魂をこめて命の道を歩む
「『あなたは,心をこめ,魂をこめ,力をこめ,思いをこめてあなたの神エホバを愛さねばならない』,そして,『あなたの隣人を自分自身のように愛さねばならない』。……『このことを行ないつづけなさい。そうすれば命を得ます』」― ルカ 10:27,28。
1 今日の世界には,どんな二つの対照的な生き方がありますか。
偉大な生命授与者であられるエホバは,ご自分のみ子イエス・キリストを通して,「真の命」を得ることを今人類に勧めておられます。その命は平安と満足をもたらす有意義な命です。しかし,多くの人々は今日,異なる種類の命を選びます。そのような人たちは,心と魂を利己主義に支配されていて,何事も大目に見る「現代」社会のつかのまの快楽を追い求めることに体力と思いを浪費します。将来に希望がないために,「ただ食べたり飲んだりしよう。あしたは死ぬのだから」という道をとります。(コリント第一 15:32)それとは反対に,あした,そして永久に生きることを期待している人々がいます。それは神と隣人を本当に愛している人々です。彼らは,「善を行ない,りっぱな業に富み,惜しみなく施し,すすんで分け合い,自分のため,将来に対するりっぱな土台を安全に蓄え」ることを熱心に行なっています。なぜですか。「真の命をしっかりとらえる」ためです。―テモテ第一 6:18,19。詩 36:7,9。ヨハネ 17:3。
2 (イ)命を得る者たちに対して神は何を要求されますか。(ロ)多くの人は野外奉仕の機会が限られていますが,わたしたちはなぜその人たちを賞賛しますか。
2 命を得る人々に神が求められることは,魂をこめて奉仕することです。これは自分自身を神の,そしてキリストの奴隷としてささげることを意味します。(エフェソス 6:6。コロサイ 3:23,24)神への奉仕には,宣べ伝え,弟子を作るという重要なわざが関係しています。多くの証人は,家族の世話をしながら,あるいは聖書が命ずる他の世俗的な責任を果たしながら,このわざに携わっています。(テモテ第一 5:8)この人々は,わずか数時間を野外奉仕にささげるだけでも,日々の厳しい職務,迫害,不健康といった大きな問題を克服しなければならないことがあります。しかし,そのようにしてささげられる奉仕も,神のみ前には大きな価値があります。それは,イエスがマルコ 12章41節から44節で,非常な好意をもって語っておられる,やもめの「小さな硬貨二つ」に似ています。そうした事情のために野外奉仕が限られている人々も,自分は毎年少なくとも1,200時間を,一般の人々に神のことばを宣べ伝え教えるわざにささげる開拓者になることができないと考えて,落胆すべきではありません。重要なことは,どんな立場にあろうと,魂をこめて神に奉仕することです。―マルコ 12:30。
3 どうすれば,より大きな活動への戸口をくぐることが可能になりますか。
3 しかしながら,神の献身したしもべたちの多くには,老いた人にも若い人にも,「活動に通ずる大きな戸口」が広く開かれています。(コリント第一 16:9)それは開拓奉仕に入る戸口です。多くの人は,妨げとなる問題を実際的な面から考慮し,また信仰を働かせることによって,山のような障害さえも,開拓者として奉仕するために取り除くことができるかもしれません。―マタイ 17:20。
4 パウロ,ヨハネ,イエスのことばを念頭において,わたしたちは今どんなことを自問するとよいでしょうか。
4 幾つかの事柄を自問してみましょう。わたしたちは時の緊急性と,終わりの近いこととを,本当に認めているでしょうか。「何が主に受け入れられるのかを絶えず確かめ」ているでしょうか。今の職業は,エホバに献身したわたしたちに全くふさわしいものですか。物質上の事柄をむやみに心配したところで全く何の役にも立たない,ということを理解していますか。「世は過ぎ去りつつあり,その欲望も同じです。しかし,神のご意志を行なう者は永久にとどまります」。―エフェソス 5:10。ヨハネ第一 2:17。ルカ 21:34-36。
「そのことをなおいっそう行なってゆきなさい」
5 バプテスマを受ける前とあと,わたしたちは何をしているべきですか。地元の会衆や他の会衆での経験をあげて説明してください。
5 バプテスマを受ける資格を得るために,生活の仕方をすっかり改めた人は少なくありません。その人たちは,この世的なならわしを捨てて身を清くしました。以前の生き方を悔いて改め,身を転じ,神に個人的に献身し,イエスの犠牲の血に対する信仰の上に立って,神のみ前における正しい良心を求めています。彼らはもはや「諸国民の欲するところ」を行ないません。(ペテロ第一 4:3,7)しかし,こうして献身しバプテスマを受けると,進歩はそこで止まりますか。そうであってはなりません。パウロは,テサロニケ第一 4章1節で,新たに献身したクリスチャンたちに次のように勧めています。「終わりに,兄弟たち,主イエスによってあなたがたに願い,また勧めます。いかに歩んで神を喜ばすべきかについてあなたがたはわたしたちから指示を受け,またそのとおりに歩んでいますが,そのことをなおいっそう行なってゆきなさい」。これは,もし可能なら,神のわざにいっそう多くあずかることを考え,そして積極的に行動することを意味します。クリスチャンのある監督は次のように書いています。
五年前,妻がエホバの証人と聖書の勉強を始めた時にわたしは反対しました。しかし今は,妻が勉強をあきらめなかったことを非常に感謝しています。当時のわたしは,ゴルフやつりやかけ麻雀をするだけの生活を送っていました。たばこは一日に40本吸っていました。しかし,そのうちに真理はわたしの心にも根を下ろしました。わたしはそうした遊びを,むなしい,無価値なものに感じてみなやめてしまいました。以前の友だちは最初のうちはわたしを嘲笑していましたが,しばらくすると反対をやめ,この道を歩むわたしを励ましてさえくれました。母と妹はひどく反対しました。それでもわたしは開拓奉仕を始めるために,以前の給料の五分の一しかもらえないパートタイムの仕事につきました。蓄えをおろして補ったので,開拓者の妻と幼い子どもを結構養うことができました。わたしは,エホバがいろいろな面ですばらしい助けを与えてくださることを知るようになりました。今わたしは七つの家庭聖書研究を司会しています。そしてそのうちの二人はすでに活発な伝道者になって奉仕しています。わたしの母は今では,わたしの家族が真理の道を歩んでいることをほめてくれます。母も早くエホバの証人の一人になってくれることを,わたしは祈っています。
この証人は献身の段階で立ち止まりませんでした。その結果,なんと大きな喜びを得たのでしょう。
6 パウロのように,わたしたちは現体制の中での職をどう考えますか。地元の会衆や他の会衆での経験をあげて説明してください。
6 エホバに献身する人はみな次のことをよく考えてみなければなりません。わたしたちは毎日の生活で本当にエホバのご意志を行なっているでしょうか。それとも,神のご意志を真剣に考えずに,依然としてほとんど自分のためだけの生活をしているでしょうか。開拓奉仕は,職業や物質面の利得を犠牲にすることを要求するかもしれませんが,比較にならない霊的祝福をもたらします。使徒パウロはこの世的な利得を「多くのあくた」と考えました。そして「前のものに向かって身を伸ばし」ました。(フィリピ 3:7,8,13)今日エホバに献身する人はみな,自分がパウロのように活動を拡大できるかどうか,真剣に考えてみなければなりません。
ある公務員は34年間勤務し,うち10年間は管理職についていました。その人の妻と二人の娘は真理を学んで開拓者になりました。その人も聖書を勉強しました。それから“綱引き”が始まりました。仕事のことでニューヨークに行っていた時に,その人は一日をヤンキー野球場で過ごしました。野球場では,エホバの証人の1969年国際大会が開かれていました。その大会の大群衆の間に,一致と愛と平和とがあるのを見たその人は,新秩序の希望は夢ではないということを確信しました。同年の未,その人は,ハワイで開かれた大会に妻と一緒に全日出席しました。美しい環境の中でそこの証人たちから受けたもてなしは,楽園とはどんなものかを想像させました。その人はバプテスマを受ける資格を得ることができるように,いろいろと調整を加えました。しかし,世俗の仕事をどうしてもしなければならない必要が本当にあったでしょうか。実際にはその必要はありませんでした。1973年7月に開かれた国際大会から,その人は開拓奉仕こそ自分の職とすべきものであるという確信を得ました。そして大会の二日後には退職し,一か月後には家族に加わって正規開拓者になりました。その人は確かにエホバから祝福を受けました。そして日やけした健康そうな顔も。
7 (イ)パウロによると,わたしたちはどんなことから逃れ,またどんなことを追い求めるべきですか。(ロ)物質主義から逃れるとき,エホバがどのように祝福してくださるかを,例をあげて説明してください。
7 物質主義的な生き方に巻き込まれて財産や快楽に夢中になり,そうした事柄に生活を支配されるのは危険です。聖書は,「金銭に対する愛」から生ずる物質主義的な「有害な事柄」をただ除くことを助言しているのではなく,「こうしたことから逃れなさい」と助言しています。これは,ちょうど悪い欲望から『逃れる』時のように,淫行から『逃れる』時のように,また偶像崇拝から『逃れる』時のように,早急に行動することを意味します。もしわたしたちが,反対の方向に急ぐ積極的な手段を講じ,「義,敬神の専念,信仰,愛,忍耐,柔和を追い求め」るなら,それは物質主義から逃れる助けになるでしょう。多くの人は開拓奉仕に入ることによってそれを行ないました。開拓奉仕は,「信仰の戦いをりっぱに戦い」,永遠の命を『しっかりとらえる』ためのすばらしい備えとなります。(テモテ第一 6:10-12,17-19。テモテ第二 2:22。コリント第一 6:18; 10:14)ある若い姉妹は次のように書いています。
「開拓奉仕に入るために克服しなければならなかった一つの障害は,私の環境,つまり富と物質主義と,それに伴う多くのこの世的な誘惑でした。マタイ 13章22節にある通りで,種は多くのいばらの中にまかれました。でも私は,モーセのように強い信仰を示せたらどんなにいいだろう,といつも考えていました。(ヘブライ 11:24-27)」。そこでこの姉妹は,家族が経営している国際的に有名な豪華なホテルと関係のある社交生活から身を引きました。名士との結婚の話があった時にもそれを断わり,母親や妹と一緒に開拓者精神を培いました。そして特別開拓者が奉仕している地域に隣接した未割当て地域で,正規開拓者として働き,他の開拓者たちと共に,その地域を開拓する喜びにあずかりました。今日では,会衆の伝道者39名,開拓者7名の新しい会衆ができ上がっており,1974年の記念式には116名が出席しました。その姉妹はこう語りました。「わたしの区域のグループは増え続けています。火曜日の夜の集会には20人が出席しており,巡回大会で三人の新しい姉妹がバプテスマを受けました。エホバが祝福と増加を与えてくださることを心から感謝しています。以前は健康のことをよく心配したものですが,今はとても元気で,毎日喜びをもって奉仕しています」。
この若い証人は確かに「真の命」を選びました。
8 (イ)報いのあるどんな職が,今日若い人々を待ち受けていますか。(ロ)多くの高齢者も,どのようにして若々しい喜びを再び経験していますか。
8 エホバへの愛は,体力や機知をエホバへの奉仕に用いるよう,わたしたちを促すはずです。若い時にはなんとすばらしい機会があるのでしょう。「あなたの若い日に,あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり,年が寄って,『わたしにはなんの楽しみもない』と言うようにならない前に」。(伝道 12:1,口)若い人々は,その若々しいエネルギーと能力を,他の人々が神のご意志を学ぶのを助けることに向けるとき,今日の地上で最も満足のいく,そして最も大きな報いのある仕事を知るでしょう。年を取った人の中にも,元気が衰えつつあるにもかかわらず,りっぱな貢献をしている人が少なくありません。
82歳になる正規開拓者の姉妹は家族から反対されています。しかし朝は三時に起きて農家の雑用をします。そのようにして,後で野外奉仕に出るための時間をつくるのです。この姉妹は毎月平均120時間以上を野外奉仕にささげ,140冊の雑誌を配布し,五つか六つの家庭聖書研究を司会しています。
9 (イ)親は,子どもたちのためにどんな大きな働きをしますか。(ロ)親自身の模範は,自分の家族や会衆内の他の家族にどのように益を及ぼしますか。
9 あなたは幼い子どもをもつ親ですか。親は,開拓者になることを心から子どもに勧め,子どもたちが聖書の原則に一致した考え方をするように仕向けることによって,子どもたちを大いに助けることができます。こうして若い人たちは信仰とともに人生の真の目標を得ます。(ヘブライ 11:6)もし親自身が開拓奉仕のための時間をもうけるなら,家族全員が毎日神権的な事柄に専念することによって益を受け,真のクリスチャン愛のきずなの中で共に霊的に成長するよう,全員が助けられるでしょう。(コロサイ 3:14-21)このような手本は,会衆内のほかの家族に対しても健全な影響を及ぼします。―フィリピ 3:17。テサロニケ第一 1:2-7。
あるエホバの証人は,自動車工場の監督の職を退きました。そのため妻と一緒に開拓者として奉仕することができ,また若い子どもたちを,同じ目標を持つ者に育て上げることができました。三年後資金はつきましたが,マタイ 6章33節に従い,開拓奉仕にとどまる道を探しました。エホバは彼らの祈りを聞き届けられ,今やクリスチャンの監督である夫は,他の兄弟たちと共に適当なパートタイムの仕事を見つけることができました。開拓活動をしている間に,物事は人間的な見地からのみ見るものではない,ということを学びました,と彼は言っています。彼はヘブライ 12章1,2節を,開拓奉仕を成功させるための道しるべとしています。一人の息子は今日本のベテルで奉仕しており,娘は正規開拓者として働いています。この兄弟が開拓奉仕を始めた1970年の7月には,その会衆の伝道者は総数わずか60人でしたが,1974年3月には63名の開拓者を報告し,同月に,この会衆の新しい人々が51人,巡回大会でバプテスマを受けました。現在では合計225人の伝道者がいます。この家族は,他の六組の家族全部を含め,30人以上の新しい人々を,クリスチャン会衆との交わりに導き入れました。
家族の開拓者精神は,それが会衆全体に広まると,確かにエホバのすばらしい祝福をもたらします。―箴言 28:20。
10,11 (イ)分裂した家庭の中の信者はどのように祝福されることがよくありますか。(ロ)地元の会衆や他の会衆の例をあげて,開拓をすることがどのように祝福となり保護となるかを示してください。
10 分裂した家庭でも,信仰を持つほうの親が,若い人々の性格形成に影響を与えることができます。なんと多くの子どもたちが信者の親のほうの生活の型に従うのでしょう。それは,多くの場合子どもが「信仰に基づいて神から来る義」を直接に見るからに違いありません。(フィリピ 3:9)献身的な親は,ユニケが息子のテモテを励ましたように,エホバへの奉仕を生涯の仕事とする備えをするよう,子どもたちを励ますことができます。―テモテ第二 1:5; 3:15。箴言 4:1-9。
ある若い証人は,高校在学中の三年間に,開拓者である母親から一時開拓をするようしばしば励まされました。卒業後正規開拓奉仕に入る許しを幾度も未信者の父親に請いましたが,父親は大学に進むことを息子に要求しました。教師はその若い証人が,大学入試の準備のできる休暇の時に伝道活動を熱心に行なうので彼を非難していました。ところが意外にも答案用紙には,聖書に関する一般的な知識についての質問がたくさんのっていました。それで他の多くの学生よりも良い成績で試験に合格しました。大学ではあまり多くの時間を取られないように計画し,こんどは正規開拓者になることができました。この証人はたくさんの家庭聖書研究を司会していますが,そのうちの四つは,会衆内の姉妹たちの,聖書に関心を持つご主人たちと夜行なう聖書研究です。うち二人は,「神の勝利」国際大会でバプテスマを受けました。
11 来る月も来る月も,来る年も来る年も開拓奉仕をするということは,忙しい生活を送ることを意味します。しかしこのように王国に関する活動に深い関係を持つことは,今日すばらしい保護となります。―エフェソス 5:15-17。
開拓奉仕をするための余裕をつくる
12 家族の中の一人かそれ以上が開拓者として奉仕できるように,家族はどのように協力できますか。
12 使徒パウロは,自分のためばかりでなく仲間のためにも,生活に必要なものを自らの手でまかなう点で,すばらしい模範を示しました。そのためにみんなが,霊的関心事を十分に促進することができました。「わたしはだれの銀も金も衣服も貪ったことはありません。この手が,わたしの,そしてわたしとともにいる者たちの必要のために働いたことを,あなた自身が知っています」とパウロは言うことができました。(使徒 20:33,34)同じ原則はクリスチャンの家族にもあてはまります。家族のうちの一人か二人が,あるいは全員が,開拓奉仕に入ることを家族で計画するのです。それでも,開拓奉仕をしている成員がそれぞれ自分の手で自分の生活費をある程度まかなうのは望ましいことです。実際に開拓奉仕をしていてもいなくても,家族の全員が開拓活動の促進に関心を示し,その目的のために進んで犠牲を払わねばなりません。―コリント第二 8:13-15。
13 開拓者の隊ごに加わるために払う犠牲は何によって埋め合わされますか。例をあげて説明してください。
13 開拓奉仕に入るためには,夫は高給の職を捨てなければならないかもしれず,家族はぜいたく品をある程度あきらめなければならないかもしれません。しかし,この全時間奉仕から得られる霊的祝福と喜びは,それを埋め合わせて余りあります。―マルコ 10:29,30。ローマ 14:17。
現在クリスチャン会衆の一監督として奉仕しているある若い医師は次のように書いています。「大学病院では,わたしは日曜日も休日もなく,朝早くから夜遅くまで働かねばなりませんでした。しかし,別の町でパートタイムの医師の仕事を見つけました。そのため開拓奉仕を始めることができました。妻は裕福な家庭で育ちましたが,開拓者になるために,豊かな生活を喜んで捨てました。服は開拓奉仕に入る前から持っていたものをずっと利用しており,食事も簡単なもので満足しています。エホバに奉仕するのに最上等の衣服も,時間のかかる料理も必要でないことを,よく理解しています。以前弱かった体は元気になり,四人の人たちを献身にまで導きました。その人たちは妻の真の友となりました。わたし自身も,ある理髪店経営者を献身にまで援助することができました。現在ではその店の五人の人が活発な伝道者になっていて,交替で野外奉仕に出ています。彼らは家族でよく打ち合わせをしてエホバを賛美するわざにあずかっています。わたしたちは,エホバが与えてくださるこうしたすばらしい祝福に感謝し,エホバがわたしたちにいつまでも開拓奉仕をさせてくださることを心から祈っています」。
14 (イ)経済上の問題が持ち上がるとき,それはどのように解決されることがありますか。(ロ)フィリピ 4章13節のことばが真実であることを例をあげて説明してください。
14 開拓者たちは,しばしば持ち上がる経済上の問題をどう切り抜けるのでしょうか。そのための主要な要素は,まず神の王国を求める信仰です。(マタイ 6:33)信仰のあるところには道があります。開拓者は,何かがなくてもがまんしなければならないかも知れません。しかし神はそのような犠牲を喜ばれます。―ルカ 9:23-25; 18:29,30。
赤ちゃんの世話をしながら妻と一緒に依然開拓奉仕を続けている元巡回監督は,次のように述べています。「子どもが誕生して,これからこの責任を心をこめて果たしてゆくには,当然エホバにより頼むことが要求されました。ルカ 14章28,29節に従い,わたしたちは三人の生活費がどのくらいかかるか計算してみました。そしてわたしは,朝早く新聞を配達する仕事を始めました。この仕事は過度にエネルギーを消耗しなくてもすむからでした。子どもは『神の勝利』国際大会が始まるちょうど二週間前に生まれました。三週間は休養したほうがいいと言われましたけれども,わたしたちは往復約2,100キロの旅行を注意深く計画しました。こうしてわたしたちは大会に出席することができ,赤ん坊はよく太り元気で家に帰りました。戸別伝道の際には,1時間半交替で子どもをみます。子どもは奉仕に出るわたしたちと一日中一緒にいるので,夜はよく眠ります。ですから,ほかの人たちのように,夜中に起きてむずかる子どもをあやすといったような問題はありません。わたしたちは三人ともよく眠ります。わたしたちの例を見て,会衆内の他の主婦たちも,開拓奉仕に入る手はずを整えました。わたしたちは今二人で15の家庭聖書研究を司会しています。そして9月には,二人の主婦と一人の夫が野外奉仕を始めるのを援助することができました。わたしたちと聖書を勉強し,集会に出席している人たちのうちの五人の人たちも,まもなく野外奉仕を始めるはずです。挑戦に応ずるクリスチャンは,エホバのみ力によって多くのことを成し遂げることができるということを,わたしたちは心に銘記しました。―フィリピ 4:13。
15 (イ)イエスは山上の垂訓の中で,どんな保証を与えておられますか。(ロ)開拓奉仕を始めるにはどんな準備が必要ですか。
15 開拓奉仕に入りそれを続けるには,強い信仰と,進んで事に当たる気持ちとが必要です。エホバは驚くべき方法で必要なものを備えてくださいます。マタイ 6章24節から34節までのイエスのことばは,それが事実であることを示してはいないでしょうか。神への奉仕を拡大することを願っている人はみな,この部分と,これと関係のあるルカ 12章22節から31節までの聖句とを注意深く考慮すべきです。これは,適当な準備もせずに開拓の仕事に飛び込むということではありません。1970年代半ばのある日までやってゆけるだけの資金を蓄えるという意味でもありません。むしろ,来る年も来る年も全時間奉仕を続け,それと同時に家族の世話や他の責任をきちんと果たしてゆくように,身の周りの事柄に調整を加えることを意味します。まず「費用を計算し」,それから開拓奉仕という目標を達成すべく一歩一歩実際的な手段を講じていきます。―ルカ 14:28; 17:5,6。
16 (イ)開拓者はどのように熱意と喜びを保ちますか。(ロ)問題に適応するとき,偉大な牧者の祝福がどのようにもたらされますか。
16 開拓奉仕においてよい成果をあげるには,霊性を保つことが大切です。定期的に集会に出席して熱心に参加し,毎日聖書を読み,「エホバの証人の年鑑」に載せられているその日の聖句を討議し,また個人的に予定を作って熱心に勉強するなら,これらの事柄は開拓者が熱意と喜びを保ち,常ならぬ,思いがけずに生ずる問題を克服するための備えをする助けになります。(詩 1:1-3)開拓者として10年間非常に産出的な奉仕を行なってきた一姉妹は,次のように書いています。
主人はテレビ関係の仕事をしていまして,二年ごとに転勤しますので,わたしはこれまで九つの会衆で奉仕してきました。そのうちの五つは正規開拓奉仕を始めたあと奉仕しました。私は,進歩のない研究はすぐにやめて,本当にエホバを認める人々を強めることに努めます。私たちのすばらしい神は,私の行く先々でそのみ手を示してくださり,平均五人の人を真理に導きました。ある都市で私が初めて出席した集会は小さな和室で行なわれていました。出席者は五人でした。二年後にその町を去る時には,その集会に62人が出席していました。次の都市では八人の人をエホバの賛美者となるよう助けることができました。そして集会出席者が25人から約100人に増加するのを見ました。次の都市では,最初正規開拓者は二人だけでしたが,さらに10人が開拓者になりました。1966年,「神の自由の子」地域大会のすべての集会に出席したあと,翌朝三番目の子どもを出産しました。しかし,その年には1,294時間の奉仕時間を報告することができました。子どもに支配される代わりに,子ども連れの生活に合うように適当にペースを調整しましたので,開拓の仕事を続けることができました。私と聖書の勉強をした人たちも,バプテスマを受けたあと,生活を調整して一時開拓を行ない,次いで正規開拓奉仕に入りました。その人たちも私と同じように,普通以上の喜びと力を絶えず新たに得るには毎日聖書を読み,勉強し,祈りを怠ってはならないことを学びました。私たちの牧者であるエホバは,どんな状態の時にも非常に近くにいてくださいます。―イザヤ 40:11,31。
17 長老たちは,開拓者や他の人々が神への奉仕に勤勉に励むように,どのように助けますか。
17 会衆内の長老たちは,開拓奉仕をするように励ます大きな特権を持っています。多くの場合,実際的な提案や助けを与えることができ,そのために開拓者たちはその活動の分野にとどまることができます。また,彼らは他の人々に開拓奉仕を熱意をこめて推薦することができます。―ヘブライ 6章11,12節とくらべてください。
あなたにとって開拓奉仕は実際にできることですか
18,19 (イ)この時点でどんな質問をすることは適当ですか。(ロ)もし開拓者になれなければ,失望する理由がありますか。
18 この質問に対してはあなたしか答えることができません。あなたは今まで開拓奉仕をどのように見てきましたか。ほかの人たちがするものと考えてきましたか。良いたよりを毎日宣べ伝えるよりも世俗の仕事をするほうが好きなので,ちゅうちょしてきましたか。それとも事情があって,今していることをどうしてもする必要がありますか。「しるし」だけの奉仕で十分のように思えましたか。あなたの心は今何をするようあなたを動かしますか。あらゆる事柄を考慮したあと,あなたは,開拓奉仕はあなたにとって実際に行なえる事柄ですか,という質問に対し,「はい」と答えることができますか。もし答えられるなら,あなたは確かに大きな祝福を受けるでしょう。―マラキ 3:10。
19 しかし,開拓奉仕に入れない立場にある多数の読者の方々はどうでしょうか。ほかの人々がこの奉仕分野に進出するのを見て落胆すべきですか。その必要は全くありません。エホバの民は一人残らずエホバへの奉仕に魂を打ちこむことができ,また打ちこむべきです。時々仕事を調整して,二週間,一か月あるいはそれ以上を,一時開拓奉仕に費やすことができます。そしてこれもまた大きな祝福をもたらします。他の人々は,会衆の伝道者として,宣べ伝えるわざや教えるわざに魂をこめて熱心に励むことができます。
20 (イ)奉仕する機会は限られているかもしれませんが,わたしたちにはいつもどんな保証がありますか。(ロ)魂をこめた努力をエホバがどのように祝福されるか,例を示しなさい。
20 「エホバはご自分に属する者たちを知っておられ」ます。そして彼らが実際に行なう野外奉仕がいかに限られていても,彼らをすべて祝福されます。(テモテ第二 2:19。箴言 10:22)エホバは,病気,老齢,迫害その他の理由で,組織された野外奉仕に他の伝道者たちと一緒に参加することができない人々をさえ祝福することができます。エホバは彼らの心をご存じです。―サムエル前 16:7とくらべてください。
ある女子高校生は真理を学んで,家から家を訪問する奉仕を始めました。しかし父親は彼女にひどく反対し,エホバの証人と一緒に活動することを一切禁じました。彼女はどうしたでしょうか。学校でクラスメートに証言したのです。そして自分のクラスや他のクラスでたくさんの聖書研究を始めました。どんなうれしい結果が生じたでしょうか。彼女が以前一緒に聖書を勉強した人のうち三人は,今真理にあって非常に活発に奉仕しています。一人の姉妹は特別開拓者として,一人の兄弟は正規開拓者また奉仕のしもべとして,もう一人の兄弟は正規開拓者また監督として奉仕しています。この忠実な姉妹は,幾年を経た現在,反対から逃れて自由になることができ,彼女自身一時開拓奉仕にあずかっています。
エホバは魂をこめて行なう奉仕を祝福されます。
21,22 (イ)「魂をこめた」奉仕にもどのように個人差がありますか。(ロ)わたしたちはなぜ,「さらに信仰をお与えください」と祈るべきですか。
21 パウロは,「キリストの奴隷として,神のご意志を,魂をこめて行ないなさい」と信者たちを励ました時,不可能なことをするようにクリスチャンに要求していたのではありません。あなたの魂とはあなたのことです。あなたは,あなたの性格,能力,そして機会に応じて,神のご意志を行なうことに自分をささげるのです。個人差はあります。そのことはイエスのいくつかの例えの中で認められています。それらの例えでは,ある者は他よりも多くのものをまかされ,またある者は是認されますが,実を結ぶことは他よりも少ないことが示されています。―エフェソス 6:6。マタイ 13:23; 25:19-23。ルカ 19:15-19。
22 機会と信仰に応じて神のご意志を行なうことに励みましょう。とこしえの命への道を今魂をこめて歩むことによって,再び繰り返されることのないこの仕事に十分にあずかる満足と喜びがあなたに与えられ,すべての事柄がエホバへの賛美となりますように。このことを行なう方法を考慮するに当たり,あなたもわたしたちの主の使徒たちが主に向かって,「わたしたちにさらに信仰をお与えください」と言ったのと同じ祈りをこめた態度を取られんことを願っています。―ルカ 17:5,6。