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『なんじの親を敬え』という教えは一体どうなったのですかものみの塔 1983 | 9月15日
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『なんじの親を敬え』という教えは一体どうなったのですか
ある父親は自分の二人の息子について,「私が自分の意見を口にすると,息子たちは聞くに耐えないというふうなしぐさをする。『なんじの親を敬え』という教えは一体どうなったのか」と言いました。ある家庭問題相談所の所長も同様に,「近ごろの若者は親に口答えをするだけではない。決まって親の権威に真正面から反抗する」と述べています。
読者が若い方であるか大人の方であるかは分かりませんが,いずれにせよ,親に不従順で親を敬わない若者が多いことには気づいておられることでしょう。これは,若者であると親であるとを問わず,あなたにかかわりのある問題なのです。なぜそう言えるのでしょうか。
なぜなら,よく見られる親子げんかは,今の時代が終わりの日であることをしるし付ける一つのパターンの一部,さまざまな出来事の一断片であるからです。聖書によると,まず「終わりの日」と呼ばれている期間があり,そのあと世界的な事物の体制の最終的な滅びが到来します。(テモテ第二 3:1)しかし,その滅びを生き延びる人々もいます。その人たちは天にある実際の政府の支配下で生活を楽しみます。―ダニエル 2:44。啓示 21:1-4。
それにしても,親に対する不従順という現象は,現在および将来について聖書が述べている事柄にどう当てはまるのでしょうか。わたしたちはこれまで,「ものみの塔」の幾つかの号で,マタイ 24章,ルカ 21章,マルコ 13章に出ているイエス・キリストの預言を復習してきました。イエスは戦争,地震,不法など,「事物の体制の終結」をしるし付ける世界的なさまざまな出来事に焦点を当てておられます。しかし今回は,この期間に関してテモテ第二 3章1節から5節に記されている,関連のある預言的描写に焦点を当ててみましょう。聖書はこの聖句の中で,人類に影響を及ぼす外部の勢力だけを取り上げているのではなく,これらの劇的な出来事を経験している人々の態度を強調しています。その内容は次の通りです。
「このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者……となるからです。こうした人々からは離れなさい」。
使徒パウロのこの言葉は,終わりの日が人々にどう影響するかについての注釈であることに注意しましょう。終わりの日と呼ばれる危機の時代に,『親に対する不従順』が顕著になるということにも注目してください。
わたしたちの時代に成就する?
『パウロが自分の時代の状態だけについて語っていたのでないとどうして分かるのか』と尋ねる人もあるでしょう。この預言のあと使徒はテモテという名前のクリスチャンに助言を与えているために,パウロは本当にわたしたちの時代について書いたのだろうか,と考えるのも無理のないことです。(テモテ第二 3:5,14,15)しかし,パウロが,「終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます」と述べていることに注目してください。パウロは将来の事態の進展に言及していたに違いありません。テモテは望ましくない特性を示す人々から「離れなさい」と言われましたが,それは会衆内に既にそのような特性を示していた人たちがいたからです。しかしパウロの言葉は,将来に臨む終わりの日の状態はさらに深刻なものになることを示しています。―テサロニケ第二 2:6-12; 3:6-14と比較してください。
しかし,今の若者は親とまずまずうまくやっているという一部の研究者たちの主張を耳にしたことがあるかもしれません。テモテ第二 3章1節から5節に書かれている事柄から見て,そのような主張をどう考えるべきでしょうか。では,結論を出す前に,聖書の歴史を背景にしてパウロの預言を検討してみることにしましょう。
「あなたの父と母を敬いなさい」
これは十戒の第5番目の戒めです。(出エジプト記 20:12)この言葉はユダヤ人の子供たちの思いにしっかりと刻みつけられました。(申命記 5:16; 6:6,7)子供が自分の親に反抗することなど考えられないことで,場合によってはそれは死刑に値する罪とみなされました!(申命記 21:18-21)昔の生活様式は,親がこのように愛情をこめて,しかし厳格に子供たちを監督してゆく上で助けになりました。家族構造は家長制でした。親の役割ははっきりとしていました。子供たちは財産であり祝福であると考えられました。農耕社会でしたから子供たちにも毎日する仕事がたくさんありました。―詩編 127:3と比較してください。
しかしながら,国民がエホバの道から離れてゆくにつれ,家族生活の質は低下してゆきました。十戒が与えられてから約800年後に,預言者ミカは次のように述べています。「息子は父を軽んじ,娘はその母に逆らい……人の敵はその家の者たちとなっている」。(ミカ 7:6)エゼキエルも同様にエルサレム市について,「彼らはあなたの中で父と母を侮べつをもって扱った」と述べています。(エゼキエル 22:7)親に対するそのようなひどく不敬な態度は,広範囲にわたる道徳の退廃の表われでした。それで神は国民全体に対して厳しい懲戒処置をとられました。―エレミヤ 1:15,16。
この視点から見れば,20世紀の若者の行動には,1世紀のパウロにとってショッキングに思えるところが少なくないことが分かるでしょう。現在行なわれているような自由な子育て論は,当時は耳にすることさえありませんでした。したがって,現代の家族生活をバラ色に見せる調査は,子供について神が設けられた規準を無視しているということを銘記している必要があります。(エフェソス 6:1-3)今日の若者たちの間に一般に見られる態度や行動を,神の定められた規準と比較してみるなら,聖書が今の世代を「不従順な」世代と呼んでいる理由が理解できます。すべての子供たちが必ずしも反抗的であるというのではありません。しかし,不従順は見過ごすことができないまでに広まり,その度合もひどくなっていて容易に目につきます。
それにしても,『親に対する不従順』は本当に世界的なものになっているでしょうか。わたしたちが「終わりの日」に住んでいることを示す十分の証拠となるほどの親子の争いが見られるでしょうか。―テモテ第二 3:1,2。
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親に対する不従順 ― 終わりの日のしるしですかものみの塔 1983 | 9月15日
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親に対する不従順 ― 終わりの日のしるしですか
「自分の父の上に災いを呼び求め,自分の母をも祝福しない世代がある」。(箴言 30:11)この聖句は1914年以後の世代をよく描写しています。しかし,その年以後の若者たちはこの点で本当に例のない存在なのでしょうか。もしそうであるとすれば,その理由はどこにあるでしょうか。
変わりゆく世界
過去の時代の家庭は愛と支えの得られる安息の場でした。家族の成員の役目や責任については何の疑問もなく,男は稼ぎ手と決まっていました。ほとんどの女は家庭にいて,子供の世話や家事にいそしみ,価値基準や原則を子供たちに教え込みました。そして子供たちは,大抵の場合,家の仕事を手伝うのに忙しくて,人の迷惑になるようないたずらをするどころではありませんでした。
しかし,1914年に第一次世界大戦がぼっ発し,その後に生じたさまざまな出来事によってこの牧歌的な風景は破壊されてしまいました。イエスが預言された通り,今世紀は残酷な戦争,不法,食糧不足の世紀です。(マタイ 24:4-14)そのためにどんな影響があったでしょうか。わたしたちの生活様式は大きく変化しました。今は旅行の時代とあって,家族の成員が銘々に旅行をすると,家族は遠く離れてしまうことになります。科学技術の進歩によって家事という骨折り仕事から大いに解放されたため,多数の女性は主婦の仕事をする代わりに職業市場に活躍の場を求めます。ですから学校の教師や保育所の職員たちが親代わりになっています。家の中の雑用は電気器具がやってくれるので,子供たちは退屈な気持ちと闘わねばなりません。
最近のこうした現象が原因で,家庭内の緊張が著しく増大しました。離婚率は急増し,片親だけの世帯も増えました。ある独身の母親は独りで子供を育てることの難しさについて次のように述べています。「私が事務所から帰るころには,子供たちの学校が終わってから3時間ほどたっています。ですから,子供たちが何をしているのか調べようがありません。16歳の娘が同じクラスのある少年と性関係を持っていることや13歳の息子がいつも近くの玉突場をうろついていることは分かっています」。
“自己<ミー>中心”世代の犠牲者たち
個人の「権利」にこれほど強く取りつかれた世代は恐らくほかにないでしょう。その結果,親は「子供が親と言い争ったり,自分自身の感情や考えを主張したり,少し不従順になることさえ次第に許すようになっていった」と,ある有名な心理学者は述べています。これは健全なことでしょうか。
ピュリッツァー賞受賞作家,ロバート・コールズは,「親の中には,自分で子供を育て上げる,つまり自信と独自の道徳的信念とをもって子供を育てる勇気のない人が大勢いる。そういう親たちは,子供の育て方に関する本を書いて親のすべきことを告げる専門家たちの言葉におじけづいている」と述べています。自由放任の子育て理論の犠牲になった親たちは,子供の気まぐれに迎合している自分に気づきます。そして後ほど,聖書にある次の言葉が真実であることを思い知らされます。「自分の僕を若い時から甘やかしていると,後になって感謝の念のない者となる」― 箴言 29:21。
テレビの影響
米国国立精神衛生研究所は最近「テレビと行動」と題する包括的な報告書を刊行しました。それによると,テレビは無謀な暴力行為や不道徳な事柄を見せて人々の思いを盛んに攻撃するだけにとどまりません。家族生活に対してほかにも多くの良くない影響を及ぼします。例えば,どの番組を見るかを決めることが子供たちに任されている「場合は驚くほど多く」,その子供たちはしばしば「家族が何を見るかを決める者となります。つまり家族の意思決定者になる」のです。
「ナルキッソスの世代」という本は,テレビにはもう一つ油断のならない副作用があると主張します。それによると,テレビがあるために「子供たちはいわゆる現実の世界を,独自の有利な位置から経験する。それは,彼ら自身の身から外に向かって展開するように見える一つの世界である」ということです。確かにテレビ中毒になっている子供は,全く自己中心的な人生観を持つようになると言えるかもしれません。
以上の事柄はすべて,家族生活の自然なバランスを覆してきた要素なのです。しかし,若者たちは親の権威に反抗することによって本当に反応を表わしているでしょうか。
公然の不従順とひそかな不従順
若者たちの間の『不法の増加』は,一部の若者が親の権威に確かに反抗していることを一層明らかにするしるしの一つです。(マタイ 24:12)例えば,報告によると,「大ロンドン[英国]における重大な犯罪全体の4分の1は学童によるもの」です。米国では,「暴力犯罪で逮捕される青少年が……1960年から1975年までの間に293%増加し,青少年の逮捕率は全体で1年間に10%増加しており,大人の逮捕率の2倍」になっています。中国からも青少年による「殺人,詐欺,窃盗,強姦,麻薬の密売,やみ商売」などの事件が報じられています。
こうした恥知らずな暴力行為の中には親に向けられるものさえあるのです。社会学者のリチャード・J・ゲリスが参加して行なわれたある調査では,「[米国内の]若者で親を少なくとも一度たたいたことがある者は250万を超え,……青年期の子供を持つ親で,殴られるか,かみつかれるか,けられるか,固い物で打たれるか,たたきのめされるか,あるいは脅迫されるか,ナイフで切りつけられるか,または銃で撃たれるかした人が90万近くいる」ことが分かりました。そうした悲劇的な行動は,終わりの日になると人々が「自然の情愛」を持たなくなるという聖書の予言の正しさを強調しています。(テモテ第二 3:3)「率も推定数も恐らく控え目なもので,若者が親に対して振るう暴力の程度を実際に示すものではないであろう」という結論には全く背筋の寒くなる思いがします。(下線は本誌。)―「都市・社会変化評論」(英文),第15巻,1982年,第1号。
乱交も若者たちが親の願いに逆らう別の方法です。アメリカの若者16万人を対象に行なわれた一つの調査で,13歳から15歳までの間の若者の31%が,性体験があることを認めました。16歳から18歳までの間では58%が性体験をしています。日本の場合も同様で,「十代の少女の性交が過去7年にわたり目立って増えてきている」と報告されています。
十代の若者の中には隠れてアルコール飲料を飲んだり,惑でき性の薬物を使ったりする人たちがいます。また約43%がマリファナを吸ったことがあるのを認めました。マリファナを吸うことは「多くの十代の若者たちの普通の楽しみになっている」と研究者たちは結論しています。そして約半数は,マリファナを吸っているかどうか親に聞かれたらうそをつくことを認めました。
学校で良い成績を取ることを要求しながら少しも援助してくれない親に対して欲求不満を抱く若者たちは,学校でわざと落第点を採って静かな反抗を示します。親の道徳規準や宗教的規準に従うよう説得されてもそれを拒否することによって不従順aな態度を示す若者たちもいます。調査の対象となった若者のうち,親の宗教に従うと答えた者は53%にすぎませんでした。残りの若者たちは親の宗教には従わない,あるいはどうするか分からないと答えました。これによって親はどれほどがっかりさせられることでしょう! 性に関しては親の忠告が欲しいと言った者はわずか17%でした。麻薬に関しては,どうしても親の忠告が欲しいと言った者はさらに少数でした。こうした意見の衝突で家庭は戦場のようになるのです。
あなたにできること
したがって,わたしたちの世代は確かに他に例を見ない状況のもとで育てられた他に例のない世代と言うことができます。不従順が世界的な傾向となっていることを,他の証拠と合わせて考えるなら,わたしたちは自分たちが終わりの日に住んでいるという結論を下すしかありません。
しかしエホバの証人たちは,聖書 ― 互いに矛盾しあう今日の子育て理論ではない ― を研究すると,今日存在するさまざまな問題に対処する備えができることを知りました。エフェソス 6章1節から4節にある命令は現実的で実際に即したものであることを知っています。「子供たちよ,主と結ばれたあなた方の親に従順でありなさい。これは義にかなったことなのです。……また,父たちよ,あなた方の子供をいら立たせることなく,エホバの懲らしめと精神の規整とをもって育ててゆきなさい」。ですからエホバの証人は,あなたが聖書の組織的な研究をお始めになるのを喜んでご援助いたします。
子供のいない人にとっても,聖書の研究は大変有益です。神の言葉をさらに深くお調べになるなら,神と神の目的をよく知る助けになります。これは賢明な道です。なぜなら聖書は,「義を求め,柔和を求めよ。恐らくあなた方はエホバの怒りの日に隠されるであろう」と勧めているからです。―ゼパニヤ 2:3。
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