あなたは偽りのことばに欺かれていますか
1 (イ)にせ札が発見されたことを聞いた人は,なぜ自分の紙幣をしらべますか。(ロ)時にはどこでそれを鑑別してもらうことが必要ですか。偽りのことばの場合には,どうですか。
にせ札がたくさん発見されたことが報道されるならば,あなたはにせ礼をつかまされていないかどうか,手持ちの紙幣をすぐに調べるでしょう。またあなたがそれを万一使ったとなれば,めんどうなことになります。それは銀行の鑑定を要するほど精巧なものかもしれません。偽りのことばはそれにもまして人を欺き,害を与えることがあります。その欺きを見破るには,信頼できる源から真のことばと事実とを確かめねばなりません。
2 (イ)ペテロはわたしたちの益となるどんな警告を与えていますか。(ロ)どのように,また何によって,にせキリスト教を見分けることができますか。
2 主イエス・キリストと最も親しかった使徒のひとりペテロは,死ぬ少し前に霊感の警告をクリスチャン会衆に告げ,油断してはいけないといましめました。それは「甘言をもってあなたがたをあざむ(く)」貪欲な者がクリスチャン会衆の中から出るからです。(ペテロ第二 2:3)したがって,キリスト教を奉ずると言う者すべてが真のクリスチャンではありません。しかもにせものはとるにたりないどころか,きわめて巧妙な策略を強力に用いて欺こうとしています。しかし幸いにも神のはからいによって,わたしたちは真実のことばの源である聖書をしらべ,にせのキリスト教のおこりと発達を知るとき,にせものの正体をあばくことができます。また多くの疑問,とくにキリスト教がひとりの人イエス・キリストから始まっているのにキリスト教国に多くの分裂や宗派が存在する理由も,信頼できる権威によって明らかにすることができます。
3 (イ)バビロン滅亡後,その宗教はどうなりましたか。(ロ)ユダヤ国民は,バビロン的な宗教のどんな策略のために神の不興をこうむりましたか。(ハ)悪魔はどんな新らしい敵と戦うことが必要でしたか。
3 前号までの誌上で,シオンすなわちエルサレムとバビロンとの争いに注目してきました。すでに見たとおり,バビロンはエルサレムを征服しましたが,のちになってとらわれ人を解放することを余儀なくされました。バビロンは次第に衰えたにもかかわらず,その宗教は存続して異教ローマの宗教の中心を成すようになりました。バビロンがペルシャ人クロスの前に倒れると,バビロン的な宗教の神サタン悪魔は神と戦う戦術を転換しなければなりませんでした。ユダヤ国民の指導者の利己心と貪欲に乗じてサタンは自分の宗教を入り込ませ,背教を起こさせたのです。そのために神の真の崇拝から離れた背教の人々は,ヘブル語聖書の預言していたメシヤを殺すまでになりました。その結果,彼らは神によって散らされ,イスラエルは神の聖なる民としてもはや用いられませんでした。しかしユダヤ人の忠実な残れる者は,指導者にならわず神の正しい崇拝を守ってメシヤを受け入れたのです。キリスト教の中核を成したのはこれらの人でした。悪魔は,時を経て悪魔の頭を砕くと預言に言われたすえがメシヤつまりイエス・キリストであることを認め,キリストの国の伝道が悪魔に敵対する大きな力であることを認めました。ゆえに悪魔は神のこの新しいはからいに対抗するため,バビロン的な宗教をふたたび用いなければなりません。悪魔はできるものならキリスト教を滅ぼそうと図りました。
4 キリスト教に対するバビロンの戦いは,以前にくらべてどのように困難でしたか。
4 しかしキリスト教に戦いをいどんだバビロンの宗教は,以前とは異なる新しいものに対抗しなければなりません。キリスト教ははるかに強力であり,そのうえ伝道する宗教であってすべての国の人に宣べ伝えられました。初期クリスチャン会衆は目ざましく急速に発展し,12使徒の指導の下で,ユダヤ人と官憲からの迫害に耐えながら初めの純粋さを保ち,繁栄したのです。バビロンは以前にもまして巧妙な策略を使わねばなりません。バビロンの宗教が悪魔の策略を用いてどのようにキリスト教と戦い,またどの程度まで成功したかを研究することは,きわめて興味深いと同時に,また知らなければならない事柄です。それは神秘を解くことになります。
にせものに関するイエスの預言
5 イエスは,キリスト教の直面する戦いのことをご存じでしたか。どうしてわかりますか。
5 キリスト教の指導者イエス・キリストはこの戦いとその結末を予見されました。それで次のたとえ話を用いて弟子たちにあらかじめ警告をお与えになっています。
6 麦と毒麦に関するイエスのたとえ話を述べなさい。
6 「天国は,良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。人々が眠っている間に敵がきて,麦の中に毒麦をまいて立ち去った。芽がはえ出て実を結ぶと,同時に毒麦もあらわれてきた。僕たちがきて,家の主人に言った。『ご主人様,畑におまきになったのは,良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。主人は言った。『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った,『では行って,それを抜き集めましょうか』。彼は言った。『いや,毒麦を集めようとして,麦も一緒に抜くかも知れない。収獲まで,両方とも育つままにしておけ。収獲の時になったら,刈る者に,まず毒麦を集めて束にして焼き,麦の方は集めて倉に入れてくれ,と言いつけよう』」― マタイ 13:24-30。
7 たとえの中でそれぞれ象徴的に用いられているものの意味を明らかにしなさい。
7 たとえの意味を問われたイエスは,種をまく者がご自分であり,畑は世界であり,良い種は御国の子であるまことのクリスチャン,毒麦は悪魔のまいた悪しき者の子 ― 偽善的なクリスチャンであることを説明されました。収獲は事物の制度の終結であり,刈る者は天使たちです。
8 御国の子たちのにせ者をまくことは,いつ行なわれましたか。
8 悪魔がにせクリスチャンをクリスチャン会衆内にまくのは,イエスの死後多くの年を経てからではありません。それは人々が眠っている間,つまりキリストの12使徒が死の眠りについたとき,あるいはクリスチャン会衆の監督に任命された者が霊的に見守ることを怠り,いわば眠っている時に起きます。
にせ者はどこから現われたか
9 ペテロはにせクリスチャンがどこから出ることを明らかにしていますか。
9 そこで悪魔はにせ者を生み出します。真のキリスト教の発展をとどめるのに,それは公然と戦うよりも効果的な方法でありましょう。イエスのことばを裏書きし,かつ,欺きのにせクリスチャンがどこから現われるかを示して,ペテロは次のように書きました。「しかし,民の間に,にせ預言者が起ったことがあるが,それと同じく,あなたがたの間にも,にせ教師が現れるであろう。彼らは,滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み,自分たちをあがなって下さった主を否定して,すみやかな滅亡を自分の身に招いている。また,大ぜいの人が彼らの放縦を見習い,そのために,真理の道がそしりを受けるに至るのである。彼らは,貪欲のために,甘言をもってあなたがたをあざむき,利をむさぼるであろう。彼らに対するさばきは昔から猶予なく行なわれ,彼らの滅亡も滞ることはない」― ペテロ第二 2:1-3。
10 にせクリスチャンはなぜ巧妙な欺きですか。彼らの行ないの果てはなんですか。
10 ペテロのことばは,バビロン的な宗教を用いるサタンの戦法の神秘を明らかにしています。にせクリスチャンはキリスト教を奉ずると強く主張していながら,真理からは離れて行くことでしょう。彼らはクリスチャンと自称しながら分派をおこし,真のキリスト教にとって破壊的な行動を始めます。また多くのことばで公言しないまでも偽善の行ないにより,自分たちのあがない主を否定する者です。使徒パウロはテトスへの手紙の中で,このような者のことを述べています。「彼らは神を知っていると,口では言うが,行ないではそれを否定している。彼らは忌まわしい者,また不従順な者であって,いっさいの良いわざに関しては,失格者である」。(テトス 1:16)その結果,放縦な行ないが自称クリスチャンの間で盛んになり,真理の道はそしられます。
11 (イ)使徒たちはその生存中,背教に対するどんな防壁を築きましたか。(ロ)それにもかかわらず,パウロの警告によれば,悪魔はどのようにクリスチャン会衆に侵略の手をのばしますか。
11 イエス・キリストの使徒たちはこのような背教が起こることを知り,それに対する防壁としてクリスチャン会衆を強めることに努めました。その努力は無駄になっていません。まことのキリスト教は存続したからです。コリント会衆はその事を如実に示す例となっています。会衆の分裂を図る者が現われたとき,パウロは一致をおびやかすこの動きを,大事に至らないうちに阻止しました。(コリント第一 1:17-19)イエス・キリストの死と復活から23年後の西暦56年,使徒パウロはエペソ会衆の監督たちと会って次の警告を与えました。「わたしはいま信じている,あなたがたの間を歩き回って御国を宣べ伝えたこのわたしの顔を,みんなが今後二度と見ることはあるまい……どうかあなたがた自身に気をつけ,また,すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は,神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために,あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。わたしが去った後,狂暴なおおかみが,あなたがたの中にはいり込んできて,容赦なく群れを荒すようになることを,わたしは知っている。また,あなたがた自身の中からも,いろいろ曲ったことを言って,弟子たちを自分の方に,ひっぱり込もうとする者らが起るであろう。だから,目をさましていなさい」― 使行 20:16,17,25-31。
12 テモテはどんな警告を与えられ,またクリスチャン会衆を背教から守るために何をすべきことを告げられましたか。簡単に述べなさい。
12 パウロが死んだのはそれから約10年後,西暦65年ごろのことです。死の直前にテモテにあてて書かれた手紙の中でも,パウロは背教のことをくり返し警告しており,背教に対する防壁としてクリスチャン会衆を強めることに力を入れるようにテモテをさとしています。―テモテ第一 4:1-3; 3:15; 6:3-5,20。テモテ第二 2:1,2; 3:1-7; 4:1-5。
13 第1世紀にある程度の背教が起きたことを示す証拠がありますか。
13 この恐ろしいにせものは尋常一様な敵ではなく,しつように頭をもたげてきます。1世紀も終わろうとしている時の一時点に注目してください。西暦98年ごろ,使徒ヨハネは次のように書きました。「子供たちよ。今は終りの時である。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように,今や多くの反キリストが現れてきた。それによって今が終りの時であることを知る。彼らはわたしたちから出て行った。しかし,彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。もし属する者であったなら,わたしたちと一緒にとどまっていたであろう。しかし,出て行ったのは,元来,彼らがみなわたしたちに属さない者であることが,明らかにされるためである」― ヨハネ第一 2:17-19。
14 主イエスが示されたとおり,1世紀を経ないうちに一部の会衆にはどのように分派の動きが起きましたか。
14 西暦96年ごろヨハネに与えられた黙示録の中で,主イエス・キリストはエペソの会衆に書き送ることを命じています。それより何年も前にエペソの会衆は,口頭で,またエペソにいたテモテに書き送られたことばによってパウロから警告を与えられていました。イエスはヨハネを通じて次のように言われました。「そこで,あなたはどこから落ちたかを思い起し,悔い改めて初めのわざを行ないなさい。もし,そうしないで悔い改めなければ,わたしはあなたのところにきて,あなたの燭台をその場所から取りのけよう。しかし,こういうことはある,あなたはニコライ宗の人々のわざを憎んでおり,わたしもそれを憎んでいる」。ヨハネはペルガモの会衆に対して次の警告を書き送るように命ぜられました。「しかし,あなたに対して責むべきことが,少しばかりある。あなたがたの中には,現にバラムの教を奉じている者がある。バラムはバラクに教え込み,イスラエルの子らの前に,つまずきになるものを置かせて,偶像にささげたものを食べさせ,また不品行をさせたのである。同じように,あなたがたの中には,ニコライ宗の教を奉じている者もいる。だから,悔い改めなさい。そうしないと,わたしはすぐにあなたのところに行き,わたしの口のつるぎをもって彼らと戦おう」― 黙示 2:1,5,6,12,14-16。
15 ペルガモ会衆に対するイエスのことばは,バビロン的な宗教が入り込んだことをどのように示していますか。
15 ペルガモの会衆にバビロンの影響が及んでいたことは,「バラムの教」が存在していたことからもうかがわれます。元のバラムは,宗教的なバビロンがあったメソポタミア地方の人です。ペルガモまたペルガモスは,クロスの前に倒れたバビロンから祭司が逃げてきてその宗教の本山をおいた土地です。そこにおいて彼らはペルガモの王を宗教上のかしらと仰ぎました。バビロンにおいてはベルシャザルとそれ以前の王たちが宗教上のかしらでした。こんどはペルガモの王たちがその地位を占め,ベルシャザルのいわば後継者となったのです。―申命 23:4,5。民数 22:5; 31:8,16。
にせものは今日どこにいるか
16 (イ)今日,大きなにせものはどこに見出されますか。(ロ)このにせものを描写した使徒パウロのことばを分析するのは,なぜ良いことですか。
16 この記事の読者の中には,キリスト教をとなえる多くの宗派が説いている事柄,あるいはそれらの宗派の牧師から聞いた事を思い起こしているかたもおられるに違いありません。その中には偽りのことばが認められます。この事について述べている聖書のことばに照らしてみる時,にせものはキリスト教国の諸宗派の中に発見されます。使徒ペテロとパウロが警告しているのは,キリスト教国の宗教指導者つまり聖職者のことです。宗教上のにせものを造り出す者たちのしわざを最も詳細に述べているのは,使徒パウロでしょう。パウロはそれを「不法の秘密」と呼んでいます。麦と毒麦に関するイエス・キリストのたとえ話と同じく,パウロのことばは,終わりの時,主イエスの再臨在の時に,背教がそれを支持する者とともに滅びることを示しています。このにせものの正体を知り,見きわめるために,使徒パウロのことばを分析してみましょう。それは偽りのことばによって欺かれないためであり,とるべき行動を知るためです。パウロは兄弟たちを気づかって次のようにさとしました。
17 どんな疑問がテサロニケの会衆を悩ましていましたか。
17 「さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの来臨と,わたしたちがみもとに集められることとについて,あなたがたにお願いすることがある。霊により,あるいは言葉により,あるいはわたしたちから出たという手紙によって,〔エホバ〕の日はすでにきたとふれまわる者があっても,すぐさま心を動かされたり,あわてたりしてはいけない。
18 (イ)主イエスの再臨の前に必ず何が起こると,パウロは答えていますか。(ロ)不法の者はどこまで高ぶりますか。
18 「だれがどんな事をしても,それにだまされてはならない。まず背教のことが起り,不法の者,すなわち,滅びの子が現われるにちがいない。彼は,すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり,自ら神の宮に座して,自分は神だと宣言する。わたしがまだあなたがたの所にいた時,これらの事をくり返して言ったのを思い出さないのか。
19 「不法の者」の出現とその最後について,パウロはなんと述べていますか。
19 「そして,あなたがたが知っているとおり,彼が自分に定められた時になってから現れるように,いま彼を阻止しているものがある。不法の秘密の力が,すでに働いているのである。ただそれは,いま阻止している者が取り除かれる時までのことである。その時になると,不法の者が現われる。この者を,主イエスは口の息をもって殺し,来臨の輝きによって滅ぼすであろう。不法の者が来るのは,サタンの働きによるのであって,あらゆる偽りの力と,しるしと,不思議と,また,あらゆる不義の惑わしとを,滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは,自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。そこで神は,彼らが偽りを信じるように,迷わす力を送り,こうして,真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を,さばくのである」― テサロニケ第二 2:1-12,〔新世〕。
20 「不法の者」はひとりの人ですか。説明しなさい。
20 ここで注目されるように,使徒パウロはにせクリスチャンの指導者を「不法の者」と呼んでいます。これがひとりの人をさすはずはありません。パウロのことばによれば,この者はパウロの時代にすでに働いており,主イエスの臨在の時に遂に滅ぼされることになっているからです。ひとりの人がそのように長く生きることはなく,またパウロが「不法の者」に帰している働きは,ひとりの人によって成し遂げられるものではありません。
21 (イ)「不法の者」はだれに対して不法を行ないますか。(ロ)その罪は真理から離れ去ることにありますか。それともどこにありますか。この者は他の人々にどんな感化を与えますか。
21 この「者」の不法はこの世の政府に対する不法ではありません。もっとも,彼らはそのような不法も時々行なってきました。キリスト教国の聖職者は世の支配者と親しく交わって政治に影響を及ぼそうとしてきたからです。時に政治支配者と手を結ぶことが不利益になると,彼らは政治支配者に対して不法を行ないました。しかしここで言われている不法は神に対する不法です。この者の行ないはキリスト教からの単なる脱落ではなくて背教であり,神の至上権に対する意識的また計画的な反逆です。人々を欺き,甘言を用いて人々を食い物にすることによって,この者は,神の名によって治める王イエス・キリストから人々をひき離します。聖職者は,エホバからつかわされた王すなわちメシヤを拒絶したユダヤ国民の宗教指導者にならっています。この「不法の者」の高ぶりは甚しく,「彼は,すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり」ます。18世紀のフランシスコ修道会の教会法学者ルシアス・フェラリスの次のことばはそのひとつの例を示しています。
22 「不法の者」が,「すべて神と呼ばれ(る)ものに反抗して立ち上が」った例をあげなさい。
22 「法王の威厳と権力は絶大であり,そのため法王は単なる人ではなく,いわば神また神の代理者である……法王はあたかも地上における神のような存在であり,地上の国と天国を治める権威を持つ最も偉大な王キリストの信徒の唯一の君である……法王の絶大な権力をもってすれば,神の律法を修正し,宣言し,解釈することもできる……法王は時には神の律法を限定,説明する等のことによって,それを手加減できる」。a
23 (イ)「不法の者」は何に敵対していますか。また崇拝の対象とされるあらゆるものの上に,どのように自分を高めますか。(ロ)またどのように「神の宮に座して」いますか。
23 不法の者は神の主権に敵対し,エホバ神ご自身のことばと律法に挑戦します。カトリックの聖職者ばかりではありません。同様な態度をとるキリスト教国のすべての聖職者がバビロン的な教理を教え,この世の政府と霊的な妥淫をしています。彼らは自分たちの言い伝えと意見を神のことばよりも重んじ,人々の霊的な指導者を自任しています。エホバの証人がある町,ある教会の附近で聖書の真理を伝道すると,彼らは自分たちのなわ張りを荒らされたと言います。彼らは,御国の音信を伝える,油そそがれたイエス・キリストの兄弟たち,すなわちまことのクリスチャンを歓迎せず,使徒のことばそのものをも尊重しません。しかも神の霊的な宮の生きた石であり,神の会衆の成員であると主張しています。
24 「不法の者」が現われる,すなわち目だつ存在となるのはいつですか。
24 パウロは,この背教が当時阻止されていたこと,しかし阻止する者がいなくなると,「不法の者」が現われ,勢力を得ることを預言しました。使徒たちの手紙を読むとわかるように,この阻止する者は使徒たちが死に,ついで使徒と直接に交わっていた人々が死んだことによって,いなくなりました。ゆえに背教は1世紀が過ぎてほどなくすると起きたのです。
強力なわざによって多くの人を欺く
25 (イ)「不法の者」はどんな「偽りの力と,しるしと,不思議」を示しますか。(ロ)人の目を驚かせるこれらの働きを,イエスはどう見られますか。
25 巧みに欺くために,「不法の人」は「あらゆる偽りの力」を働かせます。これは主イエス・キリストが行なわれたような奇跡ではなく,国家権力による改宗,国民全部の改宗,教会と国家との連合,十字軍などによるものです。このような強力なわざはキリスト教国のカトリック教会のみならずプロテスタント教会によっても行なわれてきました。宗教改革,政治への干渉,人々を宗教組識に束縛するための立法をうながすことなどがそれです。さらに,人々を畏怖させる「しるしと,不思議」,たとえば使徒職の継承,宗教会議,改革,宗教団体の経営する学校や病院,いやしを行なう霊場,カトリック・アクション,公会議,世界教会会議,法王の回状,国連への働きかけ,国連訪問その他多くの類似の事柄があげられます。彼らは霊媒術と占星術を承認することさえしており,政治家が国政に関して占いや霊媒に相談するのを大目に見ています。これらの働きは善行のように思われ,大衆や政治家に大きな感化を及ぼしているとしても,イエスを感銘させることはできません。イエスは次のように言われました。「その日には,多くの者が,わたしにむかって『主よ,主よ,わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また,あなたの名によって悪霊を追い出し,あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき,わたしは彼らにはっきり,こう言おう,『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ,行ってしまえ』」― マタイ 7:22,23。
26 神と真理に敵対した彼らに対して,神は何を報いますか。
26 ゆえに使徒パウロのことばどおり,これらの権力者が神の前に高ぶり,救われるために真理を愛することをしなかったゆえに,神は彼らがあやまりに陥るのをとどめず,彼らが偽りを信ずるのにまかせました。彼らは「滅ぶべき者」であり,サタンの偽りの道に従って行き,それを受け入れて遂に自分たちは聖なる者であると信じ,神の目をのがれられると考えるようにさえなりました。
27 (イ)サタンがまことのキリスト教を抹殺できなかったことは,どうしてわかりますか。(ロ)「不法の者」はどんな最後をとげますか。
27 このようにサタンはバビロン的な「不法の者」を用いて,まことのキリスト教との戦いに成果をあげました。しかしそれを抹殺することはできませんでした。今日の大きなにせものについて読み,理解を得,その正体を知ることができるという事実また御国の福音が100万人以上のクリスチャンによって世界中の人々に宣べ伝えられている事実が,それを証明しています。まもなく使徒のことばは成就されるでしょう。すなわち,いま天において力と大きな栄光を持たれる主イエスはみ口の霊によって不法の者を滅ぼし,その臨在の表われによって彼を無に帰せしめるでしょう。
28 バビロン的な宗教の偽りのわざを見破るのに,何が役だちましたか。しかし大いなるバビロンの正体をじゅうぶんに理解するには,さらに何を知る必要がありますか。
28 聖書の警告と1世紀の歴史の事実を考慮するとき,バビロンの宗教の武器となったにせものの正体を知り,大いなるバビロンとは何かについて,理解を深めることができます。しかし利己的な人々がはいり込んで勢力をのばし,背教を起こさせて「不法の者」となったことのみならず,これらの人々の手によってバビロンの教理がどのように背教のキリスト教に持ち込まれたかについて,なお歴史の事実を学ばなければなりません。それを知ることは,にせものの正体を見破るために必要です。この「不法の者」の甘言に欺かれて,大いなるバビロンの手に陥るならば,彼らと同じく,滅びることになります。これらの歴史上の事実は本誌の次号以下にとりあげる予定です。
[脚注]
a ローマカトリック教会の標準的な権威である教会辞典,パパの項。