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なぜ洗礼を受けるかものみの塔 1962 | 7月15日
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かくして,彼が円熟に成長しつづけるとき,付加的な特権が与えられます。たとえば,会衆内の奉仕の僕として特定な制度の義務を取り扱ったり,あるいは伝道のわざを指導するためエホバが用いる中央制度の全時間伝道者になることかも知れません。時たつ中に,彼は円熟に進み,エホバの御言葉が理解できるので,会衆内の監督になる資格を得るでしょう。―ガラテヤ 5:22,23。テモテ前 3:1-13。
あなたの仕えるものを選びなさい
20 私たちがエホバの奉仕に献身する決定を下すとき,なぜこの世と戦いますか。
20 末の日にこの世の大きな制度が建てられています。この世の制度は強暴です。それは利己的です。それはあなたをその奴隷にすることを目当てにつくられています。商業的にも,宗教的にも,また政治的にも,この世の制度のすべては,あなたを引きずりこんで,あなたの時間,あなたの力,あなたの能力,まったくあなたの献身を奪うように仕組まれています。また,それは魅惑的なものであるため,たいへんずるかしこいものです。あなたがこの世並の生活をしている人で,生活に追われ多くの心痛を甘受しながら,物質的な慰安物をいくらか楽しむにしても,あるいはあなたがこの世の知識をいくらか身につけて,立身出世をはかるために時間を野心的に費やすにしても,それは悪魔および全世界を惑わすために悪魔の使っている者たちにとっては,何の影響もありません。ずるい悪魔は,いろいろの手段を用いて,神の愛と真理の力に答え応じようとしない者たちをまどわしてしまいます。いま偉大な博愛主義者たちや,いろいろの人間努力の分野で指導的な立場についている偉人がいます。しかし,彼らはひとつの仕事,あるいは盲目的な愛国主義の気持ちから,ひとりの顕著な人に献身しています。しかし,エホバ神の僕はまったく違います! なぜですか。なぜなら,彼は自分の神に献身して,ひとつの仕事に献身していないからです。もちろん,彼の献身の中にはエホバを賛美する建設的なわざがたしかに含まれています。
21 私たちはどのように賢明に選んで生きることができますか。では,まだ献身しておらず水の洗礼で献身を象徴していない人々は,何をするべきですか。
21 したがって,全人類はおのおの,エホバとサタンのどちらに仕えるべきかを決定しなければなりません。この世の制度に仕えるか,あるいは御国に仕えるか。あなたの決定は,「我と我家とは共にヱホバに事へん」と語ったヨシュアの決定のようですか。また,「見よ! わたしは御旨を行うためにまいりました」と語ったイエスの決定のようですか。この決定の中には,私たちに洗礼を命ずるキリストの命令もふくまれています。私たちがエホバと彼の御子との特別な関係にはいるために,洗礼はぜひ必要な段階です。私たちは故意に洗礼を拒絶しながら,同時に神の恵みをいただくことができません。神の御言葉を勤勉に研究しなさい。それによって,献身の責任についてのあなたの理解は増し,あなたは献身と洗礼についての意味を十分に知るでしょう。まだあなたがそうしていないなら,ためらわずに,そして従順な気持ちでこの段階を踏みなさい。そして,エホバの恵みと彼の新しい世における生命をいただけるようにしなさい。―ヨシュア 24:15。ヘブル 10:9,新口。
22 私たちは,献身の責任を遂行するに際して,この末の日にどんな仕事に従順に参加しなければなりませんか。
22 すでにエホバとの契約にはいっている者は,いつもその誓を覚えて,その誓を忠実に保つようにしなさい。エホバに対する愛を強く保ち,また隣人に対する愛を忘れてはなりません。イエスは,出かけて行って弟子をつくり,エホバへの献身の象徴として洗礼を施せとの命令を出したとき,次のように述べました,「わたしは,天においても地においても,いっさいの権威を授けられた」。いっさいの権威が授けられて後のイエスの弟子になって,彼の命令に従うことを延期し,また洗礼を受けて,良いたよりの伝道に参加することを延期するのは賢明ではありません。―マタイ 28:18,新口。
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恐怖の時代ものみの塔 1962 | 7月15日
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恐怖の時代
「現在の世界は,異なった世界である。今日の人々は,収容所の記憶,原子戦争の可能性,古い帝国と古い生活および信仰の滅亡に恐れおののいている。各人は,この時代特有の希望と恐れを分け合っている。今は理性あるいは啓発の時代でなく,恐怖とおののきの時代である」。―1961年7月号の「ディ・アトランチック」
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