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老人と困っている者に対する思いやりものみの塔 1962 | 12月1日
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に証言したり集会に行ったり,食事を共にしています。別の会衆でのことですが,年老いた母親とふたりだけで住んでいるある年配の婦人が最近病気になった時,会衆の成員はその姉妹のベッドの回りに働きばちのように押しかけて,家の掃除,買物その他の仕事を引き受けました。次第に快方に向かっているこの病人は感謝の心をこめて言いました,「これほど多くの兄弟姉妹が私を愛してくださっていたとは知りませんでした。エホバへのこのご恩は私には返しようもありません!」。またもう一つの場合,年老いた忠実な婦人が,非常な苦境に陥った時,献身したばかりの証者の家族が,その困っている人を自分の家に引きとって,長い間やさしく世話をしました。こうした実例は,ヤコブの次の言葉がいまでも守られていることを証明します。「父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは,困っている孤児や,やもめを見舞い……」。―ヤコブ 1:27。
あなたが,イエスの兄弟のいと小さき者に対して思いやりを示す時,イエスはそれを自分に対してなされたものと考えられます。そのような思いやりは,神の新しい世で永遠の生命という祝福を受ける者の列にはいっている,主の「他の羊」の間で見られるものです。(マタイ 25:31-46)「困苦者をあはれむものはさいはひなり」という箴言を真実とする思いやりのある人には,いまでも祝福があります。年老いた人や困っているクリスチャンを訪問するとき,あなたは,与えることのよりすぐれた喜びを楽しむほかに,それがお互いの励ましになることにお気づきになるでしょう。苦境にあっても忠実を保つ人を見て,訪問者は,忍耐という貴重な教訓を学びます。多くの場合,年老いたクリスチャンは,興味深い経験をたくさんもち,またエホバの会衆の近代の歴史の中で生じた著しい出来事を目撃しています。思いやりを示された人々は,エホバへの祈りのうちにあなたを覚えているでしょう。これこそあなたが,『この世では貧しくても信仰に富む』忠実な人々に親切を示す時に受ける祝福です。―ヤコブ 2:5。
エホバは,この苦しい時に,私たちが神と隣人に対し十分の愛をもち,新しい世の楽園で生命をいただくだけの資格があるかどうかを見るために,私たちの心を調べておられます。この検閲の下にあって,私たちひとりびとりが,忠実なヨブと同じようにつぎのように言うことができますように,「助けを求める貧しい者を救い,またみなしごおよび助ける人のない者を救ったからである。今にも滅びようとした者の祝福がわたしに来た。わたしはまたやもめの心をして喜び歌わせた。わたしは目しいの目となり,足なえの足となり,貧しい者の父となり,知らない人の訴えの理由を調べてやった」。―ヨブ 29:12,13,15,16,新口。
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神の目的とエホバの証者(その51)ものみの塔 1962 | 12月1日
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神の目的とエホバの証者(その51)
「『あなたがたは私の証者です』とエホバは言われる。」― イザヤ 43:10,新世訳
第31章 神と自由に対するケベックの火の如き憎しみは暴露され,敗北をこうむる
ジョン: 1950年は,ニューヨーク市のヤンキースタジアムで最初の国際大会が開かれた年として,たいていのエホバの証者の記憶に留められていますが,これはカナダにおいても大切な年でした。その年,カナダで真の崇拝に反対した人々を敗北させた,一連の法廷における勝利の最初のものが得られたのです。これはアメリカ最高裁判所においてエホバの証者の得た記念すきべ勝利と同様なものでした。
すでに何年かにわたり,フランス領ケベックの全土では,崇拝の自由のために戦いが行なわれていました。ここはローマカトリック教会の根強い地盤で,戦いは激しく,熱烈でした。ヤンキースタジアムでの大会についてお話しする前に,これらの出来事を回顧したいと思います。
話は1946年にもどりますが,その年,カナダの支部の僕が協会の会長に送った報告は,真理にうえかわく善意者に伝道するため,一致した努力の必要なことを述べています。
ケベックおよびニューブルンズウイックの両州には,手つかずの広大な区域があります。
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