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模範的な行状の外国人また寄留者最善の生き方を選ぶ
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4,5 (イ)西暦一世紀当時,使徒ペテロがクリスチャンたちを「各地に散っている寄留者たち」と呼ぶことができたのはなぜですか。(ロ)エホバ神はクリスチャンをどのようにみなされましたか。
4 信仰の仲間にあてた手紙の中で,使徒ペテロは「外国人また寄留者」という彼らの誉れある立場に注意を促しました。その最初の手紙の冒頭にはこう書かれています。
「イエス・キリストの使徒ペテロから,ポントス,ガラテア,カパドキア,アジア,ビチニアの各地に散っている寄留者たち,
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模範的な行状の外国人また寄留者最善の生き方を選ぶ
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5 西暦一世紀当時,信者たちは様々な土地に散らばり,クリスチャンでない人々に取り囲まれて生活していました。そして周囲の人々から不当にさげすまれる場合が少なくありませんでした。ですから,ペテロの手紙の中で示されているような,自分たちに対するエホバの見方を読んだり聞いたりすることは,それらの信者にとって励ましとなったに違いありません。彼らは実際神の「選ばれた人たち」,選民でした。至高者はその人たちをご自分の所有物,ご自分の民とされました。
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模範的な行状の外国人また寄留者最善の生き方を選ぶ
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7 「外国人」という立場にあるわたしたちには,どんなことが求められますか。
7 西暦一世紀の信者と同様,イエス・キリストの今日の献身的な弟子たちも,エホバ神のみ前に誉れある立場を得ています。これらの弟子は,この世にあって,模範的な「外国人」また「寄留者」として振る舞わなければなりません。さもないと,エホバ神および神の民の会衆に非難をもたらします。ですから,そのすべては,使徒ペテロの次の勧めの言葉を心に留める必要があります。「愛する者たちよ,外国人また寄留者であるあなたがたに勧めますが,絶えず肉の欲望を避けなさい。そうした欲望こそ,魂に対して闘いをいどむものなのです」― ペテロ第一 2:11。
8 何に不当な愛着を抱くようなことがあってはなりませんか。それはなぜですか。
8 現在のつかの間の事物の体制において「外国人また寄留者」なのですから,わたしたちは,現存する人間の機構内の何ものかに不当な愛着を抱いてしまうわけにはいきません。地的な結び付き,悲しみ,喜び,あるいは所有物はどれも永続するものではありません。だれも時の流れに逆らうことはできませんし,予期しない出来事に遭わずにはすみません。時の経過や予期しない出来事によって,人の境遇が突然にすっかり変わることがあります。(伝道 9:11)ですから,使徒パウロの次の助言に注意を払うのは真に知恵のあることです。「妻を持っている者は持っていないかのようになりなさい。また,泣く者は泣かない者のように,喜ぶ者は喜ばない者のように,買う者は所有していない者のように,世を利用している者はそれを十分に使っていない者のようになりなさい。この世のありさまは変わりつつあるからです」。(コリント第一 7:29-31)現在の絶えず変化する状況や諸関係から生まれる悲しみや喜びに浸り切ってしまうことは,至高者とみ子に一層近付く妨げとなり,わたしたちに重大な損失を招きかねません。
9,10 (イ)所有物に対するこの世的な人々の見方はどんなことから分かりますか。(ロ)所有物に対するわたしたちの見方は,未信者のそれと異なっているべきなのはなぜですか。
9 人類の大多数の状態は,わたしたちが『世を十分に利用』しようとしてはならない理由を如実に示しています。一般の人々は「新しい天と新しい地」に関する神の約束を知らないか,そうした来たるべき新秩序に真の信仰を持っていないかのいずれかです。ですから,現在の生活以外に注意を向けるものがなく,将来に確固とした希望もありません。したがって,人々は日常の必要物のことしか考えず,この世からできるだけ多くを得ることに没頭しているのです。(マタイ 6:31,32)そして,立派な衣服,輝く宝石,高価な装飾品,美しい家具あるいは豪奢な家を得るという見込みに目を輝かせます。物質的な所有物で他の人々に感銘を与えることを願い,またそうしようと努力するでしょう。―ヨハネ第一 2:15-17。
10 それとは対照的に,クリスチャンは自分の前途に永遠の将来があることを知っています。生活上の事柄に夢中になり過ぎて,将来を左右し得る創造者のための時間が事実上なくなることは,クリスチャンにとって愚かしいことと言えます。とは言っても,神の真の僕がお金で買える多くの良いものを適度に楽しんではならないということではありません。そうではなくて,自分たちを現在の体制の「寄留者」と真にみなしているなら,たとえ健全な娯楽や役立つ所有物でも,それらを決して生活の中心としてはならないという意味です。わたしたちは自分の資産を浪費したり不注意に扱ったりすることなく,そうした資産に対して正しい見方を取ります。それはちょうど,信頼できる人が,設備の整ったアパート,道具類,備品その他,必要で借りている物に対して取るのと同じ見方です。その人は借りているそれらの物を大切にしますが,いつまでも自分のものであるかのようにすっかり愛着を持つようなことはしません。現在の体制下では永遠が保証されているものは何もないこと,そして,わたしたちは神がおつくりになる約束された新秩序に向かっている「外国人」また「寄留者」に過ぎないことを認識していることを生活に表わさなければなりません。
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