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信仰によって生き残るものみの塔 1963 | 11月1日
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もって彼を満ち足らせ,わが救を彼に示すであろう」― 詩 91:1,2,5-11,14-16,新口。
21 (イ)ハルマゲドンに生き残る人は何に喜びますか。(ロ)世に勝つ勝利は何ですか。それはどんな報いをもたらしますか。
21 よろこんで創造主エホバ神に何時までも奉仕する永遠の生命にまで「長寿」が全うされるとき,神の新しい世の祝福をうける人々は古い世の終りの時に信仰の人となったことを感謝するでしょう。またエホバ神を信じ,報いを与えるその力を信じたことを喜びとします。また信仰が生きた力強いものとなり,信仰の力によって,滅びに直面した核時代のサタンの世から加えられた攻撃にも立ちむかい得たことを喜ぶでしょう。この信仰の報いは最も大きく,永遠のものです。人間がエホバの栄光のみわざをますます探り,父なる神の恵みを更に味わうとき,その喜びにつきるところはありません。古い世のつかの間の「終りの時」に,真の宗教の信仰を固く持つ人は,来るべき新しい世に平和と喜び,永遠の生命を得て存分に報われることでしょう。「わたしたちの信仰こそ,世に勝たしめた勝利の力である」― ヨハネ第一 5:4,新口。
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こらしめに対する正しい見方ものみの塔 1963 | 11月1日
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こらしめに対する正しい見方
「すべてのこらしめ,今は喜ばしと見えず,かへつて悲しと見ゆ,されど後これに由りて練習する者に,義の平安なる果を結ばしむ」。―ヘブル 12:11。
全宇宙の最高至上者なるエホバからこらしめを受ける者は,熱心に努力し,エホバの御要求にかないつつ,矯正のためにとられた処置に従うことを望むでしょう。神から与えられるこうしたこらしめを決して軽視すべきではありません。クリスチャン使徒パウロは述べました,「わが子よエホバのこらしめを軽んじてはならない。またこらしめられるときうみ疲れてはならない。エホバはその愛する者をこらしめ,子として受け入れるすべての者をむち打たれるからである」。(ヘブル 12:5-7,新世)御自分の僕に対する深い愛のゆえに,また「一人の亡ぶるをも望み給は」ぬゆえに,神は正しいこらしめを与えられるのです。―ペテロ後 3:9。
こらしめの中には,普通以上にきびしいかたちをとるものがあります。それに応じてその帰する結果もきびしいものです。その事は「ものみの塔」の1963年10月1日,15日号にのせられた「排斥の意味するもの」,および,「エホバへの崇拝を清く保つための家族の責任」の二つの記事の中で取り上げられました。
正しい態度でこらしめを受け入れるなら,それから得る益と祝福は大きなものとなります。箴言 6章23節は次の通りです,「おしへのこらしめは生命の道なり」。そうです,永遠の生命はエホバからのこらしめを受け入れるかどうかにかかっています。
こらしめに対するこのような正しい態度は,エホバの地上の組織から除名または排斥された場合に特に必要です。クリスチャン会衆から切り絶たねばならぬほどの罪を神と人とに対して犯した者は,すでに神の恵みを失っています。その者がなお神のもたらす正義の新しい世で生命を得ることを望むなら,どうしても神の恵みをとりもどさねばなりません。では一体どうしてひとたび排斥された者がエホバの組織内に復し,
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