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愛による監督は築き上げるものみの塔 1976 | 10月1日
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彼らは会衆内の人が一人残らず「成長」を続け,奉仕や生き方においていよいよキリストに似る者となることを願っています。交わり始めてわずか数か月の人も,あるいは何年になる人も,皆霊的進歩を目標とすべきです。神の組織は前進しています。速度を落とすことはありません。ではわたしたちが速度を落とすべきでしょうか。
30 なぜすべての人は長老たちの牧するわざに快よく答え応ずるべきですか。
30 これには命 ― 魂 ― が関係しています。だからこそ長老たちは会衆内のひとりびとりに強い関心を持っているのです。それですべての人はヘブライ 13章17節に深い注意を払うべきです。「あなたがたの間で指導の任に当たっている人たちに従い,また服しなさい。彼らは言い開きをする者として,あなたがたの魂のために見張りをしているのです。こうしてあなたがたは,彼らがこれを喜びのうちに行ない,嘆息しながら行なうことのないようにしなさい。そのようなことはあなたがたにとって損失となるからです」。彼らが先頭に立って事を行なうのは,神への奉仕における彼らの熱意と,親切な牧羊の業とによるのです。彼らがあなたの魂のために見張りをすることは,私的な事柄をせんさくすることではなく,むしろあなたの霊的福祉を油断なく見守ることです。彼らはあなたの霊的福祉に兄弟らしい鋭い関心を抱いているのです。その愛による監督に群れが答え応ずるとき,牧者たちにとってそれは本当に大きな喜びです。実際,わたしたちは「その信仰に倣」うよう励まされています。―ヘブライ 13:7。
31 では会衆は長老たちに対してどんな態度を取るべきですか。
31 これら「人びとの賜物」,つまり会衆内の『福音宣明者,牧者,教える者』としての長老たちは,エホバがキリストを通して与えてくださった,時機にかなった賜物です。わたしたちは彼らがそのような賜物であることを認めて,彼らの熱心の模範に倣いましょう。そして問題や質問をもって彼らのところへ行くのをためらわないようにしましょう。彼らは実際に,わたしたちが「すべての事において,頭であるキリストを目ざして成長」するよう,愛をもって助けるために『与えられた』人々なのです。―エフェソス 4:7,8,11,15。
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一人の主の下にある羊の群れの牧者たちものみの塔 1976 | 10月1日
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一人の主の下にある羊の群れの牧者たち
1 「りっぱな羊飼い」はだれですか。その方は「羊」とどんな関係にありますか。
主イエス・キリストは地上におられたとき,ご自分が「りっぱな羊飼い」であることを示されました。イエスの声を聞き,イエスに従った人びとは,イエスの「羊」でした。イエスは,彼らのために自分の魂をなげうつ,と言われました。(ヨハネ 10:1-15)このようにキリスト・イエスは会衆を形成するご自身の追随者たちを,群れをなす羊にたとえられました。ルカ 12章32節では王国を与えられる「小さな群れ」について,ヨハネ 10章16節では「ほかの羊」について,述べておられます。この「ほかの羊」もやはりイエスの声を聞くものであり,イエス・キリストを牧者とする一つの群れの一部となるものです。
2 従属の羊飼いたちはなぜ群れを貴重なものとして扱わねばなりませんか。
2 クリスチャンの聖書記述者たちは,後日,主イエス・キリストのもとで牧者として奉仕すべく任命されたクリスチャンの監督たちに話しかける際に,同様の表現を用いました。パウロはエフェソスの監督たちにこう言いました。「あなたがた自身と群れのすべてに注意を払いなさい。神がご自身のみ子の血をもって買い取られた神の会衆を牧させるため,聖霊があなたがたをその群れの中に監督として任命したのです」。(使徒 20:28)ここ
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