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  • 『目ざめていて,冷静さを保ちなさい』
    ものみの塔 1982 | 5月15日
    • 2 わたしたちが近い将来に適用できるどんな諭しを,神の言葉聖書は示していますか。

      2 今から,神の最終的な裁きが下されるまでの間,エホバの僕たちは目ざめていることと献身的に目的を果たすことに関して高い意識を保つように命じられています。テサロニケ第一 5章2,3節の霊感による預言を書き記した使徒パウロは,次のようにも述べています。「ですからわたしたちは,ほかの人びとのように眠ったままでいないようにしましょう。むしろ目ざめており,冷静さを保ちましょう」。(テサロニケ第一 5:6)イエスは,「それで,起きることが定まっているこれらのすべての事を逃れ,かつ人の子の前に立つことができるよう,常に祈願をしつつ,いつも目ざめていなさい」と諭されました。(ルカ 21:36)使徒ペテロも同様の事柄を次のように記しています。「これらのものはこうしてことごとく溶解するのですから,あなたがたは,聖なる行状と敬神の専念……[を保つ]者となるべきではありませんか」― ペテロ第二 3:11,12。

      今エホバのもとに来る

      3 生き残って神の新秩序に入るには,だれでも何をしなければなりませんか。

      3 生き残って神の新秩序に入ることを願う人々はすべて,エホバとの,またその地上の組織との正しい関係を今緊急に築く必要があります。「エホバのみ名は強固な塔。義なる者はその中に走り込んで保護される」。(箴言 18:10,新)「末の日に,エホバの家の山はもろもろの山の頂より上に堅く立てられ,もろもろの丘より上に必ず高められ,すべての国の民は必ず流れのようにそこに向かう」。(イザヤ 2:2,新)どんな国の人々でも,パラダイスのような神の新秩序で生きることを願うなら今,エホバの山,その真の崇拝に流れてゆかなければなりません。その崇拝は堅く立てられ,他のどんな形の崇拝よりも高く上げられています。

      4 イエスは,エホバのもとに来るのをひどく延ばすことは命取りになりかねないということをどのように示しておられますか。

      4 エホバの真の崇拝のもとに今来ることがこれほど急を要するのはなぜでしょうか。誠実な人柄であれば,実際にエホバの裁きの執行が始まるのを見,それから直ちに神の側に付いてもよいのではありませんか。それは一部の人にとって良い考えに思えるかもしれませんが,その時にエホバとの正しい関係を築く十分の時間があるでしょうか。聖書の証拠から見るとその時間はありません。イエスはこう警告されました。「食べ過ぎや飲み過ぎまた生活上の思い煩いなどのためにあなたがたの心が押しひしがれ,その日が突然,わなのように急にあなたがたに臨むことがないよう,自分自身に注意を払いなさい。それは,全地の表に住むすべての者に臨むからです」。(ルカ 21:34,35)霊的に目ざめていない人が不意を襲われるということに注目しましょう。その「日」は,「平和だ,安全だ」と言っている人々に「突然の滅びが……突如として」臨むのと全く同じように,「突然」,「急に」臨むのです。

      5 人々は滅びの前にエホバについて学ぶ必要があるということを示すどんな聖書的な例がありますか。

      5 イエスはこうした人々を,知らずにわなにはまり込んでしまう動物になぞらえています。さらに『洪水が彼らすべてを流し去るまで注意しなかった』ノアの時代の,霊的に不注意な人々にもなぞらえています。大洪水が始まった後,その人々がエホバについて学び,その保護の下に来る時間は少しでもあったでしょうか。いいえ,ありませんでした。洪水が起きた時,それは『彼らすべてを流し去った』とイエスは明言しておられるからです。彼らはすでに,ノアやその家族と共に保護の箱船の中にいたわけではありません。同様に,ソドムとゴモラに対する神の裁きが臨んだ折,火による滅びが天から降り始めた後に逃れた人がだれかいたでしょうか。いませんでした。その地域からすでに出ていたロトとその娘たち以外の人はみな滅ぼされたからです。そこからいったん出かけてそれからためらったロトの妻も,破壊的な力によって打ち滅ぼされました。イエスは「ロトの妻のことを思い出しなさい」と言われましたが,それには十分の理由があったのです。―マタイ 24:37-39。ルカ 17:32。

      6 聖書中の証拠はどんな考え方を支持していませんか。

      6 では偽りの宗教の世界帝国である「大いなるバビロン」が倒壊した後に,霊的に目ざめてエホバを尋ね求める機会を人々が持てるような時期があるでしょうか。聖書中の証拠はこの見解を支持しません。前述の例に加えて,西暦1世紀のユダヤ人国家の例もあります。宗教的なこれらのユダヤ人は,自分たちは神を申し分なく崇拝しており,イエスやその追随者たちの宣べ伝えることに耳を傾ける必要はないと考えました。ところがイエスはこう警告しておられたのです。「エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら,その時,その荒廃が近づいたことを知りなさい。その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。都の中にいる者はそこを出なさい。町外れにいる者は都の中に入ってはなりません」。(ルカ 21:20-22)ところがエルサレムを包囲していたローマ軍が西暦66年に撤退した時,自信過剰のユダヤ人たちは『逃げはじめる』ことをしませんでした。撤退するローマ軍の後衛を攻撃して,同軍を敗走させたので,逃げる必要はないとユダヤ人は考えました。彼らは,神が自分たちと共におられると信じ,“聖なるエルサレム”という銘を彫り込んだ新しい銀貨を鋳造することさえしました。しかし霊感によるイエスの預言は,エルサレムがもはやエホバにとって神聖なものでないことを明らかにしていました。

      7 イエスの諭しとは逆のことを行なったユダヤ人たちの上に,どんな運命が臨みましたか。

      7 ユダヤ人は偽りの宗教に欺かれていたので,エルサレムやユダヤから出る機会があった時にも出ませんでした。それどころか,西暦70年の春には逆のことを行ないました。彼らは宗教上の祝祭のためエルサレムに集まりました。しかしちょうどその時,ティツス将軍の率いる強力なローマ軍が引き返してきてエルサレムを包囲し,その人々を全部閉じ込めてしまいました。彼らはさながらわなに掛かった動物でした。短期間の攻囲の後,エルサレムは滅びました。これらの出来事の目撃証人であった歴史家フラビウス・ヨセフスはこう記しています。「この戦争全体を通じ捕虜として連れ去られた人々の数は総計9万7,000人に達した。一方この攻囲の全期間中に命を失った人の数は110万人におよび,その大部分は[エルサレムの市民と]同国人であったが,その都市そのものの住人ではなかった。彼らは種入れぬパンの祭りを行なうために全国からやって来ていて,突如軍隊により閉じ込められたのである。……国民全体が今やろう獄にいるかのように運命に閉じ込められた。そしてローマ軍はその都市を取り巻いた」。「ユダヤ戦記」,第6巻,第9章,3,4節。ウィリアム・ウィストンの英訳による。

      8 イエスに聞き従ったクリスチャンたちは,最後の瞬間に逃れようとした人々の結末と対照的に,どんな結果を迎えましたか。

      8 しかし,目ざめていて冷静さを保っていたクリスチャンたちは,西暦66年後に逃げる機会が訪れた時に安全な場所へ逃れていたので,すでにエルサレムとユダヤ全土から出ていました。イエスの預言的な言葉を信じ,それに従って行動することにより,彼らは生き延びたのです。しかし,西暦70年にあの「大患難」がユダヤ人の上に到来した時,もはや彼らには逃れる時間は残されていませんでした。ローマ人の攻囲を突破してその都市から脱出しようとした数千の人々は兵士たちに捕らえられてしまいました。兵士たちはそれらのユダヤ人の多くが飲み込んでいた金を得ようとして幾人かのユダヤ人を切り裂くことさえしました。

  • 『目ざめていて,冷静さを保ちなさい』
    ものみの塔 1982 | 5月15日
    • 13 神の忠実な僕たちは何になぞらえられていますか。どのようにですか。

      13 神の言葉聖書は,神の忠実な僕たちを,訓練の行き届いた兵士になぞらえています。それは注意深く,防御用の武具を身に着けた,そして指導者から与えられるどんな命令にも従う準備のできている兵士たちです。彼らは,危険で緊急な時に兵舎で眠りこけている準備のできていない軍隊のようではありません。パウロはこう述べています。「ですからわたしたちは,ほかの人びとのように眠ったままでいないようにしましょう。むしろ目ざめており,冷静さを保ちましょう。眠る者は夜眠るのが常であり,酔う者は夜酔うのが普通だからです。しかし昼に属するわたしたちは,冷静さを保ち,信仰と愛の胸当てを,また,かぶととして救いの希望を身に着けていましょう。神はわたしたちを,憤りにではなく,わたしたちの主イエス・キリストを通して救いを得ることに定めてくださったからです」― テサロニケ第一 5:6-9。

      14 神の僕たちが神のご意志を行なえるよう,正しい情報が確かに与えられるということは何から分かりますか。

      14 それに神の僕たちは,生き残るための適切な措置を講じることができるよう,神がその組織を情報に通じたものとされるということに一点の疑念も抱きません。

  • 『目ざめていて,冷静さを保ちなさい』
    ものみの塔 1982 | 5月15日
    • 19 間近い将来のことを考え,『わたしたちはどんな種類の人になるべきですか』。

      19 そのわけで,その時わたしたちがペテロに倣って,「これらのものはこうしてことごとく溶解するのですから,あなたがたは,聖なる行状と敬神の専念……[を保つ]者となるべきではありませんか」と言うのは良いことです。(ペテロ第二 3:11,12)確かにわたしたちは,「互いに慰め,互いに築き上げる」必要があります。「互いに対し,……常に善を追い求め」なければなりません。(テサロニケ第一 5:11,15)「ですから,時に恵まれているかぎり,すべての人,ことに信仰において結ばれている人たちに対して,良いことを行なおうではありませんか」。(ガラテア 6:10)こうしたことを目標に,『目ざめており,冷静さを保つ』ようにしましょう。―テサロニケ第一 5:6。

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