-
神の目的とエホバの証者(その59)ものみの塔 1963 | 4月1日
-
-
にすえつけることが必要になった。i
1958年奉仕年度の末に協会は,2台の新しい印刷機の引渡しを受けた。増大する聖書文書の需要に応ずるために使用される高速度輪転機はこれで合計13台になる。j
しかしこれが拡大のすべてではありません。ブルックリン工場とほぼ時を同じくしてカナダの支部が落成し,1956年5月25日に献堂式が行なわれました。k カナダで配布される英語の「ものみの塔」と「目ざめよ!」は,すべてカナダの工場で印刷されることになりました。同じ頃英国のロンドンで建築のすすめられていた支部と印刷工場は,l1959年には運営を始めました。ここから英連邦の大部分に協会の英語の雑誌を供給しています。1957年8月31日には,デンマーク,コペンハーゲンに建設された支部と印刷工場の献堂式が行なわれました。a
また「幸福な新しい世の社会」と題する上映時間1時間の新しい映画が製作されました。これは1955年の「勝利の御国大会」のおもな出来事をまとめたもので,1956年6月15日から,全世界の巡回大会において映写されることになりました。b
1957年4月15日,協会の放送局WBBRが売却されたことも,いっそうの拡大を物語っています。それは目的をはたし,神の御国の事柄をすすめるのに大きく役立ちました。この放送局が設置された1924年,ニューヨーク市の5区,ロングアイランドおよびニュージャシー州の一部をも含む地域に約200名の会衆がひとつあったに過ぎません。この小人数の人々が何百万人に伝道しなければならなかったのです。しかし放送局の売却された時,ニューヨーク市内の会衆は62を数え,伝道者の人数は,322名の開拓者を別にして7256名に達していました。
たしかにニューヨーク市においては,良い証言が行なわれていました。ご存知のようにここでは1950年と1953年に1回ずつ,2つの国際大会が開かれ,1955年には地域大会が開かれています。
この3つは全部ニューヨーク最大のベースボール,スタジアムであるヤンキー・スタジアムで開かれました。1953年の大会の時には40マイル離れたトレイラーの町に4万9000人を収容したうえ,なおスタジアムは満員になったため,成長をつづける新世社会が二,三年後にこのような国際大会を開くことのできる場所があるだろうかと,すべてのエホバの証者は考えました。そして1956年12月15日号「ものみの塔」763頁に次の言葉が出たのです。
あとわずか19ヵ月です! 今から1年半あまり後にエホバの証者は,国際大会を開く予定です。どこで? ニューヨーク市。何時? 1958年7月27日から8月3日まで。いまから貯金して,出席を計画しましょう!
全世界のエホバの証者は,信仰をもって準備を始めました。来週そのことをお話ししましょう。
-
-
読者よりの質問ものみの塔 1963 | 4月1日
-
-
読者よりの質問
● エベソ書 3章10節の言葉は,神が,天にある政府と権威,すなわち,御使たちに,まだ地上にいるクリスチャン会衆の成員を通して,教えをされるという意味ですか。―一読者より
いいえ,それは,この手紙を書いた使徒が意味したところではありません。前後の文脈を調べ,何が問題として扱われているかに,注意して下さい。そこで考慮されているのは,神の様々な目的に関する知識をどうするかという事ではなく,天的な栄光を受けて,キリストと共に共同の相続者となる者たちを,人間のうちから選び出すという神の目的そのものです。
5節から読んでみましょう。「この奥義は,いまは,御霊によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されているが,前の時代には,人の子らに対して,そのように知らされてはいなかったのである。それは,異邦人が,福音によりキリスト・イエスにあって,わたしたちと共に一つのからだとなり,共に約束にあずかる者となることである。…聖徒たちのうちで最も小さい者であるわたしにこの恵みが与えられたが,それは,キリストの無尽蔵の富を異邦人に宣べ伝え,更にまた,万物の造り主である神の中に世々隠されていた奥義にあずかる務がどんなものであるかを,明らかに示すためである。それは今,天上にあるもろもろの支配や権威が,教会をとおして,神の多種多様な知恵を知るに至るためであって,わたしたちの主キリスト・イエスにあって実現された神の永遠の目的にそうものである。」― エペソ 3:5-11,新口。
神は,人間を御使よりも少し低いものとして造られました。それゆえ,御使が人間から教を受けなければならない,とするのは道理に会いません。むしろ,エホバ神は,地上の人間に教えるために,たびたび御使を用いられ,特に,天への召を受けたクリスチャン会衆の成員のためにも遣わされました。―ダニエル 10:10-14。ヘブル 1:14。
それでは,会衆をとおして神の多種多様な知恵を知らせるとはどういう事でしょうか。それは,神が,この会衆のために,あるいは会衆によって,あるいは会衆と共になされる事柄が,神の多種多様の知恵を明らかに示す物として役立つという意味です。ここで言われている奥義は,御使が賛美と畏怖の念をもって見るものとなりました。従って,御使たちは,それによって,以前はまだ知らなかった,神の多種多様の知恵を深く知るようになったという事が言えます。
ペテロ前書 1章12節についてはどうでしょうか。それは次の通りです。「そして,それらについて調べたのは,自分たちのためではなくて,あなたがたのための奉仕であることが示された。それらの事は,天からつかわされた聖霊に感じて福音をあなたがたに宣べ伝えた人々によって,今や,あなたがたに告げ知らされたのであるが,これは,御使たちも,うかがい見たいと願っている事である」。(新口)この言葉はエペソ書 3章10節と同じ事を言っています。
-