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監督たち,あなたの宣教を全うしなさいものみの塔 1962 | 8月15日
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17 なぜ監督は勤勉に働いて委ねられたものをよく管理すべきですか。イエスは監督としてどんなよい手本を残しましたか。
17 特に監督は,委ねられた貴重なものとして,地上における王の事柄を忠実に管理する責任を持っています。そして各自のなした仕事に対して王が申し開きを求める時を待ちます。あなたの務は重く,要求されている事柄を勤勉にはたそうとして働くとき,つかれを覚えるかも知れません。他方,あなたの務は自分にとって小さいもののように見え,従ってあなたはそれに余り注意していないかも知れません。小事に忠実な者は大事にも忠実なことを忘れてはなりません。エホバから与えられたどんな責任をも,ことごとく忠実にはたしなさい。自分の務をよく行なえるように,何時でも力と知恵をエホバに求めなさい。この点でイエスは監督としての良い手本を残しました。「わたしの食物というのは,わたしをつかわされたかたのみこころを行い,そのみわざをなし遂げることである」。(ヨハネ 4:34,新口)後にイエスはエホバに次の祈りをしました,「わたしは,わたしにさせるためにお授けになったわざをなし遂げて,地上であなたの栄光をあらわしました」。―ヨハネ 17:4,新口。
18 使徒パウロは監督あるいは神の制度内の管理人として,どのように良い手本ですか。
18 使徒パウロは,自分がキリストにならったように他の人々がパウロにならうことをすすめました。自分に委ねられた務を論じて,パウロは次のように言っています,「わたしが福音を宣べ伝えても,それは誇にはならない。なぜなら,わたしは,そうせずにはおれないからである。もし福音を宣べ伝えないなら,わたしはわざわいである。進んでそれをすれば,報酬を受けるであろう。しかし,進んでしないとしても,それは,わたしにゆだねられた務なのである」。(コリント前 9:16,17,新口)後日,パウロは聖書におさめられた,その最後の手紙の中でテモテに次のことを述べました,「わたしは,すでに自身を犠牲としてささげている。わたしが世を去るべき時はきた。わたしは戦いをりっぱに戦いぬき,走るべき行程を走りつくし,信仰を守りとおした。今や,義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には,公平な審判者である主が,それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく,主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう」。―テモテ後 4:6-8,新口。
19 エホバの制度内のいっそう大きな特権に対して,すべての人はどんな態度をとるべきですか。偉大な監督エホバの導きにどのように従うかに応じて,各人はどんな報いを得ますか。
19 監督たち,良い手本となった人々にならい,忠実をあらわし,宣教を全うしなさい。補佐の僕と司会者たち,野心と貪欲を持たずに新世社会内で更に重い責任をになえるように準備して,更に大きな特権を求めなさい。監督であっても,良いたよりの謙遜な伝道者であっても,使徒パウロがヘブル人に与えた助言を心に留めなさい。「あなたがたの指導者たちの言うことを聞きいれて,従いなさい。彼らは,神に言いひらきをすべき者として,あなたがたのたましいのために,目をさましている。彼らが嘆かないで,喜んでこのことをするようにしなさい。そうでないと,あなたがたの益にならない」。(ヘブル 13:17,新口)今は検閲の行なわれる日です。エホバは,あらゆる国民の中から,御子の国の下に住み,永遠の生命を得るにふさわしい者たちを集められています。このことはヨハネに与えられた幻の中で,義にうえかわく人々を受け入れるために門を開け放した,輝く都のさまにたとえられています。「しかし,汚れた者や,忌むべきこと及び偽りを行う者は,その中に決してはいれない。はいれる者は,小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである」。―黙示 21:27,新口。
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ラジオによる良い宣伝ものみの塔 1962 | 8月15日
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ラジオによる良い宣伝
タークス・カイコス島に,開拓者が派遣されて,驚いた事には,彼が家から家に訪ねていくと,皆が彼の名前を呼んだ事です。どうして人々は彼の名前を知っていましたか。明らかにラジオで「ものみの塔の宣教者W氏が,此の島にやって来ます」と前以って発表されていたからでした。―1962年エホバの証者の年鑑より。
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