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  • 「不法の人」を無に帰させる
    神の千年王国は近づいた
    • 35 その「不法の人」が神性を切望しても驚くには当たりません。なぜですか。「不法の人」はそれをどれほど切望しますか。

      35 僧職者で成るこの「不法の人」の「背教」もしくは「反抗」はエホバ神に対するものであってみれば,その複合の「人」が神性を切望し,自らをある種の神に仕立てようとしても驚くには当たりません。

  • 「不法の人」を無に帰させる
    神の千年王国は近づいた
    • 36 その複合の「人」はあたかもエホバに対して責任を負ってはいないかのようにどのように行動していますか。その「人」についてパウロはテサロニケの人たちに常に何を告げていましたか。

      36 宗教上の事がらの面で反抗者であるこの「不法の人」は,あたかもいと高き全能の神エホバに対して責任を負ってはいないかのように,つまりあたかも生ける唯一真の神の法の及ばない者でもあるかのように行動してきました。使徒パウロはこの複合の「不法の人」について次のような驚くべき事を預言的に述べたからといって極端なことを言っているわけではありません。「彼は,すべて『神』と呼ばれる者また崇敬の対象とされるものに逆らい,自分をその上に高め,こうして神の神殿に座し,自分を神として公に示します。まだあなたがたとともにいた時,わたしが常々こうしたことをあなたがたに話したのを覚えていないでしょうか」― テサロニケ第二 2:4,5。

      37 パウロの預言がどのように成就したかを確証するものとして,ある人はどんな著名な宗教家のことを指摘しますか。それはなぜですか。

      37 もちろん,僧職者で成る「不法の人」がこの預言を成就してきたことを確証するものとして,いわゆる「クリスチャン」と称する僧職者の一成員の言行を,あるいはその成員に神性があるとする主張を指摘する人がいるかもしれません。例えば,ローマ・カトリック教会の教皇のことを指摘し,フェラリスの教会辞典bがそうしたローマ教皇について述べることを引用するかもしれません。すなわち,同辞典はこう述べています。

      教皇はかくも尊厳で,位が高いがゆえに,単なる人間ではなくて,いわば神であり,神の代理者である。……従って,教皇は天と地と地獄の王として三重冠を載いているのである。……それのみならず,教皇の卓越性と権能は単に天上,地上および地獄の事物にかかわるものであるだけでなく,教皇はまた天使よりも位が高く,その上級者である。……ゆえに,もし天使が信仰に背いたり,あるいは信仰に反する意見を抱くことがあるとすれば,教皇はそのような天使を裁いて破門に付すことができよう。……かくも偉大な尊厳さと権能を有するがゆえに,教皇はキリストと全く同一の審判者席を占めているのである。……ゆえに,教皇が行なうことはすべて,神の御口から出る事がらと考えられる。……教皇はいわば地上における神,キリストの忠実な信者たちの唯一の君主,最高の権能を有する,あらゆる王の中の最大の王であって,地と天の王国の統治権を委託された者である。……教皇はかくも大いなる権威と権能を有するがゆえに,神の法の修正,布告もしくは解釈を行なうことができる。……場合によっては,限定したり,解釈したりして神の法を無効にすることもできる,云々。

      38 しかし僧職者一個人のことを指摘するさい,何を忘れてはなりませんか。それで,「不法の人」に関するこの預言は実際にはどのようにして成就されてきましたか。

      38 とはいえ,「不法の人」とはローマの教皇あるいはアテネのギリシャ正教の主教,コンスタンチノープル(イスタンブール)のギリシャ正教の主教その他の教会の主教のようなただ一人の宗教指導者ではないことを忘れてはなりません。予告された「不法の」者は複合の「人」つまり教会の自称「クリスチャン」の僧職者全体なのです。もちろん,僧職者で成るその「人」の顕著な一成員の行なうことは,僧職者級の他の成員全員に非難をもたらすものとなります。というのは,それら他の成員は行なわれていることに同意し,あるいは反対せず,つまりそれを黙認し,僧職組織とともに留まっているからです。僧職者級の一成員がその団体全体を代表して話したり行なったりする場合のように代表的な仕方でなす事がらに対して僧職者全員は連帯過失責任を問われます。僧職者級が全体として何世紀もの時代を通じて行なってきたこと,あるいはそれに加担してきたことが,「不法の人」に関する預言を成就するものとなっているのです。

      39 「不法の人」級はエホバに『逆らって』立っていることをどのように示してきましたか。

      39 その「不法の人」級は霊感を受けた弟子ヤコブがその手紙の中で次のように述べた法則どおり,自らを世の「友」とすることによって『逆らって』立ち上がっていることを示してきました。「この世との友交は神に敵するものである。それゆえ,だれであれ,この世の友となる者は神の敵となるのである」。(ヤコブ 4:4,ドウェー)反抗し,霊感のもとに記された神のみことばを無効にしようとしたり,あまつさえ教会を支持する成員から聖書を奪ったり,あるいは遠ざけさせたりしようとする者はエホバ神に反抗しているのです。霊と真理をもってイエス・キリストを通してエホバ神を崇拝しているキリストの弟子たちに反抗し,彼らを迫害する者はエホバ神に反抗しています。(ヨハネ 4:24)その者は生ける唯一真の神に対するものである崇拝や崇敬の念を奪い,それを一段と高められた僧職者級に向けさせることによって真の神に反抗しているのです。

      40 「不法の人」級は教会と国家の問題に見られるように,地上の唯一の神として活躍すべくどのように努力してきましたか。

      40 「不法の人」級は地上の舞台における唯一の神,実際のところ地上の神々の中の神となることを欲しています。このことはキリスト教世界の教会が政治上の国家と結んできた諸関係を通じて実際に明らかにされてきました。教会と国家のそうした結合関係において僧職者は常に優勢な当事者となり,命令する側に立つべく努力してきました。教会と国家はコンスタンチヌスの時代以来そうした結合関係を持ってきました。が,実際のところそれは,権威,名声,保護,免除,支持その他の利己的な恩典という形で僧職者が利得を得られる打算的な結合関係となってきました。アメリカナ百科事典,第6巻はその657,658ページで「教会と国家」に関して次のように述べています。

      近代においてこの二つの制度間の完全な一致はたとえ存在したにせよ極めてまれなことであった。この闘争は非常に長引いたものであるだけに,何らかの驚くべき大変動でも起こらない限り,果てしなく続く見込みが十分にある。それは激しい闘争であって,それには大きな権益が関係し,またそれは重大な論議に世の注目を引くものとなってきた。それはさまざまの暴動を誘発し,政治上の論争を別にすれば無類の罵り雑言を弄する著作を生み出すものとなった。それは往々にして単なる政治的論争であった。……コンスタンチヌスのもとで教会は諸民族を教化する仕事の協力者として世界的な活動舞台に登場し,精神的支配者として認められるにつれ,徐々に現世の主権者としての具体的存在場所と名前を取得し,ある種の世界強国となったのである。こうした点での成功は,教会のさまざまな災難すべての発端となった。……コンスタンチヌス以後シャルルマーニュの時代に至るまでは世俗の勢力は教会を適法と認めたものの,その統治権には干渉した。シャルルマーニュ以後宗教改革時代の迫った時期までは,教会と国家は密接に結合し,世俗の権威が教法上のそれに服する状態が一般的に認められた。

      41 (イ)歴代のローマ皇帝は,「不法の人」が自らその上位に立たねばならなかった宗教上のどんな身分を有していましたか。(ロ)ローマ皇帝は宗教上のどんな職に就いていましたか。その職は背教した教会に関してどのように用いられましたか。

      41 異教のローマ帝国歴代の皇帝が神々として列され,神々あるいは神人として皇帝に対し香が供されたのは歴史の事実です。四世紀のコンスタンチヌス大帝の時以来,「背教」者であった司教たちは国家と結び付いて,神格化されたローマ皇帝に対する支配権を獲得しようとしました。コンスタンチヌス帝は異教とキリスト教を一緒にして融合宗教を作り出すことに努め,背教した司教たちの奉ずる宗教を国教として制定しました。彼は西暦337年に死にましたが,その最期まで宗教上の首長である最高僧院長という異教の称号を帯びていました。しかも,西暦325年に教会の司教たちの宗教上の論争に決着をつけるために開かれたニケア公会議は,当時まだバプテスマを受けていなかったコンスタンチヌスが最高僧院長として召集したものでした。そのとき彼は教会の司教の大多数によって教えられていた三位一体(三位における唯一の神)という異教の教理に有利な決定を下しました。

      42 好機が到来するや,「不法の人」はどのようにして,まただれを通して,「すべて『神』と呼ばれる者また崇敬の対象とされるもの」以上に自らを高めましたか。

      42 379年cにはローマの司教である教皇にとってまたとない好機が到来しました。それはクリスチャンと称したグラチアヌス帝が最高僧院長という異教の称号とその職を放棄した時のことでした。時の教皇ダマスカスは,それがもたらす全住民に対する宗教上の権力,権威,影響力および支配権のすべてを掌握するため,良心の呵責を感ずることもなくそれを拾い上げました。しかも,住民の大半は依然異教徒であり,それが異教の称号であることを知っていたのです。こうして宗教上の事がらにおいては,ローマの司教である教皇はローマ皇帝以上に高められました。ローマ・カトリック教会の教皇は今日に至るまで引き続きその異教の称号を有すると主張し,それを用いてきました。僧職者級の中でも最も著名な成員である教皇によって代表されているように,「不法の人」は「すべて『神』と呼ばれる者また崇敬の対象とされるもの」の上に自らを高めました。キリスト教世界の司祭や伝道師は,「師」「尊師」その他の尊称を付して呼ばれたり,そうした称号を受けたりするのを好んでいることは周知のとおりです。彼らは教区民あるいは教会員に対し,自分たちのことを敬称を付して呼ぶよう命じ,また要求しています。

      43 「不法の人」級はどんな神殿に自らある種の「神」として座しますか。また,自分たちの権力をだれに強制的に認めさせますか。

      43 「不法の人」は「神の神殿」に座し,「自分を神として示し」,その「神殿」は神の教会と称されています。使徒パウロは一世紀当時の真のクリスチャンにこう書き送りました。「あなたがたは,自分たちが神の神殿であり,神の霊が自分たちの中に宿っていることを知らないのですか。もしだれかが神の神殿を滅ぼすなら,神はその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからであり,あなたがたはその神殿なのです」。(コリント第一 3:16,17。また,コリント第二 6:16)「背教」を引き起こした者たちは最初,ほかならぬこの霊的な「神殿」級から離れたのです。彼らは最初の真の「神殿」級を認めようとはしません。それどころか,それら背教者は自分たちの設立する背教した会衆を「神の神殿」と称します。彼らはその背教的な「神殿」に座し,その中でいわゆる「俗人」とは明確に異なった「僧職者」としての自分たちの座を維持しているのです。その神殿でキリスト教世界の僧職者級は自らがある種の「神」であることを示しています。僧職者級は自分たちの権力を政治家,実業家また軍の高官に強制的に認めさせ,また戦時にさいしては決まって政治運動により僧職者の権力と支持が求められます。

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