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復活の行なわれるその「終わりの日」に今生きるものみの塔 1979 | 10月1日
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まだ肉体にある王国宣明者たちの場合の蘇生は,地上の活動への蘇生で,「王国のこの良いたより」を「あらゆる国民に対する証しのために」人の住む全地で宣べ伝えることを再び始めることでした。(マタイ 24:14)霊によって生み出されたクリスチャンたちが天で栄光を受ける時期,「雲のうちに取り去られて空中で主に会」う時期はまだ来ていませんでした。1918年まで「イエスにより死んで眠って」いた者たちの復活に「先んじ」て彼らがそれを経験するようには予定されていなかったのです。むしろテサロニケ第一 4章14-17節に指摘されているように,「キリストと結ばれて死んでいる者たちが最初によみがえる」のです。したがって彼らの復活がまず起こり,次いで王国宣明者たちが,この「終わりの時」の地上での肉体における活動をさらに行なう面で蘇生する,つまり生き返るのは妥当と言えます。この蘇生は1919年の春に生じました。
10 だれの,またいつの復活が,西暦33年のニサン16日のイエスの復活に実際に類似するものですか。
10 異邦人の時が1914年の秋に終わり,キリストが王位につかれてから三年半後の1918年春に生じた「キリストにある死人」の霊的復活は,西暦33年ニサン16日,すなわち「週の半ば」におけるイエスご自身の復活に類似しています。(ダニエル 9:27,新)こうして彼らは確かに『最初によみがえり』ました。そのよみがえりは確かに,キリストの「臨在」すなわちパルーシアの時,および王国伝道がいわば殺される時まで生き残る者たちの復活に「先んじ」るものでした。
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復活の行なわれるその「終わりの日」に今生きるものみの塔 1979 | 10月1日
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14 これら蘇生し,再び活発になった現代の証人たちは,テサロニケ第一 4章15-17節に述べられているどの級に属しますか。イエスが「終わりの日」と呼ばれた日は彼らにとってなぜ「幸い」な日ですか。
14 現代においては,蘇生し,再び活発になって,1919年の春に証言活動を再開した霊的イスラエルの残りの者たちが,使徒パウロの言う「主の臨在の時まで生き残るわたしたち」です。(テサロニケ第一 4:15)彼らは,全世界にわたる最終的な王国の証言を終えたのち,「主と結ばれて」,また主の臨在中に死ぬことを予期しています。彼らはあの「終わりの日」の間に死にます。その終わりの日の間に,イエスは,ご自分で言われたように,イエスの肉を食べイエスの血を飲む特権を持つ弟子たちを死人の中からよみがえらせるのです。このことは彼らにとっては,自分たちが「取り去られ」,「空中で」主なるイエスに会うことを意味します。天の命への彼らのこの瞬間的な復活は,あたかも「雲」で隠されたかのように,地上に残された人間には見えません。「主の臨在」の時に「今からのち主と結ばれて死ぬ」,そして主の再来を期待しつつ死の眠りにつく必要のない彼らは,本当に「幸い」です。―啓示 14:13。ヨハネ 6:53,54。コリント第一 15:52,53。
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