第6章
証印を押される14万4,000人の者たち
1 (イ)イエス・キリストは第六の封印を破った後,なぜ直ちに第七の封印を破りませんでしたか。(ロ)さらにどんなことが啓示されようとしていましたか。
神の手から取られた秘義の巻き物の六つの封印は,クリスチャン使徒ヨハネが驚異の念をもって見つめている,その眼前で破られました。それは規則正しい順序を追って破られ,ついに,神の憤りの大いなる日の到来により,不敬虔な者たちが恐怖の余り狂乱状態に陥る様子が描き出されました。しかし,神の奥義が明らかにされるこの段階において,神の子羊であるイエス・キリストは,秘義に満ちた,巻き物の第七の封印を,続けて直ちに破るようなことはされませんでした。明らかに,エホバ神とその子羊イエス・キリストの憤りの「大いなる日」の到来にさいし,不敬虔な者たちが保護の覆いを求めて狂ったように右往左往する様子を描くだけでは,第六の封印に関連するすべてのことが啓示されたとはいえなかったのです。さらに啓示されるべきことがあり,それは,迫り来る「大いなる日」に天からその憤りが激しく注ぎ出される前に,敬虔な者たちを救う業と関係があります。不敬虔な者たちを憤りをもって滅ぼすその「大いなる日」は,敬虔な者たちを救う業が完遂されるまでは到来しえません。では,この点に関しヨハネが何を見たかを調べてみましょう。彼はこう述べます。
2 ヨハネは次にどんな幻を見,どんな命令を聞きましたか。
2 「こののちわたしは,四人の使いが地の四隅に立ち,地の四方の風をしっかり押えて,地にも海にも,またどの木にも風が吹かないようにしているのを見た。また,別の使いが太陽の昇る方角から,生ける神の証印を携えて上ってゆくのを見た。彼は,地と海を損うことを許された四人の使いに大声で叫んで言った,『わたしたちが,わたしたちの神の奴隷たちの額に証印を押してしまうまでは,地も海も木も損ってはならない』」― 啓示 7:1-3。
3 ヨハネは神の霊の啓発力により,宇宙飛行士も気象衛星も見ることのできない,どんなあらしのしるしを見ましたか。
3 ここで使徒ヨハネの見るものは,雲の分布またハリケーンの発生状況や進路を観測するため,気象庁によって地球の上空に打ち上げられる気象衛星が,撮影したことも電送したこともない光景です。ロケット・カプセルで宇宙空間に打ち上げられ,一度に数日間地球の周囲を,さらには月の周囲の軌道をめぐった宇宙飛行士のなかにさえ,ヨハネが神の霊の啓発力によって見たもの,すなわち,地の四隅に立って地の四方の風を押さえている四人の使いを見た者はだれもいません。これは明らかに,激しい暴風また旋風がまさに解き放たれようとしていることを示しています。しかし,世界各地を結ぶ気象台のどれ一つとして,この異常なあらしを予報し,その発生地,襲来時期また速度を予測し得た所はありません。とはいえ,わたしたちにとって,ヨハネの見たものは誤ることのないあらしのしるしなのです。
4 地の四方の風をしっかりと押さえているそれらの者はだれですか。彼らはなぜそうすることができるのですか。
4 それら「四人の使い」は,ただ四人の個々の使いを表わしているのではなく,むしろ四団の使いを示しています。啓示は,「火に対する権威」を持つ使い(14:18),および「水をつかさどる使い」(16:5)について述べていますが,地の四隅にいるこの四人の使いは「地の四方の風」に対して権威を持っています。彼らは,右手の中に風を押さえることのできない人間のようなものではなく(箴言 27:15,16),超人間的な存在です。そして,「風をその掌中に聚めし者」である,天と地の創造者から使命を託されているのです。(箴言 30:4。エレミヤ 10:13)それらの使いは,風をとりこにして押さえており,神が地上のご自分の敵たちに憤りを表明する時にそれらの風を解き放つため,神の合図を待っているのです。
5 その使いたちが「地の四隅に」立っていたというのは,どんな二つの観点から適切な表現と言えますか。
5 彼らが地の四隅に立っていると言っても,それは地が平らで,文字どおり四隅があるということではありません。聖書は,地が球体で,目に見えない力によって宙に浮かんでいると,はっきり述べています。(イザヤ 40:22。ヨブ 26:7)北,南,東また西に直接にではなく,隅または角に立つことにより,四人の使いは対角線上の方角から斜めに風を解き放ちます。使徒 27章14節に述べられている「ユーラクロンと呼ばれる大暴風」,つまり,クリスチャン使徒パウロを運んでいた船を難破させた風と同じ吹き方です。したがって,地のどの方向も,激しく吹きまくる災いの風を免れることはできません。それは中心に集中して全地を旋風に巻き込むのです。このあらしの襲来するずっと以前,すなわち西暦前7世紀および6世紀に,エホバ神は敵の諸国に対して復しゅうを執行することを明らかに示すため,荒廃をもたらす激しいあらしを用いられました。その描写は,エレミヤ記 25章32,33節にあり,次のとおりです。
6 エレミヤは神の復しゅうの執行に関し,どんな類似の説明を与えましたか。
6 「視よ 災いでて国より国にいたらん大なる暴風地の極よりおこるべし 其日エホバの戮したまふ者は地の此極より地の彼の極に及ばん彼等は哀まれず集められず葬られずして地の面に糞土とならん」。
7 (イ)ヨハネが最初に四人の使いを見た時,事態はどのように映りましたか。(ロ)同様に,現代のクリスチャンは当初どんな考え違いをしていましたか。
7 しばらくの間,使徒ヨハネには,四人の使いが今にも四方の風を解き放ち,その結果,風が地と海とすべての木に吹きつけ,至る所を荒廃させるかのように見えました。第一次世界大戦の最後の年,つまり1918年の事態は,表面的にはそのように見えたのです。当時,現代における使徒ヨハネの霊的兄弟たちは,現前に荒れ狂っている戦争と革命が,予期されていた『ハルマゲドンの戦争』,すなわち,ヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる象徴的な場所で行なわれる,「全能者なる神の大いなる日の戦争」にそのまま突入すると考えていました。しかし,そうではなかったのです。使徒ヨハネがこの重大な時点で次に何を見るかに注意してください。それは何でしょうか。
8 第五の使いが太陽の昇る方向から上って来ることにはどんな意義がありますか。
8 使徒ヨハネは,第五の使い,つまり,「別の使いが太陽の昇る方角から,生ける神の証印を携えて上ってゆくのを」見ました。この使いは,地の一定の隅からではなく,太陽の昇る方角,つまり東から登場します。「太陽の昇る方角から来る王たち」と同じ方向から来るわけです。この王たちのためには,神の怒りの第六の鉢が注ぎ出された後に,大川ユーフラテスの水が干上がってしまうことにより道が備えられます。同様に,ひゆ的な意味で,古代の王,メディア人ダリヨスとペルシャ人クロスは,西暦前539年,ユーフラテス河畔の古代バビロンに対する勝利の進軍のさい,太陽の昇る方向から到来し,バビロン帝国に捕らわれていた,エホバ神の流刑の民を自由にする道を開きました。(啓示 16:12。イザヤ 46:11; 44:28から45:7まで。ダニエル 5:30から6:3)それで,太陽の昇る方向から出て来るこの使いから,あるいはその使いを通して何か良いものがもたらされると期待するのは,突飛なことではなく,全く理にかなったことなのです。
9 (イ)その使いが「生ける神の証印」を携えていたことは何を示していますか。(ロ)さらにどんな大きな出来事が起こるはずでしたか。どんな順序で起こりますか。
9 その確証として,使いが携えている,「生ける神の証印」に注目してください。明らかに彼はなすべき仕事を持っており,そのためには第一次世界大戦後の時間も必要なのです。まだ,予期されている『ハルマゲドンの戦争』の時ではなく,大いなるバビロンも,これから滅ぼされねばなりません。それが,第一次世界大戦後,「太陽の昇る方角から来る」見えない天の「王たち」により,宗教上の権力の失墜を経験させられたのは事実ですが,その滅びはまだこれからであり,その滅亡後にはじめて,「全能者なる神の大いなる日の戦争」が到来するのです。(啓示 16:12-16)したがって,太陽の昇る方角から来る第五の使いは,脅威となる「地の四方の風」をその時まで押さえていた四人の使いが決して早まった行動を取らないよう,いわば際どい時に彼らを制します。彼はそれら四人の使いより大いなる権威を持っており,それゆえ,その四人の使いに大声でこう叫びます。「わたしたちが,わたしたちの神の奴隷たちの額に証印を押してしまうまでは,地も海も木も損ってはならない」― 啓示 7:3。
額に証印を押す
10 神はなぜ「地の四方の風」が1918年に破壊的な業を開始するように定められなかったのですか。
10 巻き物の最初の四つの封印が破られることにより明らかにされた,四人の騎士の行進はすでに始まっており,それは第一次世界大戦によってめいりようにされました。しかしここでまず,あらかじめ定められていた,神の選ばれた者たちつまり選民に証印を押す業が終了しなければなりません。(啓示 6:1-8。マタイ 24:30,31)神が1918年に,「地の四方の風」を解き放つことにより,宗教的な大いなるバビロンの早急な滅びと,それに続く「全能者なる神の大いなる日の戦争」をもたらされなかったのは,その理由によるのです。「地の四方の風」が解き放たれる前のこの猶予期間に,「わたしたちの神の奴隷たちの額に」証印を押す業が完了しなければなりません。
11,12 (イ)使いの述べた,「わたしたちの神の奴隷たち」に証印を押す業は,いつ始まりましたか。(ロ)何が証印を押す業を行ないますか。聖書からその証拠をあげなさい。
11 「わたしたちの神の奴隷たち」に証印を押すことは,西暦一世紀に始まりました。使徒ヨハネ自身,証印を押される者の一人でした。使徒パウロも,その一人であり,この証印を押す業について記しています。西暦55年ごろ,古代コリントにあったコリント会衆に二番目の手紙を書き送った時,彼は次のように述べました。「しかし,あなたがたとわたしたちがキリストに属することを保証してくださるかた,そしてわたしたちに油そそいでくださったかたは神です。神はまたわたしたちにご自分の証印を押し,きたるべきものの印,つまり霊をわたしたちの心の中に与えてくださったのです」。(コリント第二 1:21,22)これから明らかなようにこ,証印を押すことは,神の霊つまり,神の見えない聖なる活動力によってなされます。これは,西暦60年か61年ごろ,小アジアの古代エフェソスにあったクリスチャン会衆にパウロが書き送ったことからも確証されます。霊と,証印を押すこととを関連づけて,パウロはこう記しました。
12 「キリストに望みを置く点で最初の者となったわたしたち……しかしあなたがたも,真理のことば,すなわち,あなたがたの救いについての良いたよりを聞いたのち,彼に望みを置きました。そして信じたのち,やはり彼により,約束の聖霊をもって証印を押されたのです。それはわたしたちの相続財産に関する事前の印であり,また,神ご自身の所有物を贖いによって釈放し,その栄光ある賛美とすることを目的としています」― エフェソス 1:12-14。
13,14 (イ)神の霊によって証印を押されるとはどういうことですか。(ロ)その証印を失わないようにするため,クリスチャンは何をしなければなりませんか。
13 神の霊によって証印を押されることは,来たるべきものに関する印です。それは,信じ,献身し,バプテスマを受けたクリスチャンが,輝かしい賛美をささげるため,最後には神の永遠の所有物となるという希望を抱いて,神の所有物の一部になったことを示すものです。それゆえに,霊の印を持つ油そそがれたクリスチャンは,地上の生涯の終わりに至るまで,その証印を忠実に保たねばなりません。神の崇拝と奉仕の面で活発にさせようとする,その見えない活動力の働きに逆らって,証印となった神の聖霊を憂えさせてはならないのです。そのようにして神の霊,つまり活動力の正しい働きを憂えさせ続けるなら,神の霊を失うことになり,神の霊の証印は取り消され,除かれます。証印を押されたクリスチャンのなすべき正しい行ないは,天的な相続財産,すなわち王国への神の救出にあずかる資格を最終的に確かなものとするまで,神の霊と調和した生き方をすることです。この点について,パウロはエフェソスのクリスチャンにこう書き送りました。
14 「神の聖霊を憂えさせることのないようにしなさい。贖いによる釈放の日のために,あなたがたはそれをもって証印を押されているのです」― エフェソス 4:30。
15 人の身体に押される証印が何を示すか,聖書から説明しなさい。
15 証印は人がある所有物を持っていることをしるしづけるものですが,使徒パウロはこの点を,ローマ人にあてた手紙の4章11節で次のように示しています。『彼[つまりアブラハム]は[エホバ神から]しるし,すなわち割礼を,無割礼の状態で得ていた信仰による義の証印として受けました』。また,しるしは人が正真正銘その主張どおりのものであることを示す権威ある標章であることを,使徒パウロはコリント人にあてた第一の手紙9章1,2節すなわち,自分の使徒職を弁明した個所で述べています。「わたしは使徒ではないのですか。わたしは,[死人の中から復活した後の]わたしたちの主イエスを見たのではないのですか。あなたがたは,主にあるわたしの業ではないのですか。わたしはほかの者たちに対しては使徒ではないとしても,[わたしがキリスト教をもたらした]あなたがたに対しては確かにそうです。あなたがたは,主と関連したわたしの使徒職を確認する証印なのです」。パウロは,クリスチャンの使徒職に対するそうした証印だけでなく,天的な相続財産を受ける備えがあるという証印,すなわち,来たるべき事柄の神からのしるしである,神の聖霊を持っていたのです。
16 (イ)証印を押す業は西暦1918年までに完了しましたか。(ロ)第五の封印が破られた後に起こった事柄は,証印を押す業がさらに行なわれることをどのように示しましたか。
16 西暦1918年,すなわち,第五の使いが太陽の昇る方角から昇り,地の四隅にいる他の四人の使いに叫んだ時,献身し,バプテスマを受け,油そそがれたクリスチャンである,全部の数の「わたしたちの神の奴隷」に,除去されることのない,最終的な証印を押す業はまだ完了していませんでした。そのことは,巻き物の第五の封印が破られた時,つまり使徒ヨハネが,自分たちの血を流した地の住民に対する血の復しゅうを叫んでいる,神の祭壇の下にいる魂を見た時に明らかにされました。彼らは何と告げられましたか。「自分たちが殺されたと同じように殺されようとしている仲間の奴隷また兄弟たちの数も満ちるまで,あとしばらく休むように」,とです。(啓示 6:9-11)したがって,西暦1918年には,事実が示すとおり,最終的かつ決定的な試みに至るまで,必要なら殉教の死に至るまで,「生ける神の証印」を額に保った者たちの全部の数は,まだ満たされていなかったのです。ご自分の霊によって証印を押す業を行なわれる全能の神は,そのことをご存じでした。それゆえに,第五の使いを遣わし,風を解き放たないよう他の四人の使いに告げさせたのです。
17,18 (イ)永久的に証印を押される者の全部の数は,いつまで秘されていましたか。(ロ)どんな数がヨハネに啓示されましたか。
17 では,証印を永久的に押される者の全部の数はどれぐらいですか。人類の中から何人が天に行き,天の王国でイエス・キリストと共になるのですか。使徒ヨハネに啓示が与えられた西暦96年ごろに至るまでは,ヨハネ自身その数を知らなかったようです。天の王国においてみ子イエス・キリストと共にならせるため,何人を「生ける神」があらかじめ定められたかに関するこの秘義,また神聖な奥義が解かれたことを,ヨハネはどんなにか喜んだことでしょう。また,ヨハネがその奥義を自分だけにしまっておかなかったことは,わたしたちにとってなんという喜びでしょう。神の命令の下に,彼はこう記しました。
18 「そしてわたしは,証印を押された者たちの数を聞いたが,それは十四万四千であり,イスラエルの子らのすべての部族の者たちが証印を押された。ユダの部族の中から一万二千人が証印を押され,ルベンの部族の中から一万二千人,ガドの部族の中から一万二千人,アシェルの部族の中から一万二千人,ナフタリの部族の中から一万二千人,マナセの部族の中から一万二千人,シメオンの部族の中から一万二千人,レビの部族の中から一万二千人,イッサカルの部族の中から一万二千人,ゼブルンの部族の中から一万二千人,ヨセフの部族の中から一万二千人,ベニヤミンの部族の中から一万二千人が証印を押された」― 啓示 7:4-8。
19 (イ)ヨハネの幻からは,族長時代のどの二部族の名が省かれていますか。(ロ)古代,レビ族が神によって特別の奉仕に用いられたため空席が生じましたが,それはどのように埋められましたか。
19 各部族から一万二千人が証印を押されるのであれば,十二部族では十四万四千人が証印を押されたことになります。ユダ,ルベン,ガド,アシェル,ナフタリ,マナセ,シメオン,レビ,イッサカル,ゼブルン,ヨセフ,ベニヤミン ― これら十二の名を使徒ヨハネはよく知っていました。彼は,ダンとエフライムの二つの族長の名がなぜこの中から省かれているか,聖書から考えて納得することができました。族長レビは,アブラハムの息子であるイサクの息子,つまり族長ヤコブの直接の息子の一人でした。エホバ神は,西暦前1513年,エジプトの地における奴隷状態からイスラエル国民を解放した後,レビの部族を他から分け,レビ人をご自分の崇拝の家のために聖別し,宗教上の奉仕をする者の部族とされました。これは,中東の約束の地を受け継ぐ部族の間に一種の空席を生じさせました。それはどのように満たされましたか。ヤコブ(または,イスラエル)の妻ラケルの長子,つまり息子ヨセフによってです。神に対する忠実さのゆえに,ヨセフは父イスラエルから長子の権を継ぎ,それを所有することになりました。エジプトでヨセフは,二人の息子つまり長子マナセとエフライムの父となりました。
20 (イ)古代イスラエルにヨセフの名を付された部族が存在しなかったのはなぜですか。(ロ)啓示 7章でヨセフはどのように長子として示されていますか。
20 忠実なヨセフは長子の権を得たので(歴代上 5:1,2),イスラエルの国の中で二倍の分を持つことになりました。ゆえに,彼が国民構成の中で二部族存在の因を成すのは当然のことだったのです。したがって,古代イスラエルにおいては,どの部族もヨセフ自身の名を付されませんでしたが,彼が国の中で二倍の分を持ったことに変わりはありません。彼の二人の息子,マナセとエフライムの部族は,イスラエルの部族として正式に認められたからです。しかし,啓示 7章4-8節に載せられている十二部族の名からは,エフライムの名が除かれています。その代わり,父ヨセフの名が一つの部族に当てられており,彼の二番日の息子エフライムは父ヨセフに含まれていると考えられます。これにより,ヨセフは息子エフライムの部族に対する責任を引き継ぐことになりました。つまり,生ける神の証印を押された十二部族に関する記載の中でも,ヨセフはイスラエルの長子のごとくに二倍の分を持っているのです。
21 (イ)レビは古代の十二部族からは削除されましたが,なぜ啓示 7章に記されている十二部族の名には加えられているのですか。(ロ)ダンの名はなぜ省かれていますか。それがダンの部族に対する偏見による削除でないことは,どうして分かりますか。
21 わたしたちはまた,啓示 7章4-8節に記されている十二部族の名から,レビの名が省かれていないことに気づきます。ここに載せられた14万4,000人の証印を押された者たちの場合,レビの名は,神の全国民に仕える神殿の奉仕者として特別に分かたれた部族を表わすのではありません。なぜですか。なぜなら,証印を押された14万4,000人全員が,「神およびキリストの祭司」となるからです。(啓示 20:6)したがって,部族の名の数の中にレビの名が入ったことにより,イスラエルの直接の息子,その十二人の一人であるダンの名を省くことが必要になります。彼の名が省かれたのは,古代のダンの部族に対して何か特別な偏見があるからではありません。古代イスラエルの裁き人の一人,マノアの息子サムソンは,ダンの部族の者でした。(士師記 13–16章。ヘブライ 11:32)この点の証拠として,預言的な都エホバ-シャンマー(「エホバご自身そこにおられる」)の十二の門の,イスラエル十二部族の名が出てくるエゼキエル書 48章30-35節には,ダンの名が出てきます。したがって,この部族は証印を押された14万4,000人の中に見いだされないとはいえ,エホバの新しい事物の体制において誉れある適用を受けます。
22 (イ)使徒ヨハネが幻を得た時には,生来のイスラエルの国が捨てられてからどれぐらいの時が経過していましたか。また,異邦人が選ばれた者として証印を押され始めた時から,どれほどの時が経過していましたか。(ロ)西暦36年以来,神は肉的なイスラエルの国と交渉を持っておられますか。それとも,どんな事態になっていますか。
22 使徒ヨハネが啓示を受けた西暦96年ごろというと,エホバ神がイエス・キリストを通し,割礼を受けた生来のイスラエル人を捨てられた西暦33年から,すでに63年が経過していました。また,カエサレアにいたイタリアの百卒長コルネリオがキリスト教に改宗し,キリスト教の良いたよりと,天の王国に入る機会が非イスラエル人の異邦人に提供された西暦36年からは,60年が経過していました。西暦36年,コルネリオと仲間の異邦人の信者は,神の「選ばれた者たち」に押す証印となる聖霊を受けました。(マタイ 23:37-39。使徒 10:1から11:18。ローマ 11:5-25)それは,割礼を受けた生来のユダヤ人,つまりイスラエル人の「残りの者」しか神の聖霊を受けなかったからであり,異邦人の中から選ばれた忠実な者たちが,証印を押される人の数の残りを構成しなければならなかったからです。西暦36年,無割礼の異邦人が証印を押された者たちの隊伍に迎えられてからというもの,エホバ神にあっては肉的な生来のイスラエルの国は存在しません。その代わり,霊的な「神のイスラエル」が存在しており,その成員は霊的なイスラエル人です。―ガラテア 6:15,16。
23,24 (イ)割礼を受けた生来のイスラエル人であれば,その人は自動的に神のイスラエルの成員であるという意味ですか。使徒パウロはこの質問にどう答えていますか。(ロ)神は現在どんな「ユダヤ人」を,またどんな割礼を認めておられますか。
23 割礼を受けた生来のイスラエル人だからといって,その人が自動的に霊的な「神のイスラエル」の成員になるわけではありません。この神の霊的イスラエルに関し,使徒パウロが西暦56年ごろ,ローマのクリスチャンたちにあてた手紙の中で述べたことは真実です。「イスラエルから出る者がみな真に『イスラエル』なのではないからです。また,アブラハムの胤だからといって,彼らがみな子どもなのでもありません。むしろ,『「あなたの胤」と呼ばれるものはイサクを通してであろう』とあります。つまり,肉による子どもが真に神の子どもなのではなく,約束による子どもが胤とみなされるのです」。(ローマ 9:6-8。創世 21:12)西暦36年以来,証印を押される14万4,000人の成員になることに関し,肉によれば生来何人であるかという点は,エホバ神にとって決定的な要素とはなりません。神は,非ユダヤ人つまり無割礼の異邦人でさえ,霊的イスラエル人とすることができます。それは,霊感を受けた使徒パウロが,無割礼の異邦人が相当数を占めていたローマのクリスチャンに書き送ったとおりです。
24 「外面のユダヤ人がユダヤ人ではなく,また,外面の肉の上での割礼が割礼でもないのです。内面のユダヤ人がユダヤ人なのであり,その人の割礼は霊による心の割礼で,書かれた法典によるものではありません」― ローマ 2:28,29。
25 (イ)神の霊的イスラエルの成員でない,割礼を受けた生来のユダヤ人を,神はどのようにごらんになりますか。(ロ)では,「イスラエルの子らのすべての部族の」14万4,000人とはだれのことですか。
25 この見地から見ると,割礼を受けた生来のユダヤ人つまりイスラエル人であっても,霊的な「神のイスラエル」の成員でなければ,その人は霊的に言って異邦人,つまり非ユダヤ人です。小アジアの古代都市フィラデルフィアにあった霊的イスラエル人の会衆に,次のことを書き送るよう使徒ヨハネに指示を与えることが可能だったのは,この点に基づいています。「見よ,わたしはユダヤ人であると言いながらそうではなく,偽りを語る,サタンの会堂の者たちを与える ― 見よ,わたしは彼らを来させてあなたの足もとに敬意をささげさせ,わたしがあなたを愛したことを悟らせる」。(啓示 3:9)名ばかりの,そして,割礼を受けた肉によるユダヤ人つまりイスラエル人との間に,このようにはっきり区別が設けられていることは,証印を押される14万4,000人の十二部族が,霊的な「神のイスラエル」であって,もともと,割礼を受けた生来のイスラエル人つまりユダヤ人の14万4,000人でない,という点を認識する助けとなります。
神の最終的な取決めにおける彼らの地位
26,27 (イ)神の最終地な取決めにおける14万4,000人の目的また地位に関し,どうすればさらに詳しいことが分かりますか。(ロ)「新しいエルサレム」という都市がキリストの「花嫁」であること,また,その門の上にイスラエルの十二部族の名が書き込まれていることは何を示していますか。
26 啓示 7章4-8節では,彼らが「生ける神の証印」を押されるということ以外,エホバ神の最終的な取決めにおける14万4,000人の霊的イスラエル人の目的ないし地位に関しては何も述べられていません。しかしそれは,啓示の後の部分で使徒ヨハネに告げられた事柄から確かめられます。21章でヨハネは,キリストの花嫁である「子羊の妻」の幻を与えられます。彼女は,神から,天から下る,光輝く都市として描かれており,新しいエルサレムと名付けられています。この栄光の天の都を描写するにあたり,ヨハネは続けてこう述べます。「それには大きく高大な城壁があり,また十二の門があった。そして門のところには十二人の使いがおり,イスラエルの子らの十二の部族の名が書き込まれていた。……その都市の城壁にはまた十二の土台石があり,それには子羊の十二人の使徒の十二の名があった」― 啓示 21:2,9-14。
27 つまり,この花嫁の都,新しいエルサレムの門は,イスラエルの子らの十二の部族が入るためのものだったのです。それは,地的な古いエルサレムではなく,天的な新しいエルサレムなのですから,この象徴的な都市に入れるそれらイスラエルの子らの十二部族は,啓示 7章4-8節に名を挙げられているイスラエル十二部族に違いありません。これから明らかなどおり,そこに述べられている十二部族の目的は,全体が「子羊の妻である花嫁」として奉仕する,天的政府を構成することにあります。
28 (イ)14万4,000人の占める公式の地位はどのように明記されていますか。(ロ)彼らは王としてのその地位をどのようにして得るのですか。また,子羊の「花嫁」として何を分かち合いますか。
28 さらに,使いたちによって守られているそれら真珠の門の中に入る者たちの正式な地位が明記されており,ヨハネは次のように述べています。「また,十二の門は十二の真珠であり,門のおのおのが一つの真珠でできていた。……そして,諸国民はその光によって歩み,地の王たちは自分の栄光をそこに携え入れるのである。また,その門は一日じゅう決して閉ざされることはない。そこに夜は存在しないからである」。(啓示 21:21,24,25)そうです,霊的イスラエルの十二部族,証印を押された14万4,000人の者たちはすべて「地の王たち」となるのです。そして地の諸国民の中から彼らだけが,死者から天の不滅の命への霊的復活にあずかり,その天的政府つまり新しいエルサレムに入るのです。(コリント第一 15:22-53)そうした王としての地位を持つ彼らは共々に,子羊イエス・キリストに対してふさわしい立場を占める「花嫁」を構成します。そのイエス・キリストはご自身,天の王であり,エホバ神の右手に座しておられます。
29 王となるそれら14万4,000人の者が,「神の奴隷」でもあるということは,「新しいエルサレム」からどんな統治が行なわれることを確信させますか。
29 覚えておくべきもう一つの点は,証印を押される14万4,000人の者たちが,生ける神の証印を持つ使いにより,「わたしたちの神の奴隷」と呼ばれたことです。(啓示 7:3)彼らが天の新しいエルサレムで王として仕えることは,聖なる都市に関する使徒ヨハネの描写の終わりの部分に明示されています。不忠実な地的エルサレムと異なり,それは決してのろわれた都市とはならず,永久に祝福された都市となって,全人類に祝福をもたらします。ヨハネはこう記しています。「そして,もはやなんののろいもない。神と子羊とのみ座がその都市の中にあり,その奴隷たちは神に神聖な奉仕をささげるのである。彼らは神の顔を見,神の名が彼らの額にあるであろう。また夜はもうない。それで彼らはともしびの光を必要とせず,太陽の光も持たない。エホバ神が彼らに光を与えるからである。そして彼らはかぎりなく永久に王として支配するであろう」。(啓示 22:3-5)生ける神の,証印を押された14万4,000人の奴隷たちは,「地の王」となり,彼らのみが,イスラエルの十二部族の名の付されている十二の真珠の門を通って,天の新しいエルサレムに入るのです。
30,31 (イ)それら証印を押された者たちが,「イスラエルの子らの」十二「部族」と呼ばれていることから,わたしたちは何を学びましたか。(ロ)彼らの数が14万4,000であることは,何を理解させる助けとなりますか。(ハ)聖書の他のどの個所に,またどんな状況の下にこの数は再び述べられていますか。
30 このように,彼らが「イスラエルの子らの」十二「部族」と呼ばれていることを頼りに,エホバ神が彼らに関して持っておられる目的,また,ハルマゲドンの戦いが終わって,サタン悪魔と悪霊が縛られ,底知れぬ深みに投げ込まれた後の,新しい事物の体制における彼らの地位を理解することができます。しかし,14万4,000というその数も,彼らに対する神の目的を見定める助けとなります。その目的とは,彼らを天の新しいエルサレムにおいて,子羊イエス・キリストと共同の王とならせることです。その数が再び述べられているのは啓示 14章だけであり,その章は,このあらかじめ定められた数の霊的イスラエルが,神の領域でどんな地位を占めるかを明らかにしています。啓示 14章1-5節で,ヨハネはこう記しています。
31 「またわたしが見ると,見よ,子羊がシオンの山に立っており,彼とともに,十四万四千人の者が,彼の名と彼の父の名をその額に書かれて立っていた。またわたしは,多くの水の音のような,そして大きな雷の音のような音が天から出るのを聞いた。わたしが聞いた音は,自分で弾くたて琴に合わせてうたう歌い手たちの声のようであった。そして彼らは,み座の前および四つの生き物と長老たちの前で,新しい歌であるかのような歌をうたっている。地から買い取られた十四万四千人の者でなければ,だれもその歌を学び取ることができなかった。これらは女によって自分を汚さなかった者である。事実,彼らは童貞である。これらは,子羊の行くところにはどこへでも従って行く者たちである。これらは,神と子羊に対する初穂として人類の中から買い取られたのであり,その口に偽りは見いだされなかった。彼らはきずのない者たちである」。a
32 (イ)キリストとその共同の14万4,000人の者たちが立つ場所が,中東の地上のシオンの山でないことはどのように分かりますか。(ロ)では,彼らのいるシオンの山は何ですか。
32 子羊イエス・キリストと,その追随者つまり,神と子羊に対する初穂として人類から買い取られた者たちとを合わせると,14万4,001人になります。彼らが共に立っている所はどこですか。「シオンの山」です。中東にある地上のシオンの山ではありません。その小さい丘や近隣の丘陵は,霊的イスラエルの十二部族とその指導者,神の子羊が,十二の真珠の門を通って入る「聖なる都市,新しいエルサレム」の場所としては小さ過ぎます。その聖なる都市の正方形の底面は,各辺が三千ファーロング(600㌔),つまり,周囲の長さが一万二千ファーロング,2,400㌔あると描かれています。古代エルサレムの一部が立っていた,地上のシオンの山は,600㌔平方もの大きな地域と比べると,その一部分でしかありません。(啓示 21:2,10-17)すると当然,14万4,000人の霊的イスラエルの者たちが神の子羊と共に立つシオンの山は,天のシオンの山であり,その上に天のエルサレムが立つのです。
33 (イ)ヘブライ人の書の筆者は,シオンの山に関するこの結論をどのように支持していますか。(ロ)その額にある証印は,14万4,000人を他から区別し,彼らが何であると示しますか。
33 地上のエルサレムは西暦70年にローマ軍によって滅ぼされましたが,その約9年前,ヘブライ人のクリスチャンにあてて次のことが書き送られました。『あなたがたが近づいたのは,触れることのできる,火で燃えているものではなく……シオンの山,生ける神の都市なる天のエルサレム,幾万ものみ使いたちに近づいたのです』。(ヘブライ 12:18-24)証印を押された霊的イスラエルの14万4,000人の者たちは,この天のシオンの山に子羊と共に立ちます。彼らの額にある生ける神の証印に関しては,子羊イエス・キリストの名と,その天の父,エホバ神の名が額に書かれてあると述べられています。その二つの名は,証印のように,14万4,000人を区別し,彼らが神に属する者であることを示します。神が,み子である子羊イエス・キリストの犠牲を通して,彼らを買われたからです。
34 (イ)神の目的における彼らの立場に関し,14万4,000人が天のエルサレムのあるシオンの山に,子羊と共に立っていることは何を示していますか。(ロ)したがって,地の四方の風が解き放たれる前に,霊的イスラエル人に証印を押す業を完了することはなぜそれほど重要だったのですか。
34 天のシオンの山は,「生ける神の都市なる天のエルサレム」のある所ですから,14万4,000人が神の子羊とそこに立っているということは,彼らが天の政府の座に着いていることを示しています。それは,彼らがそこで「地の王」として支配すること,しかも「かぎりなく永久に王として支配するであろう」ことを示しています。(啓示 21:24; 22:5)こうして,使徒ヨハネに対する啓示の中で,各1万2,000人から成る十二部族の霊的イスラエルに証印を押す神の目的が,再び明らかにされています。こうした崇高な目的に照らして見ると,地の四方の風が地の四隅の四人の使いによって解き放たれる前に,それら14万4,000人の霊的イスラエルに生ける神の証印を押すことが,なぜそれほど緊急なわざであったかが理解できます。それらの風がいったん解き放たれると,激しいあらしが起こり,それは,宗教的な大いなるバビロンを滅ぼし,次いで,地のすべての政治国家を敗北と絶滅に陥れるハルマゲドンをもたらします。
35 (イ)証印を押される14万4,000人が,各1万2,000人から成る単位に分けられていることは何を示していますか。(ロ)霊的イスラエルのそれらの成員は,地上にいる間どのように分けられていますか。
35 啓示 7章4-8節で,証印を押された14万4,000人が分けられている最小単位は部族であり,この霊的イスラエルの各部族は1万2,000人の成員からなっています。霊的イスラエルが大きさの等しい十二の部族に分割されていることは,天の王国における彼らの最終的な取決めを表わしています。それは,えこひいきの全くない,平衡の取れた組織を示しています。聖書の中で十二は組織を表わす数です。エホバ神が,十二部族の族長となり得る十二人の息子を古代の族長ヤコブに与えられたのは,目的があってのことでした。イスラエルの十二部族において予表させた事柄を,エホバ神は,全員が生ける神の特別の所有物として証印を押される,霊的イスラエルの十二の等しい部族,つまりご自分の神聖な国民に成就し,かつその国民の中に保たれたのです。しかし,この霊的イスラエルの成員は地上で整えられ,神の霊をもって証印を押されているとはいえ,大きさの異なる会衆に分けられ,全地に存在しています。
36 (イ)弟子ヤコブは当時のクリスチャン会衆にあてた手紙の中で,彼らをどのようにみなしましたか。(ロ)啓示の幻の中で,ヨハネはだれに個別の手紙を書くよう命令されましたか。わたしたちはなぜそれらの手紙に関心を抱くべきですか。
36 地のエルサレムとそのヘロデの神殿が,異教のローマ人によって西暦70年にぬぐいさられる8年余り前,弟子ヤコブは自分の一般的な手紙の冒頭で,当時のクリスチャン会衆を霊的イスラエルになぞらえました。「神および主イエス・キリストの奴隷ヤコブから,各地に散っている十二部族へ: あいさつを送ります」。(ヤコブ 1:1)その30年余りの後に,使徒ヨハネは人を魅了する啓示を与えられたのです。その啓示の中で,西暦1世紀の終わり近くにまだ存在していた七つの会衆が特に取り上げられ,彼はそれら七つの近くの会衆に別々の音信を書くよう命じられました。その音信は,二十世紀のこの危機の時代に住むわたしたちに対し,重大な意義を持っています。それゆえ天的な知恵は,霊感の下に西暦1世紀のそれら七つの会衆に書き送られたことを調べるよう,わたしたちを促すのです。
[脚注]
a 「『大いなるバビロンは倒れた』神の王国は支配す」(英文),21章,454-462ページをごらんください。