真の崇拝に対する挑戦
「また国が始まってから,その時にいたるまで,かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。しかし,その時あなたの民は救われます」― ダニエル 12:1。
1 1914年にどんな時代が始まりましたか。この時代の諸問題の解決策はどこに見いだされますか。
1914年以来,大事件が相ついでいます。2度の世界大戦,古い帝国と国々の崩壊,国際共産主義の台頭,国際連盟,のちに国際連合による平和維持の企て,宇宙時代,ミサイルと核時代の到来など,激動する時代は1914年に始まりました。そしていま人類はその生存をおびやかす複雑な問題に直面しています。この爆発的な事態の背後には何がありますか。その答えを,神のことばに求めなければなりません。
2,3 (イ)「悩みの時」はどのように始まりましたか。(ロ)ゴグは何者ですか。なぜ神の「民イスラエル」を攻撃するようになりますか。
2 先に引用したダニエルの預言は,天使長ミカエルがその民を救うために立ち上がる時,「悩みの時」が始まることを述べています。また黙示録 12章7節から9節はこの同じミカエルが立ち上がり,すなわちイエス・キリストが王の位につき,大敵サタンを天から地の近くに放逐することを描いています。こうしてサタンは怒れる悪霊の君ゴグとなり,自分に残された限られた霊界すなわちマゴグの地から,いま神の民が地に占める真の崇拝の領域にむかって最後の攻撃を仕かけます。コグと手下の悪霊および彼らが召集する諸国家の連合核兵力は,神の真の崇拝者すなわちエホバのクリスチャン証人を滅ぼすことができますか。神ご自身のことばから答えを得ましょう。
3 「是故に人の子よ汝預言してゴグに言へ主エホバかくいひたまふ其日に汝我が民イスラエルの安然に住むを知ざらんや 汝すなはち北の極なる汝の処より来らん衆多の民汝とともにあり皆馬に乗る 其軍隊は大にしてその軍勢は夥多し,而して汝わが民イスラエルに攻きたり雲のごとくに地を覆はん ゴグよ末の日にこの事あらん すなはち我汝をわが地に攻きたらしめ汝をもて我の聖き事を国々の民の目のまへにあらはして彼らに我をしらしむべし」― エゼキエル 38:14-16,文語。
4 1914年以降の出来事はどのように予表されていましたか。
4 しかしエホバはゴグをもってどのようにご自身の聖なることを表わされるのですか。紀元前8世紀,ユダのヒゼキヤ王の時代に起こった劇的な事件は,ヒゼキヤよりも偉大なキリスト・イエスが西暦1914年,神の天の国において権を執られてのちに起こる今日の出来事を示しています。
脅威にたちむかう備え
5,6 (イ)セナケリブの進撃について述べなさい。(ロ)エホバは何を保証されましたか。それはなぜ今日,興味ある事柄ですか。
5 アッシリヤ軍は進撃の最中でした。一見すると,当時の国家主義的な争闘の中にあってセナケリブ王はその世界支配を妨げる唯一の敵エジプトを攻撃するように見えました。しかしユダの町々はその進撃の途上にあったのです。押し寄せる全体主義の勢力に,それは一つ一つ呑み込まれました。アイアテからノブに至る町を次々に攻め取ってエルサレムの城壁が見えるところにまで押し寄せたアッシリヤ軍について,イザヤ書 10章28節から32節はこう述べています。「彼はシオンの娘の山,エルサレムの丘にむかってその手を振る」。エルサレムの人々は恐れおののきましたか。いいえ。「主万軍のエホバ」ご自身からすばらしい保証を与えられていたからです。
6 「シオンに住むわが民よ,アッスリヤびとが,エジプトびとがしたように,むちをもってあなたを打ち,つえをあげてあなたをせめても,彼らを恐れてはならない。ただしばらくして,わが憤りはやみ,わが怒りは彼らを滅ぼすからである」。(イザヤ 10:24,25)現代において国家主義の脅威に直面しても,わたしたちはこの預言的な保証のことばから慰めを得られます。
7,8 (イ)復興した残れる者に攻撃を加えるため,サタンは何を企てましたか。(ロ)他のどんな預言に一致してエホバの証人は,この攻撃に備えることに努めましたか。
7 それはなぜですか。現代において,統治する王イエス・キリストが,1919年,エホバの証人の油そそがれた残れる者を真の崇拝の地位に回復させるやいなや,サタンは彼らに猛烈に反対しはじめました。ドイツの「北の王」は第一次世界大戦で頭に痛手をこうむったにもかかわらず,世界を征服して真の崇拝を地から絶とうとするサタンの新たな全ての有力な担い手になりました。(黙示 13:3)1920年代と1930年代の歴史は,ナチス-ファシスト-カトリック・アクションの台頭を記録しています。この勢力は「南の王」エジプトによって予表された民主主義諸国を打ち負かそうとしただけでなく,熱心な少数者グループであるエホバの証人にも攻撃のほこ先を向けました。
8 これら真の神の崇拝者は,神の別の預言者のことばが成就することを信じていました。「アッスリヤの人我らの地に攻いり我らの境を踏あらす時には彼[キリスト]その手より我らを救はん」。そこで彼らは宣教に励み,「七人の牧者八人の人君を立てこれに当」たりました。すなわち崇拝に率先するための,じゅうぶんな,またそれ以上の献身した監督がたてられたのです。(ミカ 5:1,5,6,文語)そのうえ1938年までに全世界のエホバの証人の会衆には神権的な機構が回復され,エホバの過分の恵みによって「アッスリヤの」攻撃に耐えるだけの備えができました。
9 ヒゼキヤはどのようにして目前の脅威を除きましたか。それは今日どんな意義がありますか。
9 ヒゼキヤの時代の侵略について次のことが記録されています。「ヒゼキヤ王の第14年にアッスリヤの王セナケリブが攻め上ってユダのすべての堅固な町々を取った」。目前の脅威をそらすために,ヒゼキヤはセナケリブに貢を出し,課せられたものを支払うためエホバの神殿の戸および柱から金をはぎ取ることさえしました。(列王下 18:13-16)疑いなくこれは時をかせいで敵と組み合う姿勢をととのえるための,ヒゼキヤの神権的な戦略でした。同様に今日でもエホバの証人は,神から授けられている真の崇拝の権利を守るため,時に用心深く行動しなければなりません。国家主義の強い国々において公の戸別訪問また雑誌配布による証言は時に不可能であり,エホバの民はこの奉仕の門戸を敵に渡さなければならないかもしれません。しかし偶然の証言,公園での証言,関心を持つことが知られている人への再訪問と聖書研究また他の方法により,多くの場合,個人的に大きな犠牲を払っても,エホバへの貴重な奉仕をつづけます。
10,11 (イ)ヒゼキヤは他にどんな賢明な手段をとりましたか。なぜですか。(ロ)その成就において,今日の残れる者はどのように行動しましたか。
10 しかしヒゼキヤはエホバの都と崇拝の宮が守られることを期待して,他の賢明な手段をとりました。「ヒゼキヤはセナケリブが来て,エルサレムを攻めようとするのを見たので,そのつかさたちおよび勇士たちと相談して,町の外にある泉の水を,ふさごうとした。彼らはこれを助けた。多くの民は集まって,すべての泉および国の中を流れる谷川をふさいで言った,『アッスリヤの王たちがきて,多くの水を得られるようなことをしておいていいだろうか』」。(歴代下 32:1-4)これらの貴重な水はトンネルによって町の中に汲みとられました。―列王下 20:20。
11 同様に,1919年に真の崇拝が復興されてのち,地上でキリスト・イエスを代表するエホバの証人の油そそがれた残れる者は,エホバが御子をとおして供給される御国の真理に注意を向けました。生気を与えるこの真理の水は,全能の神にあえて敵対する者を益するために流れるのではありません。敵の干渉を受けないようにそれを隠すことが必要です。それでも残れる者は工場を建設し,公にであろうと,ひそかにであろうと,全世界で印刷の事業をつづけ,地上にいる神の家の者のために「時に応じて」霊的な食物を供え,「忠実な思慮深い僕」としての預言的な使命をはたしてきました。警察国家においては,それは激しい反対にあいながらも行なわれたのです。―マタイ 24:45-47。
12,13 (イ)ヒゼキヤのその後の勇敢な行動は何を表わしていますか。(ロ)エホバのしもべは,今なぜ喜ぶことができますか。
12 「ヒゼキヤはまた勇気を出して,破れた城壁をことごとく築き直して,その上にやぐらを建て,その外にまた城壁を巡らし,ダビデの町のミロを堅固にし,武器および盾を多く造(った)」。(歴代下 32:5)その成就において,キリスト・イエスは,霊的な戦いに備えてエホバの証人の組織を強め,何世紀にもわたるキリスト教国の背教および第一次世界大戦中エホバの証人が大胆に伝道しなかったことによって生じた破れをつくろうことをされました。そのうえ王は「信仰のたて」と「御霊の剣,すなわち,神の言」をご自身の追随者に与えて神権的な奉仕のために彼らを活気づけられました。―エペソ 6:16,17。
13 この霊的な武具を与えられ,また真理の水をふんだんに供給されて,残れる者とその仲間の崇拝者は確かに祝福されています。彼らは,ヒゼキヤの時代にエホバの宮で歌ったコラの子たちと同じく歓喜します。「一つの川がある。その流れは神の都を喜ばせ,いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。神がその中におられるので,都はゆるがない。神は朝はやく,これを助けられる」。(詩 46:4,5)昔も今もこれは真実ではありませんか。
14,15 (イ)時宜を得たどんな励ましが次に与えられましたか。(ロ)それと似たどんな備えが今日設けられましたか。それはどんな成果を生みましたか。
14 「ヒゼキヤ……民を集めてこれを労ひて言ふ,汝ら心を強くし且勇めアッスリヤの王のためにも彼とともなる群衆のためにも懼るゝ勿れ慄く勿れ我らとともなる者は彼とともなる者よりも多きぞかし 彼とともなる者は肉の腕なり然れども我らとともなる者は我らの神エホバにして我らを助け我らに代りて戦ひたまふべしと民はユダの王ヒゼキヤの言に安んず。(歴代下 32:6-8,文語)この集まりは,定めし励みを与えるものであったでしょう。今日のエホバの証人の大会におけると同じく,励みを与えることばはユダの人々の胸をうち,「からだを殺」してもそれ以上何もできない者たちの国家主義的な脅威に直面して恐れることのないように人々を強めました。―マタイ 10:28。
15 現代においてナチス-ファシスト-カトリック・アクションの脅威が増大するにつれ,エホバは地上の経路をとおして時宜にかなった励みを与えられました。1933年11月1日号「ものみの塔」誌に出た記事「彼らを恐るるなかれ」は,大きな励みとなるものでした。ドイツおよび他の全体主義国においてエホバの証人が強制収容所に入れられ,苦しめられるようになった時,ダニエルの預言に関する記事をのせた,1934年10月,11月,12月号の「ものみの塔」誌は,迫害の試練に耐え,“獅子の穴”にも生き延びるように彼らを励ましました。洪水のような全体主義的国家主義もクリスチャンの忠実をまげさせるには全く無力でした。30年後の今日でもそれは同じく無力です。
論争を明らかにする
16 (イ)ユダにおける事態は今やどんなでしたか。(ロ)今日,サタンの宣伝の背後には,悪霊のどんな目的がありますか。
16 しかし今やセナケリブはユダの多くの町を荒廃させ,「その全軍をもって」エルサレムの南西50キロほどに迫り,最後の前哨地点の一つラキシを囲みました。(歴代下 32:9)同じく今日においてもサタン悪魔はエホバの崇拝の地を侵略し,「全地の王」たちを集めました。それは神の民に敵対させ,ハルマゲドンにおける「全能の神の大なる日(の)戦い」の時サタンの側につかせるためです。この目的を成就するため,サタンは悪霊の宣伝をあおりたててきました。それはサタン自身である竜の口のみならず,「獣[獣的な地上の政治組織]の口から,にせ預言者[大きな発言をする英米帝国]の口から」出てきます。(黙示 16:13,14,16)よろめいている国家主義的な諸政府,分裂している国連その他人間の機関を支持するやかましい宣伝は,結局のところ,エホバの建てられた,キリストによる御国に反対を表明するものです。
17 現代のラブシャケはどのようにその宣伝をエホバの証人に聞かせようとしましたか。
17 しかしサタンの宣伝には,地上の崇拝の場所で神に真に奉仕する人々を気落ちさせ,おびやかす意図も含まれています。セナケリブがタルタン,ラブサリス,ラブシャケを大軍とともにつかわし,エルサレムに閉ぢ込められたユダの人々をあざけらせたことは,それを示しています。ラブシャケの名は,「洒人の長」を意味する称号と思われます。彼は一団の代弁者となり,ユダヤ人に対するアッシリヤの宣伝をとうとうと述べたてました。ヨセハスによれば彼は裏切り者のユダヤ人であり,「ユダヤの言葉」を話すことができました。ラブシャケのようなサタンの洒人たちは今日,エホバの証人に接近して彼らをおびやかし,神への忠実をまげさせようと努めています。
18 第二次世界大戦中の宣伝のために,どんな忌まわしい行為が生まれましたか。それらの行為は目的を達成しましたか。
18 これは1930年代の終わりから1940年代の初めにかけての苦難の時期に相当します。キリスト教国の僧職者をも含めてサタンの宣伝者たちは,エホバの証人に対する激しい憎しみをあおりたて,ナチスのかぎ十字章その他,国家主義の表象である国旗の敬礼を要求しました。独裁主義の支配下でエホバの証人は投獄され,殺されました。民主主義国においても彼らは暴徒に襲われ,家や集会場所を破壊され,子供たちは放校されました。そのすべては国家主義的な宣伝の結果です。しかしそのおびやかしにもかかわらず,現代の“ラブシャケ”は神の証人の忠実をくじくことができませんでした。彼らは神への奉仕を熱心につづけ,その結果,第二次世界大戦勃発前の1939年,7万1509人を数えた奉仕者は,大戦の終わった1945年までに14万1606人に増加しました。
19,20 (イ)ラブシャケはどのようにエホバをあなどりましたか。(ロ)その成就において,彼の高言はどのようになかば真実であり,なかば偽りでしたか。
19 ラブシャケは真の神エホバをあなどりました。「アッスリヤの王セナケリブはこう言います,『あなたがたは何を頼んでエルサレムにこもっているのか。ヒゼキヤは「われわれの神〔エホバ〕がアッスリヤ王の手から,われわれを救ってくださる」と言って,あなたがたをそそのかし,飢えと,かわきをもって,あなたがたを死なせようとしているのではないか……わたしの先祖たちが滅ぼし尽したそれらの国民のもろもろの神のうち,だれが自分の民をわたしの手から救い出すことのできたものがあるか。それで,どうしてあなたがたの神が,あなたがたをわたしの手から救い出すことができよう。それゆえ,あなたがたはヒゼキヤに欺かれてはならない。そそのかされてはならない。また彼を信じてはならない。いずれの民,いずれの国の神もその民をわたしの手,または,わたしの先祖の手から救いだすことができなかったのだから,ましてあなたがたの神が,どうしてわたしの手からあなたがたを救いだすことができようか』」― 歴代下 32:10-15,〔文語〕。
20 その成就においても,確かに世界の諸宗教や神々は,国家主義の犠牲にならないようにその帰依者を守ることができませんでした。いざとなると,カトリック信徒,新教徒,ユダヤ教徒,仏教徒その他は,国家主義的戦争にまき込まれました。しかしエホバに信頼し,神から力を与えられたキリストに信頼する霊的なユダ人すなわち真のクリスチャンは嘲笑やおどしを恐れません。彼らは忍耐強くエホバにより頼みます。
21,22 (イ)セナケリブは次にどんな誘惑的な申し出をしましたか。(ロ)人々はどのように応じましたか。それは今日のわたしたちにどんな先例となっていますか
21 アッシリヤの王は妥協とひきかえに誘惑的な報いをさしのべました。「あなたがたはわたしと和解して,わたしに降服せよ。そうすればあなたがたはおのおの自分のぶどうの実を食べ,おのおの自分の井戸の水を飲むことができるであろう。やがてわたしが来て,あなたがたを一つの国へ連れて行く。それはあなたがたの国のように穀物とぶどう酒のある地,パンとぶどう畑のある地,オリブの木と蜜のある地である。あなたがたは生きながらえることができ,死ぬことはない。ヒゼキヤが『〔エホバ〕はわれわれを救われる』と言って,あなたがたを惑わしても彼に聞いてはならない」。隣国のイスラエルさえ,アッシリアの前に倒れたのです。しかし「民は黙して,ひと言も彼に答えなかった。王が命じて『彼に答えてはならない』と言っておいたからである」― 列王下 18:31-36,〔文語〕。
22 同様に今日のエホバの証人も,サタンの宣伝者と言い争ったり,論じたりしません。彼らはヒゼキヤまたその有名な先祖ダビデ王の手本にならいます。ダビデ王は次のように述べました。「悪しき者のわたしの前にある間はわたしの口にくつわをかけよう」― 詩 39:1。
23 現代のエホバの証人は,セナケリブのそれに似た申し出をどのようにしりぞけましたか。
23 ドイツの強制収容所においてエホバの証人がナチスから受けた誘いは,アッシリヤ王の申し出たことと似ています。ナチスの“神”をたたえることを拒絶して何年も投獄されてのち,彼らは信仰を否定するという条件の下に自由を提供されました。彼らはどう答えましたか。目撃者は次のように書いています。「信仰を否定しさえすれば,彼らはすぐに釈放されたのです。しかし彼らは抵抗をやめず,収容所内に文書を持ち込むことにさえ成功しました。そのため彼らの中のある者たちは絞首刑にされました」。a たとえ死の危険をおかしても,彼らは真の崇拝を堅く守り,至上主権者また復活の神であられるエホバに対する忠実を守りました。
24 (イ)ヒゼキヤはなぜ憂いましたか。彼は何をしましたか。(ロ)ヒゼキヤが預言者イザヤに頼ったことは,何を予表していますか。
24 ヒゼキヤはラブシャケのことばを聞いて悲しみました。それは「からだを殺」すかもしれない者を恐れ,また残酷なアッシリヤ人が自分やユダの人々に加えるかもしれない仕打ちを恐れたからですか。そうではありません。ヒゼキヤが悲しんだのは,エホバの御名にもたらされた非難のためです。「ヒゼキヤ王これを聞てその衣を裂き麻布を身にまとひてエホバの家に入り(ぬ)」。(列王下 19:1,文語)ヒゼキヤは崇拝の場所でエホバからのお告げを求めました。今日ヒゼキヤより偉大なキリストの下に仕えるエホバの証人の油そそがれた残れる者とその仲間は,苦難の時の慰めを,神への熱心な奉仕および宮における奉仕者との交わりに見いだしています。またイエスの油そそがれた追随者の地上における組織,「忠実な思慮深い僕」に正しい道を尋ね求めます。同じようにヒゼキヤは,エホバの御名にかかわる危機の時にあたり,エホバの伝達の経路すなわち忠実な預言者イザヤから助言を求めました。―列王下 19:2。
25,26 (イ)神の民は,悩みの時,何に対して無力な存在ですか。(ロ)イザヤはどんな保証を与えましたか。
25 荒布をまとって身を低くしたヒゼキヤの宮内卿や年長の祭司たちは,イザヤにこう言います,「ヒゼキヤはこう申されます,『きょうは悩みと,懲らしめと,はずかしめの日です。胎児がまさに生れようとして,これを産み出す力がないのです。あなたの神〔エホバ〕はラブシャケがその主君アッスリヤの王につかわされて,生ける神をそしったもろもろの言葉を聞かれたかもしれません。そしてあなたの神〔エホバ〕はその聞いた言葉をとがめられるかもしれません。それゆえ,この残っている者のために祈をささげてください』」。(列王下 19:3,4,〔文語〕)自分の力に頼っても,エホバの民は国家主義の脅威に直面して無力です。しかしエホバの力を忘れてはなりません。イザヤはこれに関してどんな保証を与えましたか。
26 「イザヤは彼らに言った,『あなたがたの主君にこう言いなさい,「〔エホバ〕はこう仰せられる,アッスリヤの王の家来たちが,わたしをそしった言葉を聞いて恐れるには及ばない。見よ,わたしは一つの霊を彼のうちに送って,一つのうわさを聞かせ,彼を自分の国へ帰らせて,自分の国でつるぎに倒れさせるであろう」』」― 列王下 19:5-7,〔文語〕。
27 国家主義的な王とサタンの組織の滅びに関する預言はどのように成就しますか。
27 セナケリブが遂に卑しむべき敗北をこうむって逃げ去るという確かな保証です。今日においても同じくエホバの預言のことばは,サタンとその軍隊が最後には砕かれることを,神の忠実な証人たちに保証しています。国家主義的な「北の王」について言えば,エホバとその王から出て地上の油そそがれた証人により伝えられる「知らせが彼を驚かし」,そのために「王」は神の民に猛然といどみます。しかしその時エホバは行動されます。全体主義の「北の王」は滅び,「彼を助ける者はないでしょう」。「南の王」もまた「人手によらずに」滅ぼされます。(ダニエル 11:44,45; 8:25)サタンの地上の全組織は,永劫の滅びである「火の池に投げ込まれ」ます。これはエホバからの,喜ばしい保証です。―黙示 19:20。
28 エホバはどんな備えを設けられましたか。エホバの証人は,国家主義の挑戦にどのように答えましたか。
28 第二次世界大戦の戦雲が濃くなるにつれ,エホバの証人の直面した危機については何が言えますか。全体主義の国だけでなく民主主義の国においても国家主義が大きな問題となった時,エホバの民はエホバの恵みによって備えられる「時に応じ(た)食物」を得て強められました。1939年11月1日号「ものみの塔」誌にのせられた「中立」の記事は,第二次世界大戦中の国家主義のあらしの中で妥協しない道をとるための導きを多くの人に与えました。エホバの証人は,たとえ仲間のクリスチャンであろうと,他国に住む者ならば敵として殺すという考え方を受け入れませんでした。非難され,投獄され,たとえ命を失っても彼らはクリスチャンとしての中立を守り,国家主義的なあらゆる障壁を超越する互いの愛を示しました。そして現代のセナケリブの「世のものでない」ことを証明したのです。聖書の原則を断固として擁護した彼らの立場は,宣伝者たちに完全な答えを与えるものとなりました。エホバの御名が崇められました。―ヨハネ 13:34,35; 17:14。
29 (イ)予表となる事柄と一致して,エホバの証人は第二次世界大戦の終わりにどんな一時的な救いを得ましたか。(ロ)しかしさらに困難を予想しなければならないのはなぜですか。
29 記録からみると,セナケリブはラブシャケの高慢な挑戦を直ちに実行に移したのではないようです。それは南方のエジプトの支配者テルハカのために一時的な敗北をこうむったせいかもしれません。これは,油そそがれた残れる者を呑みつくそうとの意図をもってサタンの吐いた全体主義の「川」が,民主主義諸国によって呑みほされたことに相当します。残れる者は,女にたとえられるエホバの組織を地上で代表します。しかし第二次世界大戦の終結の時に得られたこの救いも一時的なものにすぎません。マゴグのゴグは今でも活動しています。それについて預言はこう述べています,「竜は,女に対して怒りを発し,女の残りの子ら,すなわち,神の戒めを守り,イエスのあかしを持っている者たちに対して,戦いをいどむために,出て行った」。(黙示 12:15-17)その結末はどうなりますか。いまそれを調べることにします。
[脚注]
a ド・ゴール将軍の姪ゼネビーブ・ド・ゴールがものみの塔協会に書き送った手紙。