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助言を与える人の責任ものみの塔 1973 | 11月15日
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があります。人の一生に悪影響をおよぼすかもしれません。堅実で,不朽で,永遠に有益なのは人間の知恵や思索ではなく,最高の助言者であるエホバ神とキリスト・イエスから来る知恵です。―コリント前 2:4,5。詩 33:11。箴 21:30。イザヤ 9:6。
このことを決して疑ってはなりません。神のことばである聖書が,クリスチャンをして「あらゆる良い業に対して全く整えられた者」とならせうる,導きとなる原則を定めていない生活の分野は,ひとつもないのです。(テモテ後 3:16,17,新)ですから助言を与えるにさいして自分自身の知恵に頼る正しい理由はありません。(箴 3:5-7)自分の考えや説にとらわれて急に脱線するようなことをせず,聖書の助言というわくの中だけにとどまることによって,『道のまん中』だけを歩くようにしてください。(箴 8:20)知恵ある助言を与えることを望む人は,へりくだって神に祈ることを常の手段としなければなりません。―ヤコブ 1:5。列王上 3:7-12。
神のことばである聖書の助言に従順を示すクリスチャンの助言者たちは,兄弟たちにとってほんとうに祝福となります。そのうえに彼らは,偉大な王エホバ神とそのみ子キリスト・イエスにより重んじられるでしょう。―箴 27:9; 14:35; 16:13。
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「そねみの傾向」を退けなさいものみの塔 1973 | 11月15日
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「そねみの傾向」を退けなさい
不完全な人間の内面には,他の人の持つ名声,優れた業績,物質上の所有物などをそねむ強い性向があります。聖書は,この性向が非常に強いものであることを示してこう述べています。「わたしたちのうちに宿っている霊は,そねみの傾向をもって絶えず慕う」― ヤコブ 4:5,新。
そねみの霊つまりそねむ性向または気質が不完全な人間であるわたしたちすべてに「宿っている」とはいえ,それによってそねみが神の目に許されるものとなるわけではありません。そねみは,淫行,不品行,酔酒など,それを習わしにする人を神の王国から締め出して王国を受け継ぐことができなくする汚れた肉の行ないの一つとして,明確に非とされています。(ガラテヤ 5:19-21,新)しかし,なぜエホバ神はそねみを非とするそうした強いことばを述べておられるのですか。
なぜなら,そねみは利己心に根ざしており,創造者の性質や方法また物事の扱い方と全く相いれないものだからです。エホバ神の最も顕著な特質は愛であり,同様の愛を示す人びとだけを,神はご自分の是認したしもべとして認められます。
そねみの気持ちをいだく,愛に欠けた人は,「喜ぶ人たちとともに喜ぶ」ことをしません。(ロマ 12:15,新)そのような人は,他の人が持つものを奪おうとして,詐欺,盗みその他の不正な行為に訴えることさえあります。また,そねみの対象となっている人に不当な非難を浴びせたり,当人の能力や動機に疑いをはさんだりして,その人の業績を強いて小さく見,その人を低く見ようとします。こうして,そねみは争いや不和を,また言い争いや憎しみを,さらには暴力行為をさえ引き起こし,そうでなければ保てたであろう友好的な関係を壊してしまいます。このことはヤコブ書 4章1,2節(新)で次のように示されています。「あなたがたの間の争いはどこから,また戦い
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