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クリスチャンとしての円熟性 ― 命を得るために必要なものものみの塔 1974 | 6月1日
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2 霊的な円熟性を得ることに対する正しい見方はなんですか。なぜ?
2 クリスチャンにとっても,霊的に子どもの状態から,霊的なおとな,クリスチャンとしての円熟性への成長があります。この霊的な円熟は,達し難くてとらえようのない目標ではなく,また選ばれた少数の人しか到達できないものでもありません。身体的な成熟は生物の自然な過程として当然に見込まれるものですが,同じように,霊的な円熟も,クリスチャンの「赤子」すべてが当然に期待し,追い求めるべきものです。それは,必要な努力をするすべての人が到達できるものです。どこに住み,どんな経験,能力,また教育上の背景があるかということは,この場合の決定要素とはなりません。使徒パウロは,まだ霊的なおとなとなっていなかったクリスチャンたちに対して,「円熟に向かって進んでゆ(く)」ようにと説き勧めました。(ヘブライ 6:1,2)これを行なうためには,霊的な面での自分の真の状態をまず知り,ついで進歩を目ざして努力しなければなりません。
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クリスチャンとしての円熟性 ― 命を得るために必要なものものみの塔 1974 | 6月1日
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このようなわけで,キリストに関する初歩の教理を離れたわたしたちは……土台を再び据えるのではなく,円熟に向かって進んでゆきましょう」― ヘブライ 5:12–6:2。
6 今日のある人々に同様の訓戒が必要なことについて述べなさい。
6 クリスチャン会衆と幾年も交わってきたのに,聖書の基礎的な教理を他の人にまだ教えることのできない人がいますか。神の民と幾年も交わってきたのに,自分の良心で正邪をまだ容易に識別できない人がいますか。自分の良心上の問題を今でも他の人に決めてもらおうとしていますか。クリスチャンの教えや生活に関する基礎的な事がらを今でも人から教えてもらう必要のある人は,円熟性を身に着けるために勤勉に努力しているべきです。クリスチャンは,建物の土台を据えてその先に進まない建築者のようになってはなりません。この場合の「土台」とは,キリストに関する基礎のもしくは初歩の教理をさしています。クリスチャンは,建物を,つまりその土台の上に立つ上部構造を完成するために進んでゆくべきです。すなわち,み子を通して啓示された,神のお目的に関するさらに進んだ教えを学んでゆくべきです。
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