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「神の羊の群れ」に気遣いを示すものみの塔 1980 | 12月1日
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あなたがたにゆだねられた神の羊の群れを牧しなさい。強いられてではなく,自らすすんで行ない,不正な利得を愛する気持ちからではなく,真剣な態度で牧しなさい。
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「神の羊の群れ」に気遣いを示すものみの塔 1980 | 12月1日
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主要な牧者であられるイエス・キリストがそうした気遣いを示されたのであれば,「群れ」を牧する人もすべて当然そうすべきです。しかし強いられるから仕えていると感じるクリスチャンの監督であれば,もちろんそうすることはできません。今日の任命された長老はだれも,圧力をかけられているから仕えなければならないのだ,と感じるべきではありません。特定の人だけにしか与えられないこの責任を担うことには多くの仕事が関係していますが,優しい従属の羊飼いは,力になりたい,役立ちたいという願いを示します。長老は,謙遜さと進んで苦しみを忍ぶ態度を示したキリスト・イエスと同じ精神態度を持って初めて,そうした霊を示すのです。(フィリピ 2:5-8。ペテロ第一 4:1)自分が,偉大な牧者エホバ神の世話を受けている「群れ」の一部であり,どこかの人間ではなく,エホバ神とそのりっぱな羊飼いイエス・キリストに対して責任を負っていることを認める長老は,熱心に,不平を言わずに仕えることでしょう。(ペテロ第一 2:25)今日の長老たちは,ペテロのようなイエスの苦しみの目撃証人ではないとしても,キリストの生涯と宣教に関する,聖書の詳しい記録には恵まれています。そういうわけで,「群れ」を牧する面で,長老たちはペテロと同じ見方をすることができ,ペテロと同じ霊を抱くのです。
6 監督たちは「群れ」を扱う際に何を念頭に置くべきですか。
6 りっぱな模範となるためには,クリスチャンの従属の羊飼いは,不正直で利己的な利得や分を超えて重要視されることに関心を抱いてはなりません。これにもし「偉さ」というものが関係しているとすれば,それは兄弟たちのために自分を役立てること,近づきやすいこと,兄弟たちの霊的な益に仕えることから来るのです。
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