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諸国民の間で正しい行いを保つものみの塔 1960 | 10月15日
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ならない。」「だれに対しても悪をもつて悪に報いず…」。―ペテロ前 2:19-23。マタイ 5:43-48。コリント前 11:1。ロマ 12:14,17,新口。
17 投獄された証者たちがこのような正しい行いをしたことは,どんな結果になりましたか。
17 前述の聖句全部を判断してみるとき,なぜ『善を行なつたために』投獄されたエホバの証者が,上官に抵抗するようなことを一度もせず,坐りこみストライキや絶食ストライキをすることもせず,組織化された刑務所の暴徒の一部になつたり,刑務所破りに参加しない理由は,なるほどと理解できます。刑務所の役人たちは,彼らの「神に対する良心」を見て,これらの事実に十分気づいています。そして,しばしば彼らは次のような趣旨の言葉を述べます,「エホバの証者が刑務所を去つて行くのを見て,残念に思う。いつでも,エホバの証者を信頼して,責任を課することができるからだ」。それで,刑務所内であろうと刑務所外であろうと,エホバの証者の正しい行いの故に,次のことを証する多くの証言がつみあげられています。すなわちエホバの忠実な民は全く新しい,すぐれた世の社会に属しているということです。
18 この正義の新しい世の支配下で生活するため,人はいま何をしなければなりませんか。
18 もし人がそのような正義の新しい世の支配下で,そしてイエスが祈り求めよと言われたその神権的な天の御国の支配下で生活したい,と希望するなら,たとい恐ろしい迫害がのぞもうとも,まずこの古いサタンの世とその悪い振舞や行いをことごとく打ち勝つて征服しなければなりません。苦しみが来ることは,疑問の余地がありません。なぜなら,この新しい世の油そそがれた王は,次のように述べていたからです,「あなたがたは,この(古い)世ではなやみがある。しかし,勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝つている」。それで,それは避けることができません。エホバの真実のクリスチャン証者たちは,この同じ道に従いつづけねばなりません。彼らはその信仰と忠実のうちに歩きつづけ,そして正義のわざによつてその信仰を裏づけて行かねばなりません。「すべて神から生れた者は,世に勝つからである。そして,わたしたちの信仰こそ,世に勝たしめた勝利の力である」。―ヨハネ 16:33,ヨハネ第一書 5:4,新口。
19 いま賢明で理解のある人々は,何をしなければなりませんか。
19 それは古い世から笑われて嘲けられていますが,実際にはこれだけが生活の唯一つの価値ある道なのです。その道だけが知恵と理性のある道で,追い求めるにふさわしいものです。それは実際的な知恵の道です。霊感をうけた聖書の記者ヤコブは,「あなたがたのうちで,知恵があり物わかりのよい人は,だれであるか」と尋ね問うています。その問に対して肯定の答ができる資格を持つ者に対して,彼は次の助言を与えています,「その人は,知恵にかなう柔和な行いをしていることを,よい生活によつて示すがよい」。(ヤコブ 3:13,新口)それで,証者たちがその敬虔な行いによつて自分自身を明白に表わすのはいかり高ぶつた仕方とか,誇りや傲慢によるのでなく,誠実な謙遜とキリストのごとき柔和なのです。
20 なぜいまは,諸国民のあいだで善を行なうことを断念すべき時ではありませんか。
20 あらゆる時代の最高潮は,いまここにあります! 時はつきているのです。たしかにいまは妥協すべき時ではなく,また神が善と言われていることを断念しようなどと考える時でもありません。全くのところ,試練の下にあつても神と人間の両方に対して正しいわざを証明すべき時はいまです。なぜならエホバの立証される今日以上にすぐれた機会は決してないからです。「わたしたちは,善を行うことに,うみ疲れてはならない。たゆまないでいると,時が来れば刈り取るようになる。だから,機会のあるごとに,だれに対しても,とくに信仰の仲間に対して,善を行おうではないか」。(ガラテヤ 6:9,10,新口)エホバの証者は,この行いによつて,自分自身をハルマゲドンの滅びから救うだけでなく,彼らの正しい行いを見る多数の他の者たちをも救うでしよう。なぜなら,これらの者たちも大いなるエホバをあがめて讃美することに参加するからです。―テモテ前 4:16。ペテロ前 2:12。新口。
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「国の飢饉」ものみの塔 1960 | 10月15日
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「国の飢饉」
ずつと昔の預言者アモスは,国内に霊的な飢饉があると予告しました。今日その飢饉は,キリスト教と称する国々で明白に示されています。その責任は,キリスト教国の教会の負うべきものです。クリスチャン・レコーダーは,次のように述べていました,「今日の教会は,供給源から切りたたれたさびのついた水管のようである」。ニュージーランドの洗礼派連合の会長はこう語つています,「我々は教会の維持と多数の教会制度運営に忙しいため,福音を世に伝えるだけの時間も力もない」。別の牧師は,シャーロッテ・ニュースのなかでこう述べています,「私は時折り思うのだが,教会内の我々は,パンを求める子供たちに石を与え,子供たちが真実に神を欲する時に,小道具を与えているのではないだろうか」。
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