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希望は心を守るものみの塔 1961 | 8月1日
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希望は心を守る
生命は人間の最も貴重なもちものです。しかしながら希望がないなら生命はその価値と意義を失います。ユージン・W・カンスキー博士によると,アメリカでは,60秒毎にだれかが自殺をくわだてており,毎年約2万人がそのくわだてに成功しているということです。そのため自殺は,アメリカにおける死因のトップ・テンの一つとなっています。無希望は死を招きます。ですから,賢明な人は,将来に対する強い動くことのない希望で心をよろおうと努力します。クリスチャンたちは「救の望みのかぶと」をかぶるようにすすめられています。―テサロニケ前 5:8,新口。
希望とは「望んでいるものを得るという期待をともなった願望」と定義されています。最初の人間が創造主に反逆したため完全性を失って以来,人類は苦難,失望,病気,最後に死という泥沼の中にあえいできました。人間は,よりよいもの ― 平和,安全,健康,生命を熱望します。そして物質の富,ある人間あるいは組織に信頼を置いて,彼らがこうした希望をかなえてくれることを期待します。こうして人間は希望を育てます。この希望は,あすはもっと良くなるといって人間を励ましつづけます。そのような希望は,人生を生きるに価値あるものとし,心に喜びをもたらします。
たとえば,諸国家が第二次世界大戦の恐怖から抜け出した時,世界の指導者たちは,人間の「平和に対する最善の希望」として国際連合を提唱しました。平和を熱望した人々は,この組織に大きな期待をかけました。1945年,サンフランシスコで国連憲章が調印された時,「教会は鐘を鳴らし,クリスチャンたちは自分の教会につめかけた。彼らは平和の君に向かって喜びのホザナを歌った。そして,『後の世代を戦争の苦しみから救う』ための制度がついにつくられたことを神に感謝した」。―ウォルター・W・バン・カーク著「教会と国際連合」
これらの喜びを生み出す希望にいったい何が起こったのでしょうか。ウォルター・バン・カークはこう認めています。「サンフランシスコで生まれた高い希望が,完全に実現されなかったことは否定できない」。最近のできごとを考えて見るとき,これはまたなんという控え目な言いかたでしょう! 希望は破れ,期待ははずれて,多くの人々は失望し悲しんでいるのです。人類がくりかえし犯してきたあやまりとは,弱い,死に行く人間の努力に希望をかけて心の願いを満たそうとしたことです。ですから,神の御言葉は次のような賢明な助言を与えているのです,「もろもろの君によりたのむことなく,人の子によりたのむなかれ,彼等に助けあることなし。ヤコブの神をおのが助とし,その望をおのが神ヱホバにおくものは幸福なり」。―詩 146:3,5。箴言 13:12。
人間の約束の上にきずかれた希望は失望に終わりがちですが,エホバは,宇宙で最も強固な基礎,すなわち,彼自身の誓いの上にたてられた「希望を与える神」であられます。霊感による記録は,「神は偽ることができない」ことを保証しています。ですから私たちには,『前に置かれた望みを捕えるための強い励ましがあるわけです』。「この望みは,わたしたちにとって,いわば,たましいを安全にし不動にする錨で」あります。神が与える希望は,「失望に終ること」がありません。―ロマ 15:13,新口。ヘブル 6:18,19。ロマ 5:5,新口。
人間の心は,平和,安全,健康,生命を切に求めています。人間は,戦争とか,ききん,疫病などのない生活をすることを望んでいます。神の御言葉はそういう人々を招きます,「ヱホバによりたのみて善をおこなへ……ヱホバはなんぢが心のねがひを汝にあたへたまはん」。エホバは,すべて彼により頼む者たちのために「義の住むところの」新しい世を備えて,彼らの心の願いを満たして下さいます。その新しい世では,「正義は平和を生じ,正義の結ぶ実はとこしえの平安と信頼である。わが民は平和の家におり,安らかなすみかにおり,静かな休み所におる」。―詩 37:3,4。ペテロ後 3:13。イザヤ 32:17,18,新口。
エホバは,完全な健康と終りなき命に対する望みさえかなえて下さるでしょう。「(神は)人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや,死もなく,悲しみも,叫びも,痛みもない。先のものが,すでに過ぎ去ったからである」。これはまた何という希望でしょう。これはだれもが望む事がらです。これは全能の神の約束ですから,必ず成就するという強い確信をもつことができます。それで「望みをいだいて喜び」なさい。それをふかく考え,「偽りのない神が永遠の昔に約束された永遠のいのち」に対する希望を大きくしなさい。―黙示 21:4。ロマ 12:12。テトス 1:2,新口。
エホバの約束を自分の希望とするとき,それは私たちのたましいのしっかりとしたいかりとなります。その希望は,ヘルメットのように心を保護します。この世界が,つぎからつぎと多くの災にぶつかって,この世界に希望を置いている人々をひどく失望させている時,エホバの新しい世に対する私たちの希望はますます明るく,ますます貴重なものとなっていきます。たとえ災が,事故,迫害,病気,愛する者の死という形で私たちの上にふりかかってきても,この希望は私たちをささえ,新しい世におけるエホバの祝福という保証をもって,私たちを励ましつづけてくれるでしょう。
エホバは,ご自分の僕たちが,生命という賜物を尊重する時喜びを感じられます。この賜物は,私たちの心を保護する役目をします。なぜですか。あなたは子どもに,学校の試験の成績が良かったら,非常にほしがっている物を買ってあげるという約束をされたことがおありですか。子どもは,その贈り物がどうしてもほしいのでほかのものには目もくれず一生懸命に勉強します。そして勉強しているあいだもその贈り物を手にしているところを想像しては心をおどらせ,それが現実となるようにますます勉強に力を入れます。それと同じくエホバも彼の意志に服従する報いとして永遠の生命を与えることを約束されています。私たちはそういう期待に心をおどらせて,何物にも迷わされることなく,神の御旨を行なうことに心を集中します。それは,生命という心から望んでいる報いが確かに与えられるようにするためです。
ですから,エホバの確かな約束に希望を置いてあなたの心を守りなさい。まず神の御心を学び,つぎにそれを行なってその希望を実現させなさい。イザヤ書 25章9節に述べられていることをあなたの心として下さい,「これはわれらの神なり,われらまち望めり彼われらを救ひたまはんこれヱホバなり,われらまちのぞめりわれらそのすくひをよろこびたのむべし」。
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いごこちが悪いものみの塔 1961 | 8月1日
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いごこちが悪い
「もしキリストが,いま私たちの間に現われたら,どういうことになるか」という質問に対して,ニューヨーク市にあるキリスト教会の牧師ラルフ・W・ソックマンはこう言いました,「大衆は,キリストが来て与えた宗教よりももっと安易な宗教を求めている。キリストは,社会の改善とか経済的成功への道を売り物にしたセールスマンではなかった。耳目を驚かすことばかりを求めている大衆や浅薄な考えをもつ教会人は,キリストに失望し,耳を傾けて聞くこともやめるだろう。
「キリストは,われわれの文明にどんな判決を下だろうか。彼は,自国の首都エルサレムに対して言ったのと同じことを言うであろう。すなわち,われわれは真の平和を促進する事がらを知りもしなければ行なってもいないということである。また,不可見的で永遠的な事がらに対してわれわれを盲目にしてしまう行き過ぎた物質主義を非とし,度量の狭い国家主義,社会階級制度,人種的偏見を痛烈に非難するであろう。キリストは,彼の名のもとに建てられている多くの教会の中で気まずい思いをするであろう。なぜなら,それらの教会は,教会主義や俗世間的なことで,彼の最初の福音の簡潔さと神聖さを破壊してしまったからである」。―1958年12月の「コスモポリタン」
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