人生にはこれ以上のものがある!
1 なぜ非常に多くの人は生活に喜びを見いだせないのでしょうか。(伝道 1:14,15; 2:17,18)
繁栄,平和,裕福な暮らし! これらはなんと望ましいものでしょう! しかし人々は毎日をどのように過ごしているでしょうか。扶養家族を持つ人々は,自分の好きでない仕事に就いていることが多く,また失業の脅威に絶えず直面する人も少なくありません。多くの主婦にとって,毎日は単調な骨折り仕事の繰り返しで,来る日も来る日もくつろげる時などほとんどなく,大きな満足も得られません。これから大人になる非常に多くの若い人々の将来の生活の見通しも,これとあまり変わりません。他の人より恵まれた生活をしていると考える少数の人にとっても,将来は不確実な暗いものです。
2 人類にとって将来はどんなものに見えますか。(イザヤ 60:2)
2 本当に人生にはこれ以上のものがあるのでしょうか。世界のどこを見ても,現体制はひどく病んでいるようです。エネルギー危機,止めどのないインフレ,食糧不足や環境汚染,革命,冷たい戦争や熱い戦争,核兵器の蓄積,人種問題,高まる一般大衆の不満等,世界は多くの問題を抱えています。人間の生活と生存を脅かす問題のないところは世界のどこにもありません。
3 なぜわたしたちは将来のことに関心を持つべきですか。(啓示 3:10)
3 『自分に影響がないかぎり,かまうものか』,という考えを持っている人もいるようです。しかし,それはなんと近視眼的な見方でしょう! これらの問題が,まもなくすべての人の生活に影響を及ぼすようになるという結論を免れることはできないのです。
4,5 (イ)人類の大多数はどんな態度を取っているように見えますか,なぜですか。(ロ)なぜ聖書に解決策があると考えられますか。(テモテ第二 3:16,17。ローマ 15:4。コリント第一 10:11)
4 人間の指導者たちは,実行できそうな種々の解決策を提案してきました。しかもそれらは,経済,科学,政治の分野における国際的規模のものでした。ですが結局はみなむなしく,満足のいかないものではありませんでしたか。提案された救済計画のほとんどは実行に移されることすらありませんでした。世界の指導者のうち,遠い将来を考慮に入れた真の解決策を示すことができる人はだれもいません。その結果,人類の大多数は生きる目的を失っているようです。「ただ食べたり飲んだりしよう。あしたは死ぬのだから」という態度が一般的になっています。
5 この最後に引用した言葉は,聖書のコリント第一 15章32節aにあります。しかし,積極的な見方を励ます文脈の中にあるのです。では,人類の抱えている諸問題の解決策が聖書にあるというのでしょうか。もちろん,聖書を信じない人はたくさんいます。しかし,世界情勢が,いつどうなるかわからない危険な状態にあることを考えるなら,今は聖書をもう一度見直すべき時かもしれません。結局,聖書は非常に古い歴史を持つ本であって,今から3,400年以上昔に書かれた部分もあります。そして聖書はあらゆる人種の人々から尊敬されてきました。聖書は最も多くの現用語に訳されており,その頒布数は,人類の歴史に登場した他のいかなる出版物をもはるかに凌駕しています。では聖書は,人生にこれ以上のものがあることを示していますか。
生活の諸問題に対する答えを見いだす
6 聖書はキリスト教世界をどのように見ていますか。(ヤコブ 1:27,5,3-5)
6 聖書を批判する人々の中には,キリスト教世界の前科,つまり貧しい人々から搾取したこと,また十字軍,異端審問,この20世紀における戦争などによって罪のない者の血を多量に流したことを指摘する人たちがいます。『もし聖書が人々にそのような行ないをさせるのであれば,わたしたちは聖書などいらない』と彼らは言います。しかし,そういう流血の罪を犯した人々は,実は,クリスチャンにあるまじき行為を覆う隠れみのとして聖書を用いたに過ぎないのです。聖書そのものが,キリスト教世界の行為を強く非難し,彼らが偽りのクリスチャンであることを示しています。聖書は,真に道徳的な生活を送ることを勧めているのです。
7,8 (イ)聖書はどんな質問に答えを与えていますか。(マタイ 7:7)(ロ)聖書は多くの人をどのように助けてきましたか。(詩 119:105,165)
7 また,聖書は非科学的で時代遅れであり,おまけに神話の本である,と主張する批判者もいます。しかし果たしてそうでしょうか。わたしたち人間は今日,生活に影響を及ぼす次のような重要な質問に対し,納得のいく答えを必要としています。すなわち,人間はどこから来たか,現在の状態は何を意味するか,人間は地球上から滅び去るか,人類にはどんな将来があるかなどです。
8 聖書は,人々がよく尋ねるこれらの質問や他の多くの質問に答えています。聖書は,神話などではなく現実の事柄を扱っているのです。事実,真の満足と心の安らぎをもたらす仕方で命を用いるよう世界各地の人々を導いてきました。聖書を調べるなら,人は聖書が自分の疑問に答え,生活に真の幸福を見いだすよう実際的な援助を自分に与えてくれることを知ります。聖書は生活を有意義なものにするのに役立ちます。
宇宙はどのようにして存在するようになったか
9,10 (イ)聖書によると,宇宙はどのように始まりましたか,(イザヤ 45:12,18)(ロ)宇宙自体,それが創造されたことをどのように証明していますか。(ヘブライ 3:4)
9 命についてすべてのことを知りたいと思う人が,答えを得なければならない基本的な疑問の一つは,生命の起源は何か,ということです。言い換えれば,人間はどこから来たのか,生きていることには目的があるのか,という疑問です。「神は天と地を創造された」と聖書は述べています。(創世 1:1)しかし現代の思想家は尋ねます。全能の神が ― 創造者が,本当にいるのだろうか。宇宙は進化の所産だと,多くの人が信じているのは事実ではないか,と。
10 あなたはプラネタリウムを見学したことがありますか。もしあるなら,丸天井に天体の正確な位置を投影するための複雑な機械装置や,太陽系の模型の正確な動きに,きっと驚かれたにちがいありません。人間の写真技術と工学技術は,なんと立派なものを作り出したのだろう,と思われたことでしょう。しかし,ちょっと考えてみてください。そのような宇宙の模型を考案するのに有能な人間が必要なら,広大な宇宙そのものを造るには,はるかに有能な知者がいなければならないはずです。
11 世の博学な思想家は何を認めることを余儀なくされましたか。(ローマ 1:20-23)
11 チャールズ・ダーウインが,宇宙はすべて進化の所産である,という学説を立てたのは19世紀のことでした。しかしあなたも,これらはみなだれが造ったのでもない,とお考えになりますか。生命は偶然に発生した,とお考えになりますか。知識人で,進化論に欠陥のあることを悟っている人は少なくありません。例えば,歴史家アーノルド・トインビーは次のように言いました。
「わたしは,ダーウインの進化論が,宇宙存在の由来らしきものの一つを,疑問の余地なく説明しているとは思わない」。1
当のダーウインでさえ,生命の源について論ずる際に,次のように述べています。
「神の存在を確信させるもう一つの原因は,感情ではなくて理性と関係があり,わたしの心を動かす……これは,過去を振り返ったり,遠い将来のことを考えたりする能力を持つ人間を含め,この広大ですばらしい宇宙が,全く偶然に,あるいは必要に迫られて,できたと考えることが極めて困難というか,むしろ不可能であることに起因する。このことを思い巡らすと,わたしは第一原因に注意を向けざるを得ない気持ちになる」。2
12 わたしたちは何を謙そんに認めるべきですか。なぜですか。(使徒 14:15-17)
12 そうです,偉大な第一原因,創造者,すなわち神が存在するに違いないことは,道理からして明らかです。人間の所有する最も強力な望遠鏡をもってしても,神の驚嘆すべき宇宙の広がりをほんのわずかしか探り得ないことを考えると,わたしたちは人間の知恵と能力が,神の卓越した知恵と力の前にはいかにも微々たるものであることを,謙虚に認めなければなりません。後ほど分かる通り,幸福で有意義な生活を楽しみたいなら,わたしたち人間は神を度外視することはできません。神は一定の目的をもって,この地球を含む宇宙を創造されたに違いありません。そのすばらしい目的について多くを学んでゆくにつれ,人生にはこれよりもはるかに多くのものがあることが分かるでしょう。
地球上の生命の始まり
13 神の創造物の中でこの地球はなぜ際立ったものですか。(詩 104:24)
13 では,広い宇宙の中にあるこの小さな点,つまり地球そのものに注意を向けてみましょう。この地球には特異な美しさがあります。地球は全体が色彩豊かであり,またすばらしく変化に富んだ生物に恵まれています。地球上には生命があります。月旅行をした宇宙飛行士の一人は,次のように描写しました。
「全宇宙の中で,たった一つ,色があるのは,われわれの地球だった。そこには,ロイヤル・ブルーの海,黄と茶の大陸,白い雲を見ることができた。それは全宇宙の中で見ることのできる最も美しいものだった。そこに住む人々は,彼ら自身が持っているものに気付いていない」。3
この地球が,広大な宇宙の中で一粒の宝石のようにひときわ目立っていることに疑問の余地はありません。確かに地球は生命で満ちています。そして確かに生命にはすべて目的があるに違いありません。ではその目的を知ることができるかどうか,調べてみましょう。
14 命はどこから来ましたか。どのようにして?(詩 104:30,31)
14 生命がどこから来たかを知るのは,それほど難しいことではありません。聖書記述者のひとりは,今から3,000年昔にその源を指し示して,次のように述べました。
「あなたの愛のこもった親切は何と貴重なのでしょう,ああ神よ!……命の源はあなたにあるからです。あなたからの光によってこそ,わたしたちは光を見ることができます」― 詩 36:7,9。
聖書の強硬な批判者の中にも,神が命の源であることを認めざるをえなかった人がいます。進化論者のダーウインでさえ,命は最初「創造者によって二,三の,あるいは一つの形態に吹き込まれた」4 に違いない,ということを認めました。しかし,『二,三の形態』に命を吹き込めたのであれば,神はなぜご自分が創造した幾百もの「種類」にその都度同じ方法で息を吹き込まなかったのでしょうか。聖書の述べるところによると,神はまさにそのことを行なわれました。各生物を「その類にしたがって」創造されました。(創世 1:12,21,24,25)神が最初の人間を創造された時のことは,次のような言葉で描写されています。
「それからエホバ神は,地面の塵から人を形造り,その鼻孔に命の息を吹き入れられた。そして人は生きた魂となった」― 創世 2:7。
聖書によると,人間の生命はわずか6,000年前にこのようにして,つまり神の直接の創造によって存在するようになりました。人生にこれ以上のものがあることを認識するうえで,この事実を理解することは肝要であると言えます。
15 命は偶然に発生しえましたか。(詩 100:3)
15 創造に関する聖書の率直な説明とは対照的に,進化論者による説明の中には幻想めいたものがあります。一例を挙げますと,進化論を信ずるある科学者はこのように書いています。
「昔々その昔,たぶん25億年ほど前のこと,強烈な太陽の光の降り注ぐ,そして有毒な大気に覆われた,アンモニアを含む海の中の,有機分子のスープのただ中で,たまたま自分に似た別のものをなんらかの方法で存在させうるようになった一個の核酸分子が生じた。その結果,他のものすべてが存在するようになった」。(下線は当冊子発行者による)5
あなたはこの説明に確信が持てますか。進化論者のレコムテ・ド・ヌーイは,一個のたん白質分子が,好条件に恵まれて,地球ほどの大きさの,化学物質の海の中で自分と同種のものを生み出しうる確率を計算しました。彼によるとそれは,10244(1にゼロが244つく数字)億年にわずか一度しか起こり得ません。6 ところが,生きた細胞は一個のたん白質分子で成るのではなく,幾百ものたん白質分子および他の多くの複雑な物質でできています。確かに生命は偶然に発生したのではありません。
16 進化論はなぜ「神話」と言えるかもしれませんか。(テモテ第一 1:3,4)
16 進化論には,事実と矛盾する点が非常にたくさんあります。例えば,各々その種類に従ってのみ繁殖し得るということは,植物,動物,人間等すべての生物を支配する,変わることのない遺伝の法則です。いろいろな形態の犬がいることからも分かるとおり,同一種類内では変化があるかもしれません。しかし犬の種類は常に犬を生み出します。ねこまたは他の種類の動物と交配することはできません。進化論者にとっては非常に残念なことに,岩石の中の化石は,種類と種類の間をつなぐいわゆる「欠けた環」を提出してはいません。そのうえ,「突然変異」,すなわち細胞質の変化は,進化論の主張することとは逆に,ほとんどいつも有害で人類の場合には,蒙古症や他の欠陥のある人間を生み出しています。ある著名な科学者たちが最近では進化論のことを,「神話」,7 「利口な憶測」,8 「科学の名をかたる最大のおとぎ話」9 と言うのも不思議ではありません。
17 どんな点で人間は動物よりもすばらしく造られていますか。(創世 1:27,28)
17 しかし人間そのものは「神話」ではありません。人間は生きています。「神の像」に造られ,良心によって支配され,知性を持つ道徳的な被造物としての人間の存在そのものが,すべての下等生物から人間を完全に区別しています。したがって,人間の生活は,動物のようにただ生きて行くだけのものではないはずです。人間と動物の間には大きな隔たりがあります。自分の子供をひとりひとり20年もの間世話し訓練する動物がいるでしょうか。愛,親切,先見,発明の才,美や芸術や音楽を鑑賞するなどのすばらしい特質を働かせ得るのは人間だけです。命を愛する人はみな,こうした能力を豊かに賦与されていることに感謝し,昔のダビデ王の次のことばに和すべきではないでしょうか。『エホバよ……われなんじに感謝す われは畏るべく奇しくつくられたり』― 詩 139:4,14,文。
「進化論」が人々の生活に及ぼした影響
18,19 進化論は(イ)道徳(詩 10:3,4)(ロ)支配者たちの態度(ヨハネ第一 3:15)にどんな影響を及ぼしましたか。
18 今日非常に多くの人々が進化論をすぐに信ずるのはなぜでしょうか。一つの理由は,進化論に同調するのが世間で人気のある,時流に乗ることだからです。また進化論は,創造者やその道徳律に対して貴任を感ずることなく『自分の思い通りのこと』をしたいと考える不道徳な人や,他からの干渉を嫌う人々に逃げ道を備えました。H・G・ウェルズは「世界史大系」の中で,進化論がどのように発達したかを説明し,こう述べています。「進化論は従来の道徳律に代わる建設的なものを……備えていなかった。その結果は道徳秩序の混乱である」。10 進化論は,生活を価値あるものにすることに対して何の貢献もしませんでした。
19 歴史家ウェルズは,進化論的教義がさらにどんな結果をもたらしたか,次のように述べています。「繁栄した者たちは自らを“生存競争”の勝利者とみなした。それは強く,こうかつな者たちが,弱く信じやすい人々を打ち負かすことであった……それで人間の群れの中の大きな犬のような者が他のものを征圧し服従させるのは当然であるとみなされた」。11 したがって進化論は,残虐な戦争をしかけるための言いのがれを“キリスト教世界”に与えました。「進化論とクリスチャン」という本は,1914年に起きた第一次世界大戦の悲劇と,その後のナチ主義の極悪非道な行為の原因はダーウインの教えにある,としています。12 同様に,進化論は共産主義を台頭させた責任の一端を負わねばなりません。カール・マルクスは,ダーウインの「種の起源」を読み,これは神に「致命的打撃」を与えるものだと言って歓喜した,と言われています。13 彼はまた次のように言いました。
「ダーウインの著書は非常に重要であり,歴史における階級闘争の根拠となる」。14
共産主義諸国は今日に至るまで,「適者生存」という進化論的教義に立脚した世界支配の目標を追求しています。他の諸国家も生存のための闘争に加わり,その結果が,この核時代大規模な軍備競争です。全人類の命が危険にさらされています。
20 進化論を信ずると,あなた自身の生活にどんな影響がありますか。(コロサイ 2:8)
20 このことはあなた自身の生活にどのように影響しますか。進化論に巻き込まれるなら,あなた個人にも大きな害が及びかねません。進化論が真実であるとすれば,生活は目的のない,無意味なものとなるでしょう。それは生存のための果てしない闘争にすぎないもの,そして行き着くところはただ死あるのみのものとなるでしょう。「適者生存」を信じる進化論者には,仲間の人間を愛し,品位のある道徳的な生活を送り,理性のない獣とは異なった振る舞いをする動機となるものがありません。進化論が人類に及ぼす影響には建設的なところが全くありません。命に関するどの質問にも,満足のいく答えを与えることができません。しかし聖書にはそれができます。
人生に問題が満ちている理由
21,22 (イ)人間の現在の状態は何に例えることができますか。(ロ)アダムはどんな“標識”に従いませんでしたか。その結果どうなりましたか。(創世 2:15-17; 3:17-19)
21 この事態は,美しい本道を車で旅行している一つの家族に例えることができるでしょう。その本道はすばらしい楽園の中を通っています。楽しい旅行をするための条件はすべてそろっています。ところがその家族は,「危険 ― 立入り禁止」と書かれた標識の立った広い道が横の方にあるのを目にします。そして好奇心と独立心に負けてその道に入り,本道からしだいに,遠く離れていきます。その道は最後に急な下り坂になっています。もはや車を制御することができません。本道に引き返すことは不可能です。ブレーキがきかなくなってしまいました。車を止めるものもありません。車はますます速いスピードで坂を下りて行きます。そしてついにがけからまっさかさまに落ちて果てます。
22 人類もこれと同じであることを聖書は示しています。神はエデンの園にいた最初の人間のために,『あなたはこの一つの果実を食べてはいけない』という“道路標識”をお立てになりました。最初の人間夫婦は,その簡単な命令に従うことによって,神に対する愛を示すことが求められました。しかし二人はそうしませんでした。故意に本道からそれて,神の裁きによる死と破滅に至る罪の道に入りました。ローマ 5章12節には次のように記されています。「ひとりの人を通して罪が世に入り,罪を通して死が入り,こうして死が,すべての人が罪を犯したがゆえにすべての人に広がった」。わたしたちはみな,不従順なアダムの子孫ですから,人類の親が楽園の中で享受した完全さとはかけ離れた,この不愉快な道を歩まねばなりませんでした。近年この道は全くでこぼこで不愉快なものになってきました。これは広い一方通行の道です。世の政治家も識者もだれ一人として引き返す道を示すことができないでいます。この道を歩んでいる人おのおのにとって,行き着くところは死です。そして人類世界全体の破滅がありうることは,疑う余地のないところとなっています。
23,24 (イ)ヨハネ 14章6節にはどんな意味がありますか。イエスに関してこれはどのように真実ですか。(ロ)その本道に戻ることは,あなたにどのような益をもたらしますか。(ヨハネ 3:16)
23 しかし,ご覧なさい! 一条の光線がわきの方にある一本の狭い道を照らしています。その広い道から本道に戻る道です。一見したところでは,とても狭く見えます。向きを変えてその道に入るのは難しいことでしょう。今平気で広い道を進んでいる人々の大家族は,この狭い道を無視することにします。彼らは群衆と共に行動するほうを好みます。大多数の人々はそのほうが都合がよく,一時的なスリルを与えてくれるので,その広い道を歩み続けます。前途の危険を知らせる一層の警告にも耳を貸そうとはしません。しかし,中には注意深い人たちがいて,方向を変えてこの狭い道に入って来ます。この道には幾分苦労があります。注意を怠ることはできません。しかしそのうちに楽しく歩める道となります。最後に彼らは復興した豊かな楽園にたどり着きます。その喜ばしい平和な楽園を目のあたりにするのは非常な喜びです!
24 聖書が示している通り,やはり同じことが人類についても言えます。大多数は自分勝手な生き方に固執し,群衆と共に破滅への広い道を歩みますが,引き返すための道は開かれています。神のみ子イエスは,この地上におられたとき,その道に注意を引き,「わたしは道であり,真理であり,命です」と言われました。(ヨハネ 14:6)イエスが地上で神のご意志を忠実に行ない,人類のために自分の命を犠牲にすることまでしたので,神はイエスを「命の主要な代理者」に任命されました。イエスはまた,「真理について証しする」ために,そして神の目的を知らせるためにも来られました。(使徒 3:15。ヨハネ 18:37)イエスだけが,美しい本道に戻る道を人類に示すことができます。その本道は,神の地上の楽園における幸福な生活を十分に享受するに至る道です。
25 なぜ楽園の地での生活は非常に望ましいものですか。(啓示 21:3,4)
25 あなたはそのような本道を通って,輝かしいものにされた,完全に健康で幸福な生活を永久に送る見込みのある地に入りたいとは思われませんか。そのような生活には確かに,今よりずっと多くのものがあるでしょう。
26 真理を本当に学ぶことはどれほど大切ですか。(ヨハネ 8:31,32)
26 わたしたちは,神が遣わされた命の主要な代理者に信仰を働かせることによって,そうした生活への「道」を見いだすことができるのです。生きる目的があり,満足のいく,実り多い人生が遠い将来に向かって延びているというしっかりした希望があると,生活は全く異なったものになってきます。では,その希望はどうすれば実現するでしょうか。イエス自身が,み父への祈りの中で,答えを与えています。「彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています」。(ヨハネ 17:3)聖書を勤勉に調べれば,真理を学ぶことができます。そしてそれを日常行なうなら,今からでも真の意味で生きることができるようになります。
あなたの生活に影響を及ぼす世界の状態
27 わたしたちは今どんな状況の下にありますか。(テモテ第二 3:1)
27 世界の状態は明らかに悪化しています。大都市では貧困と犯罪が増大しています。どこに住んでいようと,パンや肉は高くなっており,ただ命をつなぐためだけの費用が高騰しています。多くの場所では不法がまかり通っています。大きな暴力行為や戦争さえ,いつ起こるか分からないように見えます。人類はあたかも,破滅に至る最後の坂を猛烈な勢いで下っているかのようです。
28 あらゆる問題の背後にいるのはだれですか。その者のねらいは何にありますか。(コリント第二 4:4)
28 こうしたことすべての背後にある力は何でしょうか。それは邪悪な霊者,「大いなる龍,すなわち,初めからのへびで,悪魔またサタンと呼ばれ,人の住む全地を惑わしている者」です。悪魔は諸国家間の駆引きを背後であやつっています。しかしながら,調和と愛のうちに人類を支配するキリストの天の王国をもってサタンの権威に代える神の時は今や到来しました。それは,命を愛する者たちが幸福な永遠の命を楽しむよう,神が彼らを本道に連れ戻される時です。しかしサタンは引き下がろうとはしません。このゆえに,今日『地に災いが』来ているのです。「悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りをいだいてあなたがたのところに下ったから」です。(啓示 12:9,12)悪魔のねらいは,人類を破滅に陥れることです。
29 この時代に対する神の目的は何ですか。(詩 37:9-11)
29 疑問の余地はありません。今日,地上のどこを見ても,「全世界が邪悪な者」サタンの「配下にある」証拠があります。(ヨハネ第一 5:19)しかし神は,サタンにその邪悪な目的を遂げさせたりはされません。この世界社会の滅びが迫っているのは事実です。しかし神は命を救うことを意図しておられます。聖書に記されている預言の中で,神はそれをどのように行なうかを示しておられます。
聖書の預言はどのように命を救う助けになるか
30 わたしたちの時代に関する聖書の預言が成就することをなぜ確信できますか。(ペテロ第二 1:19-21。ダニエル 9:24-27)
30 多くの聖書預言はすでに著しい成就を見てきました。例えば,イエスがこの地上に姿を現わす何百年も前に,それらの預言は,イエスの生涯と死に関する多くの詳細な事柄のみならず,西暦29年から33年に及ぶイエスの伝道活動の正確な期間まで予告していました。それらの事柄はみな成就しました。また,イエス自身,幾つかの重要な預言をしました。その一つは,「事物の体制の終結」に関するものでした。その預言は,西暦一世紀のユダヤ教の事物の体制の上に,注目すべき成就を見ました。
31,32 西暦70年,預言はどのように命を救う助けとなりましたか。(ルカ 21:20-24)
31 マタイ 24章3節および15節から22節によると,イエスは,エルサレムが「嫌悪すべきもの」,すなわちローマ帝国の軍隊によって包囲されることを,前もって示されました。その預言の中でイエスは,クリスチャンがそれを見たなら,「山に逃げ」始めるべきである,と言われました。それから約33年後,その軍隊は実際にエルサレムに攻め寄せました。そして塁を築いて町を取り囲むとか,エルサレムの神殿の西壁のところまで侵入し「聖なる所」にまで立つなど,イエスの預言の多くの特色を成就しました。(マタイ 24:15)それにしても,この不可能に見える状態の中で,クリスチャンはどのようにして町から出て行けるのでしょうか。
32 ところが,はっきりした理由もなく,ローマ軍は突然撤退したのです。今やクリスチャンたちは,イエスの命令に従って,ヨルダン川の向こうの山地に逃げ,命を救うことができました。その後ローマ軍は,ティツス将軍に率いられて戻って来ました。そして西暦70年,エルサレムとその神殿は完全に破壊されてしまいました。歴史家ヨセフスによると,110万にのぼる国家主義的なユダヤ人が,包囲と飢きんと剣によって命を奪われ,9万7,000人が捕えられて奴隷にされました。しかし,本当に命を愛した人々は,聖書の預言に従うことによって難を逃れました。
33 今日のどんな状況は,ユダヤ教の体制の終わりの日を思わせますか。(ルカ 21:25,26)
33 イエスは,第一世紀のそれら予告されていた事件を,西暦1914年以後の時代に生ずる,世界を揺るがす出来事の型として用いていたのです。今日においても命を救う必要があります。というのは,「事物の体制」,すなわちサタンの支配下にある全世界体制の「終結」の時が到来したからです。1914年以降のいろいろな出来事は,それが事実であることをはっきりと示しています。『国民が国民に敵対して立ち上がり』,第一次世界大戦の大量殺りくを行なうに及んで,その年は,イエスの預言の最終的な成就として「苦しみの劇痛のはじまり」を見ました。これに続いて,予告されていた通り,「大きな地震……疫病や食糧不足」が生じました。次いで,第一次世界大戦よりもはるかに恐ろしい第二次世界大戦がぼっ発し,そして現在では『不法の増加』が地を悩ましています。(マタイ 24:7-13。ルカ 21:10,11)諸国民は苦もんしています。だれも逃げ道を知りません。
34 命を救うために神はどのように行動されますか。(ダニエル 2:44)
34 しかし,神は知っておられます。神は,地の利己的な諸王国,すなわち諸国民を裁くことについて述べ,「決して破滅に至らされることのない」,そして「これらの王国をすべて打ち砕いて終わらせる」,「一つの王国を建てる」と宣言しておられます。(ダニエル 2:44)その時その王国は,イエスの王国支配を受け入れる人すべてに,平和な状態の下での命を授けます。そのように命を求める人々すべてを援助するため,真のクリスチャンは今日,イエスの偉大な預言のさらに別の部分を成就すべく,命を救う業に従事しています,「そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」― マタイ 24:14。
35 (イ)いつ,どのように終わりは来ますか。(ロ)預言に注意することはどのように益になりますか。(ルカ 21:34-36)
35 もちろん,わたしたちはいつその「終わりが来る」かを知ることに,非常な関心を抱いています。実際に自分の命がかかっているからです,ヨブ記 24章1節には,「全能者にとって審判の日は秘密ではない。もっとも彼を知る者たちはその日を全く知らないが」と記されています。(新英語聖書)しかしその日は迫っているに違いありません。というのは,西暦1914年に「苦しみの劇痛」が始まったのを見た人々について,イエスはこう述べておられるからです。「これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません」。(マタイ 24:34)「これらのすべての事」の中には,今日の腐敗した社会の滅びが含まれています。イエスがその前に説明されたとおりです。「その時,世のはじめから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難があるからです。事実,その日が短くされないとすれば,肉なるものはだれも救われないでしょう。しかし,選ばれた者たちのゆえに,その日は短くされるのです」。(マタイ 24:21,22)もしその「大患難」が短くされないなら,人類そのものが地上から滅び去ってしまうでしょう。しかし,幸いにも,神を愛する人々はみな,滅びを逃れることができるでしょう。「エホバはご自分を愛する者をすべて守っておられる。しかし,邪悪な者はすべて滅ぼし尽くされる」。(詩 145:20)聖書の預言に注意を払うなら,あなたも逃れて生き続けることができます。
とこしえの命に至る,生き残るための道
36 あなたはヨハネ第一 2章15節から17節を日常生活にどのように当てはめますか。(マルコ 12:28-31)
36 あなたは生存者のひとりになるでしょうか。それは,まっしぐらに滅びに向かう広い道を離れるかどうかにかかっています。命に至る道に沿って立ててある道路標識に従うかどうかにかかっています。本当に生きることを望んでおられるなら,それは決して難しい道ではありません。それは神と隣人を愛することを学ぶ道です。ヨハネ第一 5章3節に,「そのおきてを守ること,これがすなわち神への愛だからです」とあるとおりです。ヨハネのこの手紙の初めのほうには(2:15-17),神がわたしたちに求めておられる事柄が一部述べられています。
「世も世にあるものをも愛していてはなりません。世を愛する者がいれば,父の愛はその者のうちにありません。すべて世にあるもの ― 肉の欲望と目の欲望,そして自分の資力を見せびらかすこと ― は父から出るのではなく,世から出るからです。さらに,世は過ぎ去りつつあり,その欲望も同じです。しかし,神のご意志を行なう者は永久にとどまります」。
神の保護と恵みを受けて「大患難」を無事通過し,復興した楽園に入って永遠に生き続けるためには,不道徳,貪欲,不正直,偽りを言うこと,盗むこと,世の紛争など,神が憎まれる事から離れなければなりません。そうすることによって,今の生活を生きがいのあるものに変えることができます。
37 (イ)わたしたちはどんな点で「世のもの」であってはなりませんか。(ヨハネ 15:17-19)(ロ)神の王国に対する支持をどのように示すことができますか。(マタイ 6:33)
37 イエスご自身,弟子たちについて,「わたしが世のものではないのと同じように,彼らも世のものではありません」と言われました。(ヨハネ 17:16)このことを自分の生活にどのように当てはめますか。それは,この世の神であり支配者である「邪悪な者」サタンの支配下にあって,実際には破滅に向かっているこの世の企てや計画から離れるべきことを意味します。日常生活において,神の支配と相いれないこの世的な活動に参加しないことが必要です。マタイ 24章3節と25章31節が示しているように,「事物の体制の終結」のしるしは,また,イエスが王国の権をもって天に「臨在」しておられるしるしでもあります。したがって,1914年から次の預言が成就しています。「世の王国はわたしたちの主[神]とそのキリストの王国となった。彼はかぎりなく永久に王として支配するであろう」。(啓示 11:15)今こそその王国に支持を与えるべき時です! わたしたちの将来の命は神の王国にかかっています。ではわたしたちは,この時代の戦争や革命,政治運動,この世的な企てなどを,良心的に支持できるでしょうか。それらが目的を達成しえないことは明らかです。それらは,神の王国のみがよく成しうることを,成し遂げる,と主張しているからです。全体制は滅びに定められています。ですから,それを一時的に繕う試みにどうして参加することがありますか。むしろ,確かな解決策,すなわち神の王国を,心から支持しましょう。
38 わたしたちは今日,支配者たちに対しどんな態度取るべきですか。(ルカ 20:25)
38 これは,わたしたちが無政府主義者にならなければならない,ということですか。決してそうではありません! というのは,「神は無秩序の神ではなく,平和の神」だからです。(コリント第一 14:33)ですから神は,今ある諸政府が存続する限り,その法律に従い,その支配者たちを敬うよう求めておられるのです。ローマ 13章1節には,「すべての魂は上にある権威に服しなさい」とあります。これは,税金を払い,また神の律法に反しない限り「カエサル」(政府)の法律をすべて守ることによって,カエサルが当然受けるべきものをカエサルに与える,ということです。―マルコ 12:17。
39 隣人愛はどのようにして示せますか。(コリント第一 13:4-7)
39 神を愛することに加えて,隣人に対する愛をも示さねばなりません。それを始めるのにいちばん良いところは,自分の家庭です。しかしどうすればそれができるでしょうか。聖書はコロサイ 3章18節から21節で,簡潔にこう述べています。
「妻たちよ,夫に服しなさい。それは主にあってふさわしいことだからです。夫たちよ,妻を愛しつづけなさい。妻に対して苦々しく怒ってはなりません。子どもたちよ,すべての事において親に従順でありなさい。これは主にあって大いに喜ばれることなのです。父たちよ,あなたがたの子どもをいらいらさせて気落ちさせることのないようにしなさい」。
一致した家庭を築き上げるための本当に立派な土台です。そして家庭の中だけでなく,他のすべての人々との関係においても,わたしたちは「同情心,親切,へりくだった思い,柔和,そして辛抱強さ」などの特質を培うことができます。そして最も重要なのは何でしょうか。「これらすべてに加えて,愛を身に着けなさい。それは結合の完全なきずななのです」― コロサイ 3:12,14。
40 エホバの証人はどんな人々ですか。(ヨハネ 13:34,35)
40 神と隣人に対するこの愛を実際に生活の中で行なっているグループが今日地上にあるのか,とあなたはお尋ねかもしれません。そういうグループがあるのです。ご近所に王国会館があるなら,そこへ行くだけで,彼らを見つけだすことができます。彼らは国際的なグループで,幾百万という数の人から成っています。大多数がごく普通の人々であり,その背景も,ほとんどの隣人のそれと変わりません。そしてたいてい,その地域社会の他の人々と同じように,日々の仕事に励んでいます。しかし,彼らが第一に愛しているのは自分たちの神です。彼らは神のご意志が地上で行なわれるのを楽しみにし,ご意志に沿った生活をしています。ですから,聖書を勉強し,その原則を日常生活に当てはめることや,聖書の音信を隣人に伝えることに熱心です。彼らはエホバのクリスチャン証人です。あなたの町にある王国会館に行ってエホバの証人に会ってご覧になるのはいかがですか。そこには儀式もなければ,寄付盆が回されることもなく,堅苦しい形式主義もないことがお分かりになるでしょう。その代わりに,今でさえ生活から大きな満足を得,さらに楽園の地で完全になって受ける永遠の命を待ち望む,心の暖かい人々を見いだされるでしょう。
41 証人たちは大きな問題をどのように解決しましたか。(使徒 10:34,35)
41 あなたは,こうした希望を持ちそれによって生きている人々と交わりたいとは思われませんか。エホバの証人の間には,聖書の原則に従って生きることによりもたらされた世界的な一致が見られます。戦争,人種差別,国家主義など,諸国民が幾世紀にもわたり解決しようとして成し得なかった問題が,彼らの間ではすでに解決されています。聖書に従って生活するので,彼らの間には基本的にいって,暴力行為,犯罪,不正直,不道徳などに関係した問題がありません。社会的病弊に悩まされてもいません。まれにしかないことですが,彼らのうちのだれかが重大な過ちを犯した場合でも,その人が悔い改めるなら,愛をもって復帰させます。神が「ひとりの人からすべての国の人を作って地の全面に住まわせ」たことを知っているので,個々の人を見るときに,その人の社会的地位や教育のあるなし,国籍,または皮膚の色といったことに影響されません。―使徒 17:26。
人生にこれ以上のものがある理由
42 命を愛する人にはどんな将来が用意されていますか。(詩 72:1-8)
42 命を愛し,命を守るために今行動する人々には,輝かしい将来が待ち受けています。それはどんな将来でしょうか。今日,人類の非常に多くが経験しているような単調な生活ではありません。「以前のもの」,つまり現体制に見られる悲しみ,死,痛みなどは『過ぎ去り』ます。それに続いて何が起きますか。神ご自身が,「見よ! わたしはすべてのものを新しくする」と宣言しておられます。(啓示 21:4,5)新しい体制の下では,天の王イエス・キリストが,「永遠の父」として愛をこめて全人類を支配されます。「君としての[イエス・キリストの]支配の豊かさと平和とには終わりがない」のです。公正と義がその王国の基となります。(イザヤ 9:6,7)そうした状態のもとでの生活は,どんなにか満ち足りた楽しいものとなることでしょう! その生活には,仲間の人間に対して愛を抱き,地上で神のご意志を行なうという目的があります。イエスは,墓の中にいる者も「彼の声を聞いて」出て来て,その楽園の地を楽しむ,と約束しておられます。―ヨハネ 5:28,29。
43 どうすればあなたの命は救われるかもしれませんか。(ゼパニヤ 2:2,3)
43 この「現在の邪悪な事物の体制」はまさに,広い道から飛び出して破滅に落ち込もうとしています。しかし,あなたも一緒に落ち込む必要はありません。神ご自身の民,つまり命を愛する人々と交わるなら,流血の罪を持つ地の諸国民を滅ぼすために神が来られる時に,命を救われるかもしれません。
「行け,わたしの民よ。あなたの奥の部屋に入り,あなたのうしろの戸を閉じよ。弾劾が過ぎ去るまでしばし隠れよ。見よ! エホバはご自分の所から出て来て,ご自身に対する地の住民の過ちの釈明を求められるからだ。地はその上に流された血をまさしくあらわにし,その上で殺された者たちを,もう覆わない」― イザヤ 26:20,21。
44 あなたの前には今どんなすばらしい機会がありますか。(申命 30:19,20)
44 それで,聖書の規準に従って真に生きることを今始めるなら,あなたは,熱意のある,進歩的な神の民の社会と共に,生きて「大患難」を通過し,死んでこの地上から消滅するということはなくなるかもしれません。事実,現在生きている「大群衆」は死ぬことがない,と確信をもって言うことができます。
45 (イ)現在,また将来に役立つのは何ですか。(テモテ第一 6:11,12)(ロ)人生にこれ以上のものがあるということに対する認識を,どうすれば示せますか。(テモテ第一 6:17-19)
45 全世界にいるご自身の証人の活気ある社会の中に,エホバは,今すぐに役立つあるものを生み出されました。それはあなたにも役立ちます。そしてついに『息あるものがみな』命の授与者エホバ神を賛美する楽園の地においては,めざましい働きをすることでしょう。(詩 150:6)確かに,人生にはこれ以上のものがあるのです!
引用資料
1. 「インテレクチュアル・ダイジェスト」,1971年12月号,59ページ。
2. 「チャールズ・ダーウイン: その生涯」,第3章66ページ。
3. 1969年1月16日付,読売新聞東京版。
4. チャールズ・ダーウイン著,「種の起源」,巻末の文。
5. アイザック・アシモフ著,「命の源泉」,1960年発行,224,225ページ。
6. レコムテ・ド・ヌーイ著,「人間の運命」,1947年発行,34ページ。
7. ミシガン州立大学教授ジョン・N・ムーア,1971年12月27日付の新聞,5ページ。
8. アイザック・アシモフ著,「命の源泉」,1960年発行,85ページ。
9. M・S・ケリングサン,1970年11月26日付「グローブ・アンド・メール」紙トロント発行,46ページ。
10. H・G・ウェルズ著,「世界史大系」第三版,1921年発行,956ページ。
11. 同上,957ページ。
12. フィリップス・G・フォザギル著,「進化論とクリスチャン」,1961年発行,17ページ。
13. ヒンメルファーブ著「ダーウインとダーウインの革命」,398ページ。
14. J・D・バーナル著,「マルクスと科学」,1952年発行,17ページ。
[脚注]
a 表示がなければ,この冊子の引用聖句は,現代語の「新世界訳聖書」からの引用です。
[6ページの図版]
優れた科学者は,太陽系の模型を作った。広大な宇宙そのものを作るには,はるかに偉大な知性が要求されないだろうか
[8ページの図版]
ある宇宙飛行士は,地球のことを,「全宇宙の中で見ることのできる最も美しいもの」と言った。それは神が創造した生命がそこに存在するからである
[10ページの図版]
犬には多くの形態があり,それらは交配することができる。しかしねこのような別の“種類”と交配することはできない
[11ページの図版]
1971年11月21日付 シアトル・タイムズ紙
強力な反論を呼ぶ進化論
1971年12月27日付 ワシントン・デーリー・ニューズ紙
染色体数からくる矛盾 ダーウィンは結局間違っていたのか
1973年5月3日付,ペンシルバニア州イーストンのエキスプレス紙
進化ではなく神が人間を創造したのだと科学者たちは言う
これは,上記英文刊行物の記事を訳したものです
[12,13ページの図版]
人間と動物の間の大きな隔たりを埋めることは不可能である。この二つは別々に創造された“種類”である
[15ページの図版]
人間はすばらしい楽園の中で生きるように創造された。しかしその喜びを維持できるかどうかは,従順であるかどうかにかかっていた
[20ページの図版]
ティツスの凱旋門(ローマ)に見られるこの浮き彫りは,西暦70年におけるエルサレムの破滅を歴史として記録している
[21ページの図版]
聖書の預言に注意を払うことは,一世紀のクリスチャンたちの命を救った。同様にそれは今日あなたの命を救うものとなる
[23ページの図版]
『第一次世界大戦は全面戦争の世紀を招来した。……これほど多くの国家が参戦したことはかつてなく,またこれほど広範囲に,かつ無差別に殺りくが行なわれたこともなかった』― H・W・ボールドウィン著,「第一次世界大戦」
[23ページの図版]
推定四億の人々が,深刻な食糧不足に苦しんでいる
[29ページの図版]
神を敬う人々の新しい社会は真の命を享受し,神を永遠にほめたたえる