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だれが死人の中から復活するかものみの塔 1965 | 6月15日
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この「不法の者」を構成した者たちは不利なさばきを受け,その各人は死の時にゲヘナに定められました。別の「滅びの子」すなわちイスカリオテのユダと同じく彼らは復活しません。彼らは救いに導く真理を愛しません。従って偽りを信じて,あくまでも誤びゅうをひろめます。キリスト教国の教職者が,メシヤによる神の国の音信に反対し,音信を宣べる者を迫害するのも不思議ではありません。大いなるバビロンが永遠に滅びるとき,この「不法の人」も「ゲヘナの刑罰」を受けて滅びるでしょう。
「悪い僕」
32 マタイ伝 24章45節から51節にあるしもべのたとえの中で,他のどんな自称クリスチャンのグループが滅びに定められていますか。
32 クリスチャンと唱えていて,「不法の人」と同じ罰を受ける別のグループがあります。イエスはこのグループを預言的に指して「悪い僕」あるいは「あの悪いどれい」と言われました。(マタイ 24:48-51,新世。ルカ 12:45,46)これらは献身してバプテスマを受け,神の霊によって天の希望に生み出されたクリスチャンです。彼らは,イエスが「忠実な思慮深い僕」あるいは「忠実な思慮深いどれい」と呼んだ忠節なクリスチャン会衆と交わっていました。(マタイ 24:45-47,新世)しかし「悪い僕」を構成する者たちは反逆し,自分勝手に主の持ちものを運営し,肉欲をみたし,「忠実な思慮深い僕」を虐待します。
33 (イ)「悪い僕」は主の家の外にいる偽善者よりも罪が重いとなぜ言えますか。(ロ)イエスのたとえ話にある他のどんなグループがこのしもべと同類ですか。
33 主イエス・キリストは「悪い僕」が悪行にふけっているところを捕えて「厳罰」に処し,家の外に追い出して,宗教的偽善者と同じ目に会わせます。主の家にあって霊的に貴重なものを委ねられていたゆえに,クリスチャンの「悪い僕」は家の外の偽善者よりも罪が重いと言わなければなりません。またイスカリオテのユダが主イエス・キリストを裏切ったように,忠実なクリスチャンの兄弟を裏切った罪も負わねばなりません。彼らはユダと同じく復活を受けません。マタイ伝 25章15,16節,22節から30節のイエスのたとえ話で主人から1タラントを与えられた「悪い怠惰な僕」,およびルカ伝 19章13節,20節から27節のたとえ話の中で主人の1ミナを有利に用いなかった「悪い僕」も,前述の「悪い僕」と同類に入れられます。聖書から見るとき,これらの者が天の生命に復活する希望は皆無です。
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その2ものみの塔 1965 | 6月15日
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その2
1,2 (イ)テモテ前書 1章18節から20節において,パウロはどんな不忠実なクリスチャンのことを述べましたか。(ロ)彼らはどんな機会を失いましたか。
使徒パウロの時代の献身したクリスチャンの中に,霊的な復活を受けて主イエス・キリストと共に天の栄光と力にあずかる機会を台なしにした者がいました。使徒パウロはテモテに書き送った次の言葉の中で,それがどうして起きたかを示しています。
2 「わたしの子テモテよ。以前あなたに対してなされた数々の預言の言葉に従って,この命令を与える。あなたは,これらの言葉に励まされて,信仰と正しい良心とを保ちながら,りっぱに戦いぬきなさい。ある人々は,正しい良心を捨てたため,信仰の破船に会った。その中に,ヒメナオとアレキサンデルとがいる。わたしは,神を汚さないことを学ばせるため,このふたりをサタンの手に渡したのである」― テモテ前 1:18-20。
3,4 (イ)この2人が会衆に復帰することは,なぜ望めませんか。(ロ)これに関連して,こらしめられたのはだれですか。
3 これはヒメナオとアレキサンデルが最後に非を悟って神を汚すのをやめ,会衆に復帰してサタンの手から救われたという意味ではありません。献身してバプテスマを受けたこれら2人のクリスチャンがクリスチャンの信仰と清い良心を捨て,信仰の破船にあって破滅の海に沈んだ以上,そのようなことはあり得ません。
4 忠実なクリスチャン会衆から排斥されても,この2人は受けたこらしめによって改心することがありませんでした。しかし愛された忠実な会衆は,霊的に破船した2人を避け,2人とのかかわりを絶って彼らをサタンの手にまかせ,こうして教訓を得ました。パウロは使徒の権威をもって2人をサタンに渡してしまっていたのです。信仰と良心を捨てた2人を排斥することによって,忠節な会衆はこらしめを受けました。ヒメナオとアレキサンデルにならってクリスチャンとしての破滅をこうむり,排斥されてサタンに渡されることのないように,教訓を学んだのです。
5,6 (イ)テモテ後書 2章16節から19節によれば,ヒメナオはどんな悪をしましたか。(ロ)会衆がヒメナオとピレトを否認しなければならなかったのはなぜですか。この2人は復活がどのように過去のものであると言い,また教えましたか。
5 使徒パウロが後にテモテに書き送った次の言葉はヒメナオについて更に述べており,ヒメナオの悪がどこにあったかを明らかにしています。「俗悪なむだ話を避けなさい。それによって人々は,ますます不信心に落ちていき,彼らの言葉は,がんのように腐れひろがるであろう。その中にはヒメナオとピレトとがいる。彼らは真理からはずれ,復活はすでに済んでしまったと言い,そして,ある人々の信仰をくつがえしている。しかし,神のゆるがない土台はすえられていて,それに次の句が証印として,しるされている。『〔エホバ〕は自分の者たちを知る』。また『〔エホバ〕の名を呼ぶ者は,すべて不義から離れよ』」― テモテ後 2:16-19,〔新世〕。
6 ヒメナオとピレトはもはやエホバに属する者ではなく,エホバのクリスチャン会衆を追われてサタンに渡されました。忠実なクリスチャンは「御名を負う民」としてエホバのみ名を負い,会衆の集会においても,外で伝道する時にも神のみ名を用いました。(使行 15:14-18)この理由で彼らは,ヒメナオやアレキサンデルのような不貞なクリスチャンを,不義にみちた者として排斥することが必要でした。この者たちは復活について勝手な考えを持ち,当時「復活はすでに済んでしまった」と教えました。復活は単に霊的なもの,象徴的な意味のものであり,献身したクリスチャンはすでに復活した,これが復活のすべてであって,メシヤによる神の国の下で将来に復活があることはないと,彼らは教えていたようです。
7 死のとき,彼らには何が臨みましたか。なぜですか。
7 ヒメナオとピレトは,このような復活の教えによって,会衆内にある人々の信仰をすでにくつがえしていました。これに関連して人間の魂の不滅という異教ギリシャの哲学を彼らが教えたかどうか,この点についてパウロは述べていません。しかしクリスチャンの信仰をくつがえしたこれらの者は良心を捨てた者であり,真理の正確な知識を得てのち,また使徒パウロとかかわりを持っていたにもかかわらず,ことさらに罪を犯していました。ゆえに彼らは死んだとき,ゲヘナの刑罰を受けました。彼らは復活しません。
8,9 テモテ前書 6章9,10,20,21節において,パウロはどんな点を強調していますか。
8 物質の富を築き,この世の知識あるいはいわゆる科学をきわめることに執心するクリスチャンは,復活の機会また来たるべき正義の秩序の下で生命を得る機会を危うくします。いわゆる科学や富ではなく,真実のクリスチャン
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