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「信仰」を得たのちも前進するものみの塔 1980 | 8月1日
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が,彼の二番目の手紙を読む人々に望んだことでした。彼は次のように書きました。
「このようなわけで,わたしはこれらのことをあなたがたに思い出させたいという気持ちを常にいだくことでしょう。もっとも,あなたがたはそれを知っており,またあなたがたのうちにある真理に堅く据えられてもいます。ですが,わたしがこの幕屋にいるかぎり,思い出せる意味であなたがたを鼓舞するのは正しいことであると思います。わたしは自分の幕屋をまもなく脱ぎ捨てることになるのを知っているからです。それは,わたしたちの主イエス・キリストがわたしたちに示されたとおりでもあります。それで,わたしは,自分の去ったのち,あなたがた自身でこれらのことを話し合えるよう,時あるごとに力をつくして励むつもりでもいます」。(ペテロ第二 1:12-15)
ペテロから語りかけられた1世紀の人々のように,わたしたちは,「良いたより」を宣べ伝えることや,キリストに似た人格を示す点で向上をはかることの重要さを知っているかもしれません。また,自分が持っている知識の範囲では,キリスト教の真理に固く立っているかもしれません。しかしそれでも,とりわけ試練に面したとき,また偽教師の巧妙な議論に面したときなどもそうですが,ペテロが述べたことを思い出す必要があります。
37 助言を与える点でペテロはどのように優れた模範でしたか。
37 ペテロがこの助言を書いた理由を思いにとめておくのは良いことです。使徒は自分が間もなく死ぬことを知っていました。イエス・キリストから自分が殉教することを直接に告げられていたからです。(ヨハネ 21:18,19)そういう前途であることがわかっていても,ペテロは関心を失って陰気になることはありませんでした。それどころか,兄弟たちを強め,彼らが活動的で豊かに実を結ぶよう励ますことに残された時間を使う決意をしていました。そのために兄弟たちはペテロの死後も彼の助言から励ましを得,また互いに鼓舞し合うのにその助言を用いることができました。
38 ペテロの手紙に記されている助言をどうすべきですか。
38 わたしたちの願いは,ペテロの手紙からわたしたちも励ましを得,またその助言に注意を引くことによって他の人々を強めることです。そしてエホバのすばらしい約束の成就を確信して引き続き「良いたより」をふれ告げ,天の父とそのみ子に似る者となるよう一層まい進することです。
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『他の人を裁いてはなりません』ものみの塔 1980 | 8月1日
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『他の人を裁いてはなりません』
不完全な人間はとかく自分を他の人と比べ,仲間の人間の価値について判断を下しがちです。大抵の場合,そうした判断は個人の好みや趣味に基づいていたり,背景や教育の相違に影響されたりします。
しかし,真のクリスチャンは誤った見方で他の人を見ないよう自らを守らなければなりません。クリスチャンの使徒パウロは,食物を食べることについて論じた際,生活のこの重要な領域に関して平衡を保つのに役立つ原則を明らかにしました。パウロはこう書いています。「食べる者は食べない者を見下してはならず,食べない者は食べる者を裁いてはなりません。神がその人を迎え入れられたのです」― ローマ 14:3。
エホバ神はご自分の意志を行なおうとする者すべてを迎え入れてくださいます。そうであれば,人が個人として行なう事柄について,なぜその人を見下したり,裁いたりしなければならないのでしょうか。考慮の対象になっている事例では,健全な良心を抱いて肉を食べる人は食べない人を見下し,細心に過ぎる極端な人とみなしたかもしれません。一方,食べない人は肉を食べる人を誤って裁き,律法違反者,すなわち罪人としたかもしれません。そのような生活上の領域で平衡の取れた見方を取るクリスチャンは,問題が飲食や娯楽や服装などどんなことにかかわるものであろうと,自分は神の僕,つまり奴隷に過ぎず,自分の個人的な意見に基づいて他の人を評価するような権利がないことを認めます。ですから,個人の選択や好みの関係する問題になった場合,平衡の取れたクリスチャンは仲間の信者を見下げることも,悪行者として裁くこともしません。
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