの日の洪水の前から今にいたるまで,神のゆるしがあったからこそ,龍なるサタンは,権力と権威を行使してきました。アダムとエバが罪を犯した後,エデンの園で神がサタンに向かって告げた言葉のゆえに,神はサタンを滅ぼすことをさしひかえました。神はこう言われました,「わたしは恨みをおく,おまえと女とのあいだに,おまえのすえと女のすえとの間に,彼はおまえのかしらを砕き,おまえは彼のかかとを砕くであろう」。―創世 3:15,新口。
19 エホバ神かサタン悪魔かそのどちらが宇宙の主権を持つか,という新しく起きた論争を解決するために,時間と自由の活動を悪魔に許すことが必要でした。また,神の「女」のすえ,あるいは子孫がこの論争の中に介入したため,神は次の点を証明することが必要でした。すなわちサタン悪魔の圧迫を受けて最初の完全な人間は罪に堕落したが,エホバ神は悪魔の世の只中で,神に忠実を保つすえ,すなわち子孫をこの地に置くことができるという点です。このすえが地的な「上なる権威」に従っても,このすえなる子孫が神への忠節を守らないとか,神への忠実を破るということにはなりません。
20 ウヅの地のヨブの例は何を示していますか。ヨブによって何が予影されましたか。
20 忠実を保つ敬虔な人々に対して,サタンが力を用いることは神により許されています。そのことは,ウヅの地にいた忍耐づよいヨブの場合に示されています。エホバ神はサタン悪魔の挑戦を受けたとき,忠実なヨブについて次のように語りました,「見よ,彼のすべての所有物をあなたの手にまかせる。ただ彼の身に手をつけてはならない」。失敗したサタンが,ふたたび神に挑戦したとき,神はヨブについて次のように語りました,「見よ,彼はあなたの手にある。ただ彼の命を助けよ」。ヨブは,サタン悪魔が偽り者であるとふたたび証明しました。これにより,サタンが神の「女」のすえなる子孫に対して,その力を用いることが許されても,完全に失敗することは前もって示されました。―ヨブ 1:12; 2:6,新口。
21,22 (イ)したがって「上なる権威」がその権威を行使できたのは,どうしてですか。(ロ)イエスはローマの総督に対し,この点をどのように明白にしましたか。
21 目に見える人間の「上なる権威」についても,サタンの場合と同じことが言えます。これらの「上なる権威」は,中に含まれている論争のゆえに神からゆるされないかぎり,権威を行使できません。したがって,神の「女」のすえの主要な者,すなわちイエス・キリストが,ユダヤの地的な上なる権威,ローマ総督ポンテオ・ピラトの前に立ったとき,イエスはひじょうに啓発的な言葉を述べました。イエスはそのとき,人間としての彼の生死が決められるさばきにかけられていました。
22 イエスが,彼の天的な起源についてローマ総督に告げることを拒絶したとき,「ピラトは彼に言った,『何も答えないのか。わたしには,あなたを釈放する権威があり,また杙につける権威があることを知らないのか』。イエスは答えられた,『あなたは,上から賜わるのでなければ,わたしに対してなんの権威もない』」。(ヨハネ 19:9-11,新世)ピラトは,神からのゆるしがあったからこそ,イエスに対して地的な権威を行使し,彼を殺すことができました。
23 ゆえに女の裔の他の成員に対する攻撃の場合,何が真実ですか。アメリカ訳のロマ書 13章1節はこの事とどのように一致していますか。
23 同じことは他の政治的な「上なる権威」全部についても言えます。彼らは,神の「女」のすえなる子孫の他の忠実な者たちに対して反抗します。たとえば,今日,彼らは「そのすえの残れる者」に対して反抗します。(黙示 12:13,17)それで,ロマ書 13章1節のパウロの言葉は,これらの「上なる権威」の持っているゆるされた権威を指すのです。この事実と一致するものとして,聖書のアメリカ訳は,ロマ書 13章1節を次のように訳しています,「すべての人は上に立つ権威に従わなければならぬ。神のゆるしなしに存在できる権威はない」。
24 このような許された権威は,神の民に害となりますか。権威は神権によるものですか。
24 不完全で罪深い人間の支配者が,このゆるされた権威をどのように使用しようと,それは,神の忠実な民に永久の害になることはないでしょう。かえって,それは神の忠実な民の永久の益になるでしょう。神は権威を持つ人間が,権威をどのように用いるかを見守っています。神の書かれた御言葉の示すように,神はその良い使用と悪い使用を御存じです。それで,そのような使用は,神のゆるしによるのであり,「上なる権威」が「神権」よって支配するからではありません。
立てられた,「存在している権威」
25 「存在している権威」は,どのように立っていますか。
25 ロマ書 13章1節は,神によってゆるされているという考えについて,さらに次のように述べています,「存在している権威は,神により比較的な地位に立てられたものである」。パウロがここで用いたギリシャ語の動詞タッソは,「秩序立てる,特定な秩序に定める」という意味です。ルカ伝 7章8節では,それは他の人の命令に服するという意味を持っています。それは事柄の配列ということに言及します。(マタイ 28:16。使行 28:23; 15:2)ロマ書 13章1節は,存在している権威が神によって創造されて立っていると述べていないことに気をつけねばなりません。神はそれらのものの創造者でありません。神はそれらのものが存在するようになることを許し,またそのことを先見さえしました。また,それらのものの存在をゆるすことをさだめたので,その来ることを預言されたのです。神は地上にあるこれらの「上なる権威」と,彼の「女」のすえなる子孫との関係をいつも留意していました。
26 何を顧慮して神は世の人々の境界を定めましたか。そしてなぜ?
26 昔のイスラエルすなわちヤコブのユダヤ人の国民の場合にこれが見られます。神の預言者モーセは,イスラエル(すなわちヤコブ)の国民をエジプトからみちびき出し,約束されたカナンの地の国境に達するまで,数多くの国を通過しました。モーセは,その国境のところで,死ぬ前に預言的な歌をつくり,その中で次のように述べました,「至高者(エホバ神)人の子を四方に散らして万の民にその産業を分ちイスラエルの子孫の数に照して諸の民の境界を定め給へりヱホバの分はその民にしてヤコブはその産業たりヱホバは只独にてかれを導き給へり別神は之とともならざりき」。(申命 32:8,9,12)この国民の中から神の「女」のすえの主要な者と,そのすえの他の数千人という成員が出て,聖書の預言は成就されました。エホバが「イスラエルの子孫の数に照して」この世の国民の境界を定めた理由がなっとくできます。エホバはこのすえを産み出すことに関心を持っていました。
27 同じ考えを抱いたパウロは,アテネの高等法廷において何と述べましたか。アブラハム,イサク,ヤコブの場合に,これはどのように示されましたか。
27 使徒パウロは同様な考えを持ち,ギリシャ,アテネにあった高等法廷にこう言いました,「この世界と,その中にある万物とを造った神は天地の主であるのだから手で造った宮などにはお住みにならない。……また,ひとりの人から,あらゆる民族を造り出して,地の全面に住まわせ,それぞれに時代を区分し,国土の境界を定めて下さったのである。こうして,人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば,神を見いだせるようにして下さった。事実,神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない」。(使行 17:24,26,27,新口)神がどのように彼らの時代を区分し,国土の境界を定めたかは,聖書の歴史から分かります。アブラハム,イサクそしてヤコブがカナンの約束の地をさまよっていたとき,エホバは異教のカナン人がその地に在住して,権威を行使することを許しました。アブラハム,イサクおよびヤコブはそれを認めねばならなかったのです。「この国よりかの国にゆき,この国よりほかの民にゆけり人のかれらを虐ぐるをゆるしたまはず,かれらの故によりて王たちをこらしめて宣給はくわが受膏者たちにふるるなかれ,わが預言者たちをそこなふなかれ」。―詩 105:13-15。
28,29 (イ)「アモリ人の悪」が満たされたとき,神はアブラハムの子孫であるご自身の民に対して何をされましたか。(ロ)神は,カナンの土地にむかうイスラエル民族が何をすることを許しませんでしたか。
28 数百年後,カナンの地にいた「アモリ人の悪」が満ちて,彼らを約束の地から取りのぞくエホバの定めの時が来たとき,エホバはモーセの手を通してアブラハム,イサクおよびヤコブの子孫たちをエジプトから連れ出しました。そして,彼らを荒野と諸国民の中を通らせ,ヨルダン川の東の岸にみちびきました。―創世 15:13-21。詩 105:26-45。
29 カナンの地に向かうこの行進中,神はイスラエルの国民がエドム(あるいはエサウ。セイル山),モアブおよびアンモンの諸国民をなやまし,侵略し,あるいはくつがえすことを許しませんでした。なぜですか。エホバは次のように言われています,「わたしがセイル山をエサウに与えて,領地とさせたからである」。「モアブを敵視してはならない。またそれと争い戦ってはならない。彼らの地は,領地としてあなたに与えない。ロトの子孫にアルを与えて,領地とさせたからである。……わたしはアンモンの子孫の地を領地として,おまえに与えない。それをロトの子孫に領地として与えたからである」。―申命 2:5,9,19,新口。
30 神はイスラエルによって他の国々の民にどんな処遇を与えましたか。敵の国々のあるものがカナンの地に残ったのはなぜですか。
30 エホバは,彼の選民イスラエルに他の国民を滅ぼすことを命じました。たとえば,シホン王のひきいるアモリ人,バシャンのオグ王のひきいるアモリ人,そしてヨルダン川の東にいたカナン人たちでした。(申命 2:31から3:13まで)しかし,侵入して行ったイスラエルの国民が敬神の熱意を失ない,ペリシテ人,シドン人,ヘテ人,ヒビ人,アモリ人,ペリジ人,およびエブス人のようなカナン人を滅ぼして,従属させようとしなかったとき,エホバはイスラエル人をなやまして,彼らのわなにするためこれらの敵を存続させると言われました。―シシ記 2:20から3:6まで。
31 「諸国の定められた時」以前またその期間中イスラエルの周囲の国々と神について,何が言えますか。
31 エホバ神は,選民のまわりにいた他の異教の国々,たとえばバベル(バビロン),アッスリア,シリアそしてまたエジプトの存在に気づいていました。エホバはエジプトに災をくだしましたが,その存続を許しました。これは,西暦前607年に異邦人の時の始まる以前のことでした。エホバ神ご自身「諸国民の定められた時」を前もって告げられ,御子イエス・キリストもこの世の組織制度の終りについての預言の中で,「諸国民の定められた時」について述べられました。(ルカ 21:24。エレミヤ 25:8-29。申命 28:64-68。レビ 26:31-41)エホバはまたその預言者イザヤ,エレミヤ,エゼキエルおよびダニエルを通して,(西暦)1914年に異邦人の時が終わるまで,世界強国がバビロンをその初めとしてどの順序に起きるかをあらかじめ告げました。c
32 1914年以降の諸国家のグループおよび連合について,神は何を預言されましたか。パウロは「上なる権威」に関する手紙を,どんな時期に書きましたか。
32 聖書の最後の本は,おどろくべき象徴により,1914年以来のこの「終りの時」に存在する諸国家の群れや,連合をあらかじめ告げました。たとえば,悪魔の目に見える地的な制度,また英米両国の世界強国,そして国際連盟や国際連合です。(黙示 13:1から19:20まで)エホバ神は,また「全能の神の大いなる日の戦争」において,これらの「上なる権威」の滅亡をも預言されました。使徒パウロは,異邦人の時代のうちでもローマ帝国の時代に,これらの「上なる権威」に関して手紙を書きました。「ものみの塔」は,異邦人の時が1914年に終わってから48年後に「上なる権威」に関するこの記事をのせています。
33 ロマ書 13章1節が適用されるのは1914年までですか。それは何時,適用されなくなりますか。
33 しかし,ロマ書 13章1節の適用は,1914年に終りませんでした。その年に「諸国民の定められた時」が終っても,異邦人「上なる権威」は地上に存続しました。しかし,それらは,1914年に天で設立された神の御国のさばきを受けているのです。神の御子イエス・キリストは神の右にいて御座についています。それら異邦人の「上なる権威」は,多くの変化と調整を経ましたが,現在でも存在しています。全能の神は,御自分の御心にしたがって諸国民の中から羊のような人々を集める仕事が終わる時まで,このことを許しつづけます。そのとき,神はそれらを滅ぼすためにハルマゲドンと呼ばれる宇宙的な戦争を始めます。
法律の相違
34 法律が変ったり,また異なる法律があるのはなぜですか。これは異邦の国民だけについて言えることですか。
34 異邦人の時の期間中,世界強国は次々に世界を支配しました。その間,国民が従わねばならぬ法律が時代に応じて変化したことは当然です。また,ある国の法律はその国の支配権威者の考えに従い,他の国々の法律とちがいました。ひとつの場所の法律は,他の場所の法律に反するものかも知れません。しかし,御自分の民に対する神の律法でさえ,時代によってちがっていました。たとえば,イスラエルの国民は,モーセを仲立ちとしてエホバとむすばれた古い契約の律法の下にいました。しかし,西暦33年以来霊的なイスラエルの「聖なる国民」は,御子イエス・キリストを仲立ちとする神の新しい契約のクリスチャン律法の下にいます。神は昔のユダヤ人が脂,豚肉および汚れた動物を食べることを禁じました。しかし,いま神の律法によれば,クリスチャンたちがこれらのものを食べることは許されています。しかし,神はこのことで矛盾しているわけではありません。
35 異邦人の法律の多くがクリスチャンの良心と一致しているのはなぜですか。
35 人間の法律は,国により,時代によりちがいます。また,矛盾することもあります。しかし,これら異邦人の法律全部が神の民の良心に反するわけではありません。異邦人の立法者たちは,ユダヤ教やキリスト教の影響を受けなくても,彼らの法律の多くはクリスチャン良心と一致しています。どうしてそうですか。その答えは容易です。すべての国民は最初のひとりの男アダムとその妻エバの子孫であって,神はこの両人に善悪を判別する感覚,すなわち「良心」と呼ばれるものを入れられました。すべての国民は,そこから始まりました。しかし,また,すべての国民は,それよりも新しい時,つまりいまから4300年前に世界を覆った大洪水の生存者,すなわち良心的なノアと彼の3人の息子および彼らの妻,合計8人の正義の先祖から出発しました。
36,37 パウロの説明している通り,このような法律は何の影響を示していますか。
36 良心は,神により人間の一部にされたものであって,人間に生まれつきそなわっているものです。ノアの時の大洪水以来,幾千年もの年月が経過しました。しかし,神の選ばなかった民,神に献身していない民から,良心がまったくぬぐい取られたわけではありません。それで,彼らの法律の大部分は,いまでもある程度残っている神からの良心の結果を示しています。この点について,パウロはローマにいたクリスチャンたちに次ように告げました。
37 「律法を行う者が,義とされるからである。すなわち,律法を持たない異邦人が,自然のままで,律法の命じる事を行うなら,たとい律法を持たなくても,彼らにとっては自分自身が律法なのである。〔どうしてそうか〕彼らは律法の要求がその心にしるされていることを現し,そのことを彼らの良心も共にあかしをして,その判断が互にあるいは訴え,あるいは弁明し合うのである」。―ロマ 2:13-16,新口。
38,39 (イ)クリスチャンは服従するとき,「上なる権威」の法律に関して何をしますか。(ロ)メデア-ペルシャの支配下にいたダニエルと,ネブカデネザル王の下にいた3人の友の例は,服従に関して何を示していますか。今日のクリスチャンは神に対して不法を行なう者でないことを,どのように示しますか。
38 クリスチャンはそれぞれの政府や法律の制度を持つ異邦人の「上なる権威」に服従するとき,神が人間の心に最初書いたとおりの良心のわざを示すそれらの律法に従います。クリスチャンがこの世の「上なる権威」に服従することは,比較的なものに過ぎません。それで,彼らには最高の法律の与え主,エホバ神の律法に反するこの世の法律に従う義務はすこしもないのです。異邦人の時の期間中,預言者ダニエルは,エホバに毎日定期的に祈ることを禁じたメデヤ ― ペルシャ人の法律に従いませんでした。ダニエルが獅子の洞穴から奇跡的に救い出されたことは,彼の行いの正しいことを証明しました。ダニエルは,神の律法を破ってまでもダリヨス王に従わなかったのです。―ダニエル 6:1-23。
39 ダニエルの3人のヘブル人の友は,バビロンに捕われていましたが,金の偶像の前で拝むことを要求した皇帝の法律に従いませんでした。ひじょうに熱い炉から彼らが火傷も受けず,死なずに出て来たことは,良心的な彼らが皇帝の命令に従わず,偶像崇拝を禁ずる最高の神の律法を破らなかったことの正しさを証明しました。(ダニエル 3:1-30)今日のエホバの証者は,昔のエホバの証者と同じく,神の律法に反する人間の法律に従いません。彼らは神に対して不法の者ではありません。それで,彼らは神の律法に反しない異邦人の「上なる権威」の法律全部に従います。かくして,彼らは法律を守る市民として服従するのです。
40 (イ)神によって立てられたものならば,「存在している権威」は神御自身との関係においてどんな地位に立っていますか。(ロ)これらの権威は地上において優越性を持っていますか。なぜクリスチャンはそれに従うことがどうしても必要ですか。
40 聖書の歴史を調べるとき,また異邦人の諸国民の中に成就された聖書の預言を研究するとき,次のように述べたロマ書 13章1節(新世)の正しいことが分かります,「存在している権威は,神により比較的な地位に立てられたのである」。最高者なるエホバは,この世の諸国家やその「上なる権威」の神ではありませんが,しかしそれらを支配しています。エホバはそれらを比較的な立場に置き,それらが世界強国となることを定めても,それらが御自身よりも,あるいはキリストよりも高くなるように取決めませんでした。しかし,それらの権威は,地上において比較的な優越性を持っていますか。そうです。クリスチャンたちに対しても,持っています。彼らは真のクリスチャンも持たない権威の行使を許されています。どうしてそうですか。すなわち,そのようなクリスチャンたちは政治に加わらず,皇帝,王,長官,市長,その他になってこの世の権威を求めません。現在存在しているこれらの権威は,間もなくハルマゲドンで滅ぼされるこの世の一部です。クリスチャンは滅亡に定められているその世の一部ではありません。しかし,神のゆるしにより権威が存在するかぎり,クリスチャンは比較的な程度において服従しなければなりません。d
[脚注]
a 1960年英国で初版発行,クリントン・モリソン師の「ザ・パワーズ・ザット・ビー」またリチャード・ソルバーグ著「東ドイツにおける神とカイザル」(1961年発行)を見なさい。1960年8月8日号「目ざめよ!」(英文),12-15頁を見なさい。
b シー・ティ・ラッセル著「世々にわたる神の経綸」(1886年発行),250頁(1節),266頁(1,2節)。また「時は近し」(1889年)81頁を見なさい。
d 「シオンのものみの塔」,1882年6月号5頁。また「ものみの塔」,1914年5月15日号,158,159頁を見なさい。