第17章
第五および第六のラッパが吹かれる
1,2 第五の使いがラッパを吹いた時,ヨハネは何を見ましたか。
天の第五の使いがラッパを吹いた後に使徒ヨハネの視界に映った事柄は,ヨエル書 2章1-11節に預言的に描写されている,恐ろしいいなごの災厄を思い出させずにはおきません。事実,ヨエルの預言の中に出て来る幾つかの考えや対照は,ヨハネの描写におけるそれと一致しています。使徒ヨハネは真に迫った表現で次のように記します。
2 「また,第五の使いがラッパを吹いた。すると,わたしは天から地に落ちた星を見た。底知れぬ深みの穴の鍵が彼に与えられた。そして,彼が底知れぬ深みの穴を開けると,大きな炉の煙のような煙がその穴から立ち上り,その穴の煙によって太陽が,また空気が暗くなった。そして,その煙の中からいなごが地上に出て来た。それらには権威が与えられた。地のさそりが持つのと同じ権威である。そして,地の草を,またどんな緑のものも,どんな木も損わないように,ただ,額に神の証印のない人びとだけを損うようにと告げられた。
3,4 どんな権威がいなごに与えられましたか。いなごの姿を描写しなさい。
3 「そして,そのいなごには,彼らを殺すことではなく,彼らを五か月のあいだ責め苦に遭わせることが許された。彼らに加えられるその責め苦は,さそりが人を襲うときの責め苦のようであった。その日には,人びとは死を尋ね求めるが,決してそれを見いだせないであろう。また,死にたいと思っても,死は彼らから逃げてゆく。
4 「そして,いなごのすがたは戦闘の備えをした馬に似ていた。頭の上には金のような冠と思えるものがあり,顔は人間の顔のようであったが,女の髪のような髪の毛をしていた。そして,歯はししの歯のようであり,また,鉄の胸当てのような胸当てを着けていた。そして,彼らの翼の音は,多くの馬に引かれる兵車が戦闘に走り行く音のようであった。また,彼らには尾と,さそりに似た針があり,その尾に,人を五か月のあいだ痛める彼らの権威がある。彼らの上には王がいる。すなわち,底知れぬ深みの使いである。ヘブライ語で彼の名はアバドンであり,ギリシャ語では,アポルオンという名がある」― 啓示 9:1-11。
5 使徒ヨハネがここで見た星はだれですか。そのかたの実体はどのように見分けることができますか。
5 使徒ヨハネが今度見た星は,第三の使いがラッパを吹いた後に天から落ちて来るのが見えた,「ともしびのように燃える大きな星」とは違います。(啓示 8:10)では,第五のラッパが吹かれた後にヨハネが見た,この「天から地に落ちた星」はだれですか。わたしたちには,その実体を明らかにするための助けがあります。というのは,「底知れぬ深みの穴の鍵」が彼に与えられ,彼はその場所を開けたのです。さらに,彼は「底知れぬ深みの使い」であり,また,その深みから飛び出る恐ろしいいなごの大群の王です。彼の名は,ヘブライ語でアバドンと言い,“滅び”を意味し,ギリシャ語ではアポルオンと言い,“滅ぼす者”を意味します。このすべてから明らかなように,「使い」はイエス・キリスト,すなわち,エホバ神のみ子を表わしています。
6 イエス・キリストはどのようにして底知れぬ深みの鍵を所有することになりましたか。
6 ヨハネの幻より約一世紀前,この神のみ子は,人の子イエスとして生まれるため,天から地に下って来られました。犠牲の死を遂げて埋葬されたさい,彼は底のない深みに下られたのです。(フィリピ 2:5-8。エフェソス 4:7-10。ローマ 10:6,7)神は彼を死の三日目にその深みからよみがえらせ,底知れぬ深みの鍵を与えました。この深みはここでは,ハデスつまり,人類共通の墓に相当します。こうして彼は,死んだ人類に対して権限を持っているのです。
7 (イ)キリストは底知れぬ深みの鍵をどのように使いますか。(ロ)彼は“滅ぼす者”というご自分の名をどのように全うされますか。
7 そのために啓示 1章17,18節は,復活させられたイエス・キリストが,死者からよみがえらされて今や永久に生きており,「死とハデスの鍵を持っている」と述べているのです。さらに彼は,啓示 20章1-3節の「使い」であり,下って来て悪魔サタンと悪霊たちを縛り,彼らを底知れぬ深みに投げ込み,そこに千年間閉じ込めます。彼らは人類に対するキリストの千年統治の後,しばらくの間底知れぬ深みから解放されますが,イエス・キリストはその悪魔サタンと悪霊たちを滅ぼし,こうして創世記 3章15節の神の預言を成就されます。また,近づいているハルマゲドンの戦いにおいて,そのとき神のメシアによる王国に敵して戦う地上の敵をも滅ぼされます。(啓示 19:11-21; 20:7-10)彼は“滅ぼす者”というご自分の名を全うされるのです。
8 (イ)象徴的ないなごはだれですか。彼らが冠を着けているものとして描かれているのはなぜですか。(ロ)彼らはどのように象徴的な「底知れぬ深み」に入れられていましたか。
8 さて,彼が「底知れぬ深み」から解放される象徴的ないなごはだれですか。いなごに王はいません。(箴言 30:27)しかし,イエス・キリストはそれら象徴的な「いなご」の王であり,それゆえに,彼らはイエス・キリストの弟子の中の油そそがれた今日の残りの者,つまり,天の王国に関する彼の共同相続者であるに違いありません。それら「いなご」の頭の上に「金のような冠と思えるもの」があったのは,そのためです。(啓示 9:7)第一次世界大戦中(西暦1914-1918年)エホバ神は,その宗教,政治および軍事上の敵たちが,彼らを「底知れぬ深み」の中におけるような,死のごとき不活発な霊的状態に陥れるのを許しました。しかし,第一次世界大戦後,統治しておられる王イエス・キリストを用いて,それら象徴的ないなごをこの「底知れぬ深み」から解放されました。どのようにですか。マタイ 24章14節およびマルコ 13章10節に予告されている,全世界的な王国の業に関し,彼らを再び活発にさせることによってです。
9 いなごの長い髪の毛,ししのような歯,鉄の胸当てはそれぞれ何を象徴していますか。
9 これらの象徴的ないなごは,自分たちの王またクリスチャン会衆の頭としての,栄光を受けたイエス・キリストに服しています。この点を示すものとして,「いなご」は,「顔は人間[男]の顔のようであったが」,「女の髪のような髪の毛」をしていると描かれています。生来長い,女の髪の毛は,自分の頭の上に権威を頂いている,あるいは権威を行使されていることのしるしです。(コリント第一 11:7-15。エフェソス 5:21-32; 1:22,23)彼らは,「ユダ族の者であるしし,ダビデの根」の追随者ですから,それら「いなご」の歯は「ししの歯のよう」です。霊的に言って,彼らは円熟したクリスチャンのように,神のみことばの中に見いだされる固い食物,特に,この「ユダ族の者であるしし」イエス・キリストによって支配される,神の王国に関する真理をむさぼり食うことができます。(ヘブライ 5:14から6:3。コリント第一 3:1,2)彼らはキリストのように,神の義に対して愛を抱いており,この義に対する愛は,心臓を守る胸当てのようです。
10 いなごの装備を考えると,彼らが「戦闘の備えをした馬に似ていた」と言うことができます。どうしてですか。
10 それで,非常に適切なことに,「いなご」は「鉄の胸当てのような胸当て」を着けていると描かれています。事実,彼らは,「完全にそろった,神からのよろい」を着けており,それゆえに,『キリストのりっぱな兵士』として苦しみを忍ぶ点での自分の役割を引き受けることができます。(エフェソス 6:11-18。テモテ第二 2:3,4)クリスチャン兵士の軍勢のように,神からの武器をもって,偽りの宗教の推論や「神の知識に逆らって立てられたいっさいの高大なもの」に向かい,霊的な戦いをいどむ用意ができているのです。(コリント第二 10:3-5)いなごが「戦闘の備えをした馬に似ていた」のも不思議ではありません。―啓示 9:7-9。
11 象徴的ないなごが損う権威を与えられた「人びと」とはだれですか。
11 自然界のいなごと違って,それら象徴的ないなごは,どんな草,緑のもの,また木をも,そのししのような歯で食い荒らしてはならないと告げられました。「額に神の証印のない人びとだけ」を損うのです。したがってこの特定な人たちは,「四方の風」が「地の四隅」から解き放たれる前に,「生ける神の証印」を押される14万4,000人の霊的イスラエルの者たちではありません。(啓示 7:1-8)明らかにその「人びと」は,神の新しい契約に入っている霊的イスラエル人であるとの宗教上の主張を行なうので,証印を押された者と期待されます。キリスト教を公言するすべての者たちの中で,証印のないその「人びと」とは,任命された,カトリック,正教会およびプロテスタントの僧職者,並びに,教会内の顕著な会員である不当利得者や政治家また軍士官のことでしょう。実際には『証印を押されて』いないのですから,彼らは自分の主張を偽っていることになります。
12 成就において,証印を押されていないそれらの者はどのように『損われ』ますか。どれ程の期間ですか。
12 この人びとはどのように『損われる』ことになっていたのですか。象徴的ないなごは,「彼らを殺すことではなく」,責め苦に遭わせるよう指示されました。それは宗教的な意味においてです。その責め苦はどのようになされるのですか。さそりの針によるかのようにです。いなごは尾に「さそりに似た針」を持っており,それによってキリスト教世界の,証印を押されていない者たちを襲うのです。どれ程の期間ですか。「五か月」の間です。これは象徴的ないなごとしての彼らの生涯を意味しています。いなごは春生まれ,夏の終わり,つまり約五か月間生きた後に死ぬからです。(啓示 9:5,10)次に,その責め苦はいつ始まったか,ということが問題になります。
「いなご」の攻撃が始まる
13 第五の使いがラッパを吹いた直後に,神の民の間に何が起こりましたか。
13 使徒ヨハネの幻においてこの責め苦の業は,第五の使いがラッパを鳴らした後に始まりました。現代の成就において,いなごの攻撃をふれ告げる象徴的なラッパは,1926年の春に吹き鳴らされました。同年5月25-31日にかけて,国際聖書研究者協会は英国のロンドンで国際大会を開きました。最後の二日間,二つの公開集会のために有名なロイヤル・アルバートホールが,他の集まりにはアレグザンドラ宮が使用されました。5月28日,金曜日の午後,イザヤ書 49章に基づく「しもべと奉仕」に関する講演の後,協会の会長は「世の支配者たちへの証言」と題する決議を提出しました。それはこの大会で熱烈な支持を得て採択されました。また,新たに出版された384ページの書籍,「神の救い」が大会で発表されました。5月30日,日曜日の夜,その同じ決議がまず満員のロイヤル・アルバートホールで読まれ,次いで会長は,同決議を支持する,「世界の諸勢力はなぜよろめいているのか ― その救済策」と題する講演を行ないました。その内容は広く一般に知らされたでしょうか。
14 エホバの民は,「いなご」の攻撃の始まりを画する重大な音信を,どのように広く一般に告げ知らせましたか。
14 翌朝,平日発行部数80万部を数えるロンドンの一新聞は,決議「証言」の全文とその論証となった公開講演を掲載しました。臨時増刊部数の印刷と合わせると,それは百万部以上も一般読者の手に渡ったことになります。その講演は,国際連盟すなわち,英国政府が奨励し,支持を与え,さらに,英国および全キリスト教世界の僧職者が宗教的な立場から提唱した連盟が,その起源を悪魔に発することを指摘しました。また,聖書預言にしたがって,世界の平和と安全のためのそうした国際組織が最終的には失敗に帰すことを大胆に宣言し,さらに,僧職者が神の真のメシアによる王国を支持しなかったことをも,あからさまに指摘しました。新しい書籍「神の救い」は,世界的に重要な意味を持つ同様な事柄に注意を喚起していました。大会出席者が土曜日,ロンドン市街において少額の寄付で11万部配布した新しい小冊子「民のための旗」も,同様な内容を含んでいました。後日,決議「証言」は冊子となり,多くの言語で全世界に五千万部以上無料配布されました。
15,16 神の証印を持たない人びとを責め苦に遭わせる業が始まっていることは,どのように明らかになりましたか。象徴的ないなごの災厄は,荒廃をもたらすその最初の攻撃をもって完了したわけではありません。なぜですか。
15 その後,英国,アメリカおよび他の場所で見られた反応によると,「額に神の証印のない」自称クリスチャンの主要な者たちが,象徴的な「いなご」によって責め苦に遭わされていることは明らかでした。宗教の名において,また神の王国に敵して立てられた人間のもくろみに対する暴露は,さそりの尾の針のように彼らを刺しました。そのような「人びと」は,自分の宗教上の誇りを刺すこの責め苦から逃れるため,ひゆ的に言って死を望んだことでしょう。しかし,彼らが求める「死」は「逃げて」行きました。ラジオ,公開講演,印刷された文書による,自分たちを刺す真理の大掛かりな広報活動から逃れることは不可能だったのです。象徴的ないなごが飛び回るにつれ,「多くの馬に引かれる兵車が戦闘に走り行く音のよう」な,広報の大音が上がりました。「いなご」は,現実に,真の霊的な戦いをしていたのです。―啓示 9:5,6,9,10。
16 いなごがその寿命である「五か月」間,災厄のような荒廃をもたらすのと同じく,象徴的ないなごは,生きている限り,また,神からこの使命を託されている限り,責め苦をもたらすこの業を推し進めます。第二次世界大戦によって国際連盟に致命的な打撃が与えられたとはいえ,証印を押されていない,キリスト教世界の人たちを宗教的な責め苦に遭わせる彼らの使命は終わったわけではありません。世界の平和と安全のための組織は,1945年,国際連合となって再び現われました。そのため,イエス・キリストによるエホバ神の天の王国の代わりに,国際連合に好意と希望を寄せる,証印を押されていない“クリスチャン”を引き続き刺すことが必要となりました。
17,18 象徴的ないなごはどんな態度をもって「底知れぬ深み」から出て来ましたか。彼らの出て来た「大きな炉の煙」にはどんな意義がありましたか。
17 「いなご」は,第一次世界大戦中強制的に不活発の状態に置かれた,「底知れぬ深みの穴」から出,今や献身したクリスチャンとしての生涯を最大限に用いる決心をしていました。「底知れぬ深みの使い」により彼らのために深みが開かれたことは,キリスト教世界の,証印を押されていない「人びと」にとって何ら良い意味をなしませんでした。煙の立ち上る「大きな炉」から出て来たかのように,象徴的ないなごは彼らに立ち向かい,神の王国に対する熱意で全員が強く燃えていたのです。
18 立ち上る煙は,自称キリスト教の世に住む,証印を押されていない「人びと」に臨む災いの事前の合図でした。それは,彼らの日が明るくなることのない前兆でした。なぜなら,煙によって『太陽は暗くなった』からです。いなごがおびただしい群れをなして飛来する時には,その下の地上にいる人にとって,「日も月も暗くなり」ます。
19 ヨハネは,それが太陽を暗くしたと述べましたが,それに加えて,いなごの災厄のひどさをさらにどのように強調しましたか。
19 使徒ヨハネは,底知れぬ深みの穴から出る煙によって,「また空気が」暗くなったと報告しています。人の呼吸しようとする大気を煙が密にするように,地表に近い空気も,ぎっしり群がって飛ぶいなごの大群によって「暗く」なる,つまり密にされることがあります。(啓示 9:2。ヨエル 2:10)自然界の文字どおりのいなごによる災厄がこれほどひどいものであるなら,象徴的ないなごによる災厄は,それに劣らず耐え難いものでしょう。まして,いなごが針のついたさそりの尾のようなものを持ち,ある人びとを,死にたいと思わせるほど執拗に追い掛けるのであれば,それはなおさらのことです。ですから,使徒ヨハネが第五のラッパに続いて生じた情景を見た後に,それを「災い」と呼んだのは,十分理由のあることだったのです。「一つの災いが過ぎた。見よ,これらのことののちなお二つの災いが来る」。
20 この第一の「災い」によって損われなかった者たちはだれですか。
20 これは,中天を飛ぶ鷲による事前の警告と一致していました。(啓示 9:12; 8:13)モーセの時代の古代エジプトにおけるいなごの災厄が,神の選ばれたイスラエルの民を害さなかったように,第一の「災い」は,証印を押された14万4,000人の霊的イスラエルの残りの者,また,エホバ神をその霊的神殿で崇拝する,神を恐れる人たちから成る「大群衆」のだれをも損いませんでした。(啓示 7:2-15)そうであれば,残る二つの「災い」も,それら二つのグループを害さないと期待してよいはずです。―出エジプト 8:22,23; 9:3-19。
第六の使いがラッパを吹く
21 第六の使いがラッパを吹いた後,ヨハネは何を見ましたか。
21 第二の「災い」は,「地に住む者たち」を悩ますためにどんな形を取るのでしょうか。使徒ヨハネは次のように記してその点を明らかにしています。「そして,第六の使いがラッパを吹いた。すると,神の前にある黄金の祭壇の角の間から出る一つの声が,ラッパを持つ第六の使いにこう言うのが聞こえた。『大川ユーフラテスのところにつながれている四人の使いを解きなさい』。すると,その四人の使いが解かれた。彼らは,人びとの三分の一を殺すため,その時刻と日と月と年のために用意されていたのである」。(啓示 9:13-15)「時刻と日と月と年」という表現は,特定の時を厳密に指しており,エホバ神が時を厳守されるかたであることを示しています。
22 (イ)『黄金の祭壇の角の間から出る声』は何ですか。(ロ)「使い」という語はここでどんな意味で用いられていますか。
22 同様に,『黄金の祭壇の角の間から出る声』も,全く適切な時に,つまり「四人の使い」が解かれる前に話しているに違いありません。この黄金の祭壇は,『聖なる者たちの祈りとともに,神のみまえに』香をささげることと関連して神の使いに用いられました。ですから,この「声」は明らかに,命令ではなく,ラッパを吹く第六の使いに「四人の使い」を解くよう祈りをささげるのです。(啓示 8:3,4)祭壇の四つの角から出るその声は,釈放を願う祈りを適切に象徴しています。それは,油そそがれた残りの者たちが,まるで「一つの声」で,また,『四つの角』で表わされる満ち満ちた強さ,力をもってささげる祈りです。彼らは,目に見えない霊の領域にいる「四人の使い」の釈放ではなく,自分たちの釈放を祈るのです。したがって,「使い」という語はここでは,その基本的な意味である“使者”のことを指しています。
23 (イ)聖書の中でユーフラテス川は主に何と関連がありますか。(ロ)神の古代の民は,ユーフラテス川で拘禁され,そして釈放されるという経験をしましたが,それはどんな経験でしたか。
23 使徒ヨハネの時代,「大川ユーフラテス」はローマ帝国の東の境界をなしていました。それは,エホバ神が族長アブラハムに約束された土地の北東の境界でもありました。(創世 15:18,19)しかし,聖書の中でこの川は,「強力な狩人」ニムロデによって創建された古代バビロンと主に関連があります。(創世 10:8-10,新)西暦前607年,バビロニア帝国はエルサレムとその荘厳な神殿を破壊し,生き残ったユダヤ人のほとんどを流刑に処すため,バビロンに連れ去りました。その後七十年間,それらユダヤ人とその子孫は,ユーフラテス川で流刑囚として日を過ごしました。神を恐れる忠実な者たちの祈りは,神の定めの時,定められた年,つまり,ユダおよびエルサレム地域に臨んだ全き荒廃の七十年目における釈放の願いとなって,エホバ神のもとに上って行きました。予告された七十年目の西暦前537年,神は彼らの祈りにこたえ,バビロンの新しい王,アーリア人で征服者のクロスを用いて彼らを釈放されました。(詩篇 102:13-22; 126:1-4; 137:1-9。歴代下 36:20-23。ダニエル 9:1-4)現代の霊的イスラエルはこれと似た経験をしました。
24 (イ)霊的な残りの者はどのようにユーフラテス川に「つながれて」いましたか。(ロ)彼らはいつ釈放されましたか。それは何に備えるためでしたか。
24 第一次世界大戦中,霊的イスラエルの残りの者は,偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロン,およびその政治的また軍事的情夫たちによって拘束状態に置かれていました。1918年11月11日の第一次世界大戦終了後,対型的な「大川ユーフラテス」に「つながれて」いた,油そそがれた忠実な残りの者は,釈放を求めて祈りました。彼らが驚き,また喜んだことに,戦後最初の年である1919年に彼らは解き放たれたのです。自分たちを釈放してくださった偉大な神に感謝のこもった献身の念を抱く彼らは,今や神のご意志と業をいついかなる時刻,日,月,年にも行なう用意のある者として自分をささげました。神が第六のラッパを吹かせ,その時取られるべき行動がそれに続いて取られる時が到来したさい,彼らは備えのあること,また,そうする意志のあることを示しました。彼らは確かに,「人びとの三分の一を殺すため,その時刻と日と月と年のために用意されていた」のです。―啓示 9:14,15。
「人びとの三分の一」を殺す
25 解き放たれる象徴的な「四人の使い」によって殺される者たちはだれでしたか。その殺す業が象徴的なものであったとどうして分かりますか。
25 この殺す業が行なわれる時,大多数の人類は悪霊崇拝,種々の材料でできた偶像の礼拝,殺人,心霊術,性的不道徳などの行為に携わっていることでしょう。(啓示 9:20,21)しかし,その人びとすべてではなく,「人びとの三分の一」だけが『殺される』のです。人口を計算する人たちによると,使徒ヨハネの時代における西暦1世紀の世界の総人口は2億5,000万,つまり,ヨハネが次に見た「馬」の数よりわずか5,000万多いだけでした。今日の世界人口は38億6,000万人以上と計算されていますが,1930年までに人口は20億に達したにすぎません。その三分の一といえば大きな数になりますが,それは,キリスト教世界の諸教会つまり,カトリック,正教会,プロテスタントおよび他の宗派の会員であるととなえる人たちの数に相当します。人類史上今日に至るまでの戦争のどれ一つを取っても,またその全部を合わせても,これ程多くの人を殺した戦争はありません。ですから,「人びとの三分の一」を殺すとは,象徴的ないし霊的種類のものであることが明らかです。それはどのようになされましたか。
26 攻撃する四人の使いに従ったのはだれですか。
26 「大川ユーフラテス」における拘束状態から解かれた「四人の使い」が,『殺す者たち』の指導者であるようです。「四人の使い」が解かれたことを告げた後,使徒ヨハネはその『殺す者たち』を次のように描いています。「そして,騎兵隊の数は万の二万倍であった。わたしは彼らの数を聞いた。そして,わたしが幻の中で見た馬と,それに乗っている者たちの様子はこうであった。彼らは,火のような赤と,ヒヤシンスのような青と,いおうのような黄色の胸当てを着けていた。馬の頭はししの頭のようであり,その口からは火と煙といおうが出ていた。これら三つの災厄によって人びとの三分の一が殺された。その口から出た火と煙といおうのためにである。これらの馬の権威はその口とその尾にあるからである。その尾はへびに似ていて頭があり,それによって損うのである」― 啓示 9:16-19。
27 (イ)ヨハネの見た騎兵の数は何人でしたか。それは1930年の世界人口とどのように比較されますか。(ロ)「馬」はだれに向けられ,どこから攻撃を始めますか。
27 使徒ヨハネが聞いた騎兵の数は,「万の二万倍」すなわち2億で,ヨハネの時代の推計世界人口よりわずか5,000万少ないだけでした。それでも,その2億の騎兵は,「人びとの三分の一」だけを災厄によって殺すのです。いうまでもなく,1930年までに世界人口の三分の一は約7億になっています。では,それら2億の馬と騎兵によって表わされているものは何ですか。彼らは,霊的な意味でのこの大規模な殺す業を達成するため,「大川ユーフラテス」の拘束から解かれた「四人の使い」を強力に増援するものとなりました。そして「馬」は明らかに,ユーフラテス河畔の古代バビロンによって予表される偽りの宗教の大世界帝国,大いなるバビロンに向けられていました。(啓示 16:12-19)第六のラッパが吹かれた時,大いなるバビロンの主要部分,すなわちキリスト教世界が攻撃を受けました。それは極めて適切なことでした。というのは,キリスト教世界は宗教的に最も偽善的であり,大いに責められるべき存在だからです。
28 馬に騎手がいるということは何を示していますか。その成就において,それら象徴的な馬に知的制御と導きを与えているのはだれですか。
28 使徒ヨハネが記した言語(共通ギリシャ語)によると,「彼らは……胸当てを着けていた」という表現は,馬と「それに乗っている者たち」との両方に係るように取れますが,恐らく騎手だけに係っているのでしょう。すると,それは,馬に乗っている者たちについて描かれている唯一の特徴ということになります。描写の大部分は馬に関するものです。馬には騎手がいると描かれていますから,これはそれら象徴的な馬が人間の知性によって制御され,導かれていることを示しているといえます。騎手たちは,「人びとの三分の一を殺す」任務を与えられた,解き放たれた「四人の使い」の代理として,あるいはその下に行動しました。ですから,象徴的な馬は,それら「四人の使い」また使者,すなわち,1919年に大いなるバビロンから釈放された,油そそがれた残りの者たちの知的制御と導きの下にあるわけです。彼らの「胸当て」だけが真っ先に目に入ります。
29 騎手についていうと,その胸当てが幻の中で真っ先に目に入ってきます。それはどんな意義がありますか。
29 「彼らは,火のような赤と,ヒヤシンスのような青と,いおうのような黄色の胸当てを着けていた」。そのような色をした彼らの胸当ては,三つの破壊的なもの,つまり火と黒い煙といおうを暗示しています。したがってその使者たち,つまり「四人の使い」は,殺される「人びとの三分の一」に対して滅びの音信を心に抱くのです。それは昔のソドムとゴモラに臨んだような滅びの音信でした。神は天からそれらの都市に火といおうを降らせ,それが燃えることにより煙が「窯の濃い煙のように」立ち上りました。(創世 19:23-28,新。ルカ 17:28-30)ソドムとゴモラ同様,古代バビロンも人の住まない廃きょとなることが予告されました。―エレミヤ 50:40。
30 「四人の使い」はどんな象徴的な方法で「人びとの三分の一」を責め苦に遭わせ,殺しますか。
30 啓示 14章9-11節の予告どおり,この事物の体制の「終わりの時」の現在,悪魔の地的な政治諸機関に崇拝と奉仕をささげる者たちは,火といおうによって死に至るまでの責め苦に遭っており,その「責め苦の煙」は限りなく永久に立ち上っています。それら政治体制そのものも,「いおうで燃える火の湖」に投げ込まれます。その湖は,滅びつまり「第二の死」を象徴しているのです。(啓示 19:20; 20:10,14,15; 21:8)滅びをもたらすそうした要素を表わし示す神の音信を,油そそがれた残りの者は胸当てのように前面に掲げます。このように,釈放された残りの者たちは,釈放された「四人の使い」と全く同じく,到来する神の正当な裁きの執行の時にもたらされる差し迫った滅びを,「人びとの三分の一」に事前に警告します。彼らは,キリスト教世界のそうしたバビロン的な「人びと」が霊的にはすでに死んでおり,神の手による滅びを待っていると宣言することができます。こうして,使者たちは「四人の使い」のように,そうした「人びとの三分の一」を殺すのです。
広報の「馬」
31 象徴的な馬は何を表わしていますか。なぜですか。
31 しかし,騎手よりも馬の方に多くの注意が向けられています。この預言的な情景の中では,馬が主要なものとして,馬により詳細な描写が当てられています。では,この象徴的な「馬」は何を表わしているのでしょうか。象徴的な騎兵がその馬に乗りました。同様に,使者である油そそがれた残りの者も,象徴的な馬を用います。それは,残りの者が自分たちの恐るべき音信を提供する手段なのです。彼らを人びとのもとに運ぶ,送達の手段です。(エステル 8:10,14)それによって武装した彼らは,霊的に言って「殺され」る「人びとの三分の一」に立ち向かいます。すなわち,象徴的な「馬」は,油そそがれた残りの者が裁きの音信を広く一般に知らせるために用いる手段,特に,印刷された文書を表わし示しています。啓示(6:2,4; 9:9; 19:11-21)および聖書の他の個所で馬は戦いを暗示しているので(イザヤ 28:28を除く),胸当てを着けた残りの者が用いる広報の手段は霊的な戦いに関係があります。
32 「ししの頭」を持つ馬は,油そそがれた残りの者の用いる広報の手段を適切に表わし示していました。なぜですか。
32 『馬の頭はししの頭のようであった』。これは,ヨハネが神のみ座の回りに見た四つの生き物の第一のものが,ししに似ていたことを思い起こさせます。それは,勇気を伴う正義を表わし示していました。また,自分を犠牲にされた,神の子羊は,「ユダ族の者であるしし,ダビデの根」と呼ばれました。(啓示 4:6,7; 5:5)それで,油そそがれた残りの者が第六のラッパが吹かれた時以来用いている広報の手段は,著しい勇気を示すものであり,その手段は正しく使われてきました。それは,イエス・キリストつまり,その父祖ダビデがその一員であったユダ族の象徴的なししの王国,樹立された天の王国にも関係があります。その王国は,ご自分の定めの時に「人びとの三分の一」に滅びをもたらす,神の代理機関なのです。それゆえ,象徴的な馬は次のように描写されています。「その口からは火と煙といおうが出ていた。これら三つの災厄によって人びとの三分の一が殺された。その口から出た火と煙といおうのためにである」― 啓示 9:17,18。
33 成就において,へびに似た馬の尾は,馬の口から出るものと同様に破壊的です。どのようにですか。
33 神のメシアによる王国の敵に臨む滅びを公にするこの数多い手段にも,痛みを与える針が付き物です。次の言葉は象徴的な馬のこの特徴に注意を向けています。「これらの馬の権威はその口とその尾にあるからである。その尾はへびに似ていて頭があり,それによって損うのである」。(啓示 9:19)へびに似たその尾は,象徴的な馬の口から出るものと同様に破壊的でした。へびに似たそのような尾にかまれると,毒が回り,かまれた人は死に先立ち,燃えるような感覚に襲われます。象徴的な馬は死を与える力を,近づく時と犠牲者を残して立ち去る時との二重の仕方で持っており,それを逃れる方法はありませんでした。死をもたらすこの音信は,効力を発揮せずにはおかず,それは,王国の敵を滅ぼす神の裁きの執行の確実性を示すものでした。王国の広報手段である象徴的な馬によって発表される事柄は,必ず成就します。そうした広報の業は,敵にとってなんという災厄でしょう。それは霊界における,目に見えないものではなく,実際に見えるもの,実際に感じられるものなのです。
34 それら象徴的な馬はいつ行動を開始しましたか。それは顕著な始まりとなりましたか。
34 そうした象徴的な馬は現代,第六のラッパが吹かれた後に行動すべく送り込まれました。その行動は,西暦1927年,神の王国にとって重要かつ注目すべき公の出来事と共に始まりました。7月18-25日にかけて,国際聖書研究者協会は,カナダ,オンタリオ州トロントで国際大会を開きました。1927年7月24日,日曜日,大会は広く宣伝された公開集会をもって重要点に達しました。1万5,000人の聴衆が大会会堂に集まりましたが,会場には見ることのできない幾百万人に上る聴衆が,五十三局を結ぶ放送網を通じ,演壇からの講演を聞きました。それは,アメリカのナショナル放送会社によって企画された放送網としては,それまでの最大の規模のものでした。一時間にわたる公開講演は,「諸国民のための自由」という主題で,国際聖書研究者協会の当時の会長によって話されました。彼は最初に,「キリスト教世界の諸国民」に対する十節から成る決議文を読みあげ,それに続く講演の中で,聴衆を鼓舞するその決議を説明し,支持する話をしました。
35 1927年のトロントにおける大会に提出された決議は,キリスト教世界に火のような,いおうの熱を注ぎました。どのようにですか。
35 キリスト教世界を支持する聴衆は,決議文の冒頭の言葉を聞いて,燃えるいおうの熱のようなものを感じたに違いありません。
……ゆえに神は,思いも及ばなかった患難の時が世に臨むこと,そして,その苦難の時に“キリスト教世界”つまり,いわゆる“組織化されたキリスト教”と,サタンの組織すべてが滅ぼされること,また,義なる王,キリスト・イエスが完全な権威と支配を執り,地の諸国民を祝福することを定め,その旨宣言されました。
第六項: すべての思慮深い諸国民にとって,自分たちの渇望する救済,慰め,また祝福が,“キリスト教世界”あるいは“組織化されたキリスト教”の不義なる制度から到来し得ないこと,また,この偽善的,圧制的な制度をこれ以上支持する理由の全くないことは,今や歴然として明らかです。神はこの混乱の時に,“キリスト教世界”つまり“組織化されたキリスト教”を,それが悪魔の組織であるがゆえに完全に放棄し,永久に捨て,それから全く離れ,何ら支持を与えないよう,そして,心からの献身と忠誠をただエホバ神とその王および王国にのみささげ,神が用意してくださっている全き自由と祝福を受けるよう諸国民に命令しておられるのです。……
この決議を詳しく説明した公開講演の終わりに,会場にいた聴衆はその決議の支持を表明して起立しました。会場に見られなかった幾百万人の聴衆も,霊的に言って殺される「人びとの三分の一」の者たちを除いて,大勢の人がそうしたことでしょう。霊的に殺される者たちにとって,それは恐ろしい「災い」の始まりだったのです。
36,37 象徴的な無数の馬はその時どのように出てきましたか。さらに多くの「馬」の到来が約束されましたが,それはものみの塔協会のどんな行動によってですか。
36 そうした国際大会の決議とそれを支持する講演が,配布のために小冊子として印刷されたのはこの時が初めてです。小冊子には「諸国民のための自由」という標題が付けられ,数か国語に翻訳もされました。
37 1927年10月1日,この「自由」の小冊子の配布が始まり,時たつうちに何百万部もの小冊子が民衆および彼らの支配者たちの手に渡りました。啓示 9章16-19節の象徴的な例えを使うなら,ししの頭を持ち,火と煙といおうを吐き出す無数の「馬」が,釈放された「四人の使い」である,油そそがれた残りの者の知的制御の下に,特にキリスト教世界に向かって突進を開始したのです。しかしそれら無数の「馬」は,来たるべきものの前触れでしかありませんでした。1927年3月1日,ものみの塔聖書冊子協会の印刷設備は,ニューヨーク,ブルックリンにある,より広い八階建ての新工場に移されました。それは,突撃する「馬」を送り出すかのように,さらに多くの聖書,書籍,小冊子,雑誌または冊子を印刷,発送することにより,神の王国の敵に対する攻勢を強めるためでした。
38 「万の二万倍」の数のそうした馬に関する預言が,十分に成就してきたことを説明しなさい。
38 しかし,「万の二万倍」の数のそうした馬についてはどうですか。ニューヨークの法人組織,ものみの塔協会により建設され,また同協会の所有になるこの新工場は,最初の年に数百万,実に万の数百倍の聖書文書を送り出しました。しかしこの工場は,今では市の四街区を占める広大な工場群の中心をなしており,最も新しい拡張として,1968年1月31日に献堂式の行なわれた十階建ての工場が付け加えられました。その外にも,全地にあるペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会の94の支部の幾つかに印刷設備が加えられました。それらすべては膨大な量の聖書文書を生産しています。1927年以後印刷され,発送された聖書文書を総合計すると,「万の二万倍」,いえ,それをはるかに超える数になります。これら象徴的な「馬」の襲撃は,ものみの塔の雑誌が街頭や家から家,また店から店へ配布され始めることにより,一段と勢いを増しました。今日,「ものみの塔」誌は月二回,毎号900万部印刷されており1974年には77か国語で2億3,609万3,830部印刷されました。姉妹誌の「目ざめよ!」誌は,31か国語で2億3,501万7,799部印刷されました。両誌を合わせると,わずか一年間に4億7,111万1,629部の雑誌が印刷されたことになります。
39 それら無数の聖書文書は,営利を目的とする書店が扱ったり販売したりするのではありません。預言のどの点がそれを示していますか。
39 こうして,滅びに定められた,「人びとの三分の一」に対する象徴的な「馬」の襲撃は,年を追って激しくなっており,そうした馬はすべて,釈放された「四人の使い」である,油そそがれた残りの者の指導の下に置かれています。幾億冊ものこうした聖書文書が,営利を目的とする書店で扱われたり取り引きされたりせずに,家から家を訪問するエホバのクリスチャン証人によって配布されるのはそのためです。霊的な見地からみると,それら象徴的な「馬」は引き続き,「人びとの三分の一」を殺し尽くす業を行なっています。しかし,人類の残りの者たちすべてについてはどうですか。自由の召しに,つまり,宗教的な大いなるバビロンから解放されてクリスチャンの自由に入るようにとの召しにこたえていますか。
40 (イ)象徴的な騎士が攻撃する者たちは,どのような方法で『殺され』ていますか。(ロ)大いなるバビロンに所属する者たちの残りの者は,一般的にどんな行動を取ると預言は示していますか。
40 神を恐れる人びとからなる「大群衆」は,啓示 7章9-17節に予告されているとおり,全地でその召しにこたえ応じています。大いなるバビロンの司祭や牧師たちは,彼らにとって死んだも同然で,「大群衆」のそれら自由にされた成員たちに対し何ら宗教上の支配力を持っていません。しかし,そうでない者たちは,それと対照的に,使徒ヨハネがあらかじめ見たとおりです。「しかし,これらの災厄によって殺されなかった残りの人びとは自分の手の業を悔い改めず,悪霊たち,また金・銀・銅・石・木でできた,見ることも聞くことも歩くこともできない偶像に対する崇拝をやめようとはしなかった。また,殺人,心霊術的な行ない,淫行,盗みをも悔い改めなかった」。(啓示 9:20,21)したがって,キリスト教世界の宗教に世が改宗することを願う,「人びとの三分の一」の希望は,決して実現しません。象徴的な「馬」による,燃えるいおうのような災厄の音信は,大いなるバビロンの主要部としてのキリスト教世界に臨む,来たらんとする災禍を引き続き指し示します。第二の「災い」は,その完全な成就に至るまで続かねばならないのです。