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私たちはエホバの制度を必要とするものみの塔 1963 | 3月15日
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が訂正の必要を示す場合に進んでそれを訂正する態度とを見るとき,人は当然制度に対する信頼をいっそう深めるべきです。それは,制度が間違いと知りつつ「羊」にその間違ったことを教えることなど決してないことを保証するものです。
神の霊は今日,献身したしもべたちの上に働いています。それは彼らに霊感を与えるためではなく,彼らが徐々に理解を増すように導くためです。神の御言葉の理解を増す過程において,神の霊は,彼らが間違いをするのを許しますが,そのうちに彼らがその間違いに気づくように助け,彼らも喜んでその間違いを正します。こういうふうにして献身したしもべたちは,「いよいよ輝きを増して真昼となる」聖書の理解の光と共に,正しき者の道を前進してきました。(箴言 4:18,新口)この聖書の知識の増進は,雲でおおいかくされた空にたとえることができます。くもの切目が大きくなるにつれて,ますます多くの光が来ます。時に一つの真理が見えても,ちょうど流れ雲が一時的に太陽の光をさえぎるように,それは誤解によっておおいかくさます。そしてやがて,誤解が取り去られてこの真理は以前よりもっと明確になります。この制度が,聖書の真理の道を前進していることから見て,神の霊がその上にあることは明らかです。
エホバの制度に対する不平の種を,有害な根をおろすまでに育てる人は,自分自身を非常な危険にさらすことになります。(ヘブル 12:15)もし群れを離れるなら,それからどこに行きますか。悪魔の世界とその宗教組織が,命の言葉をもっていないことをその人は知っています。また,制度を離れて,現在制度に反対している人々に加わることの愚も彼は知っています。その人がもし群れを離れるなら,その人は自らを,ヨハネが述べたような人にしてしまうのです。「彼らはわたしたちから出て行った。しかし,彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。もし属する者であったなら,わたしたちと一緒にとどまっていたであろう」。―ヨハネ第一 2:19,新口。
エホバの制度に忠実を保つ人々は,多くのイエスの弟子たちがイエスに従うのをやめた時に,使徒たちが示した態度と同じ態度をとります。ペテロは彼らの考えをこのように語りました。「主よ,わたしたちは,だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです」。(ヨハネ 6:68,新口)命への道は,エホバの忠実な制度と共にいることであることを,誠実な「羊」たちは悟ります。
いつも一つの群れになって,一つのおりの中で避難所と保護を与えられている群居性の羊のように,エホバの崇拝者たちは今日,エホバの証者の制度の中に,避難所と保護と,豊かな霊的栄養物とを見出しています。その制度の指導の下に彼らは,神のみこころにかなった事を行ない,神の霊は彼らに繁栄を与えています。そういう人々に対して使徒パウロは言いました。「わたしたちは,善を行うことに,うみ疲れてはならない。たゆまないでいると,時が来れば刈り取るようになる」。―ガラテヤ 6:9,新口。
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潔白が確証されるものみの塔 1963 | 3月15日
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潔白が確証される
ブラジルで,井戸を掘る仕事のために二人の男が雇われ,そのうちの一人はエホバの証者でした。仕事はすゝみ,井戸はかなり深くなりました。ところがふとした事が原因で事故が起きました。一緒に働いていた男が足をすべらせ,井戸穴に落ちて死んだのです。警察は取り調べを理由に同僚として働いていたこの証者を留置し,殺人のけん疑をかけました。このような状況の下に殺人がよく行なわれるからです。彼の潔白を弁護する証人が一人もおらず,事態はかなり不利に見えました。警察は彼の身元証明書を求めましたが,そんなものを手元に持ってはいませんでした。何か彼の身分を証明するものとして身につけていたものはたゞ一つ,会衆の僕が署名してエホバの証者の一人である事を認めた奉仕者証明カードでした。彼はそれをポケットから出して見せました。警察では彼がエホバの証者である事を確かめると,すっかり態度を変えました。「エホバの証者なら人殺しなどするわけがない。君は潔白だ」と警官は言い,証者は直ちに釈放されました。
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