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    ものみの塔 1977 | 3月15日
    • この世では「外国人また寄留者である」

      11,12 アブラハムのように神の約束を待ち望むわたしたちは,どうして国のない人々ですか。ペテロ第一 2章11,12節に書かれていることはこの点をどのように裏付けていますか。

      11 偽ることのない神が約束してくださったすばらしい事柄を待ち望んでいる今日のわたしたちにとって,アブラハムは確かに良い模範です。現在でもやはり,ひゆ的な意味で,国を持たない男女がいます。その人々というのは,本当にアブラハムの信仰を持つ人たちです。献身しバプテスマを受けて,『アブラハムの胤』の主要なかたイエス・キリストの弟子となった人々です。彼らは国のない人々とみなされていても,それは望ましくない見地からそうみられているのではありません。この見地は,キリストの弟子の一人使徒ペテロが,「ポントス,ガラテア,カパドキア,アジア,ビチニアの各地に散っている寄留者」と呼んだ人々あてに書いた手紙の内容により裏付けられています。(ペテロ第一 1:1)どんな意味でこれらのクリスチャンは「寄留者」なのでしょうか。その意味は2章11,12節に示されています。使徒ペテロはそこでこう書いています。

      12 「愛する者たちよ,外国人また寄留者であるあなたがたに勧めますが,絶えず肉の欲望を避けなさい。そうした欲望こそ,魂に対して闘いをいどむものなのです。諸国民[または,異邦人]の中にあっていつもりっぱに行動しなさい。それは,彼らが,あなたがたを悪行者として悪く言っているその事がらについて,あなたがたのりっぱな業を実際に見,その業のゆえに検分の日に神をたたえるようになるためです」― ペテロ第一 2:11,12。

      13 (イ)しかし,わたしたちはだれに対しては「外国人」ではありませんか,なぜですか。(ロ)ペテロとは違い,わたしたちはなぜ彼らの邪悪な事物の体制から出なくてもよくなりますか。

      13 わたしたちキリストの献身した弟子たちは,この世に対しては「外国人」かもしれません。しかし,神に対しては「外国人」ではないということを知るのはなんと大きな慰めでしょう! 神に対してはもはや,『思いが邪悪な業に向けられているために疎外され,また敵となっている』者ではないのです。(コロサイ 1:21)わたしたちは,「思いのむなしさのままに歩む諸国民と同じように歩んではいません。彼らは精神的な暗やみにあり,神に属する命から疎外されています。それは彼らのうちにある無知のため,また心の無感覚さのためです」。(エフェソス 4:17,18)使徒ペテロや当時の油そそがれたクリスチャンたちは,自分たちが死ぬ日にこの世の事物の体制から出,それによってもはやこの世における外国人滞在者でも寄留者でもなくなることを期待していました。しかし今日,クリスチャン会衆のこの20世紀においては,きたるべき「大患難」を生き残るエホバのクリスチャン証人は,体制から出ることはないでしょう。なぜですか。それはこの邪悪な事物の体制そのものが,「全能者なる神の大いなる日の戦争」において地の面から除かれるからです。大患難はこの戦いで終わります。―マタイ 24:21,22。啓示 7:14; 16:14,16; 19:11-21。

      14 ペテロは,油そそがれたクリスチャンがこの世で「外国人また寄留者」として振る舞うべきどんな確かな理由を挙げていますか。

      14 わたしたちは献身したクリスチャンであることを実際に公言していますか。では,この世の諸国民の間で,霊感を受けた使徒ペテロが助言した通りに「外国人また寄留者」として振る舞っているでしょうか。彼が,「生ける希望への新しい誕生」を与えられていたクリスチャンたちに,外国の地にいる者として注意深く行動するように説き勧めたのには確かな理由がありました。彼らがそうすべき理由をペテロは次のように述べています。「あなたがたは,『選ばれた種族,王なる祭司,聖なる国民,特別な所有物となる民』であり,それは,やみからご自分の驚くべき光の中に呼び入れてくださったかたの『卓越性を広く宣明するため』です。というのは,あなたがたはかつては民ではありませんでしたが,今は神の民であるからです」。(ペテロ第一 1:3; 2:9,10)ですから明らかにそのような人々はもはや,神から離れているこの世の一員ではありません。彼らはもはやこの世のやみの中を歩む者ではなく,神からの光をかかげる者です。彼らは遠い昔のアブラハムに似た立場にあります。

      15 ペテロ第二 3章13,14節によると,「新しい誕生」を与えられたクリスチャンたちの希望は何ですか。

      15 彼らの希望はこの世における希望ではありません。それは神の約束が抱かせた希望です。この希望は間もなく成就し,その輝かしい実現を見ようとしています。1,900年余の昔,ペテロは次の言葉を書き記しています。「神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります。それゆえに,愛する者たちよ,あなたがたはこれらのものを待ち望んでいるのですから,最終的に汚点もきずもない,安らかな者として見いだされるよう力をつくして励みなさい」。(ペテロ第二 3:13,14)この「新しい天」は,かの忠実なアブラハムが非常に辛抱強く待ち望んでいた「都市」,「真の土台を持つ」天の政府で,「その都市の建設者また作り主は神です」。(ヘブライ 11:10)「新しい地」とは,霊的「アブラハムの胤」を通して祝福を得る人々すべてによって形成される,新しい人間社会のことです。―創世 22:18。啓示 21:1。

      キリストと同じく世と関係を持たない

      16 ではなぜクリスチャンは世の諸国民の政治問題や紛争に関係を持つことはできませんか。

      16 「外国人また寄留者」である以上,そしてそういう者としてそのような神の約束を待っている以上,クリスチャンはどうして世の諸国民の政治問題や暴力闘争に実際に関係することができるでしょうか。彼らの心が,神の王国に関連した「新しい天」と「新しい地」に本当に注がれているなら,そのようなことに誠意を傾けることはできないはずです。

      17 マタイ 6章32,33節のキリストの言葉に従うなら,神の王国と人間製の王国とに注意を二分するのはなぜふさわしくないことですか。

      17 イエス・キリストは弟子たちにこう言われました。「あなたがたの天の父は,あなたがたがこれらの[物質的な]ものをすべて必要としていることを知っておられるのです。それでは,王国と神の義をいつも第一に求めなさい」。(マタイ 6:32,33)天の父の王国を第一に求めることには,イエスの次の預言の遂行に活発に参加することが含まれます。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地に宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。(マタイ 24:14)従順なクリスチャンは,神の王国の関心事と人間製の王国の関心事とに注意と時間を二分するような妥協的なことはできません。もしそのようなことをすれば,実際に神の王国を第一にし,神の是認を求めていることにはなりません。

      18 なぜクリスチャンにはこの世のものになる権利がないのですか。

      18 この古い世に対して「外国人また寄留者」となったのですから,クリスチャンには再びこの世のものとなる権利はもはやありません。もしこの世のものとなるとすれば,イエスが神にささげた次の祈りには含まれないことになるでしょう。「わたしは……邪悪な者のゆえに彼らを見守ってくださるようにお願いいたします。わたしが世のものではないのと同じように,彼らも世のものではありません。真理によって彼らを神聖なものとしてください。あなたのみことばは真理です」。(ヨハネ 17:15-17)「邪悪な者」は「この世の支配者」ですから,このような祈りがささげられたのには確かな理由がありました。―ヨハネ 12:31; 14:30。

      19 クリスチャンは「外国人また寄留者」として,この世でどんな経験をしますか。

      19 悪魔の支配するこの人類の世は,「外国人また寄留者」のこれらクリスチャンを,彼らがこの世のものとなることを首尾一貫して拒否するがゆえに愛するでしょうか。世はイエス・キリストを,イエスがご自分で言われたように『世のものでなかった』ゆえに愛したでしょうか。弟子はその師に勝るものではありません。したがってイエスは弟子たちに言われました。「もし世があなたがたを憎むなら,あなたがたを憎むより前にわたしを憎んだのだ,ということをあなたがたは知るのです。あなたがたが世のものであったなら,世は自らのものを好むことでしょう。ところが,あなたがたは世のものではなく,わたしが世から選び出したので,そのために世はあなたがたを憎むのです。奴隷はその主人より偉くはないと,わたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。彼らがわたしを迫害したのであれば,あなたがたをも迫害するでしょう。……事実,あなたがたを殺す者がみな,自分は神に神聖な奉仕をささげたのだと思う時が来ようとしています」。(ヨハネ 15:18-20; 16:2)神の約束の成就にあずかるためには,真のクリスチャンは世のそうした憎しみと虐待に忠実に耐えなければなりません。

      20 ヘブライ 10章32-34節によると,イエスと同じように憎まれたキリスト教徒になったユダヤ人は,何を心に銘記していなければなりませんでしたか。

      20 ローマ領ユダヤ州,とりわけその州都エルサレムに住んでいた,キリスト教徒になったユダヤ人は,彼らのメシアなる師イエス・キリストのその警告の言葉の真実さを知るようになりました。キリスト教徒になったユダヤ人であった使徒パウロは,イエスが上記の言葉を語られてから約28年後に,力を回復させる次のような言葉をヘブライ人の信者たちに書き送る立場にありました。「あなたがたは,啓発を受けたのち数々の苦しみのもとで大きな闘いに耐えたさきの日々をいつも思い出しなさい。ある時には,非難にも患難にも,劇場にあるかのようにさらされ,またある時には,そうした経験をしている人びととともに分かち合う者ともなりました。あなたがたは,獄にある人びとに思いやりを示し,また自分の持ち物が略奪されても,喜んでそれに甘んじたのです。自分たちに,さらに勝った,永続する所有物のあることを知っているためでした」― ヘブライ 10:32-34。

  • がん張りましょう ― 約束の成就は近づいています!
    ものみの塔 1977 | 3月15日
    • 神から遣わされた大使ですから,どの国で「王国のこの良いたより」を宣べ伝えていようと,彼らは「外国人また寄留者」です。『わたしたちの市民権は天にある』(フィリピ 3:20,21)というパウロの言葉を心に銘記している彼らは,政治問題に干渉する権利が自分たちにないこと,またはそのような権限を与えられていないことを認識しています。彼らは国や地方の政治,またこの世の利己的な闘争に対して,厳正中立を守らなければなりません。

      24 法をよく守るにもかかわらず,これらの「大使」は,エフェソス 6章19,20節のパウロの言葉が示しているように,世でどんな経験をしますか。

      24 ですから彼らは,税金を払い,地域社会の最善の益となるように行動する,法を最もよく守る人々です。

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