神の栄光となるような実を結ぶ
1 エゼキエル 15章1-5節のエホバの言葉によると,エホバはぶどうの木の本来の目的が何であることを示しておられますか。
ぶどうの木の本当の目的は何でしょうか。その昔,最初のぶどうの木を植えた方は,ご自分の預言者エゼキエルに次のようにお尋ねになりました。「人の子よ,ぶどうの木は,森林の木々の中に生じた他のすべての木,その新芽と一体どのように違うのか。仕事に用いるさおがそれから取られることがあるか。また,何かの器物を掛けるための木くぎをそれから取るだろうか。……それが無傷の時でも,何の仕事にも用いられはしない」。(エゼキエル 15:1-5,新)ですからぶどうの木の本来の目的は明らかに,ぶどう酒が造れる味のよいぶどうの実を結ぶことです。―士師 9:13。
2 ぶどうの木のその目的と調和して,イエスはヨハネ 15章16節の中で,どんな考えでそれら「枝」なる使徒を選んだと言われましたか。
2 イエスと使徒たちが共に行なった最後の過ぎ越しの祝いに,ぶどう酒が登場しました。その夕食のあとイエスは「真のぶどうの木」とその「枝」の例えを話されました。そのことを念頭に置いてイエスは忠実な使徒たちに次のように言うことができました。「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び,あなたがたが進んで行って実を結びつづけ,しかもその実が残るようにと,わたしがあなたがたを任命したのです。それは,あなたがたがわたしの名において父[ぶどうの木を植えた方]に何を求めても,[あなたがたが実を結ぶことを考えて]父がそれをあなたがたに与えてくださるためです」― ヨハネ 15:16。
3 季節ごとに枝のせん定が行なわれるのはなぜですか。「真のぶどうの木」の,感謝の念を持つ「枝」はこのことからどんな教訓を学ぶべきですか。
3 たくさん実を結ぶように,ぶどうの木の枝は季節ごとにせん定されます。それはイエスが霊的「ぶどうの木」として言われたことに似ています。「彼は,わたしにあって実を結んでいない枝をみな取り去り(ます)。……わたしと結びついたままでいないなら,その人は枝のようにほうり出されて枯れてしまいます。そして人々はそうした枝を寄せ集めて火の中に投げ込み,それは焼かれてしまいます」。(ヨハネ 15:2,6)では,この例えにはわたしたちに対するどんな教訓が含まれているでしょうか。仮にわたしたちの中のだれかが霊的「ぶどうの木」の「枝」で,その特権を重んじているとしたら,その人は自分が切り払われないことを願うでしょう。ですからその人は実を,しかもたくさんの実を結ぶ必要があるのです。
その実
4 イザヤ書 5章7節に示されているところによると,「実」とは何ですか。
4 しかしその実とは何でしょうか。その実,すなわちぶどうの実は,キリストの弟子たちを表わしていません。霊によって生まれた弟子たちを表わすのは枝です。枝が結ぶ実は確かに,霊感によって書かれた聖書が示している事柄を表わしています。例えば,古代イスラエルをぶどう園に例えたとき,エホバはご自分が期待していた実を明示し,次のように言われました。「万軍のエホバのぶどう畑はイスラエルの家,ユダの者たちは彼が好まれた栽培地……である。そして彼は裁きを待ち望まれたが,見よ,律法を破ることがあり,義を待ち望まれたが,見よ,[古代ソドムの叫びに似た]叫びがある」― イザヤ 5:7,新。創世 18:21; 19:13。
5 イエスの時代に,宗教指導者たちは神の律法のどんなより重要な事柄を怠っていましたか。彼らは何を教理として教えていましたか。
5 ですからぶどうの木を植えた方であるエホバが,予表的「ぶどう園」の実の一部として期待しておられたものは,律法を破ることや不正な行為とは反対の(公正な)裁きと義でした。イエスの時代のイスラエルには裁きと義が失われていました。エルサレムで殺される少し前,イエスは偽善的な書士とパリサイ人に向かって,「あなたがたは,はっか・いのんど・クミンの十分の一を納めながら,律法のより重大な事がら,すなわち公正とあわれみと忠実を無視している」と言われました。(マタイ 23:23)神の律法を破ったことについてはイエスはさらに,「あなたがた[パリサイ人と書士]は,自分たちの伝統のゆえに神のことばを無にしています」,「人間の命令を教理として教え」ていると言われました。―マタイ 15:6,9。
6,7 (イ)生来のイスラエルの場合と同じく,「真のぶどうの木」の「枝」にもどんな実が期待されますか。それはどのように示されなければなりませんか。(ロ)エレミヤの時代に,イスラエルは二つの面でどのように姦淫を行なっていましたか。
6 裁き,公正,あわれみ,忠実,義,神の律法を曲げるのではなくて守ることは,エホバが予表的「ぶどう園」のイスラエルに期待された実の一部でした。終始一貫して事を行なわれるエホバが,ご自分の「真のぶどうの木」の枝にそれらとは異なる実のなることを期待されるでしょうか。そのようなことは決してありません。それらの「枝」を飾るものとしてエホバが望んでおられる実は,キリストに似た特性を持つ人格です。しかしその実は働きのない単なる性格ではありません。
7 人格の特徴の積極的な表現も求められます。例えば,預言者エレミヤの時代に,エホバは予表的「ぶどう園」のイスラエルが納めた実に対する失望を表明し,次のように言われました。「あなたはすべての高い丘の上,またすべての生い茂った木の下に寝そべり,売春を行なっていた……。わたしは,あなたをえり抜きの赤いぶどうの木として植えた。そのすべてがまことの種であった。それなのにどうしてわたしに対して自分を変え,異質のぶどうの,堕落した新芽となってしまったのか。……『わたしは自分を汚さなかった。バアルに従って歩かなかった』などとどうしてあなたは言い得るのか」。(エレミヤ 2:20-23,新)ですからエホバが予表的イスラエルという「ぶどうの木」に期待された実の別の部分は,道徳的清さとエホバだけを崇拝することでした。ところがエホバがご覧になった枝の実はそういうものではなく,個々のイスラエル人同士が行なう淫行や姦淫,また国民全体が周囲の異教諸国と友好同盟を結んで行なう霊的姦淫でした。―ヤコブ 4:4と比較してください。
8 イスラエル人がエホバだけを崇拝することをしていなかったと言えるのはなぜですか。
8 さらにイスラエル国民は,自分たちが契約を結んだ神としてエホバだけを崇拝するのではなく,バアルの像に心酔してそれを慕いまた崇拝しました。要するに予表的イスラエルという「ぶどうの木」の「ぶどう」は『ソドムのぶどう』でした。ですからその「房」は苦いものでした。したがってイスラエルという「ぶどうの木」の実には,古代ソドムで行なわれたような同性愛が含まれていました。(申命 32:32,新)その望ましくない実は,神が望まれる実と著しく対照的です。
9 「真のぶどうの木」の「枝」は,たとえ世の憎しみを招こうとも,霊的姦淫を避けるためにどのようにしなければなりませんか。
9 変わることのない神は,ご自分の「真のぶどうの木」イエス・キリストの「枝」にも,そのような実がなることを望まれません。それで王国級の霊的イスラエルは自らを霊的に清く保たねばなりません。この世の友となって霊的姦淫を犯してはなりません。彼らに絶対的に要求されるものは,神なるエホバへの専心の献身にほかなりません。そういう実を結ぶために世が彼らを憎んでも,何を心配することがあるでしょうか。「あなたがたは世のものではなく,わたしが世から選び出したので,そのために世はあなたがたを憎むのです」。これはユダ・イスカリオテがイエスを裏切った晩,イエスが11人の忠実な使徒たちに言われた言葉です。―ヨハネ 15:19。
10 (イ)「真のぶどうの木」の「枝」は,何から離れておりまた何に汚れていない状態という実を結ばなければなりませんか。そのためには彼らにどんな行動が要求されますか。(ロ)イスラエル国民はその種の実を産出しなかったためにどんな損失を被りましたか。
10 彼らがこの世の政治や紛争に関与しないようにしてこの世のものとならないことは,この世の汚れやしみのない清さという実の表われです。この実は,エホバのみ子,「真のぶどうの木」,すなわちイエス・キリストによって代表されるエホバの組織に属する者たちの特色でなければなりません。彼らはイエス・キリストの手中にある神の王国に対する全き愛情を実証しなければなりません。これには神のみ子を長い約束のメシアすなわちキリストと公に認め,受け入れることが求められます。予表的「ぶどうの木」の生来のイスラエルは,この種の実をイエスに渡しませんでした。神の王国の「実」を産出しませんでした。そのために彼らは莫大な損失を被る結果になりました。神の王国は彼らから取り去られ,要求通りの実を産出する国民,すなわち霊的イスラエルに与えられたからです。(マタイ 21:43)この新しい国民は,「真のぶどうの木」と結びついていることを示す「枝」によって構成されます。彼らはすなわちメシアなるイエスをユダヤ民族がしたように退けるのではなく,公然と受け入れ,その足跡に従うことによってその結びつきを示します。
11 (イ)マタイ 24章14節の預言があるので,『イエスを心に受け入れる』ことのほかにまだどんなことが関係していますか。(ロ)「真のぶどうの木」に関するどんな事柄が,そのぶどうの木の「枝」の義務となっていますか。
11 したがってこのことには,単にメシアを認め心に信ずること,キリスト教世界の福音伝道者たちがよく言うように『イエスを心に受け入れる』だけのことではなく,それ以上のことが関係しています。つまり受け入れていることを,だれにでもわかる行動によって示し実証しなければなりません。(ローマ 10:10)また,「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう」というイエスの預言の成就に,直接参加しなければなりません。(マタイ 24:14)もしキリストという「ぶどうの木」の,献身しバプテスマを受けて霊で油そそがれた「枝」が,予告されていたその業に活発に参加していないなら,どうして神の王国の「実」を産出していると言えるでしょうか。このことが義務として要求されるのは,彼らが,王国の良いたよりを伝道すべく主権者なる主エホバの霊で最初に油そそがれた方の「枝」であるからです。(イザヤ 61:1-3。ルカ 4:16-21)「ぶどうの木」の茎がそうであるなら,樹液を吸う「枝」もまたそうであるべきです。
12 1914年以来,マタイ 24章14節はどのように大規模に成就されなければなりませんか。それだけの範囲に「この良いたより」を宣べ伝える責任はだれにかかっていますか。
12 マタイ 24章14節の預言は,西暦第一世紀,すなわちキリストが昇天されて神のみ前に出られた時から,ローマ人がエルサレムを破壊した西暦70年までに,部分的に成就しました。しかしその成就は,1914年から現在に至るまでのその預言の大々的な成就を予示するものでした。1914年の秋に異邦人時代が終わり,天で神のメシア王国が誕生しました。イエス・キリストの共同相続者としての「枝」は,せいぜい14万4,000本ですから,キリストなる「ぶどうの木」がその「枝」を出しはじめてから19世紀以上たった今日では,それらの枝のわずかな残りの者が生きていて王国の実を産出しているにすぎません。(啓示 7:4-8; 14:1-3)「この王国の良いたより」をすべての国民が聞くように全世界に宣べ伝える責任は,この残りの者にかかっています。
13 ぶどうの木の「枝」の残りの者が産出したどんな「実」によって,イエスの父は全世界で栄光をお受けになりましたか。
13 宣べ伝えよとのご命令に従うという実を結んだことは,エホバ神に栄光を帰す結果となりました。イエスはご自分の「枝」を励ますために,「あなたがたが多くの実を結びつづけてわたしの弟子であることを示すこと,これによってわたしの父は栄光をお受けになる」と言われましたが,その通りになりました。(ヨハネ 15:8)マタイ 24章14節が最終的な成就をみる今の時代に,その「枝」の残りの者は「多くの実」を結んできたでしょうか。戦後の年西暦1919年以降の期間に関する,手元にある記録を調べるなら,わたしたちは,はい,と言う以外にはありません。その「実」の産出によって,エホバ神は全世界で栄光を受けてこられました。
「ぶどうの木」に結びついている
14 「枝」の残りの者が多くの実を産出するには,イエスとの固い結びつきが必要であるということを,イエスはヨハネ 15章4-6節でどのように示しておられますか。
14 西暦1914年の第一次世界大戦ぼっ発以後の動乱期に多くの実を産出するには,「枝」はキリストなる「ぶどうの木」に強く結びついている必要がありました。キリストの次の言葉は,産出的な「枝」の残りの者に確かに当てはまりました。「わたし[真のぶどうの木]と結びついたままでいなさい。そしてわたしはあなたがたと結びついたままでいます。枝がぶどうの木にとどまっていないなら,それだけでは実を結ぶことができないのと同じように,あなたがたもわたしと結びついたままでいないなら,実を結ぶことができません。わたしはぶどうの木,あなたがたはその枝です。わたしと結びついたままでおり,わたしが結びついたままでいる者,その者は多くの実を結びます。わたしから離れては,あなたがたは何も行なえないからです。わたしと結びついたままでいないなら,その人は枝のようにほうり出されて枯れてしまいます。そして人びとはそうした枝を寄せ集めて火の中に投げ込み,それは焼かれてしまいます」― ヨハネ 15:4-6。
15 (イ)もし使徒たちがイエスにつき従っていなかったなら,ご自分とかかわりのある何に彼らを任ずることをされなかったでしょうか。(ロ)残りの者が,国際連盟を支持すると同時に「真のぶどうの木」に結びついたままでいることができなかったのはなぜですか。
15 イエス・キリストは,もしそれらの「枝」が苦難の時でもご自分に固くつき従わなかったなら,ご自分とかかわりを持つ天の王国を彼らに任ずることはされなかったでしょう。(ルカ 22:28-30)主権者なる主エホバの霊で油そそがれた状態を保つには,彼らは「ぶどうの木」の茎であるイエスと結びついたままでいなければなりません。そうしなければ,天の王国で彼らが将来占める場所は彼らから取り去られます。(啓示 3:5,11)したがって,1914年に異邦人時代が終わり,天における神のメシア王国の誕生が明らかにされたとき,油そそがれた「枝」の残りの者は何をしなければならなかったでしょうか。それは,栄光を受けられたイエス・キリストを,神が即位させたメシアなる王として,忠節を尽くしてたたえることでした。イエス・キリストと結びついたままでいるためには,国際連盟のような,全地を治める正当な権利を持つ王国の人間製の代用物を支持してイエスを否定するようなことは,決してすべきではありませんでした。彼らはイエスと結びついたままでいましたから,イエスも彼らとの結びつきを断たれませんでした。
啓示 7章9-17節の「大群衆」
16 (イ)第二次世界大戦は「大群衆」とぶどうの木の「枝」の残りの者との関係にどのように影響しましたか。(ロ)国際連合に関して「大群衆」はだれと同じ態度を取りましたか。なぜですか。
16 平和機構としての国際連盟が存在していた期間の最後の四年間に,「真のぶどうの木」の枝が差し出した王国の実によって喜びを抱いた男女の「大群衆」が予告されていた通り形成されはじめました。油そそがれた残りの者と交わっていたために,彼らは第二次世界大戦中にひどい苦難と試練に遭いましたが,それでもそれら王国の「実」を結ぶ人々から離れ去るようなことはしませんでした。「真のぶどうの木」である即位された王に忠誠を尽くすには,その「枝」すなわち王の霊的兄弟たちに対して忠節でなければならないことを彼らは知っていました。(マタイ 25:31-40)彼らはキリストの「兄弟」たちと共に,国際連合機構という形でよみがえった世界平和と安全のための機構を受け入れることを拒みました。エホバのメシア王国のこのよみがえった代用物を支持せずに,王国相続者の残りの者と共に,エホバの証人として伝道をつづけました。
17 (イ)ひゆ的な意味で「ぶどうの木」の下に住むということになると,「大群衆」はこの地上でどの「ぶどうの木」の下に住むほうを好みますか。(ロ)以前はどの「ぶどうの木」の下に住んでいましたか。
17 ひゆ的な意味でこの地上で自分のぶどうの木といちじくの木の下に安らかに住まうということになると,その「大群衆」は何を好むでしょうか。彼らは「真のぶどうの木」とその「枝」の下に住まうほうを好みます。それは神の王国を表わしているからです。(ミカ 4:1-4)「真のぶどうの木」であるイエス・キリストの支配下にある,エホバの新しく誕生した王国の良いたよりを学ぶ前は,彼らは別のぶどうの木 ―「地のぶどうの木」の下に住んでいました。(啓示 14:19)それはどんな種類の「ぶどうの木」ですか。それは世界的政治機構です。人間の支配者たちはそれによって世界支配を継続しようとしており,そうすることによってエホバのメシア王国に対抗します。
18 「真のぶどうの木」の「枝」はなぜ「大群衆」に「地のぶどうの木」の下から出ることを勧めましたか。
18 エホバが植えられた「ぶどうの木」のよく実を結ぶ「枝」は,「地のぶどうの木」の下から出るように「大群衆」の人々に勧めました。彼らはもはや,人の命を奪うその有毒なぶどうとぶどう酒を飲み食いすべきではありません。なぜそう言えますか。なぜならその「ぶどうの木」は,啓示 14章18-20節に予告されているように滅びに定められているからです。そこにはこう記されています。
「さらに別の使いが祭壇から現われたが,彼は火に対する権威を持っていた。そして,鋭いかまを持つ者に大声で呼ばわって言った,『あなたの鋭いかまを入れて,地のぶどうの木の房を集めなさい。そのぶどうは熟したからである』。すると使いはかまを地に突き入れて,地のぶどうの木の取り入れを行ない,それを神の怒りの大きな酒ぶねに投げ込んだ。そして,その酒ぶねは都市の外で踏まれ,酒ぶねから血が出て馬のくつわに届くほどになり,千六百ファーロングの距離に及んだ」。
ここでは一つの象徴的なぶどうの木が別の象徴的なぶどうの木に敵対しています。栄光を受けたイエス・キリストすなわち「真のぶどうの木」は,敵であるぶどうの木すなわち「地のぶどうの木」を粉砕されるのです。300余キロの長さにおよぶ深い酒ぶねを踏むのに用いられる「馬」は,イエス・キリストの軍馬とみ使いの軍隊です。―啓示 19:11-15。
19 (イ)神の怒りの「酒ぶね」は神の霊的「ぶどう園」のために備えられているのではありません。それはなぜですか。(ロ)「大群衆」が「いばらや雑草」のようなものをそのぶどう園に持ち込むことは,なぜ彼らに害となりますか。
19 神のその「怒りの酒ぶね」は,反キリストの「地のぶどうの木」のために備えられています。しかし一方,神は戦後の年の1919年に霊的イスラエルの残りの者に再び恵みを示されて以来,この象徴的もしくは霊的「ぶどう園」に対して何の「怒り」も抱いておられません。むしろこの霊的イスラエルの「ぶどう園」が産出的なものになってご自分の栄光となるようにこれを監督してこられました。この「ぶどう園」には,多くの実を産み出すことを妨げてその産出力を奪ってしまういばらや雑草のようなものが占める場はありません。(ルカ 6:44)したがってエホバの「ぶどう園」をいま支持している「大群衆」は,いばらや雑草のような間違ったものを持ち込むべきではありません。そういうことをすると「大群衆」が害を被る結果になるでしょう。なぜならエホバは,ご自分の霊的「ぶどう園」を十分に産出的なものにするという不変の目的に従って,そのような「いばらと雑草」と戦われるからです。エホバはそれを踏み砕き,それから火で焼くようにそれらを焼き尽くしてしまうでしょう。―イザヤ 27:4,新。
20 「大群衆」はエホバとのどんな関係を求めるべきですか。彼らはエホバの「ぶどう園」に対するどんな歌を歌うことに加わるべきですか。
20 「大群衆」がエホバと和解し,エホバを喜ばせる事柄を行なう力を得られるよう,エホバの「とりで」すなわち力の貯蔵所をつかむべき時は今です。エホバの「ぶどう園」霊的イスラエルに向かって今歌われている歌の歌詞を,彼らが心に銘記するのは時期にかなったことです。「その日彼女に向かってこう歌え,あなたがた民よ。『あわ立つぶどう酒のぶどう畑よ! わたし,エホバが彼女を安全に守っている。絶えずわたしは彼女に水を注ぐであろう。だれも彼女に敵して注意を向けることのないよう,わたしは夜も昼も彼女を安全に守るであろう。わたしの抱く憤激はない。戦闘においてだれがわたしにいばらと雑草を与えるだろうか。わたしはそれらを踏みつける。わたしはそれらに同時に火をつける。そうでなければ,彼にわたしのとりでを取らせ,わたしと和ぼくさせよ』。来たるべき日々においてヤコブは根付き,イスラエルは花をつけ,実にもえ出る。そして彼らは産出的な土地の表を産物で満たす」― イザヤ 27:2-6,新。
21 (イ)霊的ヤコブもしくはイスラエルの残りの者はどの程度その生産性の高いことを示すべきですか。(ロ)エホバが彼らのために地を肥沃にされたことは,どんなことからわかりますか。
21 今は霊的ヤコブもしくはイスラエルの残りの者が,命を支える産物で地の表を満たすことにより,自分たちの生産性の高さを示す「日」です。エホバは全地を肥沃にされました。というのは200以上の国で,残りの者が行なう王国についての証言に幾百万もの人々がこたえ,エホバを宇宙主権者とし,イエス・キリストを今全地を治める王の資格で支配する権威を与えられている方としてたたえる「大群衆」を形成する人々が現われたからです。―啓示 7:9-17。
22 「真のぶどうの木」の「枝」の残りの者が豊かに実を結んだこと,また「大群衆」が豊かに実を結んだことは,神に対してどんな影響を及ぼしましたか。
22 「真のぶどうの木」の「枝」が実を結んだことは,耕作者のエホバ神にとって確かに栄光となりました。クリスチャンとしての彼らの働きの結果としてその「大群衆」は,この忠節な「ぶどうの木」とその「枝」のようなすばらしいものを植え培われたこの神に栄光を帰しているのです。よく実を結ぶ「ぶどうの木」とその「枝」に倣い,「大群衆」の人々も,敬虔な人格の特性すべてを培いまたそれをエホバの栄光のために積極的に表わし示す点で豊かに実を結び,不毛の状態にならないように努力しています。
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よく実を結ぶ残りの者と「大群衆」は,神のみ使いが「地のぶどう」を刈り取る時に保護を受ける