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あなたは自分の相続財産の価値を認識していますかものみの塔 1984 | 11月15日
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あなたは自分の相続財産の価値を認識していますか
「平和を追い求めなさい。……注意深く見守って,……淫行の者,またエサウのように神聖な物事の価値を認識しない者が出ることのないようにしなさい。彼は一度の食事と引き換えに長子としての自分の権利を手放しました」― ヘブライ 12:14-16。
1,2 (イ)相続財産とはどのようなものですか。(ロ)より勝った相続財産に関し,どんな質問が生じますか。
人々はそれのために殺人を犯しました。それを一度も手にすることなく死んだ人々もいます。それを手に入れた後,無駄に使ってしまった人も少なくありません。それとは何ですか。相続財産のことです。相続の対象となる財産がある時には大抵そのようなことが起きるものです。
2 聖書はinheritance(日本語では,相続財産,相続地,相続物などと訳される)について229回言及しており,そのほとんどが土地や財産の遺産に関係したものです。しかし,神の言葉は,遺言状の中に残されるようなどんな相続財産よりもはるかに勝った相続財産についても述べています。そして,それを軽視しなければ,そのような最高の価値をもつ相続財産はあなたのものになるのです。この相続財産とは何ですか。だれがそれをお与えになるのですか。ある人々がそれを失うのはなぜですか。どうすればその価値を認識していることを示せますか。
その相続財産とは何か
3 クリスチャンの相続財産とは何ですか。そのような恩恵を施すのはどなたですか。
3 アンティオキアのユダヤ人が,使徒パウロの伝えた,救いの音信を退けた時,パウロはユダヤ人ではない「諸国の人たち」のほうへ向かいました。「諸国の人たちは……歓び,エホバの言葉に栄光を帰するようになった。そして,永遠の命のために正しく整えられた者はみな信者となった」。(使徒 13:45-48)そうです,その相続財産とは永遠の命です。少数の人にとって,それは『朽ちず,汚れなく,あせることのない,天の相続財産』を意味します。そのような恩恵を施すのはどなたでしょうか。「わたしたちの主イエス・キリストの神また父」である,とペテロは述べました。―ペテロ第一 1:3,4。
4 人類の大多数には,どんな相続財産を得る見込みがありますか。
4 しかし,天的な希望を抱いていない,人類の圧倒的大多数についてはどうでしょうか。「新しい地」,つまりイエス・キリストの犠牲によって請け戻された人々から成る新しい社会の一部として得る完全な命が,その相続財産となり得ます。その相続財産は,一変した,公害の全くない地球上での永遠の命の可能性を差し伸べています。(啓示 11:18; 21:3,4。ヨハネ 17:3)あなたは相続財産としてのこの見込みを待ち望んでいますか。すでにそうしておられるなら,あなたはその価値を本当に認識していますか。
長子の権を軽視することと,長子の権の価値を認識すること
5,6 (イ)エサウ,およびヤコブとはどんな人でしたか。(ロ)彼らの相続財産については,どんな特殊な面がありましたか,主にだれが益を得ることになっていましたか。
5 相続財産の価値を認識するというこの問題をよりよく理解するため,二人の兄弟の例を簡単に振り返ってみましょう。一方は霊的な価値に対する深い認識を抱いていましたが,もう一方はそうしたものに対する認識を失い,その結果,非常に価値ある相続財産を失ってしまいました。この二人とは,ヘブライ人の族長イサクの双子の息子であったヤコブとエサウです。
6 この兄弟の祖父であったアブラハムは,二人が15歳の時に死にました。アブラハムがイサクに残した物質上の相続財産の中には,家畜の大群と,家族の埋葬用の洞くつのあった畑が含まれていました。(創世記 25:5-10)しかし,その相続財産に関するより重要な面は,所有物や何らかの有形のものではありませんでした。それは,エホバがアブラハムに与え,後にはイサクに対して繰り返された約束でした。つまり,「あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう」という約束です。(創世記 22:18; 25:24-26; 26:2-5)この約束は,メシア,つまり実際には創世記 3章15節の約束の「胤」が将来のある時にアブラハムの家系の子孫から出ることを明らかにしました。エサウは双子のうちの長子だったため,父イサクの死と同時に,財産の中から2倍の受け分を得るだけではなく,この約束に対する法的な権利を持つことになっていました。ここで問題になるのは,エサウは自分の相続財産の価値を認識していたか,ということです。
7 エサウとヤコブは,認識と人格の点でどのように異なっていましたか。(創世記 26:34,35; 28:6-9)
7 双子が長ずるにつれ,二人の人格の相違が明らかになりました。ヤコブが「定住生活を送った」「とがめのない人」であったのに対し,エサウは落ち着きのない狩人で,「広々とした田舎の人」でした。(創世記 25:27,エルサレム聖書; 新世界訳; 新英訳聖書)ある日のこと,ヤコブがひら豆の煮物を準備していると,疲れ果てておなかをすかせたエサウが野から帰ってきました。「それでエサウはヤコブに言った,『どうか早く,その赤いの,そこにある赤いものを少しわたしに食わせてくれ。わたしは疲れているのだ』」― 創世記 25:30。
8 ヤコブは自分の兄に対しどんな驚くべき提案をしましたか。エサウはどのような反応を示しましたか。
8 この時にヤコブは,「あなたの長子としての権利をまずわたしに売ってください!」と述べて,注目に値する提案を双子の兄に行ないました。(創世記 25:31)ヤコブは,一杯の煮物と引き換えにエサウの相続財産を願い求めたのです。ヤコブには,このような交換の話し合いを成功させる大きな目算があったと思いますか。ヤコブは成功する目算は大きいと考えていたようです。なぜでしょうか。兄の性向と価値観をよく知っていたからです。ヤコブの考えは間違っていましたか。エサウは明らかに自分の体の状態を過大視して,「わたしは死に瀕している。わたしの長子の権などわたしにとって何の役に立つだろうか」と答えました。―創世記 25:32,新英訳聖書。
9 エサウは相続財産に関し,どのように自分の弟とは対照的な立場を取っていますか。
9 この取り引きは誓いによって固められ,次いでヤコブはパンとひら豆の煮物を兄に出しました。エサウは食べ,「すぐに」その場を去りました。そのため,霊感による記録は適切にも,「こうしてエサウは,いかに長子の権を尊ばなかったかを示した」と述べています。(創世記 25:33,34,新英訳聖書)それとは対照的に,ヤコブは長子の権の価値を何と深く認識していたのでしょう! 埋葬地や幾らかの動物などの財産を追い求めていたのではなく,約束されたメシアである胤が自分の家系から出ることを望んだのです。ヤコブは霊的な相続財産を欲していました。―マタイ 6:31-33と比較してください。
あなたなら,自分の相続財産を交換しますか
10 (イ)パウロはエサウに関し,どんな興味深い注解をしていますか。(ロ)淫行と,エサウが自分の長子の権を交換したこととの間にはどんな関係がありますか。
10 19世紀ほど後に使徒パウロは,初期クリスチャンに警告を与えるためエサウの例を用い,こう述べました。「すべての人に対して平和を追い求めなさい。……注意深く見守って,だれも神の過分のご親切を取り上げられることのないようにしなさい。……淫行の者,またエサウのように神聖な物事の価値を認識しない者が出ることのないようにしなさい。彼は一度の食事と引き換えに長子としての自分の権利を手放しました」。パウロはここで,なぜ淫行の者とエサウの行動とを関係づけているのでしょうか。なぜなら,エサウのような物の見方をしていれば,神聖な物事の価値を認識できなくなり,やがては淫行のような一層重大な罪に至ることがあるからです。―ヘブライ 12:14-16。
11 現代において,あるクリスチャンにどんな事が生じましたか。
11 あなたは,クリスチャンとしての相続財産である永遠の命を,『一杯のひら豆の煮物』のような移ろいやすいものと交換したいという誘惑に時々かられますか。意識的にではないかもしれませんが,「神聖な物事」を軽んじますか。例えば,近年あるクリスチャンたちは,道徳的に何でも許容する現代の傾向のえじきになってしまいました。彼らは,身体的な渇望を満たしたいという,エサウが持っていたような性急な欲望を抱いていたようです。エサウはヤコブに,「どうか早く,その赤いの……を少しわたしに食わせてくれ」と言いましたが,彼らも結局,『早く! 誉れある結婚をなぜ待つ必要があるのか』と言ったのではないでしょうか。―創世記 25:30。創世記 34:1-4と比較してください。
12 (イ)ある人々は,神聖な物事に対し,どのように認識を示してきませんでしたか。(ロ)しかし,その中にはどんな行動を取った人もいますか。
12 そのためにどんな事が生じましたか。どんな犠牲を払っても性的な満足を得たいという欲望が,彼らにとっては『一杯のひら豆の煮物』になりました。結果として彼らは,エホバ神およびイエス・キリストとの関係を含め,神聖な物事を軽んじ,忠誠と忠信と貞潔さを軽視しました。自分たちの相続財産を得る見込みを危うくしたのです。しかし,そのような人の中には,後に心を動かされて真の悔い改めに至り,再び神のみ前における立場を得たと思われる人々がいます。―詩編 51編と比較してください。
落ちてしまう人がいるのはなぜか
13 どんな要素は,わたしたちの霊的な価値観を損なうことがありますか。
13 これらの不道徳な傾向を生み出すものは何でしょうか。これらの人々が,自分たちの霊的な価値観が損なわれることを許していたという可能性があるでしょうか。多くの要素が,知らない間にわたしたちの考え方に影響を及ぼします。わたしたちと同じ原則に従っているわけではない友人や親族,それに会衆内の霊的に弱い人々,締まりのない職場の雰囲気,いかがわしい娯楽や読み物,未信者の愛や愛情を得ようという誤った願いなどがそれらの要素です。これらはすべて,不道徳行為へと発展しかねません。これらのうちのいずれかが,今現在あなたの価値観に影響を及ぼしていますか。―コリント第二 6:14。テサロニケ第二 3:6。
14 現代のある種の娯楽にはどんな危険が潜んでいますか。
14 例えばあなたは,気がついてみると,不道徳行為を容認し,推奨さえしているテレビ番組や映画を見ているということがありますか。それらの映画が,堕落した肉を魅了し得ることを認めなければなりません。そのような映画は不注意な人々をのみ込むうず巻きのようです。そのような映画やテレビ番組はあなたの考え方にこうかつな影響を与えることがあるのです。このことは,芸能界で同性愛者たちが用いている強力な影響力の中にはっきりと見られます。同性愛者たちは同性愛を正当化するための映画や演劇を促進してきました。その結果,以前は性倒錯と見られていたものが,今では「もう一つの生活様式」と婉曲に表現されるようになりました。使徒パウロが述べた次の状況がすでに現実のものとなっているのです。「彼らはいっさいの道徳感覚を通り越し,貪欲にもあらゆる汚れを行なおうとして,身をみだらな行ないにゆだねたのです」― エフェソス 4:19。コリント第一 6:9-11。
15 どのようにすれば,不道徳の落とし穴を避けることができますか。
15 何が解決策になりますか。「放とうの……下劣なよどみ」に近づかないことです。聖書は,「悪ではなく,善を探し求めよ……悪を憎み,善を愛(せ)」と諭しています。まさにこれは,つまり悪を強く憎むことは真の試みです。―ペテロ第一 4:4。アモス 5:14,15。
16 パウロはクリスチャンのためにどんな規準を設けましたか。
16 キリストの思いを持っているなら,今日の大半の娯楽に見られる,いわれのない暴力,病的な残酷さ,露骨な不道徳行為に関しては良心のとがめを持つべきではないでしょうか。実際,わたしたちはどんな規準を持つべきでしょうか。パウロは次のように答えています。「何であれ真実なこと,何であれまじめなこと,何であれ義にかなっていること,何であれ貞潔なこと,何であれ愛すべきこと,何であれよく言われること,また何であれ徳とされることや称賛すべきことがあれば,そうしたことを考え続けなさい」― フィリピ 4:8。
17 (イ)ポルノとは何ですか。(ロ)ある人々はどのように自分の思いを汚してきましたか。(ハ)賢明な道とはどんなものですか。
17 確かに,この使徒の命令に従うほうが優れており,安全です。不幸にもある人々は,ポルノ的なテレビ,映画,本a について『考え続けました』。その結果,自分たちの思いと心を,不道徳と性倒錯で汚してしまいました。使徒の次の諭しを適用するほうがどれほど優れていたか分かりません。「兄弟たち,[霊的な事柄における]理解力の点で幼子となってはなりません。しかし,悪に関してはみどりごでありなさい」― コリント第一 14:20。
わたしたちの認識をどのように深めることができるか
18 保護となり,神聖な物事を認識する助けとなり得るものは何ですか。
18 両親との親しい関係があれば,両親の愛や根本的な方針がよく分かるようになり,家族を失望させるようなことは起こりにくくなります。エホバとわたしたちとの関係についても同じことが言えます。しかし,どうしたらその関係を強化できるでしょうか。神を親しく知ることによってです。神の言葉の深い個人研究をすれば,どんな誘惑にも抵抗できるほどに神をよく知り,また愛するよう助けられます。詩編 23編でダビデが述べているように,わたしたちの牧者であられるエホバが共におられることを常に感じるようになります。牧者がそれほど近くにおられるのに重大な過ちを犯すのは,何と愚かなことでしょう!―ヘブライ 4:13。
19,20 (イ)個人研究に関してどんな二つの問題がありますか。(ロ)現在,個人研究のための時間が以前より減っているように見えるのはなぜですか。
19 とはいえ,二つの根本的な問題があります。第一に,多くの人にとって個人研究は重荷だということです。教育制度の欠陥のために,読むことに大きな困難を覚える人は少なくありません。そのような人たちにとって研究は努力のいることです。しかし,生活の中で,永続的な価値をもつものはどれも努力を必要とします。宇宙の主権者なる主,過分のご親切の父また神であられるエホバを知るのは,努力するだけの価値のあることではないでしょうか。―マタイ 6:9。ヤコブ 4:8。
20 二番目の問題は,個人研究のための時間が不足しているように思えることです。しかし,30ないし40年前には,会話を交わし,読書し,手紙を書き,家族で散歩し,黙想するための時間はあったように思えます。なぜ事情が変わってしまったのでしょうか。インフレの一形態がわたしたちの時間に影響を及ぼしてきました。現実にそった言い方をすれば,1日がもはや24時間の長さを持たないことがしばしばあります。なぜでしょうか。なぜなら“泥棒”が多くの家庭に入り込んで,貴重な時間を多く奪っているからです。その“泥棒”とは何だかお分かりですか。そうです,それは人をまひさせる影響力を持つテレビです。ある調査は,「平均的なアメリカの家族は,1日に7時間22分テレビを見ている」と指摘しています。それは1日の3分の1近い時間です。あなたは平均して毎日どれほどの時間をテレビを見ることに費やしていますか。人々がテレビの前で無為に過ごす時,毎日世界中で幾十億という貴重な時間が奪われているのです。内容が清く,楽しくて教育的な番組も確かにありますが,それらの番組も時間を奪います。テレビの魅力は人を強く引きつけるのです。
21 (イ)一部の人はどんな問題を抱えるかもしれませんか。(ロ)あなたは,何が解決策になると思いますか。
21 クリスチャンはどのようにこの“泥棒”の被害に遭わないようにできますか。時間を厳重に管理することによってしかできません。テレビを見る時間を制限するのです。優先順位を決めておきます。人々や人々との関係のほうがテレビより大切です。例えば,自分の好きなテレビ番組を見ている時に人が突然訪問してきたら,あなたは憤りますか。また,退屈な番組や悪い番組の時でさえ,テレビを消すのが難しく思えますか。そのような人は問題を抱えています。―コリント第一 9:24-27。
22 他の事を追い求めるため,どのようにすればテレビを見るのに使っていた時間を買い戻せますか。
22 個人研究や人々との関係のためにその貴重な時間を買い戻すには,どのように実際的な措置を講ずることができますか。クリスチャンが見るのにふさわしい番組に注目し,行なうべき,より重要な事柄がほかにない時にそれらの番組だけを見ることです。ある人はさらに強硬な方法をとり,家の中からテレビを全く除いてしまいました。これは個人的な事柄ですが,その人たちはテレビがないからといって決して霊的に弱くなってはいません。―エフェソス 5:15,16。
23,24 わたしたちの相続財産に対する真の認識を示すため何ができますか。(ヘブライ 11:26)
23 では,わたしたちの貴重な相続財産を保ち,それを『一杯のひら豆の煮物』のために売ってしまわないようにするために,何ができますか。クリスチャンの生活の中でより重要な事柄をしっかりと見極めてください。優先順位を定め,それに従うのです。使徒パウロが『上への召しという賞のため目標に向かって走った』ように,そのとこしえの命という賜物を得るために良心的に最後まで努力を続けてください。ヤコブのように,相続財産に対する深い認識を示しましょう。モーセのように,『報いを一心に見つめて』ください。―フィリピ 1:9,10; 3:13,14。ヘブライ 11:24-26。
24 どのようにすれば,このすべてを行なうための動機づけを得られますか。聖書の勤勉な研究によってできます。学んだ事柄を毎日の生活の中に適用するのです。定期的にクリスチャンの集会に出席し,出席している間はしっかりと注意を払います。正しいことを愛し,悪いことを憎みます。執拗にわき上がってくる何らかの肉的な欲求を満たそうとして,自分の相続財産を軽んじてはなりません。あなたの相続財産である永遠の命は,『一杯のひら豆の煮物』がどんな現代的な形を取っていようと,そのいずれよりもはるかに価値があるものなのです。―ヘブライ 10:24,25; 12:12-16。
[脚注]
a ポルノとは,「みだらな感情を刺激することを意図した,文字,絵,および他の形による意思伝達の手段[売春婦について書く,を意味するギリシャ語のポルノグラフォスから来ている……]」と定義されています。―アメリカン・ヘリテージ英語辞典。
覚えていますか
□ クリスチャンの相続財産とは何ですか
□ エサウは自分の長子の権をどのように軽視しましたか
□ 今日のクリスチャンには,相続財産に関するどんな危険が存在しますか
□ わたしたちはどんな異なった方法により,認識を深めることができますか
[9ページの図版]
あなたは,『一杯のひら豆の煮物』と自分の相続財産を交換しますか
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清められて,りっぱな業に熱心ものみの塔 1984 | 11月15日
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清められて,りっぱな業に熱心
『イエス・キリストはご自身を与えてくださいましたが,それは,ご自分が特別に所有する民,りっぱな業に熱心な民を,ご自身のために清めるためでした』― テトス 2:13,14。
1 エホバの証人が,清く,熱心でなければならないのはなぜですか。
エホバは聖なる方,善良で廉直な方であられます。エホバもみ子もすばらしい業を熱心に成し遂げられます。(レビ記 19:2。詩編 25:8。ヨハネ 5:17)ですから,エホバの証人はみな,清く,りっぱな業に熱心でなければなりません。
2 (イ)使徒パウロは,どのように清さを熱心さと結びつけましたか。(ロ)これからわたしたちはどんな質問を考慮しますか。
2 使徒パウロは,イエスが神の過分のご親切により,
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