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読者からの質問ものみの塔 1970 | 9月1日
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モーセは,エホバがご自分とイスラエル国民との間の仲介者として選んだ者でした。神はその国民に対する指示と律法契約の法典をモーセに与えられました。エホバは『ご自分の家をことごとく』モーセに託し,国民を組織するに当たり,モーセをその親しい代理として用いられました。その後の預言者は,モーセを通して置かれた基礎の上に築くことを続けたにすぎません。それ以前に,神は天使を通して,ノアやアブラハムといった忠実な人々に語り,また,ある時には国民全体に聞こえるような仕方で十戒を伝達されたこともありました。しかし,それにもかかわらず,エホバはモーセと「口をもて相語」り,また『人がその友に言談ごとくに面をあはせて』話をされたのです。(出エジプト 33:9-11)一度や二度に限らず,再三再四エホバはモーセに語られました。一方,モーセも神に話しかけ,問題を述べてエホバの導きを求め,自分の感情を表現し,エホバはご自分の天使によって答えられました。モーセが仲介者,あるいは媒介者の資格において享受したような,神との相互の親しい不断の交信を経験した預言者はほかにいませんでした。―申命 34:10。
エホバはホレブ山で,ご自分の天使を介しモーセにこう語られました。「汝はわが面を見ることあたはず 我を見て生る人あらざればなり」。(出エジプト 33:20)したがって,「モーセはエホバが面を対せて知たまへる者なりき」と述べている申命記 34章10節は,モーセがエホバの御顔やエホバご自身を見たことを意味するのではけっしてありません。また口は顔の一部ですから,エホバは「我口をもて相語り(たり)」と言っておられても,それはモーセが神の顔を見たとか,神とじかに接したとかという意味ではありません。天使を介して神に個人的に聞いていただいたにすぎないのです。天使に関して,イエスはマタイ伝 18章10節でこう述べています。彼らは,「天にいます我が父の御顔を常[必要な時]に見るなり」。
エホバは,深い感銘を与える仕方でモーセに接しられました。そのために神がご自分の預言者と交信される普通の仕方,つまり心中の幻や夢の中で語るのを預言者が聞くのではなく,モーセは自分の目で実際にエホバを見たかのようでした。モーセがエホバを実際に見たのではけっしてありません。また,神がモーセに語られたのは天使を通してではありましたが,エホバは真に迫った仕方でモーセに対処されたので,モーセは「見えざる者を」見ているかのように応じたのです。(ヘブル 11:27)さらに,そうした記述に見られる描写方法からも,モーセがエホバ神ご自身を見,そしてその声を聞いたかのように感じられ,また読み取れます。
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聖書教育のための公開集会ものみの塔 1970 | 9月1日
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聖書教育のための公開集会
● エホバの証人が主催する,聖書教育のための公開集会は,建てられた,神の御国の良いたよりを伝道する上で,大切な役割を果たしています。これまでに何千人もの人々が,こうした公開集会により,地球と人類に対する,神のお目的を理解できるようになりました。次に公開集会の価値を示す経験を掲げます。
「関心を持つ,ある婦人と第1回の家庭聖書研究を終えた後,わたしは,御国会館で行なわれる,聖書に関する,新しい一連の公開講演について話し,数週間にわたる講演の題をしるした招待ビラを差し上げました。二,三週間後,その婦人は,世間で言われているように,エホバの証人は他の宗派に対して批判的かどうかを尋ねました。それに対する答えの中で,わたしは,御国会館に来て,その週に予定されている講演会を聞くよう勧めたところ,婦人はさっそく出席しました。
「婦人は講演を聞いて,深い感銘を受け,自分の属している教会との関係を一切断つつもりでいる,と語りました。わたしは,彼女に次の講演に出席するよう招待し,講演はいずれも興味深く,また,時宜にかなった主題の話であることを説明しました。婦人は,もはや他の教会へ行くつもりはないので,それらの講演に出席しますと述べ,そのとおりに実行しました。
「婦人は数回,日曜日にひとりで来ましたが,その後,ご主人も婦人といっしょに出席しはじめました。そのご主人は,以前,招待されたのですが,エホバの証人との聖書研究はしないことにしていました。彼は講演に2度出席した後,聖書研究をしたいから,わたしの夫に来てもらいたいと婦人を通して申し出ました。今,このふたりは日曜日の集会を決して欠かさず,また,家庭聖書研究の面でも,よく進歩しています」。
あなたは,聖書に関する,こうした教育的な講演に出席したことがありますか。それらの講演は無料で,また寄付が集められることもありません。また,毎週,違った主題の講演が行なわれており,わずか55分間で驚くほど多くを学び,深い喜びを味わえるでしょう。
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