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『その同じ仕方で整然と歩んでゆきなさい』ものみの塔 1985 | 5月1日
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使徒パウロのことを考えてください。パウロは自分が成し遂げた事柄に満足するよりも,フィリピ人への手紙の中で,「わたしがそれをすでに受けたとか,自分がすでに完全にされているとかいうのではありません。わたしはただ,そのためにキリスト・イエスがわたしをとらえてくださったものを,自分がそのとおりとらえ得ないものかと追い求めているのです」と述べました。―フィリピ 3:12。
4 使徒パウロはどんな「目標」を追い求めていましたか。
4 明らかにパウロは,円熟に至ることについて語っていたのではありません。パウロがすでに円熟したクリスチャンであったことに疑問の余地はないからです。それでも同使徒は,まだ『受けて』いないあるものを「追い求めている」と言いました。
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『その同じ仕方で整然と歩んでゆきなさい』ものみの塔 1985 | 5月1日
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6 フィリピ 3章12節と3章15節を比較すると,進歩を遂げることについて何と言えますか。
6 パウロはこの可能性を念頭に置いて,次のように言葉を続けました。「それで,わたしたちのうち円熟した者は皆,このような精神態度を抱きましょう。そして,もしあなた方が何かの点でこれと異なる考え方をしているとしても,神はここに述べた態度をあなた方に啓示してくださるでしょう」。(フィリピ 3:15)その前の12節で,パウロは自分自身を「すでに完全にされている」とみなしてはいないことを指摘しましたが,15節では,「わたしたちのうち円熟した者」,あるいは「完全な者」という言い方をしています。(王国行間逐語訳)これは矛盾した表現ではありません。むしろ,パウロのような円熟したクリスチャンであっても,究極的な目標にはまだ到達しておらず,そこに到達するためには進歩を続けなければならないことを際立たせているに過ぎません。
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