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私たちの歩きかたに良く注意するものみの塔 1959 | 8月1日
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が,一方,実際の肉体上の姦淫または淫行を行うことができるというのです。しかしそれは自分自身の体に対して罪を犯すことになります。
22 人は,マタイ伝 24章14節の聖句の成就に参加しながら,間ちがいにもどのようにバラムの罪のごとき罪に落ちますか。
22 また,次のように考えることも間ちがつたものです,すなわちマタイ伝 24章14節の預言的な命令に従つて,野外奉仕の証言時間をたくさん報告すれば,異性の者と肉体面の不道徳な行いをすることができるという考えです。忘れてはなりません,預言者バラムはヱホバの代弁者として用いられ,イスラエルの国民に祝福を述べました。しかし,後に荒野の40年の旅の終りになつて,イスラエルの中に性崇拝と不道徳をすすめようとしたバラムは殺されました。
23 クリスチャンの道徳は,伝道と共に必要であると,パウロはどのように示しましたか。
23 神の御国について各人が証言をすることは,永遠の生命を得るために是非とも必要です。しかし,クリスチャンの道徳も共に必要な事柄です。パウロは次のように叫びました,『もし福音を宣べ伝えないなら,私はわざわいである。』しかし,すこし後の文章のところで彼は次のようにつけ加えました,『自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。そうしないと,ほかの人に宣べ伝えておきながら,自分は失格者になるかも知れない……,また,ある者たち(イスラエル人)がしたように,私たちは不品行をしてはならない。不品行をしたため倒された者が,一日に一万三千人もあつた。』― コリント前 9:16,27; 10:8,新口。
24 人は肉体上の不道徳を行うことにより,誰の友となりますか。故に,それは又どんな他の種類の不道徳ですか。
24 自分自身を欺いてはなりません。姦淫または淫行をすることは,自らを世の友にすることです。それですから,それは霊的な姦淫または淫行をすることです。それは神の友または神の会衆の友に,ぜつたいになりません。それはこの世にまねて,この世を手本としていることです。それはこの世の精神の表われです。それはこの悪い世を愛していることを証明するものです,『すべて世にあるもの,すなわち,肉の欲,目の欲,持ち物の誇は,父(ヱホバ神)から出たものではなく,世から出たものである。』(ヨハネ第一書 2:16,新口)それですから,不道徳は次のことを示します,すなわち淫行者はこの世に属する者であつて,ヱホバの証者の新しい世の社会内にいるべき人ではないということです。
25 ヱホバは,どんな二つの強烈な行いにより,会衆の不道徳な者にたいして何がなされねばならぬと示しましたか。
25 ヱホバは2万3000人の淫行者を御自分の会衆から切り絶たれました。それは1年の中になされたのでなく,わずか1日の中になされたのです。淫行者はヱホバの会衆から排斥されねばなりません。シロに近いところでの戦争中,ヱホバは大祭司エリの息子たちである2人の祭司ホフニとピネハスを切り絶ちました。なぜなら彼らは集会の幕屋の人口で奉仕していた女たちと姦淫を行つてヱホバ神に非難をもたらしたからです。―サムエル前 2:12,22-25; 3:13,14; 4:4-11,17。
26 (イ)排斥を必要とする他の罪のあることについて,パウロは何と言いますか。(ロ)自分の悪行に目ざめる者の心の状態および行動は何でなければなりませんか。
26 排斥が必要となる罪は,淫行以外に他の物もあります。パウロは会衆にこう書き送りました,『私が実際に書いたのは,兄弟と呼ばれる人で,不品行な者,貪欲な者,偶像礼拝をする者,人をそしる者,酒に酔う者,略奪をする者があれば,そんな人と交際してはいけない,食事を共にしてもいけない,ということであつた。その悪人を,あなたがたの中から除いてしまいなさい。』(コリント前 5:11,13,新口)排斥が必要である罪を犯してから,そのはなはだしい悪行に目ざめ,神の不興を大きく受けたと気づいたなら,その人の心の状態はどんなものでなければなりませんか。悲しいものでなければなりません。心を痛めるほどに悲しみ,悔い改めねばならないのです。その者は,その罪をすでに御存知である神に告白するだけでなく,それぞれの地方で神権的に任命されている僕たちを通して神の見える制度に告白すべきです。慈悲を願い求めつつ,キリストを通して神とその民との和解を求める緊急な時です。このことに一致する聖書の助言はこうです,『あなた方の中に(霊的に)病んでいる者があるか。会衆の古い人々を呼び,ヱホバの御名によりオリブ油を塗つて祈つてもらうがよい。信仰の祈りは病める者をいやし,ヱホバはその人を立ち上らせて下さる。また,罪を犯したならば,その罪は許されるであろう。ゆえに,たがいに罪を公けに言い表わし,互いのために祈りなさい。それはあなた方がいやされるためである。』(ヤコブ 5:14-16,新世)深い後悔の念を持つて,霊的に必要なことを告白することは,罪人が神と和解することを助けるものです。それから後,神の御前でどのように歩くべきかについて良く注意する助けとなります。
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信条の密林ものみの塔 1959 | 8月1日
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信条の密林
アメリカの詩人リゼット・ウッドワース・リースはかつて次のように語りました。『信条は密集して生長するため,その枝は神をかくす。』
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