神と人との前で結婚を誉れあるものに保つ
「神のみまえで自分をすべての人間の良心に推薦するのです」― コリント第二 4:2。
1 (イ)結婚に関してクリスチャンはどんなことに関心を払うべきですか。(ロ)結婚に関する民事当局の法令について,どんな質問が生じますか。(マルコ 12:17)
集められた神の民が神の恵みのうちにとどまるためには,結婚が神の民の間で誉れあるものに保たれねばなりません。(ヘブライ 13:4)結婚しているクリスチャンは各自,神と人との前で自分の結婚を誉れあるものにすることに真剣な関心を払わねばなりません。この点に関しては次のような疑問が生じます。この問題には政府や民事当局を含む人間の権威がどの程度関係してくるか。結婚の有効性は全面的に民事当局の承認にかかっているか。結婚の創始者であるエホバ神がその結婚をどうご覧になるかは,民事当局がそれを法的に有効にするか否かによって決まるか。
2 神の律法はイスラエルに対してどんな法的手続きを要求しませんでしたか。
2 前の記事でわたしたちは,ヘブライ語聖書時代の人々の間の結婚が,最初のうちは,家族または部族の問題であったことを学びました。イスラエル国民が形成されたとき,神は同国民に律法をお与えになりました。その律法には,近親相姦的関係の禁止,夫婦の責務を支配する法令またはそれに類する規定などを含む,結婚に関する数多くの規定が含まれていました。(レビ 18,20章)しかし,二人が結婚するのに祭司から証書もしくは結婚許可証を得ることや,婚姻を法的に有効にするために祭司の代表が婚礼に出席することは求められていませんでした。またイスラエル政府の代表の出席も求められませんでした。神の律法が守られる限り,結婚は法的に有効な誉れあるものとして,結婚した二人が住んでいた特定の地域社会の中で受け入れられました。
3 イスラエルは外国の支配下に置かれましたが,そのことは結婚と離婚の扱い方に影響しましたか。
3 時の経過と共にイスラエル国民は,バビロン,メディア・ペルシャ,ギリシャ,ローマなど,外国の支配を受けるようになりました。そのことは,イスラエル人の間における婚姻制度にどの程度影響を及ぼしたでしょうか。歴史が伝えるところから見ると,彼らは引き続き以前とほとんど同じように行なっていました。支配国がそれを許したからでした。従属国の民ではありましたが,離婚訴訟が関係しているような問題や論争でさえ,主としてユダヤ人の長老や法廷が扱ったようです。しかしながら,もしあるイスラエル人が結婚に関する問題を支配国の法廷に持ち込んだなら,その人は法廷がその国の婚姻法に基づいて裁判を行なうことを期待できたことは明らかです。
4 結婚を届け出ることが初めて行なわれるようになったとき,それはどんな目的を果たしましたか。
4 聖書時代も後代になると,婚姻を届け出ることが行なわれるようになったと考えられています。もっとも,これについての明確な証拠はないようです。いずれにせよ,婚姻届けは,結婚が実際に行なわれた後はじめて問題となる事柄のようでした。したがって世俗的政府は,結婚が道徳にかなったものであるか否かを判断する者として行動するよりもむしろ結婚したという事実を記録する者として行動しました。
5 (イ)クリスチャン会衆発足直後の何百年かの間,結婚を許可する問題はどんな状態にありましたか。(ロ)民事当局はいつから結婚と婚姻関係に関係を持つようになりましたか。
5 クリスチャン会衆発足直後の何百年かの間,結婚はどんな状態にあったのでしょうか。それは,イスラエルにおける場合と同じく引き続き,おもに家族に関係した事柄とされていたようです。そして昔のエデンにおけると同じように,またイスラエル人(事実,当時のほとんどの民族)の間におけると同じように,なんらかの宗教当局もしくは民事当局が婚姻を許可するとか,または式に立ち会って結婚を法的に有効にまた正しいものにすることなどは要求されていませんでした。a 民事当局は,当事者の片方または両方が問題や論争の法的解決などを求めて来るようなときまで,結婚や婚姻関係に関係することはしなかったようです。もし来たならば当局者は,その結婚が彼らの法律に沿ったものであるかどうかにしたがってその結婚の有効性を認めるか,または否認しました。(例えば,ローマ法は兄弟姉妹同士の結婚を認めなかった。)
6 (イ)クリスチャン会衆においては何が第一に結婚関係を支配しましたか。(ロ)クリスチャンが住んでいる地域社会が持つ見方は,彼らが結婚に関して行なうことに関係してきますか。
6 それでも,クリスチャン会衆内で結婚を誉れあるものと見てもらうためには,結婚は神の律法に沿ったものであることが必要でした。ですから使徒パウロは,「ある人が自分の父の妻を有している」ということをコリント会衆から聞いた時,ためらうことなくこれを「淫行」としてとがめました。また,会衆が彼らの住む地域社会の標準に関心を払うべきであることも示しました。というのは,「諸国民の間にさえ」そのようなことは行なわれていなかったことをパウロは指摘したからです。―コリント第一 5:1,2。
7,8 (イ)なぜクリスチャン会衆はその成員が結んだ結婚契約に当然関心を払いますか。(ロ)初期クリスチャン会衆のこの点に関し,歴史は何を示していますか。
7 クリスチャン会衆は自らを,「神の家」である仲間の成員で構成される『兄弟たちの会』とみています。マタイ 10章12,35,36節,使徒 16章30-34節,テモテ第一 3章4,5節,5章4,8節の示すところと比較すると,この「家の者」という語には一つの家族の者という意味があります。それで会衆は一つの家族のようにその成員の結婚に当然関心を持ちます。
8 ヘイスティングの「宗教・倫理の百科事典」(第8巻,435ページ)は,初期のクリスチャンたちの見解について次のように注解しています。「結婚は第一に家族の問題である。最も初期においてはクリスチャン会衆は自らを霊的家族と考えていた。したがって会衆内のすべての成員の生活と関心事は会衆全体の深い関心の的であった。……三世紀半ば以後の[教]父たちの証言が示すところによると,現在なら民事婚とでも称すべきものが知られていなかったわけではない。おそらくそれは大して珍しいものではなかったであろう。が,同時に教会の強い反対にも遭っただろう」。
9 (イ)届け出ることによって結婚を有効にすることについては,聖書や歴史からどんな結論を引き出せますか。(ロ)結婚が誉れあるものかどうかは何にかかっていましたか。
9 このように,聖書や歴史に見られる証拠は,民事婚すなわち届け出ることによって結婚を有効にすることが,昔はたいして顕著な役割を持っていなかったことを示しています。このことは,結婚が誉れあるものかどうかについて言えば,クリスチャンの見地からは大きな問題ではなかったようです。結婚が誉れあるものであるか否かは,クリスチャン会衆がそれを神の定めた規準にかなったものと認めるか否かに直接にかかっていたようです。また,クリスチャンたちが住んでいた地域社会の中の人々の態度や標準にも考慮が払われました。クリスチャンたちは使徒パウロのように,「神のみまえで[彼らを]すべての人間の良心に推薦」することに努め,「すべての事を神の栄光のために」することによって「ユダヤ人にも,またギリシャ人にも,そして神の会衆に対しても,つまずきのもととならないように」努力しました。―コリント第二 4:2。コリント第一 10:31,32。
10,11 (イ)民事当局が最後に婚姻と婚姻を有効にすることとに関係するようになったのはどういうわけですか。(ロ)プロテスタントの優勢な国では,結婚の有効性についてどんな見方が広く行なわれていますか。
10 しかし,もっと最近になって,そしてまた世界の多くの場所で,民事当局と結婚および結婚を有効にすることとの関係が,より大きな重要性を帯びてきたのは事実です。当然のことながらクリスチャンは,結婚を「すべての人の間で誉れあるもの」に保つ努力をするに際して,この事実を考慮に入れなければなりません。(ヘブライ 13:4)この問題を考慮するにあたっては,傾向がどうしてこのように変化してきたのかその理由を考えてみることが重要です。「宗教・倫理の百科事典」には次のように述べられています(437ページ,下線は当誌)。b 「世俗の側からは結婚は,実際的な目的のために国家によって規制されねばならぬ法律上の契約と考えられている。クリスチャンの見地からすれば,結婚は,宗教と道徳の最高の益のために教会が規制することを主張すべき聖なる生存状態である。……経験の示すところによると,その二つの権限の間には対立の生まれる可能性が常に存在するはずであり,それゆえに実際面でしばしばめんどうな事が生ずる可能性がある。……この二つの権限および両者の正しい相互関係の問題が顕著になったのは近代になってからで,[プロテスタントの]宗教改革以後のことである……」。
11 したがって,民事当局が婚姻を法的に有効にすることが問題になってきたのは,過去における歴史中のどの時代よりも近代になってからのようです。少なくともプロテスタント勢力の強い国々では,婚姻が法的に有効になるか否かは(したがって離婚が有効になるか否かも)ほとんど完全に民事当局の決定にかかっていると見る傾向がしだいに強くなっていきました。婚姻の(また離婚の)有効性と関連を持つ会衆の役割は,多くの人の心から徐々に消えていきました。
婚姻の有効性を決める
12 結婚と結婚を有効にすることに民事当局が関係してきた以上,神のしもべにとってどんな問題が生じますか。
12 そのような状況に直面したなら,クリスチャンはどうすべきですか。結婚を「すべての人の間で」誉れあるものにすることを願うなら,確かに現状を無視するわけにはいきません。婚姻を有効にする際に民事当局が重要視されなかった時代に『時計を戻す』わけにはいきません。しかし,次のような疑問が生じます。婚姻の初めにせよ,あるいはそれがもしかして離婚によって終わるときにせよ,民事当局の決定を,婚姻の有効・無効を決めるうえで絶対的なものと見るべきか。彼らの決定によって神にどれほどの影響が及ぶか。
13 結婚に関する民事当局の見方を絶対的なものと考えることができないのはなぜですか。(使徒 5:29)
13 実際上,民事当局は神がある婚姻の(あるいは離婚の)有効性を認めるか否かについて最後的発言権を有していますか。もしそうだとすれば,結婚に神の祝福を得るのに何が必要かについてかなりの矛盾が生じます。なぜなら,民事当局の見解は場所によって大きく異なり,互いに全く違う見方をしていることが多く,さらに重要なことに,聖書に記されている規準に反していることもあるからです。
14 国によっては一夫多妻が法律によって許されているかもしれませんが,聖書は一夫多妻に対してどういう見方をしていますか。
14 例を挙げると,幾つかの国では一夫多妻が法律上認められていて,多妻者の各妻は正妻と考えられており,他の妻たちと同じ立場を有します。しかし,キリスト・イエスや霊感を受けた使徒パウロは,一夫一婦が神のもうけられた規準であることを示しました。―マタイ 19:4,5。コリント第一 7:2。テモテ第一 3:2。
15 ある国における人間の定めた離婚法は,神の定めた律法とどのように異なりますか。
15 また国によっては非常に多くの理由で,時にはほんのちょっとした理由で,離婚を許可します。これと対照的に,配偶者の不義という理由があっても,その配偶者を離婚して再婚する権利というものを認めない国もあります。一方聖書は,離婚の正当な理由となるものがただ一つあることを述べています。すなわち淫行です。そしてこの理由に基づいて離婚する人は確かに再婚の自由を得ることを聖書は示しています。(マタイ 5:32; 19:3-9)そういうわけで,ある場合には国家が認めるところを神は認めず,他の場合には国家が許可しないところを神は許可します。
16 婚姻の有効性を決定する国家の権威をどう見るべきですか。(ローマ 13:1。ペテロ第一 2:13,14)
16 したがって証拠は次のことを指し示しています。すなわち婚姻が(あるいは離婚が)有効であるか否かを決める際の世俗的国家の立場は相対的なものに過ぎないのに対し,神のそれは絶対的なものであるということです。この問題における国家(聖書では「カエサル」と呼ばれている)の相対的権威に対する平衡の取れた見方を得るには,世俗的政府が婚姻という分野にどんな関心を有しているか,特にどんな点に注意を向けているか,そしてクリスチャンはこの分野のどの面で世俗的政府に対し義務を負うようになるか,などの点を考えてみるのは有益です。
婚姻に対するカエサルの関心
17,18 民事当局は婚姻の主にどんな点に関心を払ってきましたか。なぜですか。
17 世俗的政府は主として結婚に関係した道徳的,宗教的問題に注意を向けているのでしょうか,それともその関心はおもに別の面に関するものでしょうか。前に引用した百科事典に,世俗の側からは「結婚は,実際的な目的のために国家によって規制されねばならぬ法律上の契約と考えられている」とあったのを思い出すでしょう。このことは,結婚と離婚に関する政府の立法措置の歴史によって証明されています。その歴史は次のことを物語っています。つまり,世俗的政府が結婚に関心を払ってきたのは,相続権や財産所有権のような問題が起きたとき,とりわけ(離婚または死亡による)結婚「契約」の解消からそれらの権利が問題になるときに,政府がその問題に巻き込まれたからだ,ということです。このことが今日においても事実であることを確証するものとして,ブリタニカ百科事典(マクロペディア,1976年版,第7巻,166,167ページ)は次のように述べています。
「その法律は……おもに夫と妻および親と子の権利と義務,特に経済的支持の問題に関係したものである」。「今日ではほとんどの国で……法律の指定する証拠書類による結婚の証拠固めとは,主として結婚届けを出すことである。ゆえに基本的に言って結婚は,法律的な意味で,扶養,夫婦財産,相続権,未成年である嫡出子たちの後見といった,特定の権利と義務を暗黙のうちにつくり出すものである」。
18 ですから「カエサル」(国家)は,そのような法律上の問題が自分の裁判所に持ちこまれ裁判による解決が求められたのが主な理由で結婚にかかわりを持つようになったのであって,結婚の宗教的な面または道徳的な面を心配したからではありません。カエサルはまた,病気,それもとくに性病のまんえん防止に,また(濃い血族との結婚によって生まれた子供たちの間に見られるような)遺伝子の影響による虚弱化の防止に関心を払ってきました。これもまた「実際的な目的」のためです。ですから反宗教的,無神論的政府でさえも,結婚を有効と認めるための法律上の要件をもうけているのです。
19 『カエサルのものはカエサルに返しなさい』というイエスの助言を考えるなら,結婚と離婚に関してどんな質問が生ずる可能性がありますか。
19 では『カエサルのものはカエサルに返しなさい』というイエスの指示はどうなるでしょうか。この命令に従順であろうとするなら,クリスチャン会衆は,結婚関係もしくは離婚に対するカエサルの見方を,それが有効かつ道徳的であるか否かを決める最終的,決定要素と考えることを求められるのでしょうか。―マタイ 22:21。
20 (イ)イエスはどういうことから,『カエサルのものはカエサルに返しなさい』と言われましたか。(ロ)この原則は,クリスチャンの結婚にどの程度関係してきますか。
20 まず注目すべきは,イエスにこの言葉を語らせたのは税金に関する問題であったということです。カエサルは多くの有益な活動を行なうので,それに対して『支払い』を受けるのは当然です。(マタイ 22:17-21)しかしカエサルは結婚する権利を与えるものではありません。その権利は実際には結婚の創始者である神から与えられるものです。(創世 1:27,28; 2:18,22-24; 9:1。テモテ第一 4:1-3と比較してください)したがってこの分野におけるカエサルの立場は,結婚(あるいは離婚)において何が道徳上正しいか間違いかに関し,最終的な判定を下す者の立場ではありません。カエサルが与え得るのは,カエサルの司法制度内における婚姻上の諸権利の法的認可とそれに伴う保護です。結婚を「すべての人の間で誉れあるもの」にすることを願うクリスチャンは当然,自分の家族の権利と利益を守るためにそのような法的規定を望みます。その認可と権利を得るためには,カエサルがもうけた,それらを受けるための法規に従うことによって,それらの代価をきちんと『カエサルに返す』べきです。これには,認可料を支払うとか,規則に従って特定の健康診断を受けるといったこと,あるいはそれに類似した要求が含まれるでしょう。
21 婚姻に関するカエサルの権威はクリスチャンにどう影響するはずですか。なぜですか。
21 しかし,カエサルの法的認可がもたらす利点の代価をカエサルに返済することは,結婚におけるカエサルの権威が相対的なものに過ぎない事実を見失うことではありません。神はカエサルの決定によって拘束されませんから,カエサルが是認するところを否認し,カエサルが退ける点を受け入れられることもあります。クリスチャンは,結婚と離婚に関するカエサルの法的規定に良心的な考慮を当然払うべきですが,最高の権威であるエホバ神に対しては常に最大の考慮を払います。(使徒 4:19。ローマ 13:1,5)そうするとき,神の是認と祝福は確かなものとなります。
22,23 なぜクリスチャンは自分の結婚に法的認可を求めるよう努力すべきですか。
22 ですからクリスチャンは,カエサルの決定自体が神のみ前における結婚の有効性を最終的に決めるものではなくても,そのことによって,「結婚はすべての人の間で誉れあるものとされるべきです」という聖書の命令を守る責任を免除されるのでないことを認識しています。(ヘブライ 13:4)クリスチャンには,自分の力の及ぶ範囲内で行なえることをすべて良心的に行なって自分の結婚生活がすべての人からその種の誉れを与えられるように注意を払う責任があります。特定の人種または宗教が優勢な幾つかの国では,優勢でない人種または宗教に属する人との結婚は一般の人から好意をもって見られないかもしれません。それでもクリスチャンは,なんであれ得ることが可能な法的認可を得ることに努めて,自分の結婚を不利な批判にさらさないように,人々から低く評価されないようにすべきです。(コリント第二 6:3。ペテロ第一 2:12,15,16; 3:16)そして自分の結婚が結婚の創始者に誉れをもたらすものとなるようにしなければなりません。
23 クリスチャン会衆のバプテスマを受けた成員になりたい人々で,婚姻関係に法的認可を得ていない人々に対しては当然,結婚の認可と結婚届け証明書とを得るべく最善を尽くすことを期待すべきです。それは大抵の場合,その人たちの結婚関係が正しいものかどうかという疑いを人々がもしかして抱いているなら,その疑いを取り除くのに役立ちます。しかしそれはすべての場合において可能でしょうか。もし可能でないとすれば,どうすることができますか。
カエサルの認可が得られない所
24 離婚を許可しない国では人はどんな問題にぶつかる可能性がありますか。
24 結婚に関するカエサルの権威の相対的性質を理解していることはこの場合助けになります。例えば,ある宗教が最も優勢なためかまたは他の理由で,たとえ「淫行」(ポルネイア)という聖書的原因があっても法律が離婚を全く認めない地域のことを考えてみましょう。ある人は不貞を働いた妻と別れて別の相手と一緒になり,その人によって家族さえもうけているかもしれません。そしてそういう状態のときに神の言葉の真理を学び,その言葉に従って,神のみ子の弟子としてバプテスマを受けることを願うようになるかもしれません。しかし結婚と離婚に関する国の法律と神の律法が一致していないので,離婚して現在の結婚を合法的なものにすることができません。その人はどうしたらよいでしょうか。
25 神のみ前には離婚している者であっても,自国内でその離婚に法的認可を得られないでいる人は,自分が姦淫の生活をしているのでないことをどのように確証できますか。
25 もし事情が許せば,確実に離婚を許す近くの国へ行って離婚し,それからその国の法律の下で再婚することもできるでしょう。これによってその結婚は幾分誉れあるものとなるでしょう。もっとも自国に戻れば,その結婚は,そこで統治している「カエサル」には認められないでしょう。もしそうすることが無理なら,離れ去った法律上の妻と別居する法的手続きを取るとか,あるいはその土地の法律の下でなし得る限りのことを行なうべきです。そのあと,現在の配偶者に忠実であることを誓う,そして離れ去った法律上の妻が万一死亡した場合,あるいは他の事情で結婚届けが可能になる場合に法律で定められている結婚証明書を得ることに同意することを宣言する声明書を,土地の会衆あてに作成すべきです。もしその人の現在の妻もバプテスマを受けることを望んでいるなら,その声明書に署名しなければなりません。
26 民事当局の関心が薄いために結婚の法的認可が得られないなら,どうすることができますか。
26 南米のある国では,重婚の場合に結婚の無効を宣告することが法律で許されていますが,その無効の申請を「カエサル」はしばしばわけもなく無視します。それで,次のような人の場合を考えてみましょう。法律上の生きた妻がすでにいるのにその妻と別れ,別の女性と結婚して法定証明書を得,そのために重婚者になります。もしその人が聖書の真理を学んでバプテスマを受けたいと思うようになったなら,その人は現在の結婚を法的に正すための努力が民事当局の無関心さのために実らないのに気づくでしょう。もしカエサルの裁判所もしくは当局を通して現在の結婚を高め誉れあるものにしたいと思ってもその術がないなら,どうすればよいでしょうか。忠実を誓う同様の宣言書に署名し,これを会衆に提出することができます。そうすればその人はバプテスマを受け得る者と認められ,その人の配偶者も同じことをすることによってそのように認められます。
27 結婚した者としての身分を10年もたたなければ法的に認可してもらえないような人の場合に,バプテスマを延期しなければなりませんか。答えの理由を述べなさい。
27 西アフリカのある国では,離婚を成立させるのに10年くらいかかることがあります。バプテスマを受けることを希望している人で,現在の婚姻関係を法的に成立させるために離婚を必要としている人は,その期間バプテスマを延期しなければならないでしょうか。バプテスマという重要な段階を踏むことによってキリストの犠牲の贖罪の力に対する信仰を示し,そうすることによって神と是認された関係を結ぶ特権を,カエサルの法的認可がないために得られないというのは,正しいこととは思われません(人間には神が人々を是認するのを「妨げる」力がないということについて,使徒 11章17節の使徒の言葉と比較してください)。聖書に見られる例は,バプテスマという段階を踏むことを不必要に延ばすのが望ましくないことを示しています。(使徒 2:37-41; 8:34-38; 16:30-34; 22:16)それで,離婚の法的手続きを始めたなら,その人は忠実を誓う声明書を会衆に提出して,現在の結婚を誉れあるものに保つ一方,カエサルが与える離婚認可を得る努力もあくまでも続ける決意を立証することもできるでしょう。
28 現在の結婚の法的認可が離婚にかかっていて,しかも自分の住んでいる国で離婚ができない場合,それは,もし二人がバプテスマを希望するなら別れなければならない,ということですか。
28 中には他国へ行ってその国にいるあいだに真理を学び,バプテスマを希望するようになる人たちもあるでしょう。現在の婚姻関係を法的に認可してもらうためには,まず以前の妻と離婚する必要が生ずるでしょう。移転先の国には離婚に関する規定があっても,外国人である彼らにはそれらの規定は適用されないかもしれません。例を挙げると,ドイツには他のヨーロッパ諸国から多数の人が職を求めて移転してきました。この国には離婚に関する規定がありますが,非市民のほとんどはこれに含まれません。そのような場合にも,バプテスマを希望し,現在の婚姻関係を誉れあるもの,永久的なものにすることに努めている人は,忠実を誓う宣言書に署名することもできます。
29 離婚のための規定がない国では,どうすればクリスチャンは聖書に基づく再婚の自由を確立できますか。
29 これら同じ原則は,バプテスマを受けたクリスチャンで,離婚と再婚に関する神から与えられた権利を,「カエサルの」法律が法的認可を与えないために行使できないでいる人にも適用します。例えば,姦淫をした配偶者を離婚して再婚するという,神から与えられた権利を認めない国々では,不忠実になった配偶者を持つ人(で,妻を許さずに別れることを選ぶ人)は,その不忠実の明確な証拠を会衆の長老たちに提出しなければなりません。そうするなら,もし将来いつか夫(または妻)が別の配偶者を得る決意をするなら,公明正大にそれを行なうことができます。結婚当事者は忠実を誓う,そして可能性が生まれしだい法的認可を得る決意を誓う声明書に署名します。
30 聖書的に正しい結婚が,特定の事情の下で,法的に認可されない国で,会衆は忠実の宣言をどうみなすべきですか。
30 忠実を誓う声明書に署名するなら,会衆は署名者が,民事当局によって有効にされた結婚である場合と同じほど,彼のまたは彼女の現在の婚姻関係に対して忠実であることを,神と人との前で公表したものとみなします。この宣言は,この世の「カエサル」の政府を代表する婚姻記録官の前でなされた宣言に劣らぬ拘束力を持つものとみなされます。実際,その宣言に最大の重みと厳粛さを加えるのは,作成される特定の書類ではなくて当人が神の前で宣言するという事実です。
31,32 忠実の宣言書に含められる基本的な点を幾つか挙げなさい。そしてその宣言書をどうすべきですか。
31 その宣言の文面はどんなものでしょうか。次のような声明を含めることができるでしょう。
「私..........は..........を婚姻関係における配偶者として迎えること,この関係に関係当局の認可を得るべく力の及ぶ限り努力したこと,しかし認可が得られなかったゆえに,この婚姻関係において忠実であることを誓う宣言を行なうことをここに宣言します。私はこの関係を,エホバ神およびすべての人の前で拘束力を持つきずな,神の言葉の示す原則に全く一致して継続し尊重すべきものと認めます。私はこの関係に民事当局の法的認可を得る手段を探すべく引き続き努力し,将来いつか状況の変化によってこれが可能になればこの結婚を合法的なものにすることを約束します。
「19....年....月....日に署名。私の署名に立ち合った証人: ........................................................................」。
32 上記のことから分かるように,この宣言書には,宣言を行なう人とさらに二人の人が証人として署名しなければなりません。また日付もそこに記入します。関係者および彼らが交わっている会衆がそれぞれ,忠実を誓う声明書の写しを保存するのは賢明です。また一部をその地域のものみの塔協会の支部事務所に送らねばなりません。また,バプテスマを受けたクリスチャンの場合は,結婚関係を誉れあるものに保つための良心的な処置がとられつつあることにすべての人が気づくよう,その宣言が行なわれたことを会衆に発表するのも有益でしょう。
33 忠実の宣言に関連して当人はどんな責任を自分で負わねばなりませんか。
33 「カエサルの」認可が得られない所で結婚を会衆に認めてもらうための正しい処置を講ずる場合,その人は外の世界に関する限りどんな結果が自分の身に及ぼうと,それは自分だけの責任であること,そして自分がそれに対処しなければならないことを認めなければなりません。例えば,以前の結婚関係に起因する,財産権や相続権に関係したなんらかの法律上の問題が起こる場合,その人は新しい,認められていない結婚に関して「カエサルの」司法上の保護を要求することはできません。
基本的原則を常に明確にしておく
34 結婚と離婚に関し,クリスチャンにとっては何が最終的に権威を持つ文書となりますか。
34 結婚と離婚に関する法律にはどの国においても非常に多くの異なる角度や面があります。しかしクリスチャンは,または神のみ子の弟子になることを願っている人は,専門事項の錯雑した中に巻き込まれなくても,あらゆるケースに通用する基本的な聖書的原則を導きにすることができます。
35 めかけを持つことや近親相姦を聖書はどう見ていますか。
35 神の見方は第一に重要視しなければならないものです。それでまず第一に現在の関係,あるいはこれから結ぶことを考えている関係が,果たして神の是認を得られるものであるか,あるいはその関係自体が神の言葉の示す規準に反するものであるか,考えなければなりません。例えば,ある男が妻と共に住みながら,別の女性をめかけにしてその人とも時を割いて共に住む,という場合を考えてみましょう。めかけを囲っている状態が続いている限り,第二の女性の関係をキリスト教の原則と調和させることは決してできません。また,その女性あるいは男性のどんな宣言も,その関係をキリスト教の原則と調和させることはできません。唯一の正しい道はその関係を断つことです。自分の直接の家族の成員との近親相姦関係,あるいは同性愛関係,または神の言葉によって罪とされている他のそのような状態についても同じことが言えます。(マタイ 19:5,6。テモテ第一 3:2。コリント第一 5:1)その種の関係は,法的に有効にされていないから認められないのではありません。関係自体が非聖書的なもの,したがって不道徳なものです。ですから,そういう状態に関係している人はどんな『忠実の宣言』をすることもできません。それは神のみ前になんの価値もないからです。
36 真理を学ぶ前に,結婚の取り決めに正しい考慮を払っていなかった人には,何が要求されますか。
36 もしそれが神の是認を受け得るような関係であるならば,第二に考慮すべき原則は,すべての人の前に自分の婚姻関係を誉れあるものとして確立すべく最善を尽くすべきである,という原則です。(ヘブライ 13:4)バプテスマを希望している人は,過去において法律上の妻と別れ,離婚しないまま別の人と婚姻関係を結んだ人かもしれません。その時から年月もかなりたっており,もしかしたら子供たちも生まれているかもしれません。それで,真理を学んでも,最初の配偶者のところに戻って以前の境遇に従って生活をやり直す努力を期待するのは無理です。しかし今は,『罪をやめる』にあたり,今後は神のご意志に従って人生を生きる決意をしなければなりません。―ペテロ第一 4:1-3。コリント第一 7:17-24と比較してください。
37 現在の結婚の取り決めに法律上の認可を得るには,どんな処置を講じなければなりませんか。
37 ではどうすればよいでしょうか。もし離婚が可能ならその手段を講じます。そうすれば(どんな理由にせよ法的理由に基づいて)離婚したのですから,現在の結婚は認められた結婚として民法上有効なものとされます。真理を学ぶ前に重婚の罪を犯していた人についてもこれと同じことが言えます。その人も問題を(取り消しおよびまたは離婚によって)法的に解決するのに必要な手段を講じなければなりません。そうすれば男女いずれにせよその人は,一人の人の法律上の配偶者と認められるでしょう。
38 神の目から見て正しい結婚に法的認可を得られない立場にあっても,どうすれば,結婚を誉れあるものにしたい願いを持っていることを示せますか。
38 最後に,もし婚姻関係が神の言葉の示す原則にそむかないもので,民事当局の認可を得るべく最善の努力を払ったにもかかわらずそれが妨げられたなら,忠実を誓う宣言書に署名することができます。ある場合は,すでに指摘したように,当局の行動が極めて緩慢なために,法的手続きをすませることは,幾年もの歳月にわたる努力を必要とする問題となることがあります。またはその費用が押しつぶされそうなほどの重荷となり,それを払えるようになるまでには幾年もかかるかもしれません。そのような場合には,忠実を誓う宣言書が現在の結婚を誉れあるものとみなすための根拠を会衆に提出します。その一方で当人は法律面の問題を解決すべく,引き続き良心的に最善を尽くす努力をします。多くの地域社会では,いや国全体の中でさえ,人々自身は結婚と関係を持つ法的要素をほとんど重要視せず,むしろ忠実な結婚関係の証拠として実際に見ることのできる事柄のほうにはるかに深く感動する事実は,注目に値します。しかしそういう場合でもクリスチャンは,自分の結婚が誉れあるものであることを疑問の余地のないまで確立するために,用い得る,あるいは自分のために開けてくる手段を何でも用いるよう,謙そんに努力すべきです。
39 結婚を誉れあるものに保つ努力をするとき,クリスチャンはどんな確信を持つでしょうか。
39 以上の基本的な原則を心に銘記しているなら,クリスチャンは国家が与える認可を過小評価することも過大評価することもせず,平衡の取れた方法で問題に対処できるはずです。男女いずれにせよ,結婚に対する神の見方を常に第一に重要視すべきです。それとともに,自分の配偶者に対する忠実と献身的な愛情の優れた模範を示すことにあらゆる努力を傾け,そうすることによって結婚を「すべての人の間で誉れあるもの」に保たねばなりません。そのような行ないは神の祝福をもたらし,また結婚の創始者であるエホバ神に誉れと賛美を帰す結果になります。―コリント第一 10:31-33。
[脚注]
a ローマ法においては,「結婚の唯一の要件」は,「当事者同士の承諾」であった。前もって許可証を得るとか,式を挙行するとか,また他の法的手続きをすることは要求されなかった。(「新シャフ-ヘルツォグ宗教百科事典」第7巻,198,199ページ)したがって,一人の男が一人の女に結婚を申し込んで彼女がそれを承諾すれば,それだけで法的要求は満たされ,結婚は成立した。
b 多くの参考書が示している通り,ローマ・カトリック教会は最後に,婚姻に関する法律を制定する権利は自教会だけにあると主張し,同教会独自の規定や制限をもうけ,民事当局もこれに拘束されねばならないとした。プロテスタントの改革者たちはこれとはひどく反対の方向に進み,婚姻に関する事柄をほとんど全部民事当局の手に渡した。イングランド,スコットランド,アイルランドでは,教会を俗事から解放するために1653年に民事的儀式が取り入れられた。1792年にフランスで制定された一つの法律は,「市民は宗教のいかんにかかわらず国家に属す」との原則に立って,全市民に民事的儀式を行なう義務を課した。(「新シャフ-ヘルツォグ宗教百科事典」,第7巻,199,200ページ)