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『真理を実践する』ことを差し控えてはならないものみの塔 1974 | 12月15日
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その人が真理を実践しているかどうかの判断はエホバ神にかかっています。ヨハネ第一 1章6節の次のことばを忘れないでください。「『神[つまり,光の神]と分け合う者である』と言いながらやみの中を歩きつづけるなら,わたしたちは偽りを語っているのであり,真理を実践してはいません」。この要点は明確で強力です。神のことばの助言に注意を払い,自分の生活をその助言に合わせること,これは,クリスチャン,つまり,主イエス・キリストに従うすべての人の務めです。
20 真理を実践するにあたって考慮するべき他の事がらを挙げなさい。
20 しかし,真理を実践することの中には,自分の日常の行動に注意し,正しい交友を保つ以上のことが含まれています。真理を実践するためには,他の必要な事項を守ることも求められるのです。例えば,真理を実践する人は,会衆の集会で同じ貴重な信仰を持つ人々と交わることをどのように見なすでしょうか。必須なことと見なしますか。それとも,ほかにすることがない場合に行なうことと見なしますか。光の神,および世の光であるみ子について他の人に語り告げる業に加わることに関してはどうですか。人類の前途に置かれたものとして神のことばが予告する数々の祝福について他の人々にすすんで語ろうとしていないで,しかもなお真理を実践することができますか。また,信仰の家族,つまり,クリスチャン会衆内で真理を実践することに共に加わっている他の人々を助ける問題もあります。そうした人々との関係およびそれに伴う責任と,真理を実践することにはどのようなつながりがありますか。光の神エホバおよびそのみ子と分け合う者となり,真実に真理を実践し,やみの中を歩んではいないと言えるようになるために,人は一定の基礎的な要求を満たさなければなりません。次の記事の中でそうした点を取り上げます。
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「彼のおきてを守りつづけ」なさいものみの塔 1974 | 12月15日
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「彼のおきてを守りつづけ」なさい
「そして,わたしたちが彼のおきてを守りつづけるなら,それにより,彼を知るようになったことがわかるのです」― ヨハネ第一 2:3。
1 真理を実践するためになぜ自己吟味が必要ですか。
今日,献身してバプテスマを受け,エホバ神の証人となった人々が,全地に幾十万人もおり,その人々は共に集まり合い,また,王国の良いたよりを,家から家に,また他の多くの方法で宣明する業に携わっています。これら神のしもべは神を愛し,そのご意志を行なうことを願っています。神のおきてを実行し,その律法を守るために彼らが自分の命を献げたのはそのためです。しかし,「彼の[神の]おきてを守りつづける」ことが何を意味するかを十分に認識しない人が時にいるかもしれません。自分の生き方や動機について絶えず自己吟味を続けないなら,この体制に存在するやみの力のためにエホバの要求に対して盲目な者となってしまうかもしれません。わたしたちは神のおきてを実行し続けることが必要です。何か同じ事をし続けると,それはやがて人の習慣,つまり規則的に行なう事がらとなります。一方,それを今行なわないと,やがて忘れてしまいます。何にせよその規則的に行なう事がらはその人の習慣であると言えます。それはその人の生き方,やがてはやめるというような考えを抱かずに行なう事がらとなります。
2 人はどのようにしてエホバを真に知るようになりますか。
2 神のおきてを守る人についても同じことが言えます。その人は,それが神の要求であることを知り,来る日も来る日も,来る月も来る月も,また来る年も来る年もその歩みを続けます。これらすべての要点は次のことです。つまり,エホバの望まれる事がらを常に守り行なうこと,これが「彼[エホバ]を知る」唯一の道である,という点です。これは,ただ自分がそのような気持ちになる時だけ,また,より大切と見なす他の事の妨げとならない時にだけ神に仕える,というようなことを許しません。こうした定常不変の態度こそ,「真理を実践」する,また「彼のおきてを守りつづける」ということばの中に表わされている考えです。
「集まった群衆」の中で
3 集まり合うことについてエホバはご自分の民に何を求めておられますか。
3 「集まった群衆の中でわたしはエホバをたたえます」と詩篇作者は書きました。(詩 26:12,新)光の神エホバは,ご自分の民がそのみ名のうちに集まり合うことを命じておられます。ヘブライ語聖書は,年ごとに特別の行事を守り行なうために共に集まることを定めた,古代の神の民イスラエルに対するエホバの命令を載せています。そのために集まることは多くの場合民の義務になっていました。しかしそれは,民にとって祝福であり,益になることでもありました。崇拝のために集い合うという務めは,神の民のクリスチャン会衆にも受け継がれました。基本的に言って,ヘブライ 10章24,25節は,クリスチャンが共に集い合い,そうする務めを忘れないことを求めています。そうした集まりの目的は,互いを励ましてその信仰を築き上げ,愛と正しい業とを鼓舞することです。
4 (イ)真理を実践するために人は何をしなければなりませんか。(ロ)会衆の集会についてどのように論じる人がいるかもしれませんか。しかし,どんな点を銘記しておくのがよいですか。
4 今日,この20世紀のクリスチャン会衆は,崇拝のために集まり合うという点で『彼のおきてを守って』いなければなりません。『集まった群衆』が存在するためには,群れの中の一人一人がこのおきてを守らなければなりません。一つの群れとなって真理を実践するためには,各人がエホバのおきてに聴き従わなければなりません。全地のエホバの証人の間では週に五時間の集会を開くことが習慣になっているが,それだけの集会をするようにという具体的な命令は聖書の中にない,と論じる人がいるかもしれません。確かにそのとおりです。しかし,わたしたちは,神が寛大さを示され,霊的な良い物を満ちあふれるほど備えてくださっていることにむしろ感謝すべきではありませんか。わたしたちは集会に出席するごとに霊的な益を得ています。わたしたちの信仰は強められています。仲間のクリスチャンに会う時,わたしたち
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