逃れの町のなかに止まる
1,2 逃れの町に逃げた人に,どんな制限が課せられましたか? それは,どの位の期間でしたか?
血の復讐者から逃げのびた人は,身の潔白なることを示し,意識的に殺人したのではなく,あやまつて殺人したということを証明することが必要でした。その者の逃げ込んだ逃れの町は,まず殺人の起きた町,あるいは附近で殺人の行われた町に,その者を引き渡さねばなりません。その町の会衆は,はたしてその者が,逃れの町の保護をうけるにふさわしいか否かを判定しました。『会衆はこれらのおきてによつて,その人を殺した者と,血の復讐をする者との間をさばかなければならない。すなわち,会衆はその人を殺した者を血の復讐をする者の手から救い出して,逃げて行つたのがれの町に返さなければならない。その者は聖なる油を注がれた大祭司の死ぬまで,そこにいなければならない。』(民数記 35:24,25,新口)逃れの町の一つであるヘブロンは,アロンの子孫である大祭司と,その従属の祭司たちの町でした。それで,次のことが考えられます。すなわち,殺人者が人を殺そうという悪意を持たなかつた場合に,そのことを裁決される御方はヱホバの大祭司である油注がれたイエス・キリストであります。殺人者をヱホバの新世社会の逃れの町に入れるか,どうか,そして新世社会内に止まらせるか,どうかを決定される御方は,イエス・キリストです。
2 避難者が死をまぬがれるのは,ただ神の憐みによりました。その故に,避難者に制限をつける,つまりその自由を限定するのは,全く正しいことです。その者は,その逃れの町と,その町のまわりの1000キュビットの空地の中に止まらねばなりませんでした。その制限の外に出るなら,折角救われた生命も殺されてしまうでしよう。『しかし,もし人を殺した者が,その逃げて行つたのがれの町の境を出た場合,血の復讐をする者は,のがれの町の境の外で,これに出会い,血の復讐をする者が,その人を殺した者を殺しても,彼には血を流した罪はない。彼は大祭司の死ぬまでそののがれの町におるべきものだからである。大祭司の死んだ後は,人を殺した者は自分の所有の地にかえることができる。また,のがれの町にのがれた者のために,あがないしろを取つて大祭司の死ぬ前に彼を自分の地に帰り住まわせてはならない。』(民数記 35:26-28,32,新口)それで,大祭司がその職務に即いている期間中に,殺人が行われた場合,その時の大祭司が死んでから後に始めて,あやまつて殺人をしたその者は,血の復讐者に恐れることなしで,自分の町か,自分の所有する地に帰ることができました。もしイスラエルの大祭司自身が,あやまつて人を殺した場合には,一生涯その逃れの町から去ることはできません。もし,レビ人があやまつて人を殺した場合,大祭司の生きている期間中は,その逃れの町から出てヱホバの宮に行き,そこでレビ人の義務を行うことはできません。このことから,大祭司は逃れた者たちの生命と自由を大きく支配したことが分ります。
3 それで,いま血に染まつている避難者に対するヱホバの保護は,誰を通してなされますか? 人は,どのようにして実体の逃れの町を去りますか? その結果は,どうなりますか?
3 また,このことから,次のことも分ります。無実な者の流された血に対して,ハルマゲドンの復讐の処罰が行われますが,そのとき,今日の血に染まつた避難者をヱホバは,大祭司イエス・キリストを通して,保護されます。大祭司であるイエス・キリストは,あらゆる種類の罪人だけでなく,悔い改めている殺人者をも救うために,御自分の人間としての生命を棄てられたのです。それで,イスラエルの大祭司の死ぬ以前に,逃れの町から外に出るということは,神の恵みと保護をいただいている者が,自分に課せられた神の制限に反逆する,ということを表わします。その者は,キリストを通して為された神の御処置に対して感謝の心を失い,またなぜ神が制限を設けられたかについての正しい認識を失つています。その者は,ダビデの子アブサロムから逃げた時のダビデを呪つたシメイのようになります。ダビデの後継者であるソロモン王は,シメイをエルサレムの都の中に住まわせて,その行動に制限をつけました。シメイは,ソロモン王を試す行をなし,逃げたふたりの奴隷を取り戻すためにエルサレムを離れました。しかしわがままな気持から制限を破つたため,その帰り道の途中で殺されてしまいました。(列王紀略上 2:36-46)それで,逃れの場所から出てくる者は,キリストの犠牲の贖いの恩恵から離脱してくることであり,その恩恵にもはや頼ろうともせず,また罪に対する神の刑罰から身を守るのに欠くことのできないキリストの犠牲の必要をもはや感じてはいません。その者は不注意にも,ヱホバの御要求に適うこと,また神の大能の御手の下に身を卑くするということについて,おろそかにしています。そして,自分は他よりも義しい者であるという考えをつくりあげ,それに頼つて身の守りを図ります。彼は神を試しすぎます。そして,自分のためにイエス・キリストをあらためて杭につけ,悔い改めの気持を全く失つています。ヱホバの恵みに充ちる逃れの場所の外に出るならば,かならず亡ぼされてしまいます。そのハルマゲドンの時,贖の恩恵をうけていないすべての流血の有罪者に対して報復はなされます。その者は,生き残らないでしょう。
4,5 (イ)イスラエルの大祭司の死ということの成就に関して,どんな質問が生じますか?(ロ)それで,霊的イスラエルの残れる者の成員は,どの位の期間,その逃れの町にいなければなりませんか?
4 死人の中から復活をうけた大祭司イエス・キリストは,『朽ちることのないいのちの力』を持つており,『もはや死ぬことがなく』『死はもはや彼を支配しない。』しかし,彼はメルキゼデクの状に似て『永遠に祭司』となります。(ヘブル 7:15-17そしてロマ 6:9,新口)それでは,イエスは,イスラエルの大祭司が死ぬという予表をどのようにして成就することができますか? そして人は,どのようにして,新世社会内の実体的な逃れの町から出ることができますか? 現代の避難者は,どの位の期間そこにいなければなりませんか? 忘れてならないことに,イスラエルの大祭司が死んだときには,その大祭司の務めは終り,そしてあやまつて人を殺した者のために贖いを捧げることは止まりました。その故に,実体的な逃れの町の中にいる残れる者の成員は,地上に生きている期間中,そこにいなければなりません。彼らは,ハルマゲドンの戦争を生き残つて,神の新しい世に入ることを希望しています。しかし,その戦争が行われて,流血の有罪者に対する処罰がなされた後でも,彼らは天的な大祭司の贖いの価値を必要とします。なぜ? なぜなら,彼らはまだ不完全な人間だからです。
5 しかし,ハルマゲドン後の地的な義務を終えて,死亡し,そして瞬間的に天の霊者の生命に復活される時,彼らは,もはや,ヱホバの大祭司の贖いの奉仕を必要としません。彼らは,人間としての体をヱホバの宇宙的至上権の立証のために犠牲にしたため,人間の体を永遠に棄てたからです。あやまつて為した流血の罪をも含めて,不完全な人間の体に附随するすべてのものは,彼らから取り除かれます。それで,彼らに贖をなし,保護を与えるという面で,大祭司は,死んだことになります。しかし,ハルマゲドンを生き残つて,その肉の幕屋である地的な家,もしくは天幕が,死によつて消滅し,そして『神からいただく建物,すなわち天にある,人の手によらない永遠の家』を得る時まで,彼らは不滅な大祭司の支配する逃れの町の中にとどまります。―コリント後 5:1,新口。
6 霊的イスラエルでないハルマゲドン生存者は,大祭司の実体的な死まで,どのように逃れの町に居りますか? その後でも,彼らは何をするために死にますか?
6 しかし,現代の逃れている『他国人』と『寄留者』についてはどうでしようか。彼らは永遠に人間の状態にとどまります。それなら,何時その逃れの町を去つて,あやまつてなされた流血の罪から解放されますか? ハルマゲドン直後に,キリストの支配する逃れの町から出るということはありません。彼らも,生き残つている残れる者と同じく,不完全な人間であり,また罪に染まつているからです。それで,大祭司の贖の保護の下にいなければなりません。そこから出るなら,血の復讐者は,彼らを殺します。大祭司が王としての職務と,祭司としての職務を行う千年期間中,彼らがこの贖の保護を頂くことにより,遂には人間としての完全さまでに向上することができます。千年の終りに,イエス・キリスは,完全となつた残りの人類ともどもに,彼らをヱホバ神に渡し,彼らの忠実に関して,永遠に,しかも最終的に決定する試験を行います。その試験は,サタンとその悪鬼共をしばらくの間,解放することによつて行われます。神の御旨にかないつつこの試験を通過するなら,ヱホバ神は,彼らを義と認め,かつ新しい世の楽園の『新しい地』における永遠の生命を彼らに与えるでしよう。しかし,大祭司が,人間としての完全さを持つ彼らを神に渡されるとき,贖と保護をなす祭司としての仕事は終り,事実上は死んだと同じようになります。彼らは,逃れの町における彼の保護から出て,自分自身の力で決定する試験をうけるため,神の御前に置かれたからです。その後に死ぬことがあるなら,それは,血の復讐者によるのでなく,またあやまつて人を殺した昔の流血の罪によるのではありません。それは,忠実の試験に,彼ら自身の利己主義により,ことさらに失敗したからです。―黙示 20:1-6,11-15。
「道を開く」
7 昔の逃れの町は,あやまつて人を殺した者に,どのような待遇をしましたか? あやまつて人を殺した者は,逃れの町の中で,どのような行為をすべきでしたか?
7 昔の逃れの町は,あやまつて人を殺した者に,その門を開き,中へ迎え入れました。『その人は,これらの町の一つにのがれて行つて,町の門の入口,に立ち,その町の長老たちに,そのわけを述べなければならない。そうすれば,彼らはその人を町に受け入れて場所を与え,共に住ませるであろう。たとい,あだを討つ者が追つてきても,人を殺したその者を,その手に渡してはならない。彼はあやまつて隣人を殺したのであつて,もとからそれを憎んでいたのではないからである。その人は,会衆の前に立つて,さばきを受けるまで,あるいはその時の大祭司が死ぬまで,その町に住まなければならない。そして後,彼は自分の町,自分の家に帰つて行つて,逃げ出してきたその町に住むことができる。』(ヨシユヤ 20:4-6,新口)逃れた者は,その逃れの町にいるあいだ,神の宮に行く自由がありません。しかし,宮仕えの者たちであるレビ人と親しい関係を持つていました。そしてヘブロンに逃れた者は,そこにいた祭司たちや大祭司たちとも親しい関係を持つていました。しかし,その時の大祭司が早く死ぬように,と願つてはなりません。もし,そうするなら,殺人の気持を惹き起し,神の制限に対して反逆の気持を生ずることになります。逃げた者は,怠慢であつてはならず,また町は当然に自分の生活を支えるべきだ,と考えてレビ人や祭司たちに経済的な負担をかけてはなりません。その者は,仕事を覚えて,町の福利と繁栄に貢献しなければなりません。
8 それで,クリスチャンの逃れの町に逃げる人々は,どのような行為をすべきですか? その結果は,どういうことになりますか?
8 それとおなじように,クリスチャンの逃れの町に逃げる人々は,新しい世の社会内にあつて,怠慢な行為をすべきではありません。彼らは,自分に示された神の恵みに感謝し,つねに『王なる祭司』の残れる者と交らねばなりません。そして,特に自分たちを保護してくれる大祭司と交らねばならず,また彼らは,新しい世の社会の負担,重荷になつて,その活動を制止し,かつその霊的な繁栄を取り去つてはなりません。彼らはその制度内で仕事を学ぶべきです。その制度に課せられている神よりの責務から判断してみると,その制度にふさわしい唯一つの『仕事』は,御国の音信を伝道して『我らの神の刑罰の日』を告げ知らしめることを学ぶことです。(マタイ 24:14。イザヤ 61:1,2)このことから,その中にいる時の時間は,ハルマゲドン前に,まつたく幸福のうちに飛び過ぎて行きます。そして,それはヱホバを讃美するとともに,また逃れた者と他の者に救をもたらす結果になります。
9 流血の罪から,身を清く保つために,逃れる者は,何を言明しましたか? また,彼らは何の契約をかたく守りますか?
9 それで,私たちは現在の逃れの町に入つており,大祭司の『死ぬ』時まで,そこに止まろうと決意しています。ヱホバの証者は,大祭司の支配下にあるヱホバの恵みに充ちる「逃れの町」の内に止まろうと決意しています。そして,1939年の11月1日に,彼らはこの世の流血の戦に対しては,絶対の中立を保つ,と言明しました。また,彼らは血の神聖さに関する神の契約をかたく守ります。彼らは,未公表の多くの死者を出している輸血を行いません。また,神の目からことさらの罪と見なされるあらゆる流血の罪から,身を清く保ちます。故意になした殺人者は,むかしの逃れの町の保護がうけられず,血の復讐者に引渡され,その手にかかつて当然に殺されました。新しい世の社会内に,そのような故意の罪を犯す者をひとりとして欲しません。―民数記 35:16-21,30,31。申命 19:11-13。
10 あやまつて人を殺した者が,具合良く逃げるために,どんな援助が準備されましたか? むかしの予表では,それはどのように行われていましたか?
10 逃れの町にいる祭司やレビ人は,保護を求めて逃れた人々に,心からの援助の手をさし伸べ,安全な拠り所を与えることが必要でした。さらに,祭司とレビ人だけでなく,全イスラエルの人々は,苦境にいる避難者を援助して,どのようにして血の復讐者よりも先に,逃れの町の安全地帯に逃げさせるかということについて,最大の関心を払いました。それによつて,あやまつて人を殺した者の無実な血が流れないようにしました。ヱホバの恵みの律法は,次のように述べていました。『汝の神ヱホバの汝に与えて産業となさしめたもう地の中に,(さらに)三つの町を汝(イスラエル)のために区別べし。しかして,汝これに道を開き,また汝の神ヱホバの汝に与えて産業となさしめたもう地の全体を三の区(ヨルダン河の西)に分ち,すべて人を殺せる者をして其処に逃れしむべし。』(申命 19:2,3)この「道を開く」ということは,逃れの町に通ずる大道を,平坦な道にする,ということです。岡をくずして平らとし,躓きの石を取り除いて,河には橋を架け,道幅を32キュビットの広さ,つまり48フィートまで広げて,文通が頻繁に行われる時でも避難者の妨害にならないようにしました。また,『逃げよ! 逃げよ!』と記された道標が,十字路のところに立てられていて,逃れの町に行く道を示していました。ヨルダン河の東に三つと,その西に三つある各地区には,それぞれの逃れの町がありました。それで,どの地区にいようとも,逃げ込む距離は,さして遠いものではなかつたのです。各人は,自分の属す正しい逃れの町を知つていました。
11 どんな御準備の故に,今日の全国民はヱホバの霊的な民と共によろこぶことができますか?
11 このことは,なんとすばらしい予表になつているのでしよう! 今日,あやまつて人を殺した者に,道が是非とも備えられねばならないのです。特に,霊的なイスラエル人でなくても,全国から来る実体的な『他国民』や『寄留者』,すなわち『他の羊』のために道が備えられるのです。そのわけで,これらの国民はいま霊的イスラエルの残れる者であるヱホバの民とともにいて,よろこびを感じています。流血の罪に対するハルマゲドンの処罰を待ち望んでおられるヱホバは,次の歌を述べられています。『我わが箭をして血に酔わしめ,吾劔をして肉を食わしめん。すなわち,殺さるる者と捕えらるる者の血をこれに飲ませ,敵の髪おおき首の肉をこれに食わせん。国々の民よ,汝らヱホバの民のためによろこびをなせ。そは,ヱホバその僕の血のために返報をなし,その敵に仇をかえし其地とその民のけがれをのぞき給えばなり。』― 申命 32:42,43。
12 (イ)『道』を良い状態に保つことは,なぜいちばん大切なことになりますか? 私たちは,どのようにそうすることができますか?(ロ)もしそうしないなら私たちは将来どのような流血の罪を犯し,自分の亡びを招きますか?
12 罪無き者の流された血に復讐するハルマゲドンまでの期間は,ヱホバにより『短い時』に定められています。そして,1918年以来,今日にいたるまで,その時はますます短くなつているため,今日の逃れの町に備えられている道を,良い状態に保つことは,いちばん大切なことになりました。このようにして,あやまつてなした流血の罪を,神および神の大祭司の前に認識する無数の多い人々も,大速力で逃げこめることのできるようにします。それらの人々は,『全能の神の大いなる日の戦争』のときになされる全世界にわたる危険な血の復讐に気づいています。私たちは,大胆不敵にも『神の刑罰の日』を宣明し続けることにより,彼らに警告を告げなければなりません。また,彼らを助けて,ヱホバの大祭司の支配するただ一つの逃れの町に,素早く逃げこませねばなりません。私たちはいま『逃れよ! 逃れよ!』と告げる道標のようになり,その逃れの唯一つの場所を指し示さねばなりません。各人は,その各々の属す区域内で,生命を救うこの仕事をなすべきです。危険な刑罰の剣を告げ知らせる見張りの者としての義務を,おろそかにすべきではありません。いまや,危険な状態にいる人々に警告を発して,逃げさせるべきです。もし,この義務をおろそかにして,警告を与えないならば,危険な時に私たちは逃れの町の恩恵をうけないでしよう。なぜなら,正しい警告を与えたなら助かつたかもしれぬ人々の血に対して,ヱホバ神は私たちに報復するからです。(エゼキエル 33:1-9)それで,周到な注意と用心を払つて,将来に流血の罪を起さないようにしましよう。そして,私たちの亡びを避けましよう。
酒槽をふむ者
13,14 (イ)それでは,実体的な『血の復讐者』は誰ですか? なぜ,そうですか?(ロ)何時,そして何処で,彼は,殺人をなした流血者を捕えますか?
13 しかし,私たちが避けねばならぬ『血の復讐者』とは誰ですか? 殺された者に最も近い親戚とは,誰ですか? その者は『神のかたちに』つくられ,人間の血を流した者に神の刑罰をもいたします。(創世 9:6,そしてサムエル後 14:6,7,11)全地の殺された者,特に殺されたヱホバ神の証者たちに復讐を加える資格を持つためには,この復讐者は全人類,特にヱホバの証者の親戚でなければなりません。その者は,誰ですか? 人間キリスト・イエスになつた神の独り子以外にはおりません。彼は人類の最も近い親戚です。彼は完全な人間として女から生れ,大きな価値を持つ生命を有していました。そして彼は,全人類を永遠の死から救うための贖として,その生命を犠牲に捧げました。彼は,その足跡に従う弟子たちの兄弟になつたために,兄弟たちの中の一番小さな者になすことは,最年長の兄弟であるイエス・キリストになすことです。それで,イエスの忠実な弟子のひとりを殺す者は,キリストの兄弟のひとりを殺すことになり,ひいてはキリスト自身をも殺す,ということを示します。(ヘブル 2:11-17。マタイ 25:40,45)しかし,大祭司であるイエスは,いまや従順な全人類のために贖の犠牲の価値を適用なされようとしています。かくして彼らはイエスの子たちとなり,イエスは彼らの永遠の父になります。それで,新しい世の社会と交る実体的な『他国人』または『寄留者』のひとりを殺す者は,キリストの将来の子たちのひとりを殺すことになります。イエスは彼らのひとりの羊飼であり,御自分のすべての羊のために,その魂を棄られた正しい羊飼です。―ヨハネ 10:16。
14 このことから,『人間キリスト・イエス』こそ,復讐をされる御方です。彼は,殺されたひとりの人の血だけでなく,すべての人の血に対して復讐をいたします。そして,殺人をなしているすべての者に対して,さながら追求している血の復讐者のごとく急速に行動を取ります。彼は,ハルマゲドンのときに,彼らをことごとく捕えます。彼らはみな,実体的な逃れの町の外におり,なんらの保護をもうけません。
15,16 (イ)それでは,ハルマゲドンの酒槽をふむ方は,誰ですか?(ロ)しかし,イザヤの予言によると,誰が酒槽をふむ者と示されていますか? それは,どのように述べられていますか?
15 それで,ハルマゲドンのときに神の怒の大きな酒槽を踏む方は,イエスであります。無実な者の流された血を復讐する時に,流血の罪を持つこの世の人々は,殺されてしまいます。この世の人々は,今までにも無実な人々の血を流してきましたが,これからも復讐者が世界を裁き,そして処罰を及ぼす時まで,流しつづけることでしよう。しかしながら,ヱホバは彼御自身が大きな酒槽をふむ者である,と予言的に示し,そして御自分の民に兄弟愛を示さぬ者たち,すなわちヤコブ(イスラエル)の双児の兄弟の子孫であるエドムを亡してしまいます。予言者イザヤがヱホバと取り交した予言的な会話は,次のようです。
16 『このエドムよりきたり,緋衣をきてボヅラ(エドムの首都)よりきたる者は,たれぞ。その服飾はなやかに,大なる能力をもて厳しく歩みきたる者はたれぞ。これは義をもてかたり,大に(我が民に)すくいをほどこす我なり。なんぢの服飾はなにゆえに赤く,なんぢの衣は何故に酒槽をふむ者とひとしきや。我はひとりにて酒槽をふめり。もろもろの民のなかに我と共にする者なし。(ヱホバの証者の中のひとりとして,ヱホバと共にハルマゲドンの激しい戦争に参加する人はいません。悪しき者の中のひとりとして,ヱホバに手向うことはできません。)われ怒によりて彼らをふみ,忿恚によりてかれらを踏にじりたれば,かれらの血わが衣にそそぎわが服飾をことごとく汚したり。そは,(我が敵に対する)刑罰の日わが心の中にあり,贖の年すでにきたれり。われ見てたすくる者なく,扶る者なきを奇しめり。この故にわが臂われを救い,我がいきどおり我をささえたり。われ怒によりてもろもろの民をふみおさえ,忿恚によりて彼らを酔わしめ,かれらの血を地に流れしめたり。』― イザヤ 63:1-6。
17 しかし,ハルマゲドンのときに,ヱホバは誰を用いて酒槽をふみますか? ヨハネは,前もつて見たこの幻を,どのように述べていますか?
17 しかし,ハルマゲドンで酒槽をふむ時に,ヱホバは全人類のいちばん近い親戚を用います。その人は,血の復讐者であつて,天的な御父の代理として酒槽をふまれます。すなわち,『人間キリスト・イエス』です。使徒ヨハネは,満載しているハルマゲドンの酒槽の許に,キリスト・イエスが行き,天の軍勢と共々に,その酒槽をふむ幻を,前もつて見ました。『また私が見ていると,天が開かれ,見よ,そこに白い馬がいた。それに乗つているかたは,「忠実で真実な者」と呼ばれ,義によつてさばき,また戦うかたである。彼は血染めの衣をまとい,その名は「神の言」と呼ばれた。そして,天の軍勢が,純白で,汚れのない麻布の衣を着て,白い馬に乗り,彼に従つた。その口からは,諸国民を打つために,鋭いつるぎが出ていた。彼は鉄のつえをもつて,諸国民を治め,また全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。その着物にも,そのももにも「主の主,王の王」という名がしるされていた。』― 黙示 19:11-16,新口。
18 エルサレムの亡びの時以来『地上に流された義人の血』の報いが,キリスト教国に来る,となぜ期待することができますか?
18 このハルマゲドンの酒槽のときに,打ち砕かれる諸国民の血は洪水のように迸り出るでしよう。いまから19世紀のむかし,エルサレムの宮のところで,イエスはユダヤ人の宗教指導者,教師,そして支配者たちに,こう語りました。『私は,予言者,賢者,教師たちをあなたがたにつかわすが,あなた方は,そのうちのある者を殺し,また杭につけ,そのある者を会堂でむち打ち,また町から町へと迫害して行くであろう。こうして義人アベル(殉教を遂げた最初のヱホバの証者)の血から,聖所と祭壇との間であなた方が殺したバラキヤの子ザカリヤの血にいたるまで,地上に流された義人の血の報いが,ことごとくあなたがたに及ぶであろう。よく言つておく。これらの事柄は,みなこの時代の上に及ぶであろう。』(マタイ 23:34-36,新世)報いは,その時代の上に来ましたか? 確かに来ました。祭司たちにそそのかされた群衆が,総督ポンテオ,ピラトに『その血の責任は,われわれとわれわれの子孫の上にかかつてもよい。』と叫んでから37年の後にその報はきました。ピラトと同国民であるローマ人は,4ヵ月間の包囲の後に,エルサレムとその宮を亡し,110万人を殺し,また生き残つた9万7000人を地の四隅に散らし,それらユダヤ人は奴隷としての生涯を終えました。(マタイ 27:24,25,新口)それでは,その時以来『地上に流された義人の血の報い』が,反キリスト教であつたエルサレムの現代的実体である不忠実なキリスト教国の上に来る,と期待できるでしようか? 全く期待できます。
19 それに関連して,大いなるバビロンについては,何が期待されますか?
19 また,聖徒とイエスの証者の血に酔いしいれている4000年の年月を経た淫婦,大いなるバビロンについては,何が期待できますか? それには,予言者たちや,地上で殺されたすべての者の血がついているのです。聖書の言葉によると,その淫婦は地の全国民を支配しているため,キリスト教国を含めて,それに従うすべての国民は,それともろともに,全世界的な神の酒槽に投げこまれてしまいます。そのとき血は迸り流れることでしよう。
20 ハルマゲドンのとき,誰によつて,そしてどのように酒槽はふまれますか? ふまれて出される『地の葡萄』の果汁は,どれ程の深さになりますか?
20 間近かになつたハルマゲドンの時は,収穫の時です。そして,それは,酒槽をふむ者の時であります。最高の復讐者であるヱホバが合図を与えると,イエス・キリストと,酒槽をふむ者は,よろこびの声をあげて酒槽に突進して,入ります。それは,裸足で入るのでなく,『全能の神の大いなる日の戦争』に用いられる馬の背に乗つて入るのです。そして,おびただしく多い『地の葡萄』と,ぎつしり実つている悪しき実を踏みつぶしてしまいます。ヨハネ黙示録は,ハルマゲドンの亡びの物凄さを,次のように表わしています。『鋭いかまを持つ御使にむかい,大声で言つた「その鋭いかまを地に入れて,地のぶどうのふさを刈り集めなさい。ぶどうの実がすでに熟しているから。」そこで,御使はそのかまを地に投げ入れて,地のぶどうを刈り集め,神の激しい怒の大きな酒ぶねに投げ込んだ。そしてその酒ぶねが都の外で踏まれた。すると,血が酒ぶねから流れ出て,馬のくつわにとどくほどになり,一千六百町(200マイル)にわたつてひろがつた。』― 黙示 14:18-20,新口。
21 (イ)イ葡萄の果汁が深いということは,何を示していますか?『都の外で』酒槽のふまれる,ということは,何を示していますか?(ロ)どのようにして,神の怒の酒槽を避けることができますか?
21 大きなハルマゲドンの酒ぶねは,『都の外で』踏まれ,キリストとその天の軍勢を乗せる馬は,血の中を,ほとんど泳がんばかりに徒渉するでしよう。ヱホバ神と,その王の王に反対する人々は,まつたく多いのです。これは,あまりに物すごくて,とうていあり得ない,などと疑わないで下さい! それは,明白に示している神の御言葉の予言であつて,神の御言葉は必らず実現します。それでこのことも,間ちがいなくかならず実現するでしよう。『都の外で踏まれる』とは,神権制度である新しいエルサレム,すなわちクリスチャンの逃れの町である新しい世の社会の外で踏まれる,というこです。今日,神の怒りの酒ぶねに投げられるのを避け,その亡びを避けたいと願いますか? それなら,神より遣わされる血の復讐者から急いでのがれなさい。『逃れよ! 逃れよ!』と記されている路を選んで,大祭司イエス・キリストの支配する逃れの町に逃げなさい。そして,ハルマゲドンの時まで感謝の念に充されつつ,賢明に,また,しつかりした決意を抱いて,その中に止まりなさい!