どの神の名によって歩むかを決定すべき時
1 エルサレムの二番めの神殿は,もろもろの国民や民族がエホバを永遠に崇拝するために上るべき神殿でしたか。なぜですか。
預言者ゼカリヤの時代にエルサレムに建てられた二番めの神殿は単なる予表にすぎず,またそれゆえに預言的な意味を持ちました。それは,あらゆる国民や民族がエホバを永遠に崇拝するために上って行くべき永久の神殿ではありませんでした。その事実を考えると,エルサレムの地的な神殿は西暦70年,エルサレムが再び破壊された時に町もろとも破壊されたのです。このたびは第六世界強国ローマ帝国の軍隊によって破壊されました。
2 だれがそのことを予告しましたか。彼が述べたその時はいつ終わりましたか。
2 これは,37年前,つまり西暦33年にイエス・キリストが預言していたことでした。そしてイエスのことばによると,そのあとエルサレムは「異邦人の時」(「諸国民の定められた時」)が満ちるまで踏みにじられます。(ルカ 21:20-24)数の上では7つの時のその異邦人の時は,西暦前607年に,バビロニヤ人によってもたらされたエルサレムとユダの地の最初の荒廃の時に始まりました。エルサレムはその王座に,ダビデの王室の王を迎えることは二度とありませんでした。そしてそれに対応して異邦人の時は,地上のエルサレムの二度めの崩壊後1,844年間つづきました。それは,異邦人の時が西暦1914年に終わったとを意味します
3 1914年に異邦人の時が終わって以来,エルサレムにエホバの三番めの神殿を建てることについてどんな質問が生じますか。エホバの崇拝を広めることはそのような神殿に依存していましたか。
3 といっても,1914年における異邦人の時の終わりは,エホバの崇拝のための三番めの神殿がエルサレムに建てられる時が来たことを示してはいませんでした。たとえ,異邦人の時の始まった西暦前607年の初秋に,エホバの神殿が,人も家畜もいない荒涼とした土地のただ中に,崇拝者もなく荒廃していたとしても,そのようなことを意味してはいませんでした。エホバの崇拝のために,エルサレムに地的物質の神殿を,今もそこに立っているマホメット教のモスク,つまり石造りのドームの代わりに建てる必要はありませんでした。現代においてエホバの崇拝を始めることや広めることは,そこにそのような神殿を建て,万民がそこへ流れ帰することに依存してはいませんでした。その理由はやがてわかるでしょう。
4 西暦1914年までにはエホバの崇拝はどこまで衰退していましたか。その時は聖書研究生さえエホバの名前について何を認識していませんでしたか。
4 西暦1914年当時,地上における,エホバを神とする崇拝は,割礼のある生来のユダヤ人は言うにおよばず,クリスチャンと称する人びとの間においてさえ衰退期にありました。その年にぼっ発した第一次世界大戦のために,地上におけるエホバの崇拝はいっそう衰退しました。非聖書的であるという理由から三位一体の教理を退けていた万国聖書研究会は,エホバのみ名がまれにしか載っていない,あるいは全く載っていない,(欽定訳のような)一般に認められていた訳の聖書を用いていたために,いくぶん理解を妨げられていました。それでも彼らは,「ものみの塔」誌に,「エホバは永久にその民とともにいます」(10/1/14),「われらの神エホバは唯一の神」(8/15/15),「エホバは世を懲らしめる」および「エホバのみわざ ― その不思議なみわざ」(1/1/16),「エホバは時間厳守者」(3/15/19)などの適切な記事を発表しました。しかしながら,それらの聖書研究生は当時,エホバ神がご自分のために名をつくる時が近づいていることを認識していませんでした。―イザヤ 63:14。
5 クリスチャンであることを公言していた大きいほうの集団の第一次世界大戦中の記録はどんなものですか。このことはなぜミカ書 3章9,10節が述べていることを思い出させますか。
5 しかし,クリスチャンと称する,それよりもはるかに大きい集団,すなわちキリスト教世界と呼ばれる世界的宗教組織についてはどんなことが言えましたか。1914年7月28日に始まった第一次世界大戦の原因となったのは,キリスト教世界の中で生じたひとつの暗殺事件でした。異邦人の時の終わりの1914年10月4日ごろまでには,キリスト教世界の八つの国と帝国それに日本は,互いに戦い合っていました。そしてその戦争の終わる1918年11月11日までには,交戦国はキリスト教世界24か国および非キリスト教国4か国となっていました。万国聖書研究会とは対照的に,キリスト教世界の諸教会や宗教組織,またユダヤ民族と回教徒もその戦争に巻き込まれました。この世界的な流血行為を指揮していた教会の会員たちは,ミカの時代のユダとエルサレムの首領たちや牧伯たちにかんする,『血をもてシオンを建て不義をもてエルサレムを建つ』という,預言者ミカの描写を思い出させました。―ミカ 3:9,10。
6 キリスト教世界の首領たちや宗教指導者たちは,ミカの描写にどのようにマッチしましたか。キリスト教世界が『正しい事を曲げ』たどんな著しい例がありますか。
6 その4年と3か月半にわたる大陸間の戦争の間,キリスト教世界の裁判官たちはわいろを取って裁きを曲げ,僧職者たちは価を取って教えをなし,宗教的預言者たちは金のために人を喜ばす非聖書的な預言を行なっていましたか。そうです。それはちょうど,ミカの時代にそのような人びとが,エホバの選ばれた民の間でしていたのと同じでした。公義は憎まれ,『正しい事は曲げられ』ました。このことは,政治に手を出すことを拒み,政治問題や商業問題をめぐる非神権的な戦争に一切関係を持たないことを望んだ万国聖書研究生に対するキリスト教世界の仕打ちに顕著に現われました。キリスト教世界は,それら良心的な聖書研究生たちに迫害を加え,彼らの活動を禁止し,また投獄しました。そして,1918年の初夏までには,万国聖書研究会の会長およびものみの塔協会の他の7人の仲間を,アメリカ,ジョージア州,アトランタの連邦刑務所に入れ,保釈も上訴も禁じてしまいました。
7,8 (イ)このようにしてエホバの崇拝はどの宗教組織により打ち砕かれましたか。(ロ)ミカ書 3章12節と比べてみると,エホバの崇拝者たちの霊的状態はどのように荒廃しましたか。
7 それは確かにエホバの崇拝を打ち砕くものとなりました。だれによって打ち砕かれましたか。現代の大いなるバビロンによってです。これは偽りの宗教の世界帝国ですが,同世界帝国は,その最も人口の多い,そして強力な部分,すなわちキリスト教世界によって支配されています。そうです,エホバのみ名の出ている聖書全巻を有するキリスト教世界が,至高の神エホバの崇拝を荒廃させる点で,大いなるバビロンの手先として主要な働きをしてきたのです。キリスト教世界は自分自身の領域の中でエホバの崇拝を荒廃させていたのです。エホバを神とし,またわたしたちの主イエス・キリストの父としてささげる崇拝を回復させつつあった万国聖書研究生たちの間のその崇拝を破壊していたのです。その結果,第一次世界大戦が終わりに近づいていた1918年の秋の半ばまでには,文字通りの地球の多くの部分が戦争の惨害で荒廃していたばかりでなく,エホバの崇拝者の地上の霊的状態も,すなわち霊的回復や霊的状態を再び占める希望に関するかぎり,荒廃していました。それはミカが,バビロンの残虐行為のゆえに自分自身の国について預言していたことに匹敵しました。
8 『シオンはなんじのゆえに田はたとなりて耕えされ エルサレムは石づかとなり 〔神〕の山は樹のおいしげる高きところとならん』― ミカ 3:12,〔新〕。
奇跡的回復
9 (イ)エホバの崇拝者の霊的状態はなぜ70年間荒廃している必要はありませんでしたか。(ロ)1914年の異邦人の時の終了以後は,何がエホバの崇拝の中心とならなければなりませんでしたか。
9 しかしながら,エホバの崇拝者の霊的状態は,人も家畜もいないまま「異邦人の時」の最初の70年間荒廃していたユダの地の場合のように,荒れ果てた状態で70年をすごす必要はありませんでした。(ルカ 21:20-24。歴代下 36:20,21)エホバの証人の死んだような状態が一般の人びとの前にさらされるのは,3日半というように,短期間にすぎないことが預言されていました。(黙示 11:3-12)国が国に向かってつるぎを上げ,彼らが総動員体制や人間の大量殺りくを伴う世界的規模の戦争を学びはじめた1914年には,異邦人の時はすでに終わっていました。その異邦人の時が終わったとき,メシヤの王国に対するエルサレムの権利が異邦諸国民によって踏みにじられることは終わったのです。そしてダビデ王の正当な後継者イエス・キリストの手で治められるエホバのメシヤの王国が天で,つまり「天のエルサレム」で誕生しました。地上のエルサレムは11世紀以上,エホバの崇拝の中心地でした。いまや「天のエルサレム」は,支配権を執ったメシヤの王国をもって,それと同じ崇拝を促進しなければなりません。
10,11 (イ)「天のエルサレム」は地に何をもたらすために正しく行動しましたか。(ロ)ミカ書 4章1節によるとこれはいつ起こることになっていましたか。そして人びとにどんな影響を与えますか。
10 これと調和して,「天のエルサレム」すなわちエホバの崇拝の天的中心地は,地上に自分の神の崇拝をすみやかに,しかもかつてなかったほどの規模で回復すべく,正しく行動しました。エホバの代弁者ミカの預言はこのことを予告していました。そしてこの輝かしい預言は奇跡的な成就を見ました。その回復を預言するに先だち,ミカは霊感を受けて,『末の日にいたりて…』と述べています。これはつまり,ミカが前の節で予告した恐るべき荒廃がシオンとエルサレムと『家の山』にのぞんだのちに,という意味です。(ミカ 3:12; 4:1)何が起こることになっていたのでしょうか。事態の驚くべき逆転です。次のことばに耳を傾けてください。
11 『末の日にいたりてエホバの家の山もろもろの山のいただきに立ち もろもろのみねにこえて高くそびえ 万民川のごとくこれに流れ帰せん』― ミカ 4:1。
12 その預言の縮図的な実現はどんなことでしたか。それは現代の何に匹敵しますか。
12 この預言は,西暦前537年,エルサレムにもどって町の山頂にエホバの崇拝の家を再建せよという皇帝の命令のもとに,忠実な残れる者がバビロンから釈放されるとともに,縮図的に実現しはじめました。その異邦人の時は西暦1914年に終わったのですから,わたしたちは異邦諸国民の「終末の時」に住んでおり,継続している異邦諸国民による地に対する支配は,天に新しく生まれた,エホバ神のメシヤの王国の挑戦を受けています。(ダニエル 12:4。マタイ 24:3-14)戦後第一年,つまり1919年というちょうどよい時に,神は第一次世界大戦の壊滅的な経験を忠実に生き残ったエホバの崇拝者たちを解放されました。この解放は,万国聖書研究生の統治体が連邦刑務所から釈放されたことによってとりわけ目立ちました。統治体は異邦人の時が終わったこと,そしてエホバの設立されたメシヤの王国は,証しとして人の住む全地に宣べ伝えられねばならない,ということをはっきりと認めていました。
13 現代の残れる者は,エホバの崇拝のレベルをどこまで高めましたか。
13 エルサレムの山頂にエホバの家を再建することに携わった復帰したユダヤ人の残れる者たちのように,現代のエホバの崇拝者の残れる者も,エホバの清い崇拝の促進に従事し,地的生活のすべての関心事にまさってその崇拝を高めました。唯一の真の神のこの価値ある崇拝は,彼らの生活の中で最も高められたものでなければなりません。他のいかなる崇拝も,それが人びとによってどんなに高められていようとも,至高の神エホバの崇拝より高く上げられることは許されません。エホバの崇拝は,人間や悪霊たちがいかに激賞し後援している崇拝であろうとあらゆる形の人間の崇拝よりも上に堅く立てられなければなりません。
14 (イ)なぜエホバは霊的イスラエルの残れる者がエルサレムに神殿を再建することを許しませんでしたか。(ロ)彼らが認めなければならない神殿はどの神殿ですか。なぜですか。
14 そういうわけで,この霊的イスラエルの忠実な残れる者たちは,地上のエルサレムに文字通りの神殿を立てることをしませんでした。西暦70年にローマ人によって破壊されるようエホバが定めておられた神殿を,霊的イスラエルがそこに再建するようなことを神は許されませんでした。エホバは,かつてのその聖なる場所にそうした人の手になる神殿など必要としてはおられません。エホバは,人の手で造られた神殿には住まないと,はっきり告げておられます。エホバは真の,霊的神殿を持っておられて,その中に住んでおられます。それは,エホバの大祭司イエス・キリストが,西暦33年に,罪深い,死に行く人類すべてのために,人間としてのご自分の完全な犠牲の貴重な価値を携えてはいられた神殿です。イエスはその至聖所にはいられました。(ヘブル 9:24-26。使行 17:24)わたしたちが認めなければならないのはこの神殿です。そうすることによってわたしたちは至高の神にその真の尊厳と神聖と栄光を帰すのです。わたしたちが誠実な崇拝の精神をもって近づかなければならないのはこの神殿です。そしてそれは地球上のどこにいてもできます。なぜなら,エホバの大祭司イエス・キリストご自身がそう言われたからです。(ヨハネ 4:21-24)地上のエルサレムはもはや重要な意味を持たなくなりました。
15,16 (イ)1925年に,残れる者は神の名前についてどんなことを認識しはじめましたか。なぜ彼らは1931年に新しい名前を採用しましたか。(ロ)これがゼカリヤ書 10章9-12節の預言の成就であったと言えるのはなぜですか。
15 戦後年がたつにつれ,この比ゆ的な神殿の建築に携わる霊的イスラエルの数は増加しました。彼らはクリスチャンでした。イエス・キリストの足跡に従う者たちでした。しかし,キリスト教世界の教会員もみなそう主張します。そこで,この神殿を建てていた霊的イスラエルの残れる者はだれの名前によって歩むことを選んだでしょうか。それは彼らにとって重要な決定でした。1925年以降,彼らは,至高の神がご自分のために名をつくる時が来たことを悟りはじめました。彼らはその名を,キリスト教世界の自称クリスチャンたちといっしょになって汚すことをしない決意をしました。そして神のみ名を全世界に知らせることに6年間熱心に努力したのち,1931年の夏,エホバの証人という,聖書に基づく名前を採用しました。これは,西暦前6世紀にエルサレムに神殿が再建されていたときにゼカリヤが語った預言の成就として生じました。
16 『彼らは遠き国において我をおぼえん 彼らはその子どもとともに生きながらえて帰りきたるべし…我彼らをしてエホバによりて強くならしめん 彼らはエホバの名をもて歩まん エホバこれを言いたまう』― ゼカリヤ 10:9-12。
17,18 (イ)その時以来,諸国民はエホバ神と,崇拝のための真の神殿につき,どのようにして知るようになりましたか。(ロ)その神殿に流れ帰す人びとについて,ミカ書 4章2節はなんと言っていますか。
17 その結果,1931年のその歴史的決定以来,神殿を建てるこの霊的イスラエルの残れる者は,エホバのクリスチャン証人として,エホバの名のもとに,神のメシヤの王国を異邦諸国民にくまなく宣べ伝えてきました。(イザヤ 43:10-12; 44:8)その必然的な結果として,諸国民は神であるエホバについて,また清い崇拝を行なうところであるエホバの霊的神殿について知るようになったでしょうか。世界各地からどんどんはいってくる情報は,確信をもって,然り,と答えます。エホバの神殿に流れ帰している人びとについて預言者ミカが言っていることに注意してください。
18 「多くの国民は来て言う『さあ,われわれは〔エホバ〕の山に登り,ヤコブの神の家に行こう。彼はその道をわれわれに教え,われわれはその道に歩もう』と。律法はシオンから出,〔エホバ〕の言葉はエルサレムから出るからである」― ミカ 4:2,口語〔新〕。
19 (イ)『律法』と『エホバのことば』はどのように天のエルサレムから諸国の人びとに出て行きましたか。(ロ)「われわれはその道に歩もう」と彼らが言うことは,どういう意味がありますか。
19 神殿を建てる霊的イスラエルの残れる者が全世界で行なう伝道活動や教える活動を通して,「律法」と「エホバのことば」の知識は,新しく生まれた天のメシヤの王国の座である天のシオンおよび天のエルサレムから出てゆきました。あらゆる国の個々の人が,エホバの霊的神殿でエホバを崇拝すべく,高められた『エホバの家』に流れ帰していることを示す報告は年々ふえています。それらエホバを求める人びとが,「彼はその道をわれわれに教え,われわれはその道に歩もう」と言うということは,なにを意味しますか。これは,それら教えを受けたあらゆる国籍の人びとが,エホバ神のご意志を行なうためにエホバ神に献身するという意味です。彼らは自分の神を選ぶのです。
20 これと同じことを予告するために,ゼカリヤ書 2章10,11節はなんと述べていますか。
20 そのことも,エルサレムにエホバの神殿が再建されていた時代に預言していたゼカリヤによって予告されていました。神殿を建てる人びとに向かって彼は言いました。「シオンの娘よ,歌い喜べ。見よ,わたしが来てあなたのただ中に住むからである,とエホバは言われる。そしてその日に,多くの国の民はエホバに加わり,わたしの民となる」― ゼカリヤ 2:10,11,アメリカ標準訳。
21,22 民数紀略 25章3-5節およびホセア書 9章10節によれば,これらの「多くの国民」は,2万4,000人のイスラエルがモアブの平野で行なったのと正反対のことをどのように行なっていますか。
21 それらの「多くの国の民」は,イスラエル国民がヨルダン川を渡って約束の地にはいる少し前に,2万4,000人のイスラエル人がモアブの平野で行なったこととは正反対のことを行ないました。その2万4,000人はエホバを捨てました。民数紀略 25章3-5節には次のようにしるされています。『イスラエルかくバアルペオルに付きければイスラエルにむかいてエホバ怒を発したまえり…ここにおいてモーセ,イスラエルの士師たちにむかい汝らおのおのその配下の人々のバアルペオルに付ける者を殺せと言えり』。
22 それらの背教したイスラエル人について,ホセア書 9章10節の預言は次のように述べています。『彼らはバアルペオルにゆきて身を恥辱にゆだね その愛する者とともに憎むべき者とはなれり』。それとは全く対照的に,今日,『シオンの女子』は,エホバが「活ける神の都」として彼女の中に居を定められたために喜び歌い,それとともに「多くの国民」から何十万もの人びとが出てきて「エホバに加わり」,エホバに献身し,エホバの民になります。―ヘブル 12:22。
エホバの崇拝者たちの間の国際的な平和
23 ミカ書 4章3,4節は,彼らがエホバのどんなご配慮にあずかり,またお互いに対してどのようにふるまうと述べていますか。
23 これら献身した,あらゆる国籍の人たちは,天のシオンから出る律法と,天のエルサレムから出るエホバのことばを受け入れるために,エホバのどんなご配慮にあずかり,また互いに対してどのようにふるまいますか。ミカの預言はさらに次のように告げてます。『彼衆多の民の間を裁き 強き国を規戒め 遠きところにまでも然したまうべし 彼らはその剣をすきに打ちかえ そのやりをかまに打ちかえん 国と国とは剣をあげて相攻めずまた重ねて戦争を習わじ みなそのぶどうの樹の下に坐し そのいちじくの樹の下におらん これをおそれしむる者なかるべし 万軍のエホバの口これを言う』― ミカ 4:3,4。
24 (イ)国際連合はミカ書 4章3,4節のその預言を成就しましたか。(ロ)1935年以降,神殿の中庭に流れ入った『大いなる群衆』はなぜ国際連合を神として崇拝しませんか。
24 国際平和と安全のための,人間のつくった世界機構,すなわち国際連合は,この預言を成就してはいません。この政治組織はいまだに,歴史上かつてないほど強力な軍備をもつ世界のただ中で,軍縮会議をくりかえしています。しかし,一致してエホバを崇拝をするために,エホバの霊的な神殿の地的な中庭に流れ入る,『もろもろの国』から来た『大いなる群衆』はそうではありません。彼らは聖書の預言から,国際連合が失敗に終わることや,それを神とすることがまちがいであることを知っています。(黙示 13:14,15; 7:9-17)彼らは国際連合が,前の国際連盟と同様に失敗に終わることを知っているのです。とりわけ西暦1935年の春以降,つまり第二次世界大戦のぼっ発する4年前から,唯一の生きた真の神を求める人びとはその神の神殿の中庭に流れ込んでいます。彼らはミカの預言を実行したでしょうか。
25 比ゆ的に言って,エホバの崇拝者はどのようにその剣をすきに,やりをかまに打ちかえましたか。(ロ)したがって彼らは,ハルマゲドンの時,諸国家に対する行動において,神がお定めになったどんな規則を固守しますか。
25 エホバの神殿で崇拝を行なう人びとのこの国際的な『大いなる群衆』は,比ゆ的に言って,その剣をすきに打ちかえ,そのやりをかまに打ちかえましたか。彼らが過去においてそれを行ない,また今日に至るまでそれを行ないつづけてきたことを証明する,歴史的事実の記録は手近にあります。1939年の11月,その時までにすでに2か月間荒れ狂っていた第二次世界大戦のさ中,彼らは,この世のあらゆる武装闘争に対してクリスチャンとして中立の立場を取ることを大胆に宣言することにより,国の政治に関与しないことを明示しました。そして,この問題をめぐる激しい迫害にもかかわらず,今日に至るまで,宣言した中立を固守してきました。(1939年11月1日号「ものみの塔」〔英文〕の「中立」という記事をごらんください)軍備を持つ諸国家にハルマゲドンの状態がのぞみ,エホバ神が敵対する諸国家に『全能の神の大いなる日の』神権的な『戦闘』をしかけられる時でさえも,これらの武器を持たないエホバ神の崇拝者たちは,それらの諸国家に対して素手を振り上げることさえしません。彼らは神がお定めになった,『なんじらの戦いにあらずエホバの戦いなればなり』という規則を固く守ります。―歴代下 20:15。黙示 16:14,16。
26 (イ)それで,エホバの地上の崇拝者たちの霊的状態にはどんな様子が見られますか。(ロ)ハルマゲドン後,地上における彼らの生活状態はどのようになるでしょうか。
26 では,今日地上にいるエホバの崇拝者たちの霊的な状態はどうですか。それはこうです。いろいろな国や人種の中から出てきているにもかかわらず,彼らの間には敬けんな平和があります。彼らは,激しい戦争に訴えて紛争を解決するようなことはしません。エホバ神との平和を第一に保ち,それから人との平和を保ちます。平和と安全を描写した預言的ことばを借りるなら,彼らは何の恐れもなく自分の庭におり,おのおの自分のいちじくやぶどうの木の下に座して,彼らが一致して崇拝する神からそそがれる霊的な,人を活気づける繁栄を楽しんでいます。ゼカリヤの預言の中で予告されていたとおり,彼らは兄弟のよしみをもって『おのおの互いに相招きてぶどうの樹の下いちじくの樹の下に』います。これは実際に,全能の神が残りの敵をすべてハルマゲドンで滅ぼし,それから地に楽園を復興されたのちの平和と安全と繁栄を予想させる貴重な経験です。エホバの崇拝者たちは文字通り,彼らの楽しい家のそばの,ぶどうやいちじくの木の下にすわっていることでしょう。―ゼカリヤ 3:10。
決定すべき,ハルマゲドン前の時!
27,28 (イ)わたしたちがそのような将来を楽しむかどうかは今何を選ぶことにかかっていますか。今日,選択の対象となるどんなものがありますか。(ロ)聖書はこの世のそうした神々に対してどんな評価を下していますか。
27 それはきわめて魅力のある前途です。しかし,人が将来その楽園の楽しい経験にあずかるかどうかは,ひとえに,今正しい神を選ぶかどうかにかかっています。世界のどこに行っても,人びとはいろいろなものを神として偶像視しています。どの国でも,最も人気のある神々のひとつは愛国的国家主義です。多くの人にとって,ある特定の政治イデオロギーはひとつの神です。国家と呼ばれる政治制度も多くの人にとっては神のような存在です。この核宇宙時代のことですから,軍国主義の信奉者もいます。唯物的な科学にもそれ自身の信者がいます。そして,スポーツ界や,演劇や映画や音楽などの世界で偶像視されている人物についてはどうですか。彼らも,「神よりも快楽を愛する者」たちの間に崇拝者を持っています。(テモテ後 3:4)また多くの人は知らずに悪霊を崇拝しています。使徒パウロは,「異邦人の供ふる物は神に供ふるにあらず,悪鬼に供ふるなり」と言いました。(コリント前 10:20)そしてこれらの神々の上には,パウロが「この事物の体制の神」と呼んだもの,すなわちサタン悪魔がいます。―コリント後 4:4,新。
28 「国々の民の神々はすべて無価値な神々だ」と言った,霊感を受けた詩篇作者は,諸国民の神々を正しく評価しました。(詩 96:5,新)エホバ神がハルマゲドンでそれらの神々を一掃される時,またサタン悪魔とその配下の悪霊を縛って底のない穴に入れる時,人類にとってそれらの神々は何の価値があるでしょうか。―黙示 16:16; 20:1-3。
29 (イ)今神々に関して中立の立場を取る余地はありません。なぜですか。(ロ)ミカ書 4章5節に従って,真の崇拝を築くことに従事している人びとはどんなことを堅く決意していますか。
29 わたしたちはその時,すなわち神の時に急速に近づきつつあります。神々に対して中立の立場を取ることはもはや不可能です。現在発展しつつある世界情勢は,最後の決定をわたしたちに迫っています。わたしたちはだれを選びますか。真の神ですか,それとも諸国の人びとが献身している無価値な神々ですか。忘れないでください。ミカ書 4章1節から4節の預言は今日成就しつつあるのです。それでわたしたちは,その預言のすぐあとにつづくミカのことばをよく考えてみる義務があります。ミカのことばは,この滅びに定められた世界の偽りの神々すべてに挑戦することをわたしたちに要求しています。ミカはこう言います。『すべての民はみな各々その神の名によりて歩む しかれども我らはわれらの神エホバの名によりて永遠に歩まん』。(ミカ 4:5)これは,エホバ神がおつくりになった霊的神殿での清い崇拝を築くことに携わっている霊的イスラエルの残れる者全員が下した不動の決定です。これはまた,エホバの霊的神殿の地的な中庭に流れ入りつつある国際的な『大いなる群衆』が下している決定なのです。これはわたしたち各人が個人的に下している決定でしょうか。
30 (イ)イエスご自身はそれが正しい決定であることをどのように示されましたか。(ロ)わたしたちが「世々限りなく」崇拝できる神はだれですか。それはわたしたちにとって何を意味しますか。
30 それは唯一の正しい決定です。それは,イエス・キリストご自身が先頭に立って,専心の献身をもって崇拝する唯一の神を支持する決定です。キリストの完全な模範にならうのでなければ,だれも真のクリスチャンになることはできません。(詩 69:9。ヨハネ 2:13-17; 20:17。黙示 3:12)偽りの神はすべて滅び,彼らの崇拝者たちも彼らとともに滅びます。エホバだけが滅びることのない,不滅の,そして「世々限りなく」生きる真の神であられます。エホバはわたしたちが「世々限りなく」崇拝できる神です。この崇拝を選ぶことは,エホバにとっては永遠の立証を,わたしたちにとってはエホバの平和な新秩序における終わりのない祝福を意味します。―テモテ前 1:17。詩 90:2。