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花むこと花嫁は家族の養育にとりかかるものみの塔 1967 | 12月1日
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が死んでいるにもかかわらず,神は彼らの神であると言われました。「神は死んだ者の神ではなく,生きている者の神である」。見た幻を書きしるすことをヨハネに命ずる前に,神はヨハネにこう言われます,「事はすでに成った」。なぜならその成就は確実だからです。―イザヤ 46:10。マタイ 22:32。黙示 21:6。ローマ 4:17。
14 「アルパでありオメガである」という神の称号は,何を保証していますか。
14 これらの事柄の成就を信じますか。神はないものをあるかのごとくに見なされることを示して,忍耐強くこう言われます,「わたしは,アルパでありオメガである。初めであり,終りである」。使徒ヨハネが黙示録を書いたギリシャ語において,アルパはアルファベットの最初の文字,オメガは最後の文字です。ゆえにエホバがここで告げていられるのは,全能者であり目的をたてるエホバが一つの事を始められると,それは必ず成就するということです。どんな妨げや干渉もそれを未完成に終わらせることはありません。―黙示 21:6; 1:8; 22:13。
15 「かわいている者には,いのちの水の泉から価なしに飲ませよう」と言われたエホバのことばを説明しなさい。
15 神のお約束にはこのように確かな基礎があるので,確信をいだいて神の次のすすめを受け入れることができます。「かわいている者には,いのちの水の泉から価なしに飲ませよう」。(黙示 21:6)詩篇 36篇9節はエホバに語りかけており,「いのちの泉はあなたのもとにあり」と述べています。永遠につづく完全で幸福な生命を渇望する人はだれでも,生命の偉大な源つまり泉であるエホバ神からそれを得なければなりません。すべての良いものは,アルパなるエホバ神から出ます。かわく者は,生命を与え,生命を支えるこの水を金や銀その他の物質で買うのではありません。それは無料ですが,エホバご自身の条件にしたがって与えられます。それで生命の水は御子イエス・キリストをとおして受け入れねばなりません。
16 黙示録中8番目そして最後の,忠実を励ますエホバのことばは,だれに,またなぜ与えられましたか。
16 ついで神は,神の霊的な相続者であり,キリストの共同相続者である14万4000人のうち地上に残る者たちにむかって語り,忠実を励ます黙示録中8番目の,そして最後のことばの中で「勝利を得る者は,これらのものを受け継ぐであろう。わたしは彼の神となり,彼はわたしの子となる」と言われています。(黙示 21:7; 2:7,11,17,26; 3:5,12,21)天にあるものを確実に受け継ぐために,14万4000人のうちの残れる者は,神の主要な御子と同じく悪の世に勝たなければなりません。(ヨハネ 16:33。黙示 3:21)まもなく悪の制度が火のような滅びにあって消滅し,勝利の新しい秩序がもたらされるまで,彼らは神への忠実を守り,また婚約した花嫁として霊的,道徳的な清さを保つことによって,世に勝ちつづけねばなりません。
すべての者が花むこの子となるのではない
17 地上のすべての人が花むこと花嫁の子たちになりますか。説明しなさい。
17 地上の全人類は自動的に花嫁と花むこの子となり,エホバ神の永遠の大家族の中に迎え入れられますか。そうではありません。ヨハネはそうされない人々のことを次に描写しています。「しかし,おくびょうな者,信じない者,忌むべき者,人殺し,姦淫を行なう者,まじないをする者,偶像を拝む者,すべて偽りを言う者には,火と硫黄の燃えている池が,彼らの受くべき報いである。これが第二の死である」。(黙示 21:8)これらのことを行なう者は世に勝っていません。彼らは世の行ないである肉のわざにふけっているからです。彼らは人類の罪深い先祖アダムのわざにならい,「淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」である大いなるバビロンの型にならっています。人殺し,淫行,性の不道徳にふける者,霊媒術,占い,魔術を行なって大いなるバビロンに従う者,「獣」と現代における獣の「像」の崇拝者をも含む偶像崇拝者さらには「偽りの父」悪魔にならって偽りを言う者 ― このような者は世に勝っておらず,ハルマゲドンにおいて滅びるでしょう。新しい地においてもこれらの事柄は忌むべきものとされ,それを行なう者がいつまでも生きることは許されません。―ヨハネ 8:44。黙示 17:5,6; 18:23,24。
18 (イ)反逆する者たちはどんな死に陥りますか。(ロ)「火の池」とはなんですか。
18 このような人々は,生命の水の泉から汲むことができるのにそれを拒絶して飲もうとはせず,みずからの生命を失います。その死はアダムに由来する死ではなく,彼ら自身の反逆と悪がもたらした死です。それは「火と硫黄の燃えている池」によって象徴される永遠の死です。(黙示 21:8)人間に不滅の魂があって死後も意識がつづき,硫黄の燃える火で永劫の苦しみを受けるということはありません。この死は復活のない死です。アダムに由来する死に対して,イエスの手にかぎがありますが,第二の死に対してかぎはありません。(黙示 1:18)第二の死はアダムに由来する死とは全く別のものです。そのへびである龍,サタン悪魔がアダムに由来する死を味わうことはありません。しかしサタン悪魔は火の池の象徴する「第二の死」に投げ込まれ,「獣」と「にせ預言者」もそこに入れられます。それで「火の池」は人であると物であるとを問わず,永遠の滅びの象徴です。なくなるのはアダムに由来する死であって「第二の死」ではありません。第二の死に陥る者はあがなわれることはなく,永久にそこにとどまります。
19 (イ)花むこと花嫁は,その家族の一員になるのを望まない人々のことをなぜ嘆きませんか。(ロ)千年統治の間,花むこと花嫁は家族の養育に加えてどんな事を家族に対して行ないますか。(ハ)地上の人にだれの家族の一部となりますか。
19 このような者たちの死は,花むこにも花嫁にも悲しまれないでしょう。彼らはサタンと同じ悪の精神を示したからです。彼らが地上から消え去っても,悲しみの涙を流す者はいません。千年統治の間,花嫁と花むこは家族の養育に専心するかたわら,美しい住居すなわち地上の楽園を建設するわざにもその子たちを導くでしょう。それで千年が終わり,ふさわしくない者が「火の池」に滅びてのちは,何十億人の大家族が地上の楽園における幸福な生命を永遠に享受することになります。(詩 37:10,11。ローマ 8:21)愛された忠実な御子の婚姻にかかわる神の目的は成就して栄光の結末に達し,人類は「神の子たち」として天の父の家族の中に迎え入れられます。
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幸福な偶然の一致ものみの塔 1967 | 12月1日
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幸福な偶然の一致
● 1946年から1948年まで,西ドイツの米軍基地でひとりのアメリカ兵はドイツ人の文官と一緒に働き,親友になりました。何回も転属してのち二人は1951年に再会して,その翌年まで一緒に働きました。ふたりの妻たちがエホバの証人との聖書研究を始めたのはこの期間でした。それに対して兵士は無関心であり,ドイツ人は反対していました。
1952年にこの二家族は別々になり,15年もの間,互いの消息を知りませんでした。そして,このふたりは今年の2月になってニューヨークのサウス・ランシングで再会しました。ふたりとも,そこで2週間にわたって開かれている,エホバの証人の監督と補佐のための研修課程,御国宣教学校に参加したのです。こんなにも長い年月ののちに,しかも唯一の真の神,エホバへの崇拝のうちに一致して会うとは何という喜びでしょう。
学校で一緒に席について,互いの生活についてたずね合ったとき,ひとりの妻がどのように夫に興味をおこさせたか,他方,もうひとりの妻がどのように夫の反対を克服したかが興味深く語り合われました。また,ふたりとも1953年に勉強を始め,両方が2か月違いで1956年に浸礼を受け,それぞれが最初に会衆内の奉仕のしもべに同じ1958年に任命されたのも,興味深い事柄です。そして今,1967年にふたりとも御国宣教学校の第90期生として参加したのです!
この奉仕者たちは,共に生涯の新しい出発を与えられた祝福に対してエホバ神に感謝し,その御名にいっそうの誉れをもたらすために用いられたいと希望しています。
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