第5章
第五および第六の封印が開かれる
1 第五の封印が開かれたとき何が起きたとヨハネは述べていますか。
「子羊」イエス・キリストが神の右手から受け取った秘義の巻き物を用いて何を行なわれるか,使徒ヨハネはこの点を描写しながらこう続けます。「また,彼が第五の封印を開いた時,わたしは,神のことばのために,またその行なっていた証しの業のためにほふられた者たちの魂が祭壇の下にいるのを見た。そして彼らは大声で叫んで言った,『聖にして真実である,主権者なる主よ,あなたはいつまで裁きを控え,地に住む者たちに対するわたしたちの血の復しゅうを控えておられるのでしょうか』。すると,白くて長い衣がそのひとりひとりに与えられた。そして彼らは,自分たちが殺されたと同じように殺されようとしている仲間の奴隷また兄弟たちの数も満ちるまで,あとしばらく休むように告げられた」― 啓示 6:9-11。
2 (イ)祭壇の下にあるほふられた魂は,四人の騎士の手にかかって死んだ者たちですか。それとも何ですか。(ロ)ヨハネが祭壇の下に見たものは,忠実なクリスチャンの血であって,幽霊か影のような姿や形ではないと,どうして分かりますか。
2 この第五の封印が開かれる時には,四つの生き物のうちだれも使徒ヨハネに見に来るよう招待しません。彼が見る光景は,火のような色の馬,黒い馬,また青ざめた馬に乗る者たちが馬を進めることによりもたらされる結果ではありません。ヨハネの見た,ほふられた魂は,国際戦争,飢きん,死の災厄,また地の野獣といったもの以外の原因で死を経験したのです。彼らは犠牲にかかわる目的のために死を遂げました。それらの魂が神の祭壇の下に見られるのはそのためです。それは祭壇の下で幽霊か影のような姿や形をして存在していたのではありません。ヨハネがそこに見たものは,実に,「神のことばのために,またその行なっていた証しの業のために」死んだ忠実なクリスチャンの血だったのです。ヨハネはユダヤ人の生まれでしたので,エルサレムの神殿でエホバ神に動物の犠牲がささげられるさい,血が祭壇の基部,つまり地面に注がれることを知っていました。たとえ祭壇の側面にかかったとしても,血は地面に流れ落ちました。それは,預言者モーセを通してユダヤ人に与えられた神の律法に従うものでした。―レビ 3:2,8,13; 4:7。
3,4 (イ)ノアおよびイスラエルに与えられた神の律法は,ヨハネが祭壇の下に見た魂が忠実なクリスチャンの血を表わしていることをどのように証明しますか。(ロ)神はそれらクリスチャンの死をどうごらんになりますか。彼らの血を流すことに対して主な責任があるのはだれでしたか。
3 わたしたちは,エホバ神が人間の血についてご自分の預言者に述べたことを思い出さねばなりません。全地を覆った洪水のすぐ後,神は預言者ノアにこう言われました。「然ど肉を其〔魂〕なる其血のまゝに食ふべからず」。(創世 9:4〔新〕)シナイの荒野で神は預言者モーセに次のように言われました。「肉の〔魂〕は血にあればなり我汝等がこれを以て汝等の〔魂〕のために壇の上にて贖罪をなさんために是を汝等に与ふ血はその中に〔魂〕ある故によりて贖罪をなす者なればなり」。(レビ 17:11〔新〕)これに照らして考えると,ヨハネが祭壇の下に見た「魂」は,記された神のことばを取り上げて宣べ伝え,さらに神とそのみ子イエス・キリストについて証しをしたためにほふられた,忠実なクリスチャンの血を表わしています。それゆえ,彼らの不当かつ無惨な死は,エホバ神を宇宙の主権者として立証し,そのみ名を神聖にするための,神に対する犠牲とみなされたのです。地上の迫害者で,それら聖なる者の血を流す主な責任者は,大いなるバビロン,実際には,ユーフラテス川の古代バビロンに基を置く偽りの宗教の世界帝国でした。
4 ヨハネはこう述べます。「額には一つの名が書いてあった。それは秘義であって,『大いなるバビロン,娼婦たちと地の嫌悪すべきものとの母』というものであった。またわたしは,その女が聖なる者たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た」。「しかも彼女の中には,預言者と聖なる者たちの血,そして地上でほふられたすべての者の血が見いだされたのである」― 啓示 17:5,6; 18:24。
5-7 (イ)それら犠牲にされたクリスチャンは何のために,まただれに敵して叫ぶのですか。(ロ)聖書にあるどんな例がこの点を理解する助けとなりますか。
5 すべてをごらんになる神は,ご自分の祭壇の基部にある,犠牲にされた人間の魂を表わす血に気づいており,また,その血(彼らの魂)がどのようにしてそこに至ったかをもご存じです。それに対して神の復しゅうが要求されます。
6 それら無実な者の血は,血を流した者たちに対する復しゅうを求めてエホバ神に大声で叫びます。ヨハネの幻より約4,000年前,神の最初の殉教者の血が地から神に叫びました。それは,真の宗教にかかわる問題で自分の兄カインに殺されたアベルの血です。カインは自分の殺した弟アベルの血を隠そうとしましたが,エホバ神はカインにこう言われました。『汝何をなしたるや汝の弟の血の声地より我に叫べり されば汝はのろわれてこの地を離るべしこの地その口を啓きて汝の弟の血を汝の手より受たればなり』。(創世 4:1-11。ヨハネ第一 3:12)同様に,殉教を遂げたクリスチャンの血は,キリストの追随者のその無実の血に対して報復がなされない間,神の祭壇の下から叫びました。それゆえ,使徒ヨハネは祭壇の下の魂が大声で叫ぶのを聞いたのです。「大声で」というのは,その数が非常に多いからです。
7 「聖にして真実である,主権者なる主よ,あなたはいつまで裁きを控え,地に住む者たちに対するわたしたちの血の復しゅうを控えておられるのでしょうか」― 啓示 6:10。
8 (イ)それらほふられたクリスチャンの魂の叫びがむなしいものとならないことは,どのように保証されていますか。(ロ)神が彼らの血の報復をしてくださるのはいつですか。
8 それらほふられたクリスチャンの魂の叫びは,むなしいものとはなりません。イエス・キリストは彼らにその点をこう保証されました。「神は,日夜ご自分に向かって叫ぶその選ばれた者たちのためには,たとえ彼らについて長く忍んでおられるとしても,必ず公正が行なわれるようにしてくださらないでしょうか。あなたがたに言いますが,彼らのため速やかに公正が行なわれるようにしてくださるのです」。(ルカ 18:7,8)何万ものそれらクリスチャンの魂が,1914年の異邦人の時の終わりまでにほふられました。しかし,彼らの血の報復をする神の定めの時は,第一次世界大戦がぼっ発した年,つまり異邦人の時が終わった直後に来たのではありません。報復のための神の定めの時は,血に染まった大いなるバビロンを滅ぼす神の定めの時に,また,その滅びに続いて直ちに起きるハルマゲドンの戦いにおいて到来します。その時,次の叫び声が天に響き渡ります。「あなたがたはヤハを賛美せよ!……神は,その淫行によって地を腐敗させた大娼婦に裁きを執行し,ご自分の奴隷たちの血について報復をなし,それを彼女の手から要求された」。(啓示 19:1,2)彼女の滅びはまだ将来のこととはいえ,いよいよ間近に迫っています。
9,10 (イ)油そそがれたクリスチャンは,第一次世界大戦に関しどんな間違った期待を抱いていましたか。(ロ)彼らが説明を求めて聖書を調べた時,神の聖霊は何を啓示しましたか。
9 第一次世界大戦が行なわれた1914-1918年の迫害の期間中,その世界戦争がそのまま世界革命ひいては無秩序状態のハルマゲドンに至る,と考えた油そそがれたクリスチャンがいました。a 彼らが大いに驚いたことに,第一次世界大戦は1918年11月11日,突然終わりました。しかしながら,大いなるバビロンは依然存続し,ハルマゲドンの戦いも到来しませんでした。彼らは不思議に思い,聖書を調べてその説明を得る必要を悟りました。そして神の聖霊の導きにより,ハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」でこの邪悪な事物の体制の完全な終わりが来る前に,全世界にわたる大規模な業が成し遂げられねばならないことを悟りました。(啓示 16:14-16)こうして,油そそがれたクリスチャンの忠実な残りの者は,イエス・キリストが国際戦争,食糧不足,地震,また疫病の形を取る「苦しみの劇痛のはじまり」を予告した後に,続いて,事物の体制の完全な終結前に成し遂げられるべき世界的な業を指摘されたことを悟ったのです。イエスはこう言われました。
10 「そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」― マタイ 24:14。マルコ 13:10。
11 (イ)成し遂げられるべき業のために,なぜ相当の時間が必要でしたか。(ロ)この業を行なう者たちはどんなことを経験しなければなりませんか。
11 そうであれば,あらかじめ定められていたこの業を成し遂げるため,当然,神から時間の備えられる必要がありました。それは世界的な規模に及ぶので,非常に大掛かりな業でしたが,油そそがれた忠実な残りの者たちの数は極めて少数でした。この膨大な業を完遂するのに神がどれ程の時間を定めておられるか,第一次世界大戦を生き残った,油そそがれた残りの者は知りませんでした。それら残りの者は,神により冠を授けられ王座に着けられた王イエス・キリストの管理する,新たに樹立された王国に関する「良いたより」を宣べ伝えるべく,神の聖霊によって油そそがれた者たちでした。彼らはキリストの名のゆえに「あらゆる国民の憎しみの的」となろうとも,この宣べ伝える業を行ないます。(マタイ 24:9)これは必然的に,彼らがさらに迫害されること,そして,それらクリスチャン兄弟,つまり油そそがれた仲間の奴隷のある者たちが,彼ら以前のクリスチャン兄弟すなわち,エホバ神の「仲間の奴隷」たちが1918年の第一次世界大戦終結までに経験したと同じく,必ず殺されるという意味でした。―啓示 6:11; 2:10。
12 (イ)わたしたちが収穫の時期に住んでいることを何が示していますか。(ロ)この収穫により何が成し遂げられますか。したがって収穫はどれぐらいの期間続きますか。
12 「王国のこの良いたより」を宣べ伝える業が事物の体制の「終わり」に先行するのであれば,神のメシアによる王国は西暦1914年の異邦人の時の終わりに天で樹立されたのですから,わたしたちは「終わりの時」,あるいは「事物の体制の終結」の時に生きていることになります。(ダニエル 12:4,新。マタイ 24:3)小麦と雑草(毒麦)の例えを説明した時,イエスは,「収穫は事物の体制の終結」であると話されました。この収穫期に,雑草のような見せかけのクリスチャンは,み使いの指示の下に,小麦のような忠実なクリスチャンから分かたれ,最後には,火の燃える炉の中におけるかのように滅ぼされます。その時,大いなるバビロンは滅ぼされるのです。(マタイ 13:39-42)これらすべては,「収穫」が1914年の異邦人の時の終わった後,特に1918年以後,かなりの期間続くことを要します。それゆえに,流血の罪を負う大いなるバビロンの滅びの時は,1918年の第一次世界大戦の終わりまでには来なかったのです。
13 事物の体制の終結する期間に,なおも他のどんな分ける業が行なわれますか。
13 「収穫」期における,雑草のようなクリスチャンと小麦のようなクリスチャンを分ける業に続いて,別の分ける業が最高潮に達します。「事物の体制の終結」に関する預言の中で,イエスは自称クリスチャン「兄弟」を裁くことを明らかにし,次いで結びの例えの中でこう言われました。「人の子がその栄光のうちに到来し,またすべてのみ使いが彼とともに到来すると,そのとき彼は自分の栄光の座にすわります。そして,すべての国の民が彼の前に集められ,彼は,羊飼いが羊をやぎから分けるように,人をひとりひとり分けます。そして彼は羊を自分の右に,やぎを自分の左に置くでしょう」― マタイ 25:14-33。
14 「羊」と「やぎ」に対するイエスの言葉から分かるように,イエスの霊的兄弟たちは西暦1918年以後どんな経験をするはずですか。
14 羊のような人びとを神のメシアによる王国の下での地的祝福に導き入れる前に,王座に着いておられる人の子イエス・キリストは,ご自分のクリスチャン兄弟つまり霊的兄弟たちが「事物の体制の終結」の期間に投獄されていたこと,そして,それら羊のような人びとが彼らに安らぎを与えたことを思い出させます。他方,のろわれたやぎのような人びとを永遠の滅びに追いやる前,王座に着いておられるイエス・キリストは,投獄されたご自分の霊的兄弟たちの苦しみに対して彼らが援助の手を差し伸べなかったことを思い起こさせます。(マタイ 25:34-46)この「獄」という語は,油そそがれたその霊的兄弟たち,つまり地上の残りの者たちが,「事物の体制の終結」の期間に迫害されること,また死に追いやられる場合すらあることを予告していました。したがって,ヨハネが祭壇の下に見たクリスチャンの魂と同様,「神のことば」および「証しの業」のために殺される他の「兄弟」,つまり神に属する「仲間の奴隷」たちが,西暦1918年後にもいることになっていたのです。―啓示 6:9-11。
15 (イ)祭壇の下の魂はなぜもうしばらくの間「休む」べきなのですか。(ロ)「休む」とは何を指していますか。
15 ゆえに,主権者なる主エホバが,彼らの血に対する復しゅうを大いなる宗教上のバビロンとその政治的共犯者に下す前に,それらほふられた「魂」が「休む」ため「あとしばらく」時があるのです。しかしこの休みは,彼らが死んだままでいる,つまり死の眠りにあることを必ずしも意味しているのではありません。(コリント第一 15:17-20)祭壇の下のそれらの「魂」は,自分たちに対し公正が施行されることに関してもうしばらく休むのです。「あとしばらく」,自分たちの血の復しゅうをせき立ててはならないのです。自分たちの血の復しゅうが1918年のその時点でなされるべきだ,と言い張ってはならないのです。血に染まった殺害者に対する決着を,神ご自身が選ばれた決着の時まで「あとしばらく」待つことにより,「休む」べきなのです。
白くて長い衣がひとりひとりに与えられる
16 (イ)西暦1918年,祭壇の下のそれら魂に対して何が行なわれましたか。(ロ)それらが受け取る白くて長い衣は何を象徴していますか。
16 しかし,「あとしばらく」の期間が終わるまで待つようにと言われはしましたが,1918年,彼らのためにあることがなされました。それは何でしたか。啓示 6章11節は,「白くて長い衣がそのひとりひとりに与えられた」と述べています。これは疑いなく,そのとき彼らが死から復活し,そして,すでに誕生した,つまり樹立されたキリストの天の王国に入ったことを指しています。それらほふられた魂が,まだ祭壇の下にいる間に白くて長い衣を受けるのは,とても適切とはいえません。白くて長い衣は,犠牲の「祭壇の下」のような場所では極めて不適当です。垂れるように長い衣を,どうしてそのような所で白く保てるでしょうか。イエス・キリストは,この邪悪な体制を征服する忠実さの報いとして,白くて長い衣を約束されました。(啓示 3:4,5)白くて長い衣のような外衣は,誉れのしるし,彼らの無実の象徴,つまり神から有利な裁きを受けた象徴です。死から復活した後に,彼らが天の王座でそうした白くて長い衣をまとうのはふさわしいことです。(啓示 4:4)しかし1918年に復活させられはしましたが,復しゅうをしていただくことに関しては,彼らはまだ休むのです。
17 (イ)犠牲の死を遂げたクリスチャンが復活した後,まだ地上にいるその霊的兄弟たちに関して何が起こることになっていましたか。(ロ)なぜもっと多くの者がイエス・キリストと共に犠牲の死を味わうことになっていましたか。
17 それにしても,その復しゅうがなされるまで休むべき「あとしばらく」の間,依然地上に生きている霊的兄弟たちには何が起こるのですか。啓示 6章11節はその点を明らかにして,「自分たちが殺されたと同じように殺されようとしている仲間の奴隷また兄弟たちの数も満ちるまで,あとしばらく」と述べています。つまり,忠実なクリスチャンがさらに迫害されるということです。1918年までに大いなるバビロンとその政治上の愛人に殺害されたクリスチャンの魂に加え,地上の真のクリスチャンがさらに多く殺害されるという意味なのです。イエス・キリストと共に犠牲の死を味わう14万4,000人の全部の数は,1918年までにはまだ満たされていませんでした。神の王国を相続するのに必要な14万4,000人の数を満たすため,残りの者がさらに加えられる必要があったのです。
18,19 啓示 6章11節の後半とマタイ 24章9-14節のイエスの言葉を比較すると,その時キリストの足跡に従っている追随者に関し,どんな結論が得られますか。
18 この残りの者の多くは,自分たちより前の「仲間の奴隷また兄弟たち」が1918年までに経験したと同じく,やはり『殺されようとしていました』。キリストの足跡に従う真の追随者に対する迫害は,1918年に終わるのではなく,その年に終わった第一次世界大戦以後も続くことになっていたのです。これも,天の王国におけるご自分の臨在を示すもう一つの証拠として,イエス・キリストが「事物の体制の終結」に関する預言の中で予告されたことではありませんでしたか。そのとおりです。国際戦争,飢きん,疫病の予告に次いで,彼はこう言われました。
19 「その時,人びとはあなたがたを患難に渡し,あなたがたを殺すでしょう。またあなたがたは,わたしの名のゆえにあらゆる国民の憎しみの的となるでしょう。またその時,多くの者がつまずき,互いに裏切り,互いに憎み合うでしょう。そして多くの偽預言者が起こって,多くの者を惑わすでしょう。また不法が増すために,大半の者の愛が冷えるでしょう。しかし終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です。そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」― マタイ 24:9-14。ルカ 21:12-19。
20 (イ)歴史上の事実は,クリスチャンの迫害に関するこの結論を支持していますか。(ロ)神はご自分の奴隷の血に対する報復をいつまで差し控えられますか。しかし,神が報復をもたらされる時,それはどの程度のものになりますか。
20 イエス・キリストのこの預言の言葉は,歴史の示すとおり,1914年の異邦人の時の終わりから今日までに成就を見ています。つまり,1918年の第一次世界大戦終了に至るまで,「神のことばのために,またその行なっていた証しの業のためにほふられた」,真のクリスチャンの血が不正にも流されてきました。そして1918年以後は,「仲間の奴隷」の存命している忠実な残りの者たちが,神の言葉を取り上げ,人の住む全地で証しをしつつ,新しく誕生した神の王国の良いたよりをあらゆる国民に宣べ伝えているのです。彼らのあるものはそのためにほふられました。さらに,この事物の体制の「終わり」が来る前にほふられる者もいることでしょう。全部の数の者がほふられるまで,そして,大いなるバビロンとその政治的共犯者の流血の罪が満ちるまで,神はご自分のクリスチャンの奴隷の血に対する復しゅうを差し控えます。神が報復を最終的にもたらされる時,それは,流されたクリスチャンの血すべてに対し,一度に,しかもことごとくもたらされるのです。それまで,ヨハネが祭壇の下に見た魂は,希望をもって休まねばなりません。
第六の封印が破られる
21 第六の封印が破られることにより何が啓示されますか。
21 第五の封印が破られることにより,白い馬の騎士が王として冠を授けられ,弓を携え,征服を完了するために勇ましく馬を進めている証拠がさらに啓示されました。彼が間もない将来に征服を完了する時,何が起きるでしょうか。それは,子羊イエス・キリストがエホバ神の右手から受け取った秘義の巻き物の,第六の封印を破る時に明らかにされます。クリスチャン使徒ヨハネは何を見ましたか。
22 第六の封印が開かれたときヨハネが何を見たか説明しなさい。
22 「また,彼が第六の封印を開いた時に見ると,大きな地震が起こった。そして,太陽は毛の粗布のように黒くなり,月は全体が血のようになった。そして,いちじくの木が激しい風に揺り動かされてその熟していない実を投げ落とす時のように,天の星が地に落ちた。また,巻き上げられてゆく巻き物のように天が去ってゆき,すべての山と島がその場所から取り除かれた。そして,地の王たち,高位の者たち,軍司令官たち,富んだ者,強い者,すべての奴隷また自由人は,ほら穴や山の岩塊の間に身を隠した。そして山と岩塊とにこう言いつづける。『わたしたちの上に倒れかかれ。そしてみ座にすわっておられるかたの顔から,また子羊の憤りからわたしたちを隠してくれ。彼らの憤りの大いなる日が来たからだ。だれが立ちえようか』」― 啓示 6:12-17。
23 ヨハネが目撃した大地震はどんな種類の,またどれほどの規模の地震でしたか。
23 使徒ヨハネの目撃した「大きな地震」は,単にある地域に限られたものではなく,全地を揺るがしました。西暦33年,彼は,イエスが『そこからここへと地震があります。これらすべては苦しみの劇痛のはじまりです』と述べ,「事物の体制の終結」のはじまりをしるしづけるものとして,文字どおりの地震が起きることを予告されるのを聞きました。(マタイ 24:7,8。マルコ 13:8)しかし,第六の封印が開かれた後に幻の中で起きた「大きな地震」は,明らかに象徴的な地震です。それは,人間の地的な事物の体制の激変,つまり,人間の作ったもので,神の是認また祝福を受けていないものがすべて激しく揺さぶられ,そうです,地球の至る所で振り落とされ,倒れることを象徴しています。ですから,人間の作り出したもので,神および子羊と調和しないものは何であれ,人間にとって適当な覆いとはなりません。それは人の住める場所でも,家庭の安らぎを得られる場所でもありません。また,安全に住める場所でもありません。地的な体制全体が居住不可能となり,人間は安全を求めてそこから出ることを余儀なくされます。
24 大地震とその付随現象のために人びとが天に向かって叫び声を上げる時,天は彼らに対しどんな態度を取りますか。
24 大地震がある時には,よく天体や大気に異状が認められるものです。実際の地震が起きると,多くの人びとはそれまでに一度も神を呼び求めたことがなくても,天に向かって叫び,神に懇願します。神の憤りが不従順な人類に臨むその「大いなる日」が到来する時,人びとは天を仰ぐことでしょう。しかし,彼らのこの上ない苦悩に対し,天から恵みの注がれる兆しが少しでもあるでしょうか。預言の幻はこう述べています。「太陽は毛の粗布のように黒くなり,月は全体が血のようになった。そして,いちじくの木が激しい風に揺り動かされてその熟していない実を投げ落とす時のように,天の星が地に落ちた」。(啓示 6:12,13)こうした天の現象は,いったい何を象徴しているのでしょうか。
25 この事物の体制の人びとにとって,太陽,月,星に関しどんなことが象徴的に起こりますか。
25 おおよそ神の憤りの下にある人びとは,事態を明るくするものを何一つ天から得ません。日中はまるで太陽が黒く塗りつぶされたかのように,陰うつで陰気です。それも,大気中の膨大な塵雲によるのではなく,悲しい時や喪に服する時に着る,黒いやぎの毛でできた黒い粗布で覆い隠されたかのような状態です。神の霊感を受けた言葉である,聖書からの霊的な光を拒絶した人びとは,日中は悲嘆に暮れ,夜はというと,銀色の月の光に優しく照らされることもありません。銀色の光ではなく,血色の光があるのみで,それは命を与える光ではありません。日中もそうかもしれませんが,夜は地の至る所で血が流されます。血が夜を染めるのです。しかし何十億という星が,血に染まった月の様相をきっと変えてくれるのではないでしょうか。いいえそのようなことはありません。あなたは,いちじくの木が強風にあおられて,冬育ったまだ熟していない実を打ち落とすのを見たことがありますか。そのようにして星は天から落ちるのです。どこにですか。地にではなく,視界から消えて行くのです。そして天的な光を輝かせることも,夜の旅人の案内役を務めることもありません。人は昼も夜も,事態を明るくしてくれるものを何一つ持たないのです。
26-28 (イ)宇宙空間の天体が人間よりも高次の力を表わし,人間に対して支配的な影響力を及ぼしていることを説明しなさい。(ロ)成就において,天はどのように巻き上げられる巻き物のように去って行きますか。(ハ)それらの天は何に取って代わられますか。それに取って代わったものも,巻き物のように巻き上げられ,しまい込まれますか。
26 象徴的に言うと,破られた第六の封印が明らかにする幻のその後の部分が成就する時,それらの天体はことごとく消えて行くのではありませんか。そのとおりです。「また,巻き上げられてゆく巻き物のように天が去って」行きました。人間は太陽光線や太陽熱を種々の動力事業に使ってきました。また,月の引力によって起こる潮汐を利用しています。有人宇宙船を月の周囲の軌道に乗せるのに,同じく月の引力を利用しています。夜の旅には星を目印にしてきました。恒星や惑星また十二宮を見て運勢を占いました。そればかりか,人間は恒星や惑星の神々を崇拝してきました。月を男神または女神として,そして太陽をそれと対をなす男神あるいは女神として崇拝したのです。
27 このように,宇宙空間にもろもろの天体を有する「天は」,人間よりも高次の力を表わし,人間に支配的な影響力を及ぼしてきました。真の天的勢力,つまり人間より高次の勢力は,人間には見えません。それは,太陽として崇拝されてきた悪魔サタン,さらに,星や星団,つまり下位の神々として崇拝されている,サタンに仕える使いの悪霊たちすべてです。彼らは今や消え去らねばなりません。
28 人類を支配するそれら目に見えない悪霊たちは,何千年もの間人類史に記録をとどめてきました。しかし今は,人類の事態に関して新しいページが記される時なのです。ゆえに,それら象徴的な天は過ぎ去らねばなりません。人類史の中で占めている彼らのページは,パピルスや子牛の皮でできた巻き物が軸に巻き上げられる時のように消失し,巻き物の中に書かれたことを隠すのです。(ルカ 4:20。ダニエル 12:4)神の憤りの日に,義にかなった新しい天的な力が人間の事態を支配する時が到来しました。全能の神によって設けられたそれら新しい義の天は,巻き物のように巻き上げられて入れ物の中にしまい込まれることは決してありません。神を恐れる人びとの祝福のため,それは永久にとどまるのです。
目に見える地的変化の到来
29 預言の成就において,すべての山とすべての島はどのようにその場所から取り除かれますか。
29 目に見えない天の領域で変化が起こるだけでなく,目に見える地的な場にも必要な変化が生じます。啓示 6章14節はこう続けます。「すべての山と島がその場所から取り除かれた」。これは現在の事物の体制の政府に関する何かを暗示しています。というのは,聖書の中で山は統治する政府を表わすのに用いられているからです。神の憤りが執行される来たるべき日には,高い名声も権力も,また,島国における政府の孤立状態も,なんら保護の用をなしません。現在の事物の体制の一部として,ことごとく取り除かれます。神の王国の一部ではないからです。政府の統治形態が,専制君主制また独裁制から民主政体に変化するわけではありません。利己的な人間の政治形態が単に形を変えて存続するのではなく,それらは取り除かれ,崩壊するのです。
30 啓示 16章18-21節にはどんな類似の預言が述べられていますか。
30 やはり啓示の中で,第七の災厄が神の使いによって注がれる時に,そうした事態の生じることが予告されていました。それは啓示 16章18-21節に記されています。「また,いなずまと声と雷が生じ,人が地上に現われて以来起きたことのないような大地震が起きた。非常に大規模な地震で,はなはだ大きかった。そして,大いなる都市は三つの部分に裂け,諸国民の数々の都市が倒れた。そして,大いなるバビロンは神のみまえで思い出された。それは,神の憤りの怒りのぶどう酒の杯を彼女に与えるためである。また,すべての島は逃げ,山々は見えなくなった。そして,それぞれの重さが一タラントほどもある大きな雹が天から人びとの上に降り,人びとは雹の災厄のために神を冒とくした。その災厄が異常に大きかったからである」。この預言的な幻は,秘義の巻き物の第六の封印が開かれた結果として起こる事柄の確証です。
31 (イ)ヨハネが見つづけている幻は,この激変によって影響を受けた者がだれであることを明らかにしていますか。(ロ)彼らは何をいや応なく知らされますか。
31 この事物の体制の一部となっているあらゆる階層の人びと,「地の王たち,高位の者たち,軍司令官たち,富んだ者,強い者,すべての奴隷また自由人」が影響を受けます。そのとき彼らすべては,現代の事物の体制がその終わりに至ったことを悟ります。この古い邪悪な体制を存続させようとする,自分たちの利己的な企てが繰り返し失敗するのを見て,天の恵みを受けていないことをいや応なく知らされるでしょう。王座に着いておられる宇宙の神の恵みも,キリスト教世界が仕え追随していると主張するイエス・キリスト,つまり神の子羊の恵みをも受けていないことを知らされるのです。その時,詩篇 83篇18節に記された祈りのこたえられる時が到来します。「然ばかれらはエホバてふ名をもちたまふ汝のみ全地をしろしめす至上者なることを知るべし」。そうです,この至高の神が,ご自分の預言者エゼキエルを通して繰り返し宣言されたことを実行に移す時が来たのです。『彼らをして我のエホバなるを知しめん……国々の民すなはち我がエホバなることを知るにいたらん』― エゼキエル 39:6,7; 6:7,10,13,14; 7:4,9,27。
32,33 (イ)世のそれらの人びとは生き長らえるために神の王国へ避難しますか。それともどうしますか。(ロ)人間のそうした行動の例は,歴史のどの時代に見られますか。
32 人類史を通じて最大の患難を生き延びようと,人びとは躍起になって隠れ場所を求めるでしょう。しかしどこに求めますか。彼らは助けを求めて神に叫び声を上げるかもしれませんが,実際には,神のみ言葉と神の天的政府に頼るのではなく,相変わらず自分たちの組織を信頼することでしょう。彼らは,そびえ立つ山のごとくに地を支配する自分たちの政府や政治組織を,現在の事物の体制の主な支柱として信頼しつづけてきました。ですから,啓示 6章15-17節は,ひゆ的な言葉でこう告げています。彼らは「ほら穴や山の岩塊の間に身を隠した。そして山と岩塊とにこう言いつづける。『わたしたちの上に倒れかかれ。そしてみ座にすわっておられるかたの顔から,また子羊の憤りからわたしたちを隠してくれ。彼らの憤りの大いなる日が来たからだ。だれが立ちえようか』」。
33 そのとき人びとは,死ぬことではなく,埋め隠されることを欲します。イエス・キリストは,西暦66年から73年のエルサレムおよびユダヤの滅亡と荒廃を予告した時,人間のそうした行動を前もって明らかにされました。カルバリの杭の上で死を遂げるべく道を進んでいた時,彼は歩みを止め,ご自分のために嘆き悲しむ心の優しい女たちにこう言われました。「わたしのために泣くのをやめなさい。むしろ,自分と自分の子どもたちのために泣きなさい。見よ,人びとが,『不妊の女,そして子を産まなかった胎と乳を飲ませなかった乳房は幸いだ!』と言う日が来るからです。そのとき彼らは,山に向かって,『わたしたちの上に倒れよ!』と言い,丘に向かって,『わたしたちを覆ってくれ!』と言い始めるでしょう」。(ルカ 23:26-30)ユダヤ人の史家ヨセフスは,イエスの預言の成就として,ユダヤとエルサレムの住民が西暦66-73年に何をしたかを極めて詳細に記しています。ユダヤの最後の要塞マサダは西暦73年に陥落しました。
34 預言者イザヤは「すえの日」における人間の行動をどのように描いていますか。
34 「すえの日」の間に起こるべき事柄に関して,預言者イザヤは霊感の下に次のように述べています。『この日には高ぶる者はかがめられ 驕る人はひくくせられ ただエホバのみ高くあげられたまはん かくて偶像はことごとく亡びうすべし エホバたちて地を震動したまふとき 人々そのおそるべき容貌とその稜威の光輝とをさけて巌の洞と地の穴とにいらん その日人々おのが拝せんとて造れる白銀のぐうざうと黄金のぐうざうとをうころもちと蝙蝠の穴になげすて岩々の隙けはしき山峡にいり エホバの起て地をふるひうごかしたまふその畏るべき容貌と稜威のかがやきとを避ん』。「なんぢ岩間にいり また土にかくれて エホバの畏るべき容貌とその稜威の光輝とをさくべし」― イザヤ 2:1,2,17-21,10。
35 (イ)政治支配者の間に見られるどんな状態は,「彼らの憤りの大いなる日」が間近に迫っていることを示していますか。(ロ)神および子羊の憤りが最終的に表明される時,神の側にいない者にはどんな質問が提起されますか。その質問に対する答えは何ですか。
35 神の預言は必ず成就します。神とその子羊イエス・キリストの憤りが,この事物の体制に対して最終的に表わされる日は急速に近づいています。地球の政治支配者は,自分たちの国家政府また商業,社会および平和維持を目的とする諸制度の存続を願う,大いなるバビロンの宗教指導者たちの祈りが天からの助けを得ていないのを見て,すでにろうばいしています。「彼らの憤りの大いなる日」は,「王国のこの良いたより」が,あらゆる国民に対する証しを神がどの程度望んでおられるかに応じて全地で成し遂げられると,速やかに到来するでしょう。(マタイ 24:14)その時,神の側にいず,滅びに定められたこの事物の体制の一部となっている者たちは,「だれが立ちえようか」との重大な質問に答えねばなりません。(啓示 6:17)それらの人びとは自分が立ちえないことを知るでしょう。そうでなければ,神と子羊および約束された天の王国を歓迎する代わりに,なぜ神と子羊から隠れなければならないのでしょうか。是認されるということは,滅びを免れ,神の完全な新秩序に入ることを意味します。
36 (イ)エホバの証人はいつから使徒ヨハネのように泣く必要はありませんか。(ロ)最初の五つの封印が開かれた時に示された事柄が成就することにより,何が証明されましたか。
36 したがって,宇宙の王座にすわっておられるかたの右手にある巻き物の内容を閉ざした七つの封印のうち,その最初の六つが開かれたことによって啓示されたかつての秘義は,わたしたちの心を強くとらえるのです。使徒ヨハネがなぞのような象徴によって啓示したことを,わたしたちは理解しやすい現代の成就のうちに見るのです。特に1930年,その年の九月に「光」と題する,2巻からなる聖書研究の手引書が一般に出版されて以来,エホバ神に献身したクリスチャン証人たちは,巻き物の内容を秘してきたそれら六つの封印を子羊が破ることにより明らかになった,その預言的な象徴を理解するようになりました。わたしたちはもはや使徒ヨハネと共に泣くのではなく,封印されていた事柄が明らかになったことを彼と共に喜ぶのです。最初の五つの封印が破られた後に現実となった描画,つまり,神のメシアの王国が天に誕生したこと,またその王が最終的な征服のために馬を進めていることを証明するその描画を見て,わたしたちは言葉に言い表わせない喜びを味わうのです。
37 これら預言的な情景の成就を見守るわたしたちには,なすべきどんな業がありますか。
37 わたしたちは今日,使徒ヨハネの見たこれら預言的な情景に関する現代の成就を識別できることを感謝しています。予告された「大患難」において,この邪悪な事物の体制を永久に除き去る「彼らの憤りの大いなる日」が到来する時,『立つ』にふさわしいものとされるよう,わたしたちは賢明に備えをします。その時まで,わたしたちは,迫害があろうとも,「あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で」,「王国のこの良いたより」を宣べ伝え続けるのです。―マタイ 24:14。マルコ 13:10。
[脚注]
a 1917年7月に出版された「終了した秘義」(英文)と題する本の3,4,257ページ,また,「ものみの塔」誌(英文)の1914年11月1日号,327,328ページ,1918年2月1日号,35,36ページ,1918年2月15日号,55ページをごらんください。