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崇拝を行なうための唯一の神殿にあらゆる国民を集めるものみの塔 1973 | 3月1日
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聖なる所と呼ばれる仕切り室で仕えている,霊的な従属の祭司たちの残れる者が依然として地上にいる今,その預言が成就していることを意味しています。それゆえにこそ,地上のあらゆる場所からエホバの唯一の霊的な神殿の中庭に続々とはいってくる『大いなる群衆』は,なお地上にいるそれら霊的な従属の祭司たちと接触を持ち,交わりを持っているのです。西暦1935年は,エホバの崇拝者で,祭司ではないあの『大いなる群衆』が神殿に来るということが理解されはじめた年です。なぜなら,その記念すべき年に,『大いなる群衆』に関する黙示録 7章9-17節の預言が当時の事実に即して説明されたからです。(1935年8月1日および15日号の「ものみの塔」誌をご覧ください。)使徒ヨハネが見た黙示録の幻を調べてみると,崇拝者たちの国際的な『大いなる群衆』がエホバの神殿で対型的な仮庵の祭りを祝うのを見ているかのような気持ちがします。
21 ヨハネは黙示録 7章9-15節でその『大いなる群衆』をどのように描いていますか。
21 ヨハネは自分の見たことをこう述べています。『視よ,もろもろの国・族・民・国語の中より,誰も数えつくすこと能わぬ大いなる群衆,しろき衣をまといて手にしゅろの葉をもち,御座と小羊との前に立ち,大声に呼ばわりて言う 「救いは御座に座したもう我らの神と小羊とにこそあれ」…「かれらは〔大かん難〕よりいできたり,小羊の血におのが衣を洗いて白くしたる者なり。このゆえに神の御座の前にありて昼も夜もその〔神殿〕にて神につかう。御座に座したもう者は彼らの上に幕屋を張りたもうべし」』― 黙示 7:9-15〔新〕。
22 (イ)神の霊的な神殿に関連して,その『大いなる群衆』は昼も夜もどこで神に仕えていますか。(ロ)ヨハネの幻は,霊的な神殿が『大かん難』を無事通過したことをどのように示していますか。『大いなる群衆』はそこでどんな益を受けていますか。
22 この美しい幻の中で,国際的な『大いなる群衆』は,エホバの神殿で,すなわち霊的なイスラエル人でない人たちのためにあらかじめ指定されていた地的な中庭で,あたかも「異邦人の中庭」ででも仕えているかのように,エホバに仕えている者たちとして示されています。そうです,使徒ヨハネの見たこの幻の中では,エホバ神の大いなる霊的神殿は,この終わりの日の『大かん難』を無事通過しました。なぜなら,その『大いなる群衆』は『大かん難』を生き残り,そしてエホバの神殿の中にいて,仮庵の祭りのさいに人びとが振った古来の祝いのしゅろの枝(ルラブa)を振っているからです。彼らは自分たちの救いをエホバ神と,犠牲にされたその小羊イエス・キリストとに帰しています。そして,今や楽園の地上の神の新しい事物の体制の秩序のもとで終わりのない幸福な生活と神聖な奉仕とを享受する道を歩んでいます。(黙示 7:16,17)それらの人たちは,エホバの大いなる贖いの日に設けられた罪祭の恩恵を感謝して受け入れます。―レビ 16:1-34。
23 (イ)キリストが大祭司の務めを千年間行なう時,霊的な神殿の地的な中庭に群がるのは『大いなる群衆』だけではありません。なぜですか。(ロ)地上で永遠の命を得るには,それらの人びとは何を守ることに加わらなければなりませんか。
23 しかしながら,それら救いの中庭に群がるのは,現在のこの事物の体制の終わりに伴う『大かん難』のそうした生存者だけではありません。大祭司である小羊イエス・キリストがその14万4000人の霊的な従属の祭司とともに,エホバの霊的な神殿の天的な領域で千年間祭司の務めを行なうとき,「義者と不義者との復活」が行なわれるでしょう。(使行 24:15。黙示 20:4,6,11-14)それらの人たちはみな,エホバの霊的な神殿の中庭に来て,エホバに仕え,また対型的な大いなる仮庵の祭りを祝うことに喜んで加わらなければなりません。それ以外に他のどんな方法を講じようとも,地上の楽園における永遠の命への救いにあずかることはできません。ゼカリヤの預言の最後の6節はこのことを示していると考えられます。地上で永遠の命を得たいと願う復活させられた人たちはすべて,『王なる万軍のエホバを拝み』,また『〔仮庵の祭り〕を守る』ために霊的な神殿に来なければなりません。そうする人たちにとって,それはことばでは言い表わしようのない何と喜ばしい時となるのでしょう。―ゼカリヤ 14:17,18〔口語〕。
24 (イ)エホバ神が認めておられるのはどの神殿ですか。神の新秩序で命を得る人はすべて,どの神殿のもとに来なければなりませんか。(ロ)すでにその中庭にいる人たちにとって,今や他の人びとにどんなニュースを伝えるのは特権ですか。
24 また,わたしたちの中の一部の人びとは奥の祭司の中庭にいる者であり,わたしたちの大多数は至高の神,万軍のエホバの祭司ではない崇拝者たちの中庭にいる者ですが,わたしたちはそのどちらであっても,今エホバの霊的な神殿の中庭にいる今日のわたしたちすべての見込みは恵まれたものと言えます。これは救いの神が認めておられる唯一の神殿です。それこそ,あらゆる国民が清い崇拝に携わり,そうすることによって神の義の新秩序で永遠の救いを得るためにそのもとに来なければならない唯一無二の神殿なのです。その神殿は今や,ひとりの生ける真の神を求める人びとすべてを集めて招じ入れられるよう,開かれています。これは驚くべき時代である現代のできごとと関係のあるほんとうに重大なニュースです。『大かん難』が到来する前に,命を救うこの良いたよりを他のすべての人びとに伝えるのは,エホバの霊的な神殿の中庭で奉仕しているわたしたちすべてにとってすばらしい特権です。
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聖書の土地のらい病人ものみの塔 1973 | 3月1日
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聖書の土地のらい病人
● 何年か前に,中東の町,ナブルスの近くの道路添いでは多くのらい病人が見られた。彼らは通りがかりの人に遠くから大声をかけた。住む家もなく,親族とともに住むこともできないのである。それららい病人はほら穴や古い建物の廃墟あるいは自分たちで建てた小屋で眠っていた。彼らのための食物はある特定の場所に置かれた。彼らは施し主が去ってから,はじめてそれを取りに行った。それらの人々にとって神の王国の祝福はどんなにか必要だったであろう。
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