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神の目的とエホバの証者(その45)ものみの塔 1962 | 9月1日
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でした。兄弟たちをふるい立たす教訓的な話に加えて,いくつかの新しい出版物が発表されました。その中でも顕著なものは,アメリカ標準訳聖書のものみの塔版です。他の出版物の中には,「御国は近し」,その本と併用する質問の冊子,そして「御国奉仕の歌の本」と題する新しい歌の本です。兄弟たちは,赤色の表紙のついたこの歌の本を,ほんとうに大よろこびで受取りました。特に,毎週一度の奉仕会のときにこの本が使用されると発表されたとき,兄弟たちは大よろこびでした。なぜなら,この時以前のしばらくの期間,会衆では歌を歌わなくなったからです。兄弟たちは,ふたたび歌える幸福で一杯でした。
「神の御国は近し」と題する公開講演は,18の他の都市にも同時に伝達されて,ニューヨーク州ナイアガラ,フォールス市のWHLPラジオ放送局およびブルックリンにある協会所有のWBBR放送局から放送されました。アメリカの17の都市における出席者の合計は9万2723人で,この重要な講演が始めて行なわれたとき,全部の国々で14万人の人々が話を聞きました。1時間にわたるこの話が終わったとき,その話を収めた冊子が発表され,その後,その冊子は幾百万冊も配布されました。
兄弟たちの僕によるいっそうの訓練
新しい公開集会運動が始まった翌月,1945年の2月,兄弟たちの僕を会衆に訪問させる協会のプログラムは再組織されて,その効果を増加し,兄弟たち全部に個人的な訓練を与えることになりました。1945年1月号の「通知」(英文)は,次のように説明しました。
その面で会と主の民を助けるため,兄弟の僕の活動は再組織され,約50パーセント増加した。また「制度の指示」にも述べられているごとく,今では兄弟たちの僕は,一日,二日,あるいは三日だけ会に滞在した。しかし,1945年2月1日からは,1人から8人の伝道者のいる会は二日間の奉仕を受け,19人から50人の伝道者のいる会は 三日間の奉仕を受け,51人から100人の伝道者のいる会は六日間の奉仕を受け,101人以上の伝道者のいる会は2週間の奉仕を受ける。
この取決めの目的は,兄弟をしてその会に十分長く滞在させて兄弟たちと協力させ,兄弟たちの書籍研究,再訪問のわざ,および他の野外活動を援助し,かつこれらの点につき僕たちに教訓を与えるためである。彼はできるだけ大勢の兄弟たちといっしょに再訪問のわざや研究に行き,そのような再訪問や研究を取決めて,効果的に司会する方法や手段を提案するだろう。
わざのこの再組織は,野外奉仕と兄弟たちを援助して御国伝道のいろいろの面の効果を改善させる責任を強調しました。協会が全会衆にこの奉仕をしたことは成功をおさめ,伝道者の数は増加しつづけました。
1945年10月,改正されて増補された「制度の指示」(英文)が会衆に送られました。今度は冊子の2頁に述べられている資格にかなう御国伝道者各人に冊子が1部づつ渡されました。
12歳以上の伝道者で,3ヵ月間御国の証言をして主とエホバの御国に献身していることを示し,証言の最初の月と2番目の月において会の時間の目標に達している者に,この冊子が渡される。どの伝道者も制度の指示に良く通じ,主の言葉に従いつつ,御国の音信を伝道しなければならない。
この制度の指示は,1945年10月1日以降実施されました。
ちょうど1年後の1946年10月,「制度の指示」(英文)の新しい修正が送られました。これは「制度の指示」(英文)冊子内に折りこまれる8頁の印刷物で,この修正にのべられている再建と拡大の記事は,兄弟たちの僕のする奉仕が一段と進歩したことを示しました。この拡大の計画の中で,ひとつの大きな特色は,年2回の巡回大会と巡回の僕の訪問でした。1941年に地帯大会が中止されて以来,年2度の大会が奉仕計画の一部になったのは,これが始めてでした。そして,その復興に対して,兄弟たちは心から応じました。
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無益な質問を避けなさいものみの塔 1962 | 9月1日
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無益な質問を避けなさい
使徒パウロが,クリスチャンたちに空論や無益な質問を避けよと,しばしば警告しているのにお気づきですか。彼はテモテに宛てて次の言葉を書きました,「人々が健全な教に耐えられなくなり,耳ざわりのよい話をしてもらおうとして,自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め,そして,真理からは耳をそむけて,作り話の方にそれていく時が来るであろう」。(テモテ後 4:3,4,新口)テトスに宛てた手紙の中で,パウロは次のように警告しました。「愚かな議論と,系図と,争いと,律法についての論争とを,避けなさい。それらは無益かつ空虚なことである」。(テトス 3:9,新
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