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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1953
塔53 3/1 73–80ページ

不平心を退散さす

1 エホバの証者は人々のあら探しをしようとして居るのですか? そして居るかどうかを示すものは何ですか?

神に仕える為自ら献身した人々は,神の国の利益と御名の証明の為を思わなければなりません。彼らは,真理を受けたとか生命への道を知つて居るとかいう理由で,高慢になつたり,威張つたりしてはなりません。ただその知識を有して居るというだけで彼らが外の誰よりも勝るということはありません。そうでなく,彼らは,その真理の知識を受け入れるに充分な感覚を有して居るのです。彼ら自身に獲得出来る理解を持ち,エホバのお役に立つ様働くのに充分な感覚を有して居るのです。彼らはエホバに深く感謝して居ます。人々はエホバの証者に,家へ来て下さいと頼みますが,エホバの証者はその様な人々のあら探しをしようとして居るのでありません。寧ろ彼らはその機会を得て幸であり,人々の家へ行つて一緒に研究してもよいかどうかそれら善意ある人々に聞きます。彼らは,自分達の受けたものを人々に分け合おうと一生懸命なのです。彼らは,真理を有して居りますから,午前中でも午後でも夕方でも ― 相手の都合の良い時なら何時でも,聞く耳ある人すべてに真理を与えたいと願つて居ります。エホバは彼の民が日も夜もエホバの宮殿で讃美の歌声をあげると申しました。それはこういう意味です。即ち,エホバの証者は日も夜も真の礼拝を実践し,善い便りの宣教をしてエホバに仕えなければならないという意味なのです。

2 荒野に於けるイスラエルの悩みのもととなつたものは何ですか? 今日,我々はどの様にして信仰を表明し,幸福を得ることが出来ますか?

2 我々は,イスラエル人の荒野に於ける不幸な経験をかえりみた時,その苦悩が不平家のあら探しをする者自身の落度によるものである事を見出します。然し若し彼らが神の御計画に従つたならば,彼らの幸福はいかばかりであつたことでしよう! 彼らが必要としたすべては信仰なのでした。それはそんなにも簡単な問題だつたのです。今日に於いても同様です。神は我々の為に御計画をたてて居られます。若し我々が神の御計画に一致するならば,我々は信仰を表明して居るのです。我々は,家毎の証言を通じて,他の人々に真理を与えることが出来ます。そうすることによつて幸福を得ることが出来るのです。我々が不幸な生活をする理由は少しもないのです。

3 宣教者宅に於ける紛議はどの様にして調停出来ますか?

3 物事を実際的に眺めましよう。学生はワッチタワー・ギリアド聖書学校を卒業します。そして彼らは宣教者宅へ移ります。彼らが幸福に暮せない理由は少しもありません。何故なら,彼らは,新しい任命を受けて,常に他の者に真理を与えることが出来るからです。若し其の家に住んで居る兄弟達の間につまらぬ紛議や試煉が生ずるならば,少くともそのどちらかが間違つて居ることは確かであります。だが,それは誰でしよう? その厄介ごとが,争つて居る人にあることは疑ありません。ですから為すべき事は,彼らを一緒にして,その厄介ごとすべての根底にあるものが何であるかを見出すことであります。若しお互が少しずつ与えるか譲歩するならば,即ち,双方が少しずつ与えることをするならば,その厄介事は恐らく解決し,それについてもはや何も言わなくなるでしよう。

4 一緒に住むことに成功する為,我々は何をする必要がありますか? 何故そうしなければなりませんか?

4 たとえ,その紛議が解決されても,相互の間には怨恨があり,未だ幸福がないでしよう。宣教者宅に於いては,あなた方は兄弟姉妹達と一緒に暮すことを望まなければなりません。これはどんな家に於いても同じです。お互に一緒に暮す慾望がなければなりません。あなたと同じ様に,すべての者が神の僕であることをおぼえて下さい。あなた方はみな,神の御言葉の真理に関する知識を有して居ますから,生きる為の物を同じ様に持つて居るのです。あなた方はみなもつと知識を欲して居ます。あなた方は既に多くの知識を与えました。そしてあなたの熱心な研究の結果として,確かに神の言葉を知つて居ります。然し,あなた方はもつと研究することを望んで居ります。もつと御言葉を読みたがつて居ります。そして,この善い便りを他の人に伝えることによつて,御言葉へのあなたの信仰を表明したがつて居ります。さて,若しあなた方が野外奉仕に於いて同じ気持で神の御言葉を宣教して居るのなら,どうして外の事でも一致して生活出来ないのですか? 何故我々は神の御心の如く幸福に生きられないのでしよう! お互に不平を言い合つて生活するのは神の御心にそつて居りません。日常生活上成功をおさめる為に我々の為すべことは,ただ与えることをするだけ,即ち少し譲歩することであります。エホバの制度内にある者は,すべて,エホバを真に礼拝しなければなりません。彼らは,隣人にも愛を示し,生活に於いて満足を得る様に努力しなければなりません。

5 高ぶる者は,何故虚偽を信じて居ますか? 彼らは何故幸福でありませんか?

5 詩篇記者は申しました ―『エホバをおのが頼となし高ぶる者によらず,虚偽にかたぶく者によらざる人は幸なり』と。(詩 40:4)高ぶる者は決して幸を得ません。彼は自分のことだけしか考えず,隣人の事など考えません。特に自分の神エホバをも忘れてしまいます。ミリアムとアロンが彼らの兄弟モーセに対して高慢となつた時,彼らはひくくされました。今日,至上者エホバの前に於ける自分の立場を認識するなら,我々は決して高ぶれません。我々は卑い者であります。それ故我々が傲慢になつたり威張つたりしてもよい理由は少しもありません。高ぶり出すや否や,我々は虚偽を信じて居るのです。我々は自分が重要な者であると考え出すのです。エホバの御名の証明と,御言葉を全世界に宣教する事こそ大問題であるという事を忘れてしまうのです。我々の物の見方はそうでないという事を,日々の奉仕によつて表明しましよう。そして,エホバの御名と御目的を讃美する様に生きましよう。

反抗や迫害のあら探しをせず

6 或国々に於いて,エホバの証者を抑圧しても何故我々は不幸になるべきでありませんか? 寧ろ我々は何をすべきですか?

6 現代に於いて,エホバの証者は世界の出来事の為に落胆しません。我々は,聖書が「悪魔の世」と言つて居る悪い世の真只中に住んで居ります。この世は歎きと悲しみに満たされ,悲惨な状態にあります。然し,エホバの証者は,たとえその中にあつても,不幸になるべき筈もございません。我々はこの世の中にあつても,その一部となる必要はありません。我々はエホバの制度に眼を転ずる時,その繁栄と成長に驚きあやしむばかりです。善い便りに反対する人々のあらゆる圧迫にも拘らずそうなのです。エホバの証者は,自分達の仕事が多くの国々で禁止され妨害されたことを見て来ましたが,その為に失望しません。現在我々は神に向つて不平を言い,神は自分の仕事をどう運営して良いか御存じにならないなどと言うべきでしようか? 我々はロシアを見て,次の様に言うべきでしようか? 『神よ,あなたは,あの国に宣教する為,エホバの証者の宣教者を入国させるのに失敗したのですか?』と。鉄のカーテンの背後にあるエホバの証者に或不幸な体験が生ずるからと言つて,神を指図することは我々に出来ません。其処に居るエホバの証者達も同じ神の御言葉を持つて居り,その善い便りの宣教を忠実に続けて居ります。外のもつと自由のある国に居るエホバの証者は,普く行きわたり,神の国のメッセージをもつと広範囲に宣教すべきであります。そして機会に恵まれて居る事に感謝すべきです。あなたに指定された地域で語る自由をおろそかにしてはなりません。民主々義国には言論の自由があります。然し民主国に居住する兄弟達が家毎の伝道に熱心さを示さない時があります。彼らは常に反対のある国に住んで居る伝道者よりも熱心さが足りない場合があります。

7 その様な国々の状態と同じ環境で奉仕することに関し,我々はどんな質問をし,又解答すべきですか?

7 一寸立ち止まつて考えて下さい。若し貴方の国の政府が,貴方に以後エホバ神を礼拝してはならないと言い,国家よりも貴方の神を重んじてはならないと言つたならば,貴方はどうしますか? その様な環境のもとにあつてあなたは何をしますか? 貴方は何処に幸福を見出しますか? 国家の政令に従つて礼拝する様心を変えることによつてですか? 或は,御言葉を通じてエホバが指示して居る通りに神エホバを礼拝することによつてのみ,貴方の幸福がもたらされるのですか? 若し反対にあうならば他の人に宣教する事を止めてしまいますか? 或は機会のあつた時同様に,断固として福音を宣教しますか? 或人々の如く不平をもらして次の様に言いますか? 『神よ,あなたは何故私をこの様なことに遭わせるのですか?』と。貴方はこう考えるかもしれません ―『私は此の様な悩みのない国にどうして生れなかつたんでしよう? ワッチタワー協会では何故私を此の国から他の国へ移住させて,其処で宣教させてくれないんだろう?』 至高者の本当の僕には,神の国の善い便りの宣教を止めることが出来ません。我々が不平を言おうと思えば言える事がたくさんあるのは事実です。然し,我々が若し正しい心を有して居るならば,奉仕する機会を与えられた事に関して神に感謝するでありましよう。即ち我々が何処に居ようとも,或は神が我らを何処へ遣わそうとも,奉仕する機会を有することを有難く思うでありましよう。何故なら,我々は御国のこの福音が全地に宣教されなければならないという事を知つて居るからです。我々が人々を何処で見出そうとも,人々に変りはありません。それらの人々の中には善人も居り悪人も居ります。若し其処に『羊』が居るならば,我々はその『羊』を見出すことを望んでやみません。

8 エホバの証者は,何処に居ようともまたどんな苦しい状境下に於いても,何故宣教するのですか?

8 神の制度を指図して居る者は神御自身であり,神が御国のこの福音を証となる為全世界に宣べ伝えさすのであるという事を銘記して下さい。それ故,我々が何処へ行こうと,何をしなければならなかろうと,その様な事に問題なく,断固としてその宣教の仕事を続行しなければなりません。それは,どうしても為さねばならない仕事です。我々は不平家になりたくありません。何故なら,若しそうなるなら,我々は宣教を止めがちになるからです。今日,忠実な多くの証者達は,牢獄にあつても収容所にあつても幸福であります。そして,たとえ,その様な所に居ても,彼らは一緒に住んで居る人に忙しく福音宣教して居ります。エホバの証者は,御国の音信を禁じて居る国にあつても,幸福であります。彼らは,反抗と迫害で苦しみますが,真理について語る事を絶えず続けて居ります。彼らは,ペテロが次の様に言つた事を憶えて居ります。『さて,もしあなた方が善い事に熱心であるならば,誰があなた方を害するであろうか。若しあなた方が義しいことのために苦難を受けるならば,幸である。彼らの脅しを恐れたり,心を乱されたりしてはならない。心の中で,キリストを主と崇めなさい。あなた方の中にある希望について説明してくれと求めるすべての人々に対しては,柔しく且つ敬虔な態度を以つて弁明するように,常に準備しておきなさい。』― ペテロ前 3:13-15。

9 今日,貧しい人をかえりみる者はどの様に幸福でありますか?

9 エホバは,此の世の貧しい人々に関心を持つ人々をお喜びになります。何故なら,御国のメッセージに耳を傾ける人々は此の部類の人であるからです。詩篇記者は言いました ―『貧しき人をかえりみる者は幸なり,ヤウエ斯かるものを禍の日に助け給わん。ヤウエ彼を保ちて生きながらえしめん。彼はこの地にありて幸をえん。汝彼をその仇ののぞみにまかせてわたし給うなかれ。』(詩 41:1,2,ロザ訳)我々は,我らの仇ののぞみがそうであるからと言つて,御国の福音の宣教を止めるわけにいきません。寧ろ,エホバの証者は,幸を得るでしよう,即ち若し世の貧しい者,此の古い組織の悪むべき事の為に歎き悲しんで居る者の前に,エホバの御国に関する真理を保つならば,幸を得るのであります。他の国々に居る我らの兄弟姉妹達神の僕すべてについて考えてみましよう。そして,敵が彼ら神の僕達を絶えず如何に攻撃して居るかを考えてみましよう。それらを考えた時,我々は自分達の有する自由の為,神に深く感謝すべきです。そして,未だ機会のある中に,もつと広範囲に福音を宣教して,我らの感謝を表明すべきであります。すべての者は,自分の円熟を表明すべきであります。即ち,家毎の伝道に於いて正しい模範を示し家庭聖書研究会を司会し,未熟な者が野外奉仕にもつと堅実になる様に助力して自分自身の円熟を表明すべきです。

10 我々は,エホバの制度に対して,どんな態度と,どんな行動をとることによつて,幸を得ることが出来ますか?

10 あなた方は,神の制度に於いて自分が占めて居る立場について,決して不平を言い出さない様にして下さい。反つて制度と共に幸福になり,制度のうちに留りなさい。『よろこびの音を知る民は幸福なり,エホバよ彼らはみかおの光の中を歩めり,かれらは御名によりて終日よろこび,汝の義によりて高くあげられたり。』(詩 89:15,16)エホバの民は,断固として,清い衣をつけて前進するとき,非常に幸福であります。神の僕は清い隊形を保ちつつ,エホバ礼拝の歓びの音をあげて居ります。我々は,それを全世界到る処で耳にします。各々の者は,自分の立場を固守し,奉仕に於ける自分の才能を益々発展さす様に力めなければなりません。事の結末に関して疑を懐く理由は少しもありません。神の御言葉は,我々に神の御目的を啓示しました。それ故,地上にある神の忠実な僕達は,神が何を為さろうとして居るか知つて居ます。彼らは肩を組んで前進すべきです。そして決して列を乱すべきでありません。我々は或者が間違をする事を知ります。然しそれは不平を言うべき理由になりません。為すべき事は間違を訂正する事であります。

懲しめられても幸

11 エホバの懲しめを受ける人は,その為如何に幸福を保持しますか?

11 『ヤハよ,汝の懲しめ給う人,汝の法を教えらるる人は幸なるかな!』(詩 94:12)若し,我々か懲しめられず,誤つた道を歩み続けるならば,我々は間もなく自分が悪魔の制度にもどつて居る事に気づくでありましよう。我々が幸福を獲得出来る唯一の道は,懲しめを受けて,エホバの制度内の新しい組織制度と調和を保つことによつてのみであります。天の神は,自ら地上に降つたり或は幾人かの天使を我らの許に遣したりして,我らに説明しようとしては居りません。そうですとも,我らに語り説明してくれる者は,我らの兄弟であるかも知れません。或は,我らの父母であるかも知れません。或は,我らに懲しめとなる教訓を与える者が会の僕であるかも知れません。巡回の僕であるかも知れません。或はワッチタワー誌かも知れません。懲しめの教訓はエホバの制度内からもたらされ,制度内に居る者に役立つ為です。懲しめは感情を害するかも知れません。それは強い打撃を与えるかもしれません。そして,あなたが若しその懲しめを受けることが出来なければ,貴方は自分の幸福を失うのであります。勿論懲しめを受けた瞬間に歓びはありません。然し,後になつて自分の道の誤りを知り,再び神の御準備に一致する時,我々は歓びを得て,懲しめの真価を認識することが出来ます。『忍んで懲しめを受けなさい。神はあなた方を息子として扱つて居られる……成程,すべての懲しめは,今のところ喜びではなく,悲しみであると思われるが,それは,後になつて,これにより鍛錬された人たちに,義からの平和な果を結んでくれる。』(ヘブル 12:7,11,口語訳)エホバの真の僕は,懲しめを歓んで受けるでしよう。それ故,エホバの懲しめを受ける者は本当に幸福であります。

12 我々は,如何に又何故,懲しめをはねつけるべきでないのですか?

12 懲しめをはねつけてはなりません。若し誰かがあなたの許へ来て,貴方が何事かについて間違つて居ると言い出したならば,その人にお聴きなさい。直ぐ興奮して次の様に言つてはいけません ―『まあまあ,私にも先づ理由を話させて下さい。』いけません,為すべき事は,その人に聴くことであります。若しその人が何か心に思つて居る事があり,それを貴方に告げるべきだと信じて居るならば,その人に聴くべきであります。先ず考えて下さい ― 貴方に間違いがあるかも知れません,恐らくあるでしよう。何故なら,我々はみな罪のうちに生れ,不義の思念を懐くからです。我々がエホバの制度内に留つて居たいと言う事だけは,少くとも我らの知る所であります。そして,若し我々が何も間違つたことをしないのに懲しめを受けるならば,それでも懲しめは我々の害とはなりません。然し,若し我々が間違つた事をしたならば,その忠告と助言は,我々に大いに役立つでありましよう。そして,我々は悪魔の制度にすべり落ちずにすむでしよう。若し我々が間違をした為に,エホバの制度外にあるならば,エホバの制度で楽しんだと同じ幸福を此の世で得ることは決して出来ません。それ故に,我々は自分の心を絶えず神の物に向けなければなりません。我々は自分の心を決め,自分を懲らしめ正すことに励まなければなりません。

13 自分にもう懲らしめが必要ないと何故誰も考えるべきでありませんか?

13 我々は既に多くの懲らしめ〔訂正〕を受けました。特に真理に入つたばかりの時に受けました。我々は,聖書研究を通じて,神の御言葉を理解することによつて懲らしめ〔訂正〕を受けました。これらすべての懲らしめは,非常に親切な態度によつて我らに与えられました。そして,会に於ける僕達や,年長者達が親切な方法で我々を諫める事はひかえるべきであるという理由は更に少しもありません。10年或は20年も真理に入つて居た者の中,もはや自分には懲しめが少しも必要ないと考える人が居るかも知れません。だが銘記して下さい。イスラエルの子らは荒野に40年居りました。それでも彼らは絶えず懲らしめを必要としたのです。教訓と譴責とは,生命に至る道なのです。ですから懲らしめを受け,それによつて利益を得なさい。貴方はその為に,もつと幸福になるでしよう。

子供達と若人

14 正しい人の子供が幸福になる為,どの様に援助すべきですか?

14 『凡そ人はおのおの己の善を誇る,されど誰が忠信なる者に遇いしぞ,身を正しくして歩む義人はその後の子孫に福祉あるべし。』(箴 20:6,7)エホバの証者は,神に忠誠を保ち,忠実に歩む為には神の御霊が必要であるという事を充分に認識して居ります。我々は,エホバの証者の子供達も真理のうちに成長し,確固となる様に望んでやみません。子供が喧しく振舞うことを見るのはそう気持の良いものではありません。時には,親達が自分の子供の振舞に無頓着の様に見える時があります。世の状態に満足せず,真理に入つた者達の間に於いてすら次の場合があります。即ち若い世代の人々に眼を転ずる時,彼らが無遠慮,無頓着な態度を持つて居る場合があります。勿論,強情にするのは,この世の子供の訓育法です。然し,神の言葉の研究を始め,自分の心を変えて新にしはじめた時その人は,強情さをあらわそうとせず,愛の原則に従うならば,もつと良く暮すことが出来るという事を体得すべきです。悪魔の制度の終りの日である今日に於いて,我々は家庭や世の人々の間に非常な不満があるのを見出します。ですから,新しい人が神の制度に入つて来る時,古い世の態度を幾分持ち込んで来る場合があつても,それ程驚きません。しかし,我々の道は神の道でなく,神のお考えは,我々のそれよりもずつと高いものです。故に我々が心を変えなければなりません。

15 或若人は,エホバの制度に対し,どの様に無遠慮になりますか? その様な若人を正すものは何ですか?

15 我々は時々次の様な場合を耳にします。即ち,十八,九歳の若い兄弟で,十三,四歳の頃から真理に入つて居る兄弟が,自分よりも年長な兄弟に,為すべき事や,その行い方などを告げ始める場合です。彼はこう考えます ― 即ち自分は若いけれども,制度内に15年或は20年も居る者より良くエホバの制度の運営法を知つて居ると考えるのです。若者は,未だ両親に正しく訓練されて居ないうちに,自分は完全に資格を与えられたと考え,何事かを自分の思うままにしようとします。然し,それら若者達は,真理上の年長者が何年か前に学んだ事を未だ学ばなければならないのです。彼らは,従順と忍耐を学び,なかでも神の言葉からの真理を学ばなければなりません。彼らは他の人に訓戒を与え得る様になる前に,先ず自分の心を変えて新にし,知識の吸収を始めなければなりません。時々資格があると自ら考えて居る若者に或責務が与えられた時,その若者が失敗する場合も見うけられます。彼らはその荷を負いたがりません。そして,それに対する興味を失います。それ故若人達は年長者から智慧を受けて,知識を獲得すべきであります。肩書や地位には何の価値もありません。エホバの御名に栄光と誉れを与えることこそ最も重要なものであります。

16 使徒パウロによれば,その様な者が重い責務のある地位につかされないのは何故ですか?

16 エホバの制度に於いては円熟が必要であります。何故なら,責務には常に監督の立場がともなうからです。使徒パウロが言つた言葉を銘記して下さい ―『もし人が監督の職を望むならば,それは尊い職務〔正しい仕事,新世〕を願うのである………新らしく信仰に入つた人であつてはならない。これは傲慢になつて悪魔としての裁きに陥らない為である。』(テモテ前 3:1-6,口語訳)それ故正しい仕事を追い求める事は善いことです。然し,良くその資格を備える為に,絶えず研究と訓練を積んで下さい。

17 責務を負つて居る者は,何故モーセが甞て為した如く,その責務からのがれたいと願うべきでないのですか? それは幸福の為になりますか?

17 モーセは長い間エホバの制度内に居ました。そして責務を負い,それを良く処理することが出来ました。然しイスラエルの民がモーセに向つてつぶやいて居た時,モーセは「私を死なせて下さい」と言つたのです。モーセは,彼よりも偉大な者即ち現在の我らの指導者なるキリストイエスをあらわして居ました。そしてイスラエル人はその偉大な指導者モーセの役に余り立ちませんでした。然し,ここに次の点が明らかにされます。即ち,責務は大きな重荷をともなうという事とそれに耐え得る者は円熟して居なければならないという事です。しかしながら,我々はモーセの様に考えてその重荷からのがれようなどとは決して考えたくありません。我々がその様な考えを懐くべき理由は少しもありせん。何故なら,今日に於けるエホバの制度は平和で繁栄して居り,幸福であるからです。僕達は協力し合つて居り,あらゆる方法で助力しようとして居ます。それは,この大きな仕事が,エホバの御名の誉れと栄光と証明のために遂行される為です。この組織制度の終りに於いて為すべき仕事があります。御国のこの福音は,完全な終りが到来するまでに宣教されねばなりません。そしてその終りがこの時代での5年或は10年内或はもつと後になつて到来しようとも,エホバの証者はその事によつて少しも左右されてはなりません。彼らは神への奉仕者であります。そしてその仕事に忠実である事を望んで居ます。神は彼らに為すべき仕事を与えました。そして神の僕達は,その責務すべてを負う事を幸福として居ます。彼らはその仕事に着手しました。そして,神の余りある御親切によつて,それを完成するまで続行しようとして居ます。この仕事をはじめたあなた方よ,どうぞそれを続けて下さい。そして,聴きたいと願う人々に,あなたの持つて居る善い便りを絶えず与えて下さい。あなた方は,真理を無代価で与えて居る限り,大きな幸福を味うことが出来るでありましよう。

18 偽りの非難を受け,迫害を受けて居る者は,何故幸であるべきですか? そして,その様な人はその幸福をどの様にあらわすべきですか?

18 我々の宣教の仕事を妨げる大きな悩みは,神の制度内より生ずるのでありません。それはイエスキリストの申した通り,外部にある悪魔の制度の圧迫によつて生ずるのです。『人々が私の為に,あなた方を罵り,ひどい目にあわせ,偽つていろいろと悪口を言うならば,あなた方は幸である。喜びなさい,雀躍りして欣びなさい,天にあつて受けるあなた方の報は大きいからである。彼らは,あなた方よりも前に居た予言者たちをも,その様なひどい目にあわせたのだ。』(マタイ 5:11,12)正にその通りです。エホバの証者は,非難と迫害のもとにあつても幸福になることが出来ます。彼らは非常に幸福なので雀躍りして欣びます。これこそ幸福のあらわれなのです! それは,神の僕が,正しい側に立ち,真理を有して居るという事を知つて居るからなのです。人々が偽つて彼らの悪口を言おうとも,彼ら証者は幸福になれます。そして大迫害を受けながらも,常に人々に語りつづけます。然し迫害者にでなく傍観者に語るのです。また,彼らと共に投獄されて居る者にさえ語るのです。あなた方は,若しただ真理を受けるだけよりも,真理を他の人に与える方が幸であるという事をひとたび学び知つたのなら,あなたにどんな悪行が加えられようとも,どうぞその与えることを続行して下さいあなた方は,自分のその行動がエホバと御子キリストイエスに誉れをもたらすことを知つて居るのです。

19,20 誰であるからとか,誰を知つて居るからという事でなく,寧ろ何が完全な幸福をもたらすのですか?

19 神の制度内に留ることが必要です。そして,あなた方に幸福をもたらすものは,自分の知つて居る事に基くあなたの行動なのです。あなた方の生活に満足を齎らす物は,あなたが誰であるからとか,誰を知つて居るからというのではありません。次の事を銘記して下さい ―『エホバは智慧を与え,知識と聰明とそのみ口より出ず。』(箴 2:6)幸福を得る為に,各人は自ら固く立たなければなりません。マリヤが幸福を得たのは,単に彼女がイエスの母であつたからというのでなく,彼女が自分の子に関する真理を知つて居た為であります。あなた方は,群衆の中より叫んで,次の様に言つた婦人についてお読みになりました ―『あなたを宿したお胎とあなたの吸つた乳房とは幸です』と。然しイエスはこう言いました ―『〔いや寧ろ,新世〕神の言葉を聞いてそれを守る人はさらに幸である。』(ルカ 11:27,28,口語訳)イエスの母を知つて居るという事がさほど重要でなく,また救主を生んだという事が完全な幸福をもたらしたのでありません。イエスが指摘された通り,本当に大切な物は,神の言葉を聴きそれを守り,真の僕となり,エホバ神を真に礼拝する者となる事なのです。

20 それ故我々は次の事が分ります。即ち,ワッチタワー・ギリアド聖書学校を卒業した宣教者であろうが,会の僕であろうが,巡回の僕であろうが,或は支部の家に居る者であろうが,エホバの制度に於ける各々の立場は,必ずしもその人に幸福をもたらす物でないという事です。幸福をもたらす物は人の立場でなく,各々の立場に於いて為すめいめいの行動なのであります。その人は神の言葉を聞きそれを守つて居るでしようか? 若しそうして居るなら,そして,自分の兄弟達や善意ある人々を助ける為に,自分の持つて居るものを与え,兄弟達に良く仕えて居るならば,その人は幸福でありましよう。真理こそ重要な物であり,立場が重要なのでありません。それ故,多くの者はエホバの制度に於いてそれぞれ異つた立場を有して居ますが,それらの立場を讃えたり崇拝したり尊敬したりすべきでありません。為される仕事こそエホバの喜び給うものであります。そして,エホバ神を喜ばす人なら誰でも,真理の兄弟達をも勿論喜ばすでしよう。若しあなた方が真理を持ち,真理に従つて生きるならば,あなた方は幸福な人です。

21 自分の立場に拘らず,幸福な者は,聞いて忘れる者でなく,誰ですか?

21 ヤコブの言葉に聴いて下さい ―『完全な律法,即ち自由を与える律法を見つめて,忍ぶ人は,聞いて忘れる人ではなく,行いをする人であるから,その行いによつて祝福される〔幸福,新世〕であろう。』(ヤコブ 1:25,口語訳)これこそ幸福を齎らす唯一つの物であります。即ち,御国の善い便りを他の人に宣教し,語り,与えることであります。卒業証書を貰う事や,役務を持つ事などは,若しその人が自分はもうすべてを知つて居るのだと考え出すなら,その人を聞いて忘れる者としてしまうかも知れません。たくさん有する者にはたくさんの要求があります。故に神の制度内にある者はすべてもつと熱心になり懸命になつて,神の委ね給うた仕事を行うべきであります。我々は神の新しい組織制度内にあつて,心を新にして神の考と一致する様にしましよう。そして与えることにより幸福を獲得しましよう。

幸福の源泉

22 エホバは何故『幸福の神』ですか? 故に我々はどうなることを望むべきですか?

22 今日,エホバの証者は幸福であります。何故なら,彼らは神の御言葉とエホバ御自身とに信仰をもつて居るからです。彼らは,現代に於いて自分達の為,何かの奇蹟が行われる様にとは期待して居ません。又彼らがエホバの制度内に留るのに役立つ様な,外見的徴などをも期待して居りません。エホバの民が従う為には,エホバの御言葉で充分であります。御言葉は,我らを悪魔の制度から釈き放ちました。そして,我々は何時も自由である様に望んで居ります。パウロは自分の仕事を果し幸福でありました。何故なら彼は「自分が委ねられて居るところの,― 祝福の神の栄光あるよい音信」を持つて居たからです。(テモテ後 1:11,口語訳)我らの神は幸福の神です。そして,我々は神の象の如くにつくられたのですから,幸福になれないわけはありません。神の幸福は与えることを通じてもたらされました。そして我々に非常にたくさん下さいました。だから,我々は他の人に与える物をたくさん持つて居ます。普通の生き物は,すべて生きることを望みます。我々は生命を愛し,その生命より最善を得たいと思います。我々が生命から最も欲するものの一つは幸福であります。何故なら,幸福のない生命は,退屈で面白くないからです。

23 或者はどの様に幸福を求めますか? 然し,我々に最大の幸福を寄与するものは何ですか?

23 今日,人々は多くの方法で,幸福を追い求めて居ます。或者は幸福を自分の家族或は親友から受け,他の者は海岸や森へ行つたり,或は自分の子供達と遊んだりして幸福を得ます。然し,最大の幸福というものは,単に楽しみを受けることよりも,寧ろ他の人に与えることから得られます。我々は,地上に於ける自分の友人から物を戴いたり,愛する者に物を与えたりすることに大きな喜びを持ちますが,我々の最も偉大な友は,エホバ神とキリストイエスであります。エホバとキリストは,我々に非常にたくさんの知識と理解とを与えました。それ故,我々はそれら戴いた物のうちから他の人に豊かに与えることが出来ます。『永遠の生命とは唯一のまことの神であるあなたとあなたの遣わし給うたイエスキリストの知識を会得することであります。』― ヨハネ 17:3,新世

24 我々は何故真理を他の人に与る事を欲しなくなつてはなりませんか?

24 我々は受けた真理を他の人に与えたくなくなる様なことの,決して起らない様にしましよう。エホバ神は御子キリストイエスを通じて栄光ある御準備をととのえました。若し我々が,その栄光ある御準備について他の人に語りたくなくなつたり,真の宗教を恥とする様な気持になるならば,エホバ神も我々を恥とする様になります。その様な人はエホバの制度内に居ることが出来ません。又,我々はもうエホバの奉仕は充分にしてしまつたなどと決して考えない様にしましよう。我々は,40年,50年或はそれ以上長い間真理に入つて居たから,もう奉仕から引退出来るなどと決して考えるべきでありません。我々は生きて居る限りエホバを讃美しなければなりません。銘記して下さい ― 我々はエホバの制度内で何千年も否何百万年も,限りなく生きることを望んで居るのです。― それは清い制度であり,その制度内に居る者はみなエホバを礼拝して居ります。ですから,我々は60歳或は70歳だからといつて,奉仕と礼拝を止めるなどとどうして考えられましよう?

25 少年少女は早いうちにどの様にして幸福を得ることが出来ますか?

25 少年少女達にとつて,今エホバへの奉仕を始め,若い中に心を更え始め,神の如き考え方をはじめ,御言葉の研究をはじめて,それに満たされ,クリスチャンの持たねばならないすぐれた性格を持つことは何と歓ばしいことでありましよう! このすぐれた性格とは愛と献身と忍耐と親切です。これらすべてと,与える精神とを持つならば,彼らの永久に楽しめる幸福は何と素晴らしいものでありましよう!

26 我々は,世の富や貧困でなく,何を欲するのですか? それを獲得する為どの様に努力しますか?

26 我々はエホバ神の下さつた物で満足しましよう。そして,我々に課せられた責務を良く果しましよう。そして,歓び勇んで我らの兄弟に仕えましよう。次の様に語つた者は箴言の記述者であります。『虚仮と偽言とを我より離れしめ,我をして貧しからしめずまた富ましめず,ただなくてならなぬ糧を与え給え。そは我あきて神を知らずと言いエホバは誰なりやと言わんことを恐れ,また貧しくして竊盗をなして我が神の名を汚さんことを恐るればなり。』(箴言 30:8,9)今日に於けるエホバの証者は,この世の富を欲せず,また貧困も望みません。そして,我々はイエスの教えた祈りをもつて求めるのです ―『私達の毎日の食物を今日も与えて下さい』と。我々の欲するものは生活の必需品である衣食住だけであります。これらと,敬虔な献身とをもつて満足すべきです。神は,我々が生存して活潑に奉仕できる様に,必要な物すべてを下さると約束されました。そして我々は自分と家族の為にそれら必要な物を獲得する為,日々努力します。然しそれにも増して,我々はパンのみで生きるのでなく,神のみ口より出ずる御言葉によるのであります。―申命 8:3。マタイ 4:4。

27 我々はどんな富を欲しますか? 我々は地上の幸福な民である為に何をつゞけますか?

27 それ故,我々の欲する富は,豊富な知識であります。我々は,虚仮や偽言から遠く離れたいです。我々はエホバを否定することを決して欲しません。エホバの証者はエホバの御名をみだりにして居ませんから,世の中で一番幸福な人々です。彼らは,この古い世を縫い合せて団結させる責務は持つて居ません。然しながら,彼らは今日の問題に関する解答を有して居ます。また最大の慰めと歓びをもたらし,最も楽観的なメッセージを有して居ます。それは誰でも聞けるもので最も大きな結果を及ぼすものであります。彼らは神の国のメッセージを有して居るのです。それは正義を愛するすべての人々のうえに,繁栄と幸福の祝福をもたらします。彼らは,このメッセージを絶えず与えつづけます。何故なら,受けるよりも与える方が幸なことを知つて居るからです。それ故,あなた方は会の伝道者であろうと,開拓者であろうと,巡回の僕であろうと,地域の僕であろうと,宣教者であろうと,また支部で働く者であろうと,或はエホバの制度内の他のどんな処で働く者であろうと,とにかくあなたの立場を忠実に守りなさい。善い便りを絶えず与えつづけ,聖き衣をつけてエホバを礼拝して下さい。

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