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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1953
塔53 7/1 233–236ページ

復帰不可能な罪

1 赦される罪があるという事を何が示して居ますか? どんな罪は大目に見ることが出来ませんか?

赦される罪があります。若しイエスの教えた方法で祈るならば,我々はそれらの罪に対して日毎に赦を乞うて居るのです。『私たちに債を負うて居る人たちを,私たちも赦しましたから,私たちの負うている債をも赦して下さい。』(マタイ 6:12,口語)我々は或罪をゆるすことが出来ます。即ち,我々は,我らに対する他人の咎をゆるし得るのです。我々にはそれらを拭い去つてその人を清くすることは出来ません。全くそれは出来ません。然し,その人がゆるしを求めるならば,我々は彼にそのゆるしを与えることが出来ます。ガラテヤ書 6章1節(口語)にこうあります ―『兄弟たちよ,もし人が何らかの罪過に陥つているならば,御霊をもつて居るあなた方は,柔和の霊によつて,彼を導きかえしなさい。』それ故我々には,それらの個人的罪人のもとへ行く責任があります。又彼らが我々のもとへ来る時,除名されない中でさえ,彼が正しい道を維持出来る様に援助する責任が我らにあるのです。我々は彼らをゆるすことが出来ます。若し彼らの心が正しく且それを表明するならば,我々は彼らに援助できます。然し,若し彼らがそれを表明せず,又その罪が大きく会衆に影響するならば,我々がそれを大目に見る必要は少しもないし,『そう,では今度はそれをゆるしましよう』というべきでもありません。我々はその人の為に,そして会衆の為に,それをゆるし得ません。

2 イエスは赦されない罪が何であると申しましたか? 誰がその罪を犯し得ますか?

2 赦すことの出来ないただ一つの罪は,聖霊に対する罪であります。キリストイエスはこれについて語りました。マタイ伝 12章31,32節(口語)に於いてイエスはこう申しました ―『だから私はあなた方に言う,すべての罪と瀆し言とは人々に対し赦されるであろうが,み霊を瀆すことは赦されないであろう。人の子に逆うことを言う者があつても,その人は赦されるであろう。しかし聖霊に逆うことを言う者があつたならば,その人はこの世でも〔現在の組織に於いても,新世〕未来でも決して赦されないであろう。』あなた方はそれはどんな罪なのだろう?と考えることでしよう? 神の活動勢力の明白な働きに反するものはすべて,神の御霊に反するものであります。何故なら,神の御霊は,神の活動勢力であり,霊者でなく,又仮想的『聖三位』の第三の神でもないからです。ここでイエスはパリサイ人に向つて語つたのですが,彼らパリサイ人の様な非クリスチャンが聖霊に対して罪をおかすことも可能なのです。何故なら,彼らにも聖霊の表現に逆うことが出来るからです。

3 我々が聖霊を悲しませることは如何にあり得ますか? その道を続ければ,どんな危険におちいりますか?

3 我々が自らエホバ神に献身し,エホバの御心を行おうと決心してからは,我々はエホバ神の活動勢力,つまり聖霊のもとに来たのであります。それは,我々が神に対して責任をもつたこと,その御霊に従つて行動する責任をもつた事を意味します。若し我々がその聖霊に逆つて行動するならば,我々はそれを深く悲しませることでしよう。我々の行動走路<コース>,或は言葉が,聖霊の本質に反し,我らのうちに宿る神の御霊を減少させることでしよう。エペソ書 4章30節(口語)に次の如く記されて居ます。『神の聖霊を悲しませないようにしなさい。聖霊によつてあなた方は贖の日のために証明の判を捺して頂いたのだ。』我々は,聖霊を瀆さなかつたにしても,それを深く悲しませたかも知れないのです。だが,我々が更に深く悪に踏みこみ,単に聖霊を悲しませるだけでなく,実際に聖霊に対する罪を犯すこともあり得るのです。若し我々が悪の走路<コース>に歩みつづけ,たえず聖霊を悲しませて居るならば,我々は終には,会衆から除名されるに至るでしよう。即ち我々は聖霊に対して罪をおかしました。そして聖霊はもはや我らのうちに無くなつたのです。それは神の予定の時の贖による救助のため,我らに,もはや証明の判を捺してくれません。

4 ヘブル書 10章25-38節によれば,神はどんな者を復帰させませんか?

4 その様な赦すべからざる罪の為に除名する事は,非常に重大な事柄であります。若し人がキリストの贖の犠牲を否定し,意識的に神の会衆に逆うならば,神はその人を断じて復帰させません。ヘブル書 10章25-38(口語)に次の如く警告されて居ます。『或人がやつて居るように,自分たちの集りを怠ることのないように,かの日が近づいて居ることを見つめれば見つめる程,ますます励まし合おう。私たちが真理の知識を得た後,故意に罪を犯すならば,もはや罪のために犠牲を献げる余地はない。待つているものは,恐ろしい裁きであり,逆う人々を食いつくすであろう烈しい火である。モーセの律法を犯した者は憐みを受けずに,二人或いは三人の証言に基づいて死に至る。まして,神の子をふみつけにしたり,自分を潔めてくれたあの契約の血を汚したり,恵みの御霊をないがしろにした者は,どんな重い刑罰に定められるかを思いなさい。』

5 聖霊に対する罪をおかす者は,どの様に罪しますか? 彼らの最後は何ですか?

5 甞て会衆内にあつた者で,赦すべからざる罪をおかした者は,聖霊に対して罪をおかして居るのです。その様な者は神に敵対して居るのであり,キリストイエスに背いて居るのです。彼らはもはや神に倣う者でなく,又もはや愛のうちに歩んで居らず,神の聖霊の明白な働きに反いて罪をおかして居るのです。彼らは当然破滅に値する者です。時に,我々は会衆内にあつて聖霊を悲しますことがあるでしよう。我々が単にそれを悲しませて居るだけなら,若し我々が悔い改めて行動走路<コース>を変えるならば,未だ神の制度に戻る機会をもつて居ます。然し,若し我々が限界に達し,聖霊即ち神の活動的勢力に対して意識的にしかも慾深く罪をおかすならば,そして聖霊の表現に逆うならば,神との交りはもうおしまいです。その時我々は肉の破滅を蒙る為に,サタンとサタンの制度に渡されるのです。神の会衆から追放されることは実に恐ろしいことであります。コラや彼の仲間達の様に滅せられることは実に恐ろしいことです。アカンの様に石で打ち殺されることは実に恐しいことです。又,今日神の会衆内に住む価値なしと審かれることは実に恐ろしい事です。パリサイ人は,神の聖霊がイエスを通じて明白に働いたのを見たにも拘らず,聖霊を罵り,それをベルゼブルの霊だと言いました。このパリサイ人に対し,イエスは後にこう言いました ―『蛇よ蝮の子孫が,どうしてあなた方は地獄〔ゲヘナ,新世〕の刑罰からのがれられようか。』― マタイ 23:33,口語; 12:22-28,31,33。

6 我々が追放されることは,誰の罪過の為ですか? 何故ですか?

6 然し,若し我々が神の会衆から追放されたならば,それは我々自身の咎の為であり,我々自身の罪過の為であり,我々が心を変えない為であり,神の定めた型に従つて生活して居ない為であります。それは,エペソ書 5章1,2節に語られて居る通りです。そこでパウロは,神の聖霊を悲しますことについて語つてから,次の様に申して居ます ―『そこで,神に愛される子らとして,神を真似る者となりなさい。そして,キリストが私たちを愛し,私たちの為に神への香り高い供物,即ち犠牲としてご自身を渡されたように愛のうちに生活しなさい。』― 口語。

7 この事に関し,なかでも会衆へつげることに関して,マタイ伝 18章15節-17節はどう言つて居ますか?

7 これに非常に適切なもう一つの聖句が,マタイ伝 18章15節-17節にあります。それにこう記されて居ます ―『もしあなたの兄弟が罪を犯したならば,行つて二人だけのところで彼を諫めなさい。彼があなたの言葉を聞いてくれたならば,あなたはあなたの兄弟をとり戻したのである。もし彼があなたの言葉を聞かなかつたならば,なお一人か二人を連れてゆきなさい。それは二人か三人の証人の口によつて事件を逐一確定するためである。もし彼が彼らの言うことをも聞かなかつたならば,教会〔会衆,新世〕に告げなさい。また,もし彼が教会〔会衆〕の言うことをも聞かなかつたならば,彼を異邦人か税金取立人のようにしなさい。』(口語)この聖句は,会衆を基本とした除名問題には何の関係もありません。会衆に告げなさいと言う時,それは会衆内の長老若しくは円熟した兄弟のもとへ行つて,あなたの個人的難事を討議しなさいという意味なのです。この聖句は,単に個人同士の絶交〔除名〕に関するものなのです。

8 その様な難事は如何に起るでしょう? それに対してどの程度の絶交〔除名〕処分がなされるでしょう?

8 或人は会の誰かと仲良く出来ないかも知れません。その人は自分の為に家を建てるかも知れません。そして他の兄弟はそれを見て,恐らく彼はその家を建てるのに何か不正なことをして益を得たのだろうと考えるかも知れません。彼は事業に関して契約を結び,二人の兄弟の間に喧嘩が起り,些細な事に関して争います。さて,イエスはここで申して居ます。即ち,若しあなたが他の兄弟と何かうまくいかない時,それを二人の間で解決するようにつとめなさいと申して居ます。若しそれが出来ないならば,難事を聴いてもらう為に他の者を一人か二人呼んで,援助してもらい,忠告してもらいなさい。それで,躓いた兄弟と折合がつかないならば,あなた方二人が互に遠ざかるだけです。つまりあなたが彼を税金取立人か,会衆外の非ユダヤ人の如くとりあつかうまでです。あなたはその人とただ事業上で為さねばならないことだけするのです。それは会衆には何の関係もありません。何故なら,その躓きの行為或は罪或は誤解は,彼を全会衆から除名する理由にならないからです。この様な事柄は,一般会衆に告げて決めてもらうべきではありません。我々は会衆を分裂させようとして次の様に言うべきでありません。即ち一人が『さて,みなさんすべてが私に同意して下さい』と言い,他の者も『みなさんすべて私に同意して下さい』と言うようではいけません。単なる個人同士の問題で,しかも福音宣教や会衆の清浄を保つことと何の関係もない問題でその様なことをしてはなりません。マタイ伝 18章15節-17節の此の聖句は,屢々その様な人を除名すること,つまり会衆から除外することに関聯して引用されましたが,これは単に個人的に遠ざかることに関聯して居るだけです。

9 以上の事を考えた時,我々は如何に努力しなければなりませんか? 何故ですか?

9 それ故我々は次の事を常に心にとめておきましよう。 即ち主なる神の制度は,その全会衆によつて常にキズなく,常に清く保たれなければならないことです。会衆をこの様に清く保つことは会の僕達に任されて居るという事を憶えて下さい。そして若し会のうちに清くない者,神の御国と兄弟達の為に働かない者が居るならば,その者を除去すべきであります。彼らは除去された者の為になることをして居るのです。何故なら,その者は,それによつて恥を知り,正しい線に戻るかも知れないからです。彼らが彼を会衆から除外しても,それは神のみ前に正しい事なのです。何故なら,彼は不浄な者だからです。この方法によつて,神の見ゆる制度は常に清浄を保ち,ハルマゲドンの戦を切り抜けて新しい世に至るのです。その新しい世界に住みたいと願う人はすべて,エホバ神の原則に従つて生きなければなりません。即ち御言中に示されて居る神の原則に従わなければならないのです。何故なら,我々は神に倣う者とならねばならないからです。

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