聖書の10番目の書 ― サムエル記第二
筆者: ガドとナタン
書かれた場所: イスラエル
書き終えられた年代: 西暦前1040年ごろ
扱われている期間: 西暦前1077年-1040年ごろ
1 サムエル記第二はどんな背景のもとに始まっていますか。その記述はどのように進展しますか。
イスラエル国民は,ギルボアでの惨事や,その結果生じた,勝ち誇るフィリスティア人による侵略のために絶望状態にありました。イスラエルの指導者たちやその若者たちの精鋭は死んでしまいました。このような背景のもとで,『エホバの油そそがれた者』であるエッサイの子の若いダビデは,国家的舞台いっぱいに登場しました。(サムエル第二 19:21)こうして,エホバとダビデの書とも呼べるサムエル記第二の書が始まります。その物語はあらゆる活動で満ちています。話の筋は敗北のどん底から勝利の絶頂へ,争いで分裂した国民の苦悩に満ちた時期から連合王国の繁栄の時期へ,活力のある青年期から知恵を備えた老年期へと進められて行きます。そこには,心をつくしてエホバに従うことに努めたダビデの一生が詳細に記されています。a その記述はすべての読者に心を探らせるものとなり,読者は創造者と自分自身との関係や自分の立場を強化することができます。
2 (イ)この書はどうしてサムエル記第二と呼ばれるようになりましたか。(ロ)その筆者たちはだれですか。どんな資格を持っていましたか。彼らはどんな記録だけを保存しようと努めましたか。
2 実際には,サムエルの名はサムエル記第二の記録の中では触れられてさえいません。ただ,この書は元来,サムエル記第一と共に一つの巻き物,つまり一巻の書だったので,その名がこの書に付されているようです。サムエル記第一を書き終えた預言者ナタンとガドは,サムエル記第二のすべてを書き続けました。(歴代第一 29:29)二人はこの仕事をする十分の資格を身につけていました。ガドはダビデがイスラエルで無法者として追われていた時にも彼と共にいましたし,ダビデの40年にわたる治世の終わりに際しても,なお活発にこの王と交わっていました。ガドは,愚かにもイスラエルの人数を数えたダビデに,エホバの不興の言葉を申し渡すのに用いられた人でした。(サムエル第一 22:5。サムエル第二 24:1-25)ダビデの親しい仲間である預言者ナタンの活動期間は,ガドの生涯の期間と一部重なり合っていますが,さらにそれより後にまで及びました。ダビデとのエホバの重要な契約,つまり永遠の王国のための契約を知らせるのは,ナタンの特権でした。バテ・シバにかかわるダビデの大きな罪とそれに対する罰を勇敢に,また霊感のもとに指摘したのも,ほかならぬナタンでした。(サムエル第二 7:1-17; 12:1-15)こうしてエホバは,その名が「[神が]お与えになった」という意味のナタンと,「幸運」という意味のガドを用いて,霊感を受けた有益な情報をサムエル記第二の中に記録させました。これらのつつましい歴史家たちは自分自身の記憶を保存しようとはしませんでした。ですから,自分たちの先祖のことや個人の生活については何の情報も述べられていません。この二人は後代のエホバの崇拝者たちの益のために,神の霊感による記録を保存することにのみ努めたのです。
3 サムエル記第二はどの期間を扱っていますか。その著述はいつ終えられましたか。
3 サムエル記第二は,イスラエルの初代の王サウルの死以後の正確な聖書歴史の物語で始まっており,話をダビデの40年にわたる治世の終わり近くにまで進めています。ですから,扱われている期間は西暦前1077年から1040年ごろにまで及びます。この書にダビデの死のことが記されていないという事実は,これが西暦前1040年ごろ,あるいはその死の少し前に書かれたことを示す強力な証拠です。
4 どんな理由で,サムエル記第二も聖書正典の一部として受け入れなければなりませんか。
4 サムエル記第一に関して述べられた同じ理由で,サムエル記第二の書も聖書の正典の一部として受け入れられなければなりません。その信ぴょう性には疑問の余地がありません。ダビデ王の罪や欠点をさえ言い繕おうとしない,その真の正直さは,それ自体強力な状況証拠です。
5 サムエル記第二を霊感を受けた聖書の一部として受け入れるべき最も強力な理由とは何ですか。
5 しかし,サムエル記第二の信ぴょう性を示す最も強力な証拠は,成就した預言,それも特にダビデとの王国契約に関して成就した預言のうちに見いだせます。神はダビデにこう約束されました。「あなたの家とあなたの王国は確かにあなたの前に定めのない時までも動くことがない。あなたの王座は,定めのない時までも堅く立てられたものとなる」。(7:16)ユダ王国の末期のころでさえ,エレミヤは次のような言葉を述べて,ダビデの家に対するこの約束が持続していることを指摘しました。「エホバはこのように言われた……『ダビデについては,イスラエルの家の王座に座す者が断たれることはない』」。(エレミヤ 33:17)この預言が成就を見ないままに終わることはありませんでした。というのは,エホバは後に,聖書が明白に証言している通り,「ダビデの子,イエス・キリスト」をユダから産み出されたからです。―マタイ 1:1。
サムエル記第二の内容
6 ダビデはサウルとヨナタンの死についての知らせを聞くと,どんな反応を示しますか。
6 ダビデの治世の初期の出来事(1:1-4:12)。ギルボア山でサウルが死んだ後に,戦場からの逃亡者である一人のアマレク人が,報告を携えてチクラグのダビデのもとに急いでやって来ます。彼はダビデの機嫌を取ろうと考えて,サウルの命を取ったのは自分であると言って話をでっち上げます。しかし,そのアマレク人は褒められるどころか,死の報いを受けたにすぎません。というのは,彼は「エホバの油そそがれた者」を討ったことを証言して,自らを罪ある者としたからです。(1:16)新しい王ダビデはそこで,「弓」と題する一つの哀歌を作り,その中でサウルとヨナタンの死を悼みます。この歌はヨナタンに対するダビデのあふれるばかりの愛を言い表わした感動的な表現をもって見事な最高潮へと盛り上がって行きます。「わたしの兄弟ヨナタン,わたしはあなたのために苦しんでいる。あなたはわたしにとって非常に快い人だった。あなたの愛はわたしにとって女の愛よりもすばらしかった。ああ,力のある者たちは倒れた。戦いの武器は滅びうせた!」―1:17,18,26,27。
7 ほかにダビデの治世の初めの時期を特色づけるどんな出来事がありますか。
7 エホバの導きのもとに,ダビデとその部下は自分たちの家の者たちをユダの領地のヘブロンへ移します。ここで,その部族の長老たちがやって来て,西暦前1077年にダビデを自分たちの王として,これに油をそそぎます。将軍ヨアブはダビデの支持者の中でも最も傑出した者となります。ところが,この国民に対する王権を主張する対抗者として,サウルの子イシ・ボセテが軍の長アブネルによって油そそがれます。対立するこの二つの勢力の間では断続的に衝突が繰り返され,アブネルはヨアブの兄弟を殺します。最後に,アブネルはダビデの陣営に走ります。そして,アブネルはサウルの娘ミカルをダビデのもとに連れて来ます。ダビデはこのミカルのためにずっと前に婚姻料を支払いました。ところで,ヨアブは殺害された自分の兄弟のために復しゅうしようとして,アブネルを殺す機会を見つけます。ダビデはこの事でたいへん苦しみ,その責任を一切拒否します。その後まもなく,イシ・ボセテ自身,「昼寝をしていた」時に殺害されます。―4:5。
8 エホバは全イスラエルを支配するダビデの治世をどのように繁栄させますか。
8 エルサレムの王ダビデ(5:1-6:23)。ダビデはすでにユダで王として7年6か月間支配しましたが,今や争う者のない支配者となり,諸部族の代表者たちは彼を全イスラエルの王として油そそぎます。油をそそがれるのはこれで3度目です(西暦前1070年)。王国全体の支配者としてのダビデの最初の行動の一つは,地下水道を通って,守りを固めているエブス人を急襲し,彼らからエルサレムのシオンのとりでを攻め取ることです。それから,ダビデはエルサレムを首都とします。万軍のエホバはダビデを祝福し,これをますます大いなる者とならせます。ティルスの金持ちの王ヒラムでさえ,王のための家を建造するため貴重な杉材や労働者たちをダビデのもとに送ります。ダビデの家族は増し加わり,エホバはその治世を繁栄させます。その後,好戦的なフィリスティア人とさらに2回戦いを交えます。そのうちの最初の戦いで,エホバはバアル・ペラツィムでダビデのために敵を討ち破り,彼に勝利を得させます。2番目の戦いで,エホバはもう一つの奇跡を行ない,「バカの茂みのてっぺんで行進の音」を聞こえさせます。それは,エホバがイスラエルの先頭に立って進み,フィリスティア人の軍勢を敗走させようとしておられることを示すものです。(5:24)エホバの軍勢にとって,もう一つの著しい勝利となります。
9 箱をエルサレムに運ぶことに関連して生じた出来事を述べなさい。
9 ダビデは3万人の部下を連れて,契約の箱をバアレ・ユダ(キルヤト・エアリム)からエルサレムへ運ぶことに着手します。その箱が盛大な音楽と歓声をもって運ばれて行くと,その箱を載せた車が不意に傾き,一緒に歩いているウザが聖なる箱を押さえようとして手を伸ばします。「すると,エホバの怒りがウザに対して燃え盛り,まことの神はその不敬な行為のためにそこで彼を打ち倒され」ました。(6:7)箱はオベデ・エドムの家にとどまるようになり,その後の3か月間,エホバはオベデ・エドムの家の者を豊かに祝福されます。3か月後,ダビデは箱を正しい仕方で運んで残りの道を進ませるためにやって来ます。喜びの叫びが上がり,音楽が奏でられ,踊りが行なわれる中で,その箱はダビデの首都に運び込まれます。ダビデはエホバの前で踊って,大いなる喜びを表わしますが,その妻ミカルはこのことで苦情を言います。ダビデは,「わたしはエホバの前で祝うのだ」と言い張ります。(6:21)このために,ミカルはその死ぬ時まで子供のないままでいます。b
10 次に,エホバのどんな契約と約束がわたしたちの注意を引きますか。
10 ダビデとの神の契約(7:1-29)。さて,ここで,ダビデの生涯の中で最も重要な出来事の一つ,聖書の中心主題,すなわち約束された胤の治める王国によってエホバのみ名が神聖なものとされることに直接関係のある出来事が生じます。この出来事は,神の箱のために家を建てたいというダビデの願いから生じます。ダビデは,自分自身は杉材でできた美しい家に住んでいたので,エホバの契約の箱のために一つの家を建てたいという願いをナタンにそれとなく知らせます。エホバはナタンを通して,イスラエルに対するご自分の愛ある親切をダビデに再び保証し,いつまでも持続する契約をダビデと堅く結ばれます。しかし,エホバのみ名のための家を建てるのは,ダビデではなく,その胤です。さらにエホバは次のような愛ある約束をなさいます。「そして,あなたの家とあなたの王国は確かにあなたの前に定めのない時までも動くことがない。あなたの王座は,定めのない時までも堅く立てられたものとなる」― 7:16。
11 ダビデはどんな祈りをささげて,感謝の念を表明しますか。
11 この王国契約を通して表明された,エホバの善良さに圧倒されたダビデは,神の愛ある親切のすべてに対する感謝の念を次のように吐露します。「地のどんな一国民があなたの民イスラエルのようでしょう。神は行って,彼らを一つの民としてご自身のために請け戻し,名声を博し,彼らのために大いなる,畏怖の念を起こさせること……をなさいました。……エホバよ,あなたが彼らの神となられました」。(7:23,24)彼はエホバのみ名が神聖にされることと,ダビデの家がみ前に堅く立てられることとを熱烈に祈ります。
12 ダビデはどんな戦いを行ないますか。彼はサウルの家にどんな親切を示しますか。
12 ダビデはイスラエルの領土を拡張する(8:1-10:19)。しかし,ダビデは平和裏に支配するままにされるのではありません。戦いはなおも行なわなければなりません。ダビデはフィリスティア人,モアブ人,ツォバ人,シリア人,およびエドム人を次々に打ち倒し,イスラエルの境界を神の定められた限界まで拡張します。(サムエル第二 8:1-5,13-15。申命記 11:24)それから彼はサウルの家に注意を向けます。それは,ヨナタンのために,生き残っている人に対して愛ある親切を表わすためです。サウルの僕ヂバは,ヨナタンの息子で足の不自由なメピボセテにダビデの注意を引きます。直ちにダビデは,サウルの財産がすべてメピボセテに引き渡され,メピボセテの家に食物を供給するよう,またその土地がヂバとその僕たちによって耕作されるよう求めます。しかし,メピボセテ自身はダビデの食卓で食べることになります。
13 エホバはご自分がダビデと共にいることを示す別のどんな勝利をもたらされますか。
13 アンモンの王が死ぬと,ダビデはその子ハヌンのもとに愛ある親切のしるしとなるものを持たせて,使節たちを派遣します。ところが,ハヌンの助言者たちは,それらの使節をよこしたのはその地を探らせるためであるとしてダビデを非難し,そのために彼らはその使節たちを辱めて,半ば裸にして帰してよこします。この無礼な処置のために怒ったダビデは,その悪行に報復するため,ヨアブとその軍隊を差し向けます。ヨアブはその軍勢を二手に分けて,アンモン人と彼らを助けに上って来たシリア人とを難なく敗走させます。シリア人はその軍勢を編制し直しますが,ダビデの指揮のもとでエホバの軍勢により,またもや敗北を喫することになり,兵車の御者700人と騎手4万人を失います。これはエホバの恵みと祝福がダビデの上にあることをさらに示す証拠となります。
14 ダビデはバテ・シバのことでどんな罪を犯しますか。
14 ダビデはエホバに対して罪をおかす(11:1-12:31)。翌年の春,ダビデは再びヨアブをアンモンに遣わし,ラバを包囲させますが,ダビデ自身はエルサレムにとどまっています。ある夕方,彼はたまたま屋上から,ヒッタイト人ウリヤの妻である美しいバテ・シバが水浴しているのを眺めます。彼は彼女を自分の家に連れて来させ,彼女と関係を持ち,彼女は身ごもります。ダビデはラバの戦場からウリヤを戻し,自分の家に行って休養を取るように仕向け,罪を押し隠そうとします。しかしウリヤは,箱と軍隊が「仮小屋にとどまって」いるので,自分だけ勝手に行動して妻と関係を持とうとはしません。やけになったダビデは次のように述べた1通の手紙を持たせて,ウリヤをヨアブのもとに送り返します。「ウリヤを戦いの最も激しい前線に置け。あなた方は彼の後ろから退却し,彼が討ち倒されて死ぬようにするのだ」。(11:11,15)こうしてウリヤは死にます。バテ・シバの喪の期間が過ぎた後,ダビデは直ちに彼女を自分の家に連れて来て,そこで彼女はその妻となり,両人の子,息子が生まれます。
15 ナタンはどのように預言的な裁きをダビデに宣告しますか。
15 これはエホバの目にとって悪いことです。神は裁きの音信を持たせて預言者ナタンをダビデのもとに遣わします。ナタンはある富んだ人と貧しい人についてダビデに話します。その富んだ人は多くの羊を持っていましたが,その貧しい人は1頭の雌の子羊しか持っていませんでした。子羊はその家族のペットで,「彼にとって娘のよう」でした。ところが,宴を用意するときが来ると,その富んだ人は自分の羊の群れの中の羊ではなく,この貧しい人の雌の子羊を取りました。これを聞いて憤ったダビデは,次のように叫びます。「エホバは生きておられる。そんなことをした男は死に値する!」すると,ナタンの言葉が返ってきます。「あなたがその人です!」(12:3,5,7)それから彼は,ダビデの妻たちがほかの人によって公然と犯され,その家は内戦のために悩まされ,またバテ・シバによるその子供は死ぬことになるという預言的な裁きを宣告します。
16 (イ)バテ・シバによるダビデの2番目の子の名にはどんな意味が付されていますか。(ロ)ラバに対する襲撃の最終結果はどうなりますか。
16 誠実な態度で悲しみ,悔い改めたダビデは,「わたしはエホバに対して罪をおかした」と公に認めます。(12:13)エホバの言葉通り,その姦淫の関係から生まれた子は,七日間病んだ後に死にます。(後に,ダビデはバテ・シバによってもう一人の子を得ます。二人はその子を「平和」という意味の語根に由来するソロモンという名で呼びます。しかし,エホバはナタンを通してその子を「ヤハの愛する者」という意味のエディデヤとも呼ぶように伝えます。)魂を震えさせるような経験をした後,ダビデはラバに来るようヨアブから呼ばれます。そのラバでは,最後の襲撃の用意が行なわれています。その都市の水の供給源を攻め取ったヨアブは,敬意を表して,その都市そのものを攻略する誉れを王のものとして残します。
17 どんな内紛がダビデの家を苦しめるようになりますか。
17 ダビデの家庭内の困難(13:1-18:33)。ダビデの息子の一人アムノンがその異母兄弟アブサロムの妹タマルに激しい恋をしてから,ダビデの家の悩みが始まります。アムノンは病気を装い,世話をしてもらうために美しいタマルを遣わして欲しいと頼みます。彼はタマルを犯し,そののち彼女を激しく憎むようになり,彼女を辱めたまま去らせます。アブサロムは復しゅうを計画し,時機を待ちます。約2年の後,彼は宴を用意し,アムノンをはじめ,王のほかの息子たちすべてが招かれます。アムノンの心がぶどう酒で楽しい気分になると,アブサロムの命令で,彼は油断しているところを討たれて殺されます。
18 アブサロムはどんな策略によって流刑の身から復帰することになりますか。
18 王の不興を恐れたアブサロムは,ゲシュルに逃げ,そこで3年間,流刑同然の生活をします。その間に,ダビデの軍の長ヨアブはダビデとアブサロムの和解を図ろうと企てます。彼はテコアの,ある賢い婦人を用いて,報復,追放,および処罰に関して王の前で架空の状況を述べさせるように取り計らいます。王が裁きを述べると,その婦人は自分がその場に居合わせている真の理由を明らかにし,王自身の子アブサロムがゲシュルに追放されていることを告げます。ダビデはヨアブがこれを計画したことに気づきますが,我が子がエルサレムに戻ることを許します。それからさらに2年たって,王は差し向かいでアブサロムと会うことを承諾します。
19 今や,どんな陰謀が明るみに出ますか。その結果,ダビデはどうなりますか。
19 ダビデの愛ある親切にもかかわらず,アブサロムはほどなくしてその父から王座を奪う陰謀をたくらみます。アブサロムはイスラエルのすべての勇敢な人々の中でも際立って麗しい人で,そのために彼は野心と誇りを募らせます。毎年,その豊かな髪の毛は刈り取られますが,その重さは,2.3㌔ほどあります。(サムエル第二 14:26,脚注)アブサロムは様々の巧妙な手を使って,イスラエルの人々の心をこっそりとつかむようになります。最後に,その陰謀は明るみに出ます。ヘブロンに行く許可をその父から得たアブサロムは,そこで謀反を表明し,ダビデに対するその反乱を支持するよう全イスラエルに呼びかけます。大勢の人々が謀反を起こしたその息子の側に群れをなして付くので,ダビデは少数の忠節な支持者たちと共にエルサレムから逃げて行きます。それらの支持者の典型的な人物はギト人イッタイで,彼はこう言明します。「エホバは生きておられ,王なる我が主も生きておられます。王なる我が主のおられる所に,生死いずれのためでも,この僕も必ずそこにおります!」―15:21。
20,21 (イ)ダビデの逃走中,どんな出来事が生じますか。ナタンの預言はどのように成就しますか。(ロ)裏切りを働いたアヒトフェルはどのようにその最期を迎えますか。
20 エルサレムから逃げる途中,ダビデはその最も信頼していた助言者の一人,アヒトフェルの背信行為について知り,こう祈ります。「エホバよ,どうか,アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください!」(15:31)ダビデに忠節な祭司であるザドクとアビヤタル,およびアルキ人フシャイは,アブサロムの行動を見守り,それについて報告するようエルサレムに送り返されます。その間に,ダビデは荒野でメピボセテの従者ヂバに会います。このヂバは,今や王国がサウルの家に戻ることをその主人が望んでいると報告します。ダビデがさらに通って行くと,サウルの家の者であるシムイがダビデをのろい,これに石を投げ付けますが,ダビデは仕返しをしないよう,その部下を抑えます。
21 一方エルサレムでは,アヒトフェルの勧めで,王位さん奪者アブサロムがその父のそばめたちと「全イスラエルの目の前で」関係を持ちます。こうして,ナタンの預言的な言葉は成就します。(16:22; 12:11)また,アヒトフェルは1万2,000人の兵を取って,荒野でダビデを追跡するようアブサロムに助言します。しかし,うまく事を運んでアブサロムの信用を得たフシャイは,別の手段を勧めます。そして,ダビデが祈り求めた通り,アヒトフェルの助言は覆されます。失望したアヒトフェルはユダのように,家に帰って自ら首をくくります。フシャイはひそかにアブサロムの計画を祭司ザドクとアビヤタルに伝え,次いでこの二人はその知らせを代わりの者たちを通して荒野にいるダビデのもとに伝えさせます。
22 ダビデの勝利の喜びはどんな悲しみのために薄れますか。
22 こうして,ダビデはヨルダンを渡り,マハナイムの森で戦場を選べるようになります。その場所で彼は軍隊を展開し,彼らにアブサロムを優しく扱うよう命じます。反抗者たちは大敗北を被ります。アブサロムはらばに乗って,樹木のたくさん茂った森を通って逃げて行くと,その頭が大木の低い枝に引っ掛かり,そこで空中にぶら下がってしまいます。ヨアブは窮境に陥ったアブサロムを見つけると,王の命令を全く無視して,彼を殺します。その子の死について聞いた時のダビデの深い悲しみは,次のようなその哀悼の言葉の中に表わされています。「我が子アブサロム,我が子,我が子アブサロムよ! ああ,わたしが,このわたしが,お前の代わりに死ねばよかったのに。アブサロム,我が子よ,我が子よ!」―18:33。
23 ダビデの王としての帰還を特色づけるどんな取り決めがありますか。
23 ダビデの治世の末期の出来事(19:1-24:25)。王としての当然の立場に戻るようヨアブから勧められるまで,ダビデは引き続き激しく嘆き悲しみます。さて,彼はヨアブの代わりにアマサを軍隊の頭として任じます。ダビデは帰還すると,人々から歓迎されます。その中には,ダビデから命を容赦してもらうシムイもいます。メピボセテもまたやって来て,自分のことを弁護し,ダビデは彼にヂバと同等の相続物を与えます。イスラエルとユダ全体はもう一度,ダビデのもとで結び合わされます。
24 ベニヤミンの部族のかかわる,さらにどんな事態が生じますか。
24 しかし,さらに悩みが待ち受けています。ベニヤミン人シェバは自ら王だと宣言し,多くの者をダビデから離れさせます。人々を集めてその謀反を抑えるようダビデから命じられたアマサは,ヨアブに出会いますが,裏切られて殺害されます。それからヨアブは軍勢を率いて,シェバの後を追ってベト・マアカの都市アベルへ行き,そこを包囲します。その都市のある賢い女性の助言に留意した住民がシェバを処刑すると,ヨアブは退きます。サウルはかつてギベオン人を殺害しましたが,その流血の罪の恨みが晴らされていなかったため,イスラエルでは3年の飢きんが生じます。その流血の罪を除くため,サウルの家の七人の息子たちが処刑されます。後に,再び起きたフィリスティア人との戦いの際,ダビデはおいのアビシャイによって危うく命を救われます。部下たちは,ダビデに誓い,もはや自分たちと一緒に戦いに出ていただくわけにはゆかないと言って,「あなたがイスラエルのともしびを絶やさないためです!」と述べます。(21:17)それから,ダビデの力ある者たちのうちの3人がフィリスティア人の巨人たちを討ち倒して,著しい手柄を立てます。
25 次に記されているダビデの歌の中では,どんなことが言い表わされていますか。
25 この時点で,筆者はエホバへのダビデの歌を突然記述に加えます。これは詩編 18編と対応する歌で,「そのすべての敵のたなごころと,サウルのたなごころから」救い出されたことに対する感謝を表わしたものです。彼は喜びにあふれてこう述べます。「エホバはわたしの大岩,わたしのとりで,わたしを逃れさせてくださる方。ご自分の王のために救いの大いなる働きを行ない,愛ある親切をその油そそがれた者に,ダビデとその胤とに定めのない時までも表わす方よ」。(22:1,2,51)それから,ダビデの最後の歌が続きますが,その中で彼は,「わたしによって語ったのはエホバの霊で,その言葉はわたしの舌の上にあった」と認めます。―23:2。
26 ダビデの力ある者たちに関して,どんなことが述べられていますか。ダビデは彼らの命の血に対する敬意をどのように示しますか。
26 ここで話は歴史的な記録に戻り,ダビデに属する力ある者たちのことが挙げられていますが,そのうちの3人は傑出した人たちです。これらの人は,フィリスティア人の前哨基地がダビデの郷里ベツレヘムに設営されたときに起きた,ある出来事と関係しています。ダビデは自分の願いをこう言い表わします。「ああ,門の傍らにあるベツレヘムの水溜めの水を一杯飲めたらよいのだが」。(23:15)そこで,その3人の力ある者たちはフィリスティア人の陣営に無理に突入して,その水溜めから水を汲み,それをダビデのもとに持ち帰ります。しかしダビデはそれを飲むのを拒みます。そうする代わりに,彼はその水を地面に注ぎ出してこう言います。「エホバよ,このようなことをするなど,わたしには考えられないことです! 自分の魂をかけて行った人々の血をわたしは飲めるでしょうか」。(23:17)ダビデにとってその水は,彼らがそのためにかけた命の血も同然だったのです。次に,ダビデの軍隊の中の最も力のある者30人とその偉業が列挙されています。
27 最後にダビデはどんな罪を犯しますか。その結果生じた災いは,どのようにして止められますか。
27 最後に,ダビデは民の人数を数えて罪をおかします。ダビデは神に憐れみを請うと,次の三つの処罰,すなわち7年の飢きん,3か月の軍事的敗北,あるいは国内の三日間の疫病のうちの一つを選ぶようにと言われます。ダビデはこう答えます。「どうか,エホバのみ手に陥らせてください。その憐れみは多いからです。しかし,人の手にはわたしを陥らせないでください」。(24:14)その国家的な規模の疫病のために7万人が死に,ダビデがガドを通して与えられたエホバの指図に従って行動を起こし,アラウナの脱穀場を購入して,そこでエホバへの焼燔の犠牲および共与の犠牲をささげて初めて,その疫病はやみます。
なぜ有益か
28 サムエル記第二の中には,どんな際立った警告が収められていますか。
28 サムエル記第二の中には,現代の読者にとって有益な事柄が実に数多く見いだされます。ここでは,人間のほとんどあらゆる感情,つまり実生活における感情が,最高の強烈さをもって生き生きと描写されています。このようなわけで,野心や復しゅう心のもたらす悲惨な結果(3:27-30),ほかの人の配偶者に対する誤った欲望(11:2-4,15-17; 12:9,10),裏切り行為(15:12,31; 17:23),情欲だけに基づく愛(13:10-15,28,29),軽率な判断(16:3,4; 19:25-30),およびほかの人の専心の行為に対する無礼な態度などに関して注目すべき言葉で読者に警告が与えられています。―6:20-23。
29 正しい振る舞いや行動に関するどんな優れた模範がサムエル記第二に見いだせますか。
29 しかし,サムエル記第二から得られる最大の益は,正しい振る舞いや行動に関する多くの優れた模範に留意することによって得られる積極的な面に見いだせます。ダビデは,神への全き専心(7:22),神のみ前における謙虚さ(7:18),エホバのみ名を高めること(7:23,26),逆境における正しい見方(15:25),罪を誠実に悔い改めること(12:13),約束を忠実に守ること(9:1,7),試練のもとで平衡を保つこと(16:11,12),終始一貫エホバに頼ること(5:12,20),エホバの取り決めや任命に対する深い敬意(1:11,12)などの点で手本を示しています。ダビデが「[エホバの]心にかなう人」と呼ばれたのも不思議ではありません。―サムエル第一 13:14。
30 サムエル記第二ではどんな原則が適用され,例示されていますか。
30 サムエル記第二の中にはまた,聖書の数多くの原則の適用を示す例も見いだせます。その中には,連帯責任の原則(サムエル第二 3:29; 24:11-15),物事を善意からするにしても,神の要求は変わらないこと(6:6,7),エホバの神権的な取り決めにおける頭の権は尊ばれなければならないこと(12:28),血は神聖なものとみなさなければならないこと(23:17),流血の罪に対しては贖罪が要求されること(21:1-6,9,14),賢い人は多くの人のために災難を回避させることができること(サムエル第二 20:21,22。伝道の書 9:15),エホバの組織とその代表者たちに対する忠節は,「生死いずれのためでも」保たなければならないことなどの原則があります。―サムエル第二 15:18-22。
31 サムエル記第二は,クリスチャン・ギリシャ語聖書で確証されているように,神の王国を予想させる事柄をどのように示していますか。
31 中でも,最も重要なこととして,サムエル記第二は,神が「ダビデの子」イエス・キリストの手中にお立てになる神の王国を指し示し,その王国を予想させる輝かしい事柄を述べています。(マタイ 1:1)エホバがダビデに,その王国の永続性に関して行なわれた誓い(サムエル第二 7:16)は,イエスに関連して使徒 2章29節から36節で参照されています。「わたしは彼の父となり,彼はわたしの子となる」(サムエル第二 7:14)という預言は,実際にはイエスを指し示していたことが,ヘブライ 1章5節に示されています。このことはまた,「これはわたしの子,わたしの愛する者である。この者をわたしは是認した」と,天から語ったエホバの声によっても立証されています。(マタイ 3:17; 17:5)最後に,ダビデとの王国契約は,イエスに関して次のようにマリアに話された言葉の中で,ガブリエルによって言及されています。「これは偉大な者となり,至高者の子と呼ばれるでしょう。エホバ神はその父ダビデの座を彼に与え,彼は王としてヤコブの家を永久に支配するのです。そして,彼の王国に終わりはありません」。(ルカ 1:32,33)わたしたちの眼前で段階を追って一歩一歩進展してゆく王国の胤についての約束は,何と感動的なものなのでしょう。
[脚注]
a 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,745-747ページ。
b 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,373,374ページ。