エホバをほめたたえる祝祭
「あなたがたが,ふれ示して聖会とすべき〔エホバ〕の定めの祭は次のとおりである」― レビ記 23:2〔新世訳〕。
1 どんな祭りは喜びの時ですか。ユダヤ人の祭りの名前をいくつかあげなさい。
祭りは喜びのときです。申命記 16章14節にも,「祭の時には,あなたは……喜び楽しまねばならない」と書かれています。もしそれが,全能の神エホバをほめたたえるための祝いであれば,祭りはとりわけ喜びのときとなります。エホバは紀元前1513年に,ご自分の民をひとつの国民に組織されましたが,そのとき彼らに多くの祭りを与えられました。それらの祭りは,レビ記 23章にしるされています。全き休みであり「聖会」である安息日は7日目ごとにありました。過ぎ越しの祭りはニサンの14日に行なわれ,そのあと7日間つづく種入れぬパンの祭りがありました。刈り入れた大麦の初穂をささげるニサンの16日から50日目には,ペンテコステとしても知られている七週の祭りが行なわれました。7月のついたちは,ラッパ節で,10日には人々は贖罪の日を祝いました。この一連の祭りの最後に行なわれたのは,祭りの中でもいちばん楽しい仮庵の祭りでした。これは同じ月の15日から21日までつづき,最後の聖会は22日に行なわれました。時たつうちにさらに,月々の新月祭,プリムの祝い,宮清めの祭りなどが加えられて,エホバを崇拝するための特別の祝日がふえていきました。―民数 10:10。
2 (イ)エホバは祭りを通して人々に何を教えられましたか。(ロ)今日のクリスチャンはなぜこれらの祭りについて調べますか。
2 これらの祭りは,喜びのとき,そして肉体の休息のときでもありましたが,主として,人々が宗教的にまた霊的に強められる時でした。これらの祭りは,エホバの賛美となり,エホバの誉れとなるエホバの祭りでした。偉大な王であり,立法者であり,建国者であられるエホバは,これらの祭りをとおして,国民にみこころと御目的,ならびに数々の基本原則を教え,また,彼らがその年の間にエホバから与えられたいつくしみとあわれみと,すべての祝福を認めて,エホバに感謝の念を表わす機会を与えられました。加えてわたしたちにとってきわめて重要なことですが,エホバは,今日のクリスチャンに同じ原則を教えるのみならず,これらのユダヤ人の祭りをとおして,いまの時代に成就する多くの預言をされました。言いかえれば,エホバは,一国民全部を役者とし,パレスチナという国,とくにエルサレムの町を大舞台として,「きたるべき良いことの影」となる劇を演出されたのです。(ヘブル 10:1)したがって今日のわたしたちは,イスラエル人が彼らの祭りを行なうのを見て,いまの時代に成就する重要な事柄を知らされ,さらにエホバのみこころ,御目的,原則について多くの教訓を得ます。そこでわたしたちはこれから腰をおちつけて,役者たちが,これらのユダヤ人の祭りのひとつひとつを演ずるところを見てみましょう。
安息日
3,4 (イ)安息日について説明しなさい。(ロ)ユダヤ人は安息日を守ることによってなぜ心身ともにそうかいさをおぼえましたか。
3 「六日の間は仕事をしなければならない。第七日は全き休みの安息日であり,聖会である。どのような仕事もしてはならない。これはあなたがたのすべてのすまいにおいて守るべき〔エホバ〕の安息日である」。(レビ 23:3〔文語〕)イスラエルびとは,エジプトにおけるどれい状態から解放されてのち間もなく,シナイ山に向かう途中で,安息日のおきてを与えられました。このおきては,十戒の4番目にあますところなく述べられています。(出エジプト 20:8-11)安息日は六日の日没から第七日の日没までつづきました。イエスの時代には,第六日の,9時(午後3時)ごろに3回,日没に3回,計6回ラッパが高らかに吹き鳴らされて,安息日の始まることが告げ知らされました。安息日は,どれいや獣にとってさえ,全き休みの日でした。これはエホバの日で,人々が守るべくエホバが聖別された日でした。安息日の目的を認めて従順にそれを守ることは,真の喜びをもたらしました。(イザヤ 58:13,14)しかし,故意にそれを犯すことは,死という罰を招きます。
4 どれいとしてエジプトの苛酷な支配を経験したあとのイスラエルびとは,そのような人道主義的な律法の価値を十分に味わい知ることができました。ユダヤびとは,ふだんの仕事をやすんで,祈りと崇拝と神のことばを熟考することに専念できました。実際に安息日は,おもな宗教活動の日でした。祭司たちにとってこの日は週の他の日よりも忙しい日でした。常燔祭として毎日ささげられる2頭の小羊に加えて,さらに2頭の小羊が供えられ,(民数 28:9,10)聖所の12個の供えのパンもとりかえられることになっていました。(レビ 24:5-8)聖会,すなわち一般の人が崇拝し,教えを受ける集会も開かれ,人々は神の律法を教えられました。イエスの使徒の時代には,使徒行伝 15章21節に書かれているように,「安息日ごとに」モーセの律法が「諸会堂で朗読」されました。国民全部が,週に一日休日を得て日々の仕事や仕事の苦労から完全に解放され,自分たちの神を崇拝し,共に集まって神の律法を学ぶとは,なんというすばらしい規定でしょう。それによって彼らは,彼らの神エホバのいつくしみを味わい知り,エジプトの束縛から奇跡的に救い出されたことを思い起こしました。安息日ごとに肉体は元気を取りもどし,すべての人が霊的に向上するのを感じました。
5 (イ)週の安息日はいつその成就を見ますか。(ロ)大いなる安息日はどんな目的のためにありますか。
5 ユダヤ人のこの週の安息日が,「きたるべき良いことの影」にすぎないことを知っておくのはよいことです。聖書の示すところによると,エホバは6日のうちに天地を創造されました。各日の長さは7000年です。7日目にエホバは創造のわざを休まれ,ご自分の安息にはいられました。しかしながら人類は,エホバと共に安らかな休息,すなわち安息を保たず,不従順によって罪と不完全さと死のとりこになりました。この第七日も,ほとんど6000年経過し,あと千年あまりを残すのみとなりました。イエスは週の安息日について,「安息日は人のためにあるもので,人が安息日のためにあるのではない」と言われました。したがってこの最後の千年は,ユダヤ人の週の安息日が予表した特別の目的のため,すなわちエホバのみ子キリスト・イエスの統治するときとして,エホバにより聖別されているのです。イエスはことばをつづけて,「それだから,人の子は,安息日にもまた主なのである」と言われています。(マルコ 2:27,28)これは,7000年にわたるエホバの大安息日の中に含まれる千年の安息日です。週毎の安息日と同じく,この千年の大いなる安息日は,エホバの崇拝と,記念の墓から復活した人をも含めてすべての生ける者を,エホバの義の戒めに従って教育することにささげられます。―ヘブル 10:1。創世 2:1-3。ヨハネ 5:28,29。
6 イエスはなぜ安息日に多くのいやすわざを行なわれましたか。
6 イエスは西暦29年から33年まで,とくに安息日に,多くの力あるわざを行なわれました。盲人が見えるように,耳しいが聞こえるように,足なえが歩けるようにし,病人をいやし,ある人を死人の中からよみがえらすことさえされました。そうすることによってイエスは,イエスが統治する千年の安息日の間に,いかに驚くべき救いと解放のわざを行なうかを予表されました。安息日を犯す者すべてを死刑にすることによって予表されたように,この日の平和と安息を乱すことはだれにも許されません。(民数 15:32-36)この千年の安息の間に,人類は心身ともに真の休みを得,完全に向かって除々に向上し,王キリスト・イエスをとおしてエホバが備えて下さるすべてのよいことを十分に楽しむことができ,魂をつくしてエホバを崇拝し,エホバに従います。6000年間,サタンの苛酷な支配のもとで労苦し,罪と不完全さと死につながれていた神を信ずる人々が,いまや最大の救いを得て,神の子を主とする大いなる安息を楽しむことを予想するのはうれしいことです。それはなんと喜ばしい日でしょう。
新月とラッパ節
7 新月の祭りの特色をいくつかあげなさい。
7 モーセの律法には,月々の始まりをしるしづける新月の祝いについて教えているところが2箇所あります。この日にも,他の喜びの日や節会と同じくラッパが吹き鳴らされ,特別の犠牲がささげられることになっていました。(民数 10:10; 28:11-15)時たつうちに新月の祝いは安息日や「節会」とならび称されるようになりました。(イザヤ 1:13。エゼキエル 46:1。ホセア 2:11)ふつうの月の月朔にすべての仕事を休むことについては,律法には明記されていません。しかし預言者アモスは,紀元前9世紀に,不正直な商売を早く再開したくてついたちが終わるのを待ちかまえていた商人たちをとがめています。この事実は,人々がついたちを集まりや交わりの日に当て,商売や一般の仕事を休む習慣にしていたことを物語っています。―アモス 8:5。サムエル上 20:5,24。
8 (イ)新月の祭りはなぜ宗教教育を行なうのに都合のよいときでしたか。(ロ)クリスチャンはこれから何を学ぶことができますか。
8 ついたちも安息日と同じく特別の崇拝の日で,宮で一般の人々を教えるには都合のよい時でした。問題をかかえた人々が,預言者や神の他のしもべたちからじきじきに助言や援助を受けようと,彼らのところへやってきたので,それらの神のしもべにとってこの日は忙しい日でした。(エゼキエル 46:1。列王下 4:22,23)エタニムまたはチスリと呼ばれた7月のついたちについては,律法の中に特別の規定がもうけられ,聖会とされていました。この日にはいかなる労働もしてはいけない,ということがはっきり述べられています。したがってユダヤ人は毎年,52の週毎の安息日に加えて,さらに12の,エホバをたたえ,崇拝し,エホバのことばを教えられる特別の日をもっていたわけです。エホバがそのように多くの宗教的な教育や活動を準備されたという事実から,今日のクリスチャンは,個人的に,またクリスチャン会衆とともにエホバを崇拝し,エホバのことばを学ぶ時間をつくることの大切さを悟らなければなりません。
贖罪の日
9 (イ)贖罪の日はいつでしたか。すべての人にどんなことが要求されましたか。(ロ)贖罪の日のおもな行事の順序を要約しなさい。
9 エタニムの月の,ラッパ節から9日後に別の祝いがありました。それはイスラエルの最も重要な日で,7月の10日に祝う贖罪の日でした。聖会が開かれ,どんな仕事も行なわれませんでした。イスラエルびとは,おそらく断食によってでしょう,魂を悩ますことを命ぜられていました。レビ記 16章には,この日になすべきことが詳述されています。この勉強から最大の益を得るために,その章全部をお読みになることをおすすめします。お気づきのように,大祭司はアロンとその家族およびレビ族のため1頭の若い雄牛をささげました。また,2頭のやぎを連れてきて,「エホバのため」の1頭を残りの国民の罪のあがないとしてほふり,他の1頭を「アザゼルのための」やぎとして生かしておきました。大祭司はまず薫香をたずさえて幕屋の至聖所にはいり,そのあと二つの罪のあがないの供え物,すなわち最初に雄牛,つぎにやぎの血の一部をたずさえて至聖所にはいり,契約の箱のおおいのまえにそそぎました。のちほど動物の死体は営の外にもち出されて焼かれました。生きたやぎは,大祭司が民のすべての罪をそのうえに告白したのち,ふたたびもどることがないように荒野にひいて行かれました。そのあと大祭司は身を洗い衣服をかえました。それから2匹の小羊を燔祭として,1匹をアロンとアロンの家のため,他の1匹を残りの国民のためにささげました。
10 贖罪の日は,どんなより大きな目的のために役立ちましたか。
10 イスラエルにおける贖罪の日は,人々を霊的に高め,励ましました。しかしこれはるかに偉大なものの影であって,ユダヤ人に,きたるべき解放者なるメシヤを指し示すものでした。というのは彼らがささげた動物の犠牲は,実際に罪を取り除くことができなかったからです。力のおよぶかぎり律法を守った誠実なユダヤびとは,「年ごとに引きつづきささげられる同じようないけにえによっても,みまえに近づいて来る者たちを,全うすることはできない……もしできたとすれば……ささげ物をすることがやまったはずではあるまいか。しかし実際は,年ごとに,いけにえによって罪の思い出がよみがえってくる」ということを悟ることができました。(ヘブル 10:1-3)忠実なユダヤびとは,贖罪の日の犠牲に従うことにより,真に罪を除くことのできる,よりすぐれた犠牲をささげる,より偉大な大祭司を待ち望むことを教えられました。詩篇の示すところによると,あがないの価はきわめて高価であるために,それを払うことはだれの力にもおよばないことです。(詩 49:7,8)信仰深いヘブル人であった使徒パウロは,「このようにして律法は,信仰によって義とされるために,わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである」と述べています。―ガラテヤ 3:24。
11 犠性はユダヤ人のためにどんなことをなし得ませんでしたか。しかしどんな満足を与えましたか。
11 したがって使徒パウロは,ヘブルびとにあてた手紙の多くの紙面をさいて,これらの事柄の意味を説明しています。民の罪と自分自身のために犠牲をささげる目的で大祭司が年に1日だけ動物の血をたずさえて至聖所にはいる幕屋およびその内部の様子を描写してから彼は,「それによって聖霊は,前方の幕屋が存在している限り,聖所にはいる道はまだ開かれていないことを,明らかにしている」と言っています。ついで彼は,彼らがささげた犠牲は,「儀式にたずさわる者の良心を全うすることはできない」ことを指摘しています。とはいえイスラエルびとは,イスラエルの大祭司がそのつとめを行なうとき,ある程度の満足をおぼえました。「それらは……改革の時まで課せられている肉の規定」でしたから,彼らはその時代における神のみこころを行なっていたのです。―ヘブル 9:1-10。
12 荒野の幕屋によってどんなことが成し遂げられましたか。
12 そこで使徒は,贖罪の日をも含めて,律法に関する事柄は,はるかに偉大なものを表わしていたことをつづけて説明します。彼はこう言います。「しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき,手で造られず,この世界に属さない,さらに大きく,完全な幕屋をとおり,かつ,やぎと子牛との血によらず,ご自身の血によって,一度だけ聖所にはいられ,それによって永遠のあがないを全うされたのである。(ヘブル 9:11,12)荒野の幕屋は,それによってイスラエルびとが,彼らの大祭司をとおして神に近づき,象徴的な罪のゆるしを得ることができるように,神がもうけられたものでした。象徴的な罪のゆるしは,彼らを神の恵みのうちに保ち,神が真の犠牲を備えられる時まで,その状態のうちにとどめておきます。この期間中彼らは肉体的な意味において清いものでした。彼らは肉体を清められて聖別された,とパウロは述べています。―ヘブル 9:13。
さらに大きい幕屋
13 (イ)「手で造られ(ない)……さらに大きく完全な幕屋」とは何ですか。(ロ)この幕屋に近づく崇拝者のために何が成し遂げられますか。
13 ところで,「手で造られ(ない)……さらに大きく完全な幕屋」とは何でしょうか。これは実際の建物ではなく,人類をあがなうためにもうけられた神のとりきめです。神はまたイエスという偉大な大祭司,自分のために犠牲をささげる必要のない完全な大祭司をも準備されました。彼の犠牲は,他の者の罪をおおうことができます。彼はエホバのはからいによって霊によみがえらされ,真の至聖所である天そのものにあらわれました。そこはイエスがその犠牲の価値をささげるべく,神が法的なとりきめを定めておかれたところでした。(ヘブル 9:24)このことについてパウロはつぎのように述べています。「永遠の聖霊によって,ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は,なおさら,わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き,生ける神に仕える者としないであろうか」。(ヘブル 9:14)したがって彼にくる者は,肉体の清さ以上のものを経験します。そういう人たちは,罪の意識に悩まされなくなって心に真の休みを得,キリストをとおして神に求めた,明らかな良心をもつことができます。―ペテロ第一 3:21。
実体的贖罪の日
14 (イ)いつ,そして何とともに実体的贖罪の日ははじまりましたか。(ロ)イエスはどのように「アザゼルのため」のやぎの役目を果たされましたか。(ハ)雄牛とやぎの血を至聖所にたずさえ入ることは予表となっていましたが,イエスはそれをどのように成就されましたか。
14 イスラエルの贖罪の日は,7月10日の昼間でした。実体的贖罪の日はどのくらいの期間を占めるのでしょうか。この日はイエスのバプテスマの時に始まりました。西暦29年の秋,イエスは,雄牛と2頭のやぎが,幕屋の中庭にある祭壇にささげられたのと同じく,犠牲の道を歩んで神のみこころを行なうべく,ご自身を神にささげられました。実体的贖罪の日は西暦33年までつづきました。その間イエスは,サタンのもたらす試練と残虐な迫害のもとで,死に至るまで完全に忠実を保ち,人々の罪をになって「荒野」に行き,その罪が永久に忘れられるようにして,「アザゼル」のやぎの役目を果たされました。(イザヤ 53:3-7)イエスの祈り,献身,忠実な行ないは,至聖所に携え入れられた香のように神のみこころにかない,神の立証者として地に来られたイエスの主要な目的は成就しました。実体的贖罪の日には,イエスの昇天も含まれます。これは大祭司が,雄牛の血を,ついでやぎの血を至聖所にたずさえてはいったことに相当します。イエスは犠牲をささげる務めを清く汚れなく成し終え,いまやメルキゼデクのさまに似た永遠の大祭司として,栄光と不滅に変わった「衣」をまとっておられます。(ヘブル 6:20)しかし実体的贖罪の日は,イエスがご自身の命の血の価値を至聖所にたずさえ入れられると共に終わりました。a
15 (イ)天でキリストの犠性の価値をささげることと,実体的贖罪の日の益を適用することとは問題が別であることを,パウロはどのように説明しましたか。(ロ)あがないから益を受けたい人はどのように「わざ」をやめ,身を悩まさねばなりませんか。
15 使徒パウロの示すところによると,贖罪の日の恩恵の適用はまた別の問題です。彼はつぎのようなことばをつづけています。「[アダムの罪のために]一度だけ死ぬことと,死んだ後さばきを受けることとが,人間に定まっているように,キリストもまた,[アダムから罪を受け継いだ]多くの人の罪を負うために,一度だけご自身をささげられた後,彼を待ち望んでいる人々に,罪を負うためではなしに二度目に現れて,救いを与えられるのである」。(ヘブル 9:27,28)すべての人間は,アダムの子孫であるゆえに,有罪の宣告を受けています。しかしアダムの罪とは無関係の「さばき」が,キリストをとおして行なわれます。それは,すべての人が,彼ら自身の過失でないのに彼らのうえにのぞんだ無力の状態から解放され,また各自が自分を立証する機会を得るためです。(ローマ 8:20)あがないの益を受けようと思う人はすべて,いやす力をもつあがないの益を受け得るように,あがないを自分に適用してもらわねばなりません天であがないがささげられたという知識だけで自分自身を救うことはできません。彼らは悔い改めて,キリストの犠性の備え,および大祭司としての彼の働きに信仰と従順を示して休まなければなりません。自分の行ないによって自分の義を立証しようと,彼ら自身の「わざ」を行なうことはできません。そういうわけで,大祭司にはまだ,贖罪の犠牲の益を適用する仕事が残されています。―ヘブル 4:3,10。
16 14万4000人がどこであがないを完全に適用されるか,またキリストのあがないの使用はそれで終わりでないことについて説明しなさい。
16 イスラエルの贖罪の日に二つの罪祭がささげられたように,キリストのあがないの適用にも二つの面があります。人間の命の価値を父なるエホバに支払って人類を買いもどしたキリストは,こんどはあがないの益を人類に適用しなければなりません。わたしたちはアロンが,祭司であるレビ族のために,雄牛の血を契約の箱の前にふりそそいだことをおぼえています。西暦33年から現在に至るまで,キリストは,天から,彼の犠牲の益を直接適用することによって,14万4000人の油そそがれた霊的兄弟を祝福されています。彼らは新しい契約に入れられており,キリストの千年の安息日の統治の間,キリストとともに王となり,祭司となります。(ルカ 22:20。黙示 20:6)しかしキリストの犠牲の恩恵を受けるのは彼らだけではありません雄牛の血のつぎにエホバのためのやぎの血も,人々のためにふりそそがれました。キリストの犠牲は全人類のためのものですから,信ずる者すべてに公平に適用されねばなりません。それはいつですか。
17 地上の人々にあがないが適用されるのはいつですか。また,大いなる贖罪の日の益の適用が完成するのはいつですか。
17 シェオールまたはヘーデースから復活する者をも含めて,信仰によってあがないの犠牲の益をとらえる者すべてにその益を与えるには,キリストの統治する千年間を要します。(黙示 20:13)千年の終わりまでに,アブラハムのすえは,地の全家族を,祝福していることでしょう。(創世 12:3; 22:18)その祝福を無にしない人々はすべて完全な者とされます。そのとき,大いなる贖罪の日の益を適用するわざは完了します。キリストのあがないの犠牲は完全に,公平に適用されて,エホバの大いなる贖罪の日むなしいものでなかったことが証明されるしょう。
完全な人間のすまい
18 人類の将来に楽園の地があることを保証するのは何ですか。
18 こうしてイエスのあがないは人類を買いもどし,彼らを完全なものにする働きをします。しかし彼らの住居であるこの地球はどうなるのですか。エデンの園における神の最初の目的を考えてみると,その園は聖所であり,神が霊によって住まわれる所であったことがうかがわれます。その場所は完全で美しく,全く清い状態で神に奉仕する人々にふさわしい環境を備えていました。エホバはふたたび人々と共に住み,人々はエホバの子としての関係にもどるでしょう。それで完全な人間は楽園の地に住むことになります。このことは,最初からそういう目的をもっていられた偉大な建築者エホバの定められた型に従って地球全体が楽園にされることを意味します。この象徴的な贖罪の日の意味とそれに伴う益とを理解することは,なんという精神の高揚と励みになることでしょう。―ローマ 8:20,21。
プリムの祝い
19 プリムの祝いを行なうにいたったどんな歴史的事実がありますか。
19 紀元前474年ごろ,もうひとつの祝いがユダヤ人の祭りに加えられました。モルデカイをして,このプリムと呼ばれる2日間の祝いを定めさせた歴史的事件は,重要な預言的意味を含んでおり,今日のクリスチャンにとって励ましになるので,この祝いについても一緒に調べてみることにしましょう。ユダヤ人はペルシャの支配下にあって,127州に散らばっていました。ペルシャ帝国全州の長は,アマレクびとでユダヤ人ぎらいのハマンという者でした。この男はペルシャの領土に住むユダヤ人を皆殺しにしようとひそかに決意していました。彼は信心深く迷信家でしたから,どの日にユダヤ人を殺すよう命令を出すべきか,「プル」すなわちくじを投げて自分の神々にうかがいをたてました。12月,すなわちアダルの月の13日にくじが当たりました。くじが投げられたのは1月でしたから,ハマンが大量殺りくの準備をする期間は約1年ありました。しかしそれによってユダヤ人も,神に向かって救いを祈り求め,その用意をする時を得ました。―エステル 9:20-22; 3:1-7。
20 ユダヤ人はどんなことについて偽りの非難をあびましたか。それはどんな結果に終わりましたか。
20 迷信的な方法で期日が選ばれるとハマンは,ユダヤ人が,すべての民と異なる習慣をもち,王の法律を守らず,扇動的で危険な民であるかのように言って,自分の願いを王に奉上します。殺りくに要する費用はすぐに用意できるので ― 王室には何の費用もかからない ― 銀1万タラント(約30億4430万4000円)を王の金庫に入れましょうとハマンは言いました。王はその願いを入れます。アダルの13日に,ペルシャ全土のユダヤ人を殺せという法律が発布されました。ハマンは光栄の頂点に達したかに思われました。しかし事態は急転しました。―エステル 3:9-15。
21 (イ)ユダヤ人はどのようにその攻撃を挫折させましたか。どんな結果が生じましたか。(ロ)この祭りはどの日に行なわれることになりましたか。なぜですか。
21 ユダヤ人であった王妃エステルの勇敢な行動により,逆の法律が出されたのです。それはユダヤ人に,「彼らが相集まって自分たちの生命を保護し,自分たちを襲おうとする……民を……滅ぼし,殺し,絶やし……この事を……十二月すなわちアダルの月十三日に……行なう」権利を与えました。忠実なモルデカイのすぐれた指導のもとに,ユダヤ人は防御の準備を進めました。そしていよいよ当日となると,ペルシャびとのみならず,歴史的記録によれば「大臣,総督,知事および王の事をつかさどる者は皆ユダヤ人を助け」ました。「モルデカイを恐れたから」です。ユダヤ人は「その敵に勝って平安を得,自分たちを憎む者七万五千人を殺し」ました。シュシャンの城では翌日まで戦いがつづき,ハマンの10人の子どもを含めて810人の敵が殺されました。諸州のユダヤ人とシュシャンのユダヤ人は,14日と15日にそれぞれ宴を張りました。結果としてモルデカイは,アダルの月の14日と15日を「酒宴と喜びの日とし」,「互に食べ物を贈り,貧しい者に施しをする日と」して年々祝うことをユダヤ人に命じました。それによってユダヤ人は彼らが救われたことを毎年思い出し,来る年も来る年も救いの神エホバに賛美と誉れをささげました。―エステル 8:9–9:22。
現代の成就
22 (イ)ユダヤ人はだれを予表しましたか。ハマンは?(ロ)どんな偽りの非難があびせられましたか。
22 モルデカイの時代のユダヤ人と同じく,地上にいる少数のキリストの霊的兄弟である霊的イスラエルの「残れる者」も,扇動的であるとか,治安を乱すおそれのある者と非難されてきました。現代のハマン級であるキリスト教国の宗教指導者たちは,至上者エホバの証人としての彼らをぼく滅する命令を出しました。アハシュエロスがペルシャ帝国に王権を行使したように,1914年以来全地に王権を行使していられるイエス・キリストは,あらゆる種類の偽りの非難を受けている残れる者の生活にそのような悪らつな攻撃がしかけられることを許して,彼らを厳しく試みられました。しかし,ペルシャの王が,ユダヤ人に自分の命を守るために戦うことを許したように,キリスト・イエスも,残れる者がエホバの証人としての自分の命を守るために敵と戦うことを許されました。
23 残れる者は彼らの命を守るためにどのように戦いましたか。
23 キリスト教国の牧師たちは,国家の助けを得て,エホバの証人としての残れる者を抑圧し,エホバの御国の伝道をやめさせることができたでしょうか。そういうことはできませんでした。アハシュエロスの時代のユダヤ人と同じく,主の民は,伝道者および証人としての自分たちの命と権利のために,破壊的な物質の武器ではなく,彼らの利用しうるあらゆる法的手段と,「御霊の剣,すなわち,神の言」とをもって熱心に戦いました。(エペソ 6:13-17)彼らは不動の信念をもって設立された御国の福音の伝道をつづけました。霊的な武器と,利用しうるあらゆる法的手段を用いて,彼らはエホバの証人としての霊的命と,エホバの御名を全世界にのべ伝える権利を守ったばかりでなく,敵の力と影響力をそぐことによって,多数の攻撃者を象徴的な意味で「殺し」ました。敵は彼らの伝道活動を抑圧することはできませんでした。
24 (イ)ユダヤ人の敵を殺したことは何を予表しましたか。(ロ)模型となったできごとの場合と同じく,だれが残れる者に加わって,彼らを援助しましたか。
24 残れる者の働きによって偽りの宗教の影響力がひどく弱められたので,正直な心を持つ人は多数その宗教を離れて残れる者の側につきました。それはちょうどモルデカイの時代と同じでした。「この国の民のうち多くの者がユダヤ人となった」。(エステル 8:17)彼らは王の好意がハマンからユダヤ人に移り,彼らを保護する規定までつくられたのを見ました。こうして1931年以来,そしてとりわけ1935年以来,多くの人々は神の恵みが霊的ユダヤ人の少数の残れる者のうえにある証拠を見て心を動かされました。その人たちは,残れる者が,エホバのクリスチャン証人としての彼らの命を守るために,全世界を相手に戦うのを見ました。そして,残れる者が真の崇拝と清い道徳的原則のために不動の精神をもって戦いつづけていることに目ざめて深い興味をもつようになりました。この世で高い地位にある人の中にさえ,モルデカイの時代の諸候や知事たちのように,公的,法的に彼らの戦いを助けた人々がいました。残れる者,および彼らに加わって御国の福音を伝道した「大ぜいの群衆」の目には,実体的な宗教指導者たちはすでに無力で,影響力を失っており,死んでいます。そして,王権をもつイエス・キリストが,ハルマゲドンで地上の敵を一掃されるまで,わずかな時しか残されていません。その時まで,この劇にあらわされているとおり,さらに多くの人々が,残れる者の側につくでしょう。このように,昔行なわれたプリムの祝いには,神がすべての敵に勝利を得られるという確かな希望を今日のクリスチャンに与える,実体的な意味があるのです。
宮清めの祭り
25 宮を再献納する必要が生じた理由を述べなさい。
25 宮清めの祭りを初めるに至ったことについては興味深い理由があります。紀元前198年に,パレスチナは,シリアの王アンチオカス3世の支配下にはいりました。彼のむすこアンチオカス4世エピハネスは宗教の狂信者でした。彼はユダヤ人をギリシャの宗教に改宗させようとしてたいへんな努力を払いました。エルサレムの宮を奪い取って,ギリシャ化に好意をもつある大祭司を職に任じ,エホバを無視して宮の奉献式をやりなおし,オリンパスのゼウスすなわちジュピターにその宮をささげました。彼は,以前毎日エホバに燔祭がささげられた宮の中庭にあるエホバの大祭壇の上に,新たに異教の祭壇を設けました。紀元前168年のチスリの25日に,ついにこの異教の祭壇の上で,ギリシャのオリンパス山のゼウスに対し,最初の犠牲がささげられました。律法の写しは焼かれ,それを所持することは死罪に価しました。割礼は重罪とされ,ユダヤ人はブタ肉を食べることさえ強制されました。
26 宮清めの祭りが加えられたのはなぜですか。それはどの日に祝われましたか。
26 このようにエホバの聖所を汚し,無慈悲な力によってユダヤ人をギリシャ化しようとしたことは,紀元前167年の,マカビーを指導者とする反乱を招く結果となりました。3年の間シリア人は,ユダヤ人と激戦をつづけましたが,その圧倒的兵力にもかかわらず,ついに敗れました。紀元前165年,ユダヤ人はエルサレムを奪い返しました。そしてチスリの25日,すなわちシリア人が宮を汚したときからちょうど3年後に宮は清められ,ふたたびエホバにささげられました。これは記念すべき日で,ユダヤ人は今日に至るまでそれを守っています。彼らは毎年チスリ(11月-12月)の25日に,宮清めの祝いを行ないました。この祝いは8日間つづきました。彼らは宮とか地元の会堂に集まりました。ユダヤの言い伝えによると,それは大きな喜びと楽しみの時でした。このようにして宮清めの祭りは,モーセの律法に述べられている祭りにつけ加えられました。
27 真の崇拝者は,祭りを行なうことについてどんな重要な教訓を得ますか。
27 エホバの宮から異教の偶像崇拝が払い清められたことは,たしかに,年々それを記念して喜びの祝いを行なう十分の理由となりました。エホバはメシヤの到来まで宮を保存されました。イエス・キリストご自身も,宮清めの日の間,宮におられました。(ヨハネ 10:22,23)しかしユダヤ人は,ずっとまえからこの祭りにふさわしく行動することをやめ,イエスが彼らに言われたように「祈りの家」を「強盗の巣」にして,彼ら自身が宮を汚していました。彼らは,自分たちのメシヤを退けるまでに,また,イエスをして「見よ,おまえたちの家は見捨てられてしまう」と言わせるまでに背教していました。ですから祭りは,それを祝う者たちが,祭りの意義にふさわしく行動するときにのみ,エホバへの賛美となり誉れとなることがわかります。(マタイ 21:13; 23:38)次の記事では,エホバの「定めの祭」に関連のある興味深い規定を取りあげて,エホバがそれらをどのように成就して,ご自分の御名に誉れをもたらされたかを検討してみましょう。
[脚注]
a 1942年9月1日号の「ものみの塔」(英文)267頁,43節の「新しい世のためのあがない」第3部,および「ハルマゲドンを生き残って神の新しい世にはいる」(英文)の40頁14節をごらん下さい。