アベル・メホラ
(Abel-meholah)[踊りの水路]
エリシャの故郷で,すきで耕していたエリシャをエリヤが見つけて預言者の後継者として油をそそいだ場所。―王一 19:16-19。
もっと早い時期に,ミディアン人がギデオンの戦士たちの小隊によって撃ち破られた記述の中にアベル・メホラが登場しています。総崩れになったミディアン人は「タバトに近いアベル・メホラの外れにまで」敗走したと記されています。―裁 7:22。
タバトはヨルダン川の東にあるため,ワディ・エル・ヤビスに沿うテル・エル・マクルーブをアベル・メホラとして同定する努力が1951年以来払われてきました。この見方を支持する論議としてさらに引き合いに出されているのは,エリヤがホレブを去った後,アベル・メホラに立ち寄ってエリシャに油をそそぎ,シリアの王としてハザエルに油をそそぐためさらに「ダマスカスの荒野」へ行く使命を帯びていたという点です。(王一 19:15)ホレブからダマスカスに至る古代の主要道路はヨルダン川の東にありました。もっとも,この道筋は時として遊牧民に支配されることがありました。
しかし,実のところ,ギデオンがミディアン人を追跡した記述は,裁き人 7章22節の時点でミディアン人がまだヨルダン川の(東ではなく)西にいたことを示唆しています。(裁 7:24を参照。)また,ダマスカスの荒野へのエリヤの旅に関しては,それがすぐに行なわれたわけではなく,むしろしばらく後,エリヤの後継者であるエリシャによって行なわれたことを記録は示しています。(王一 19:15-19; 王二 8:7-13)このような観点から,ヨルダン川の東ではなく,西側の場所を推している地理学書もあります。(「旧約聖書の地理・地形学的テキスト」,J・シモンズ著,ライデン,1959年; 「聖書地理」,D・ベイリー著,1957年; 「聖書地図」,L・H・グロレンベルグ著,1956年)西暦初期のヒエロニムスとエウセビオスは,ベト・シェアン(ヨルダン川の西にある)から10ローマ・マイル(15㌔)南の場所をアベル・メホラと見ていました。Y・アハロニによる「聖書の地」という本はこう述べています。「今やアベル・メホラは,ベト・シェアンから15㌔南,ヨルダン川の[西]岸にあるテル・アブー・スースであるとかなりの確信をもって言えるようになった」。(A・レイニーによる翻訳・編集,1979年,313ページ)隣接するベト・シェアンの平野は大規模な農耕に適しています。―王一 19:19と比較。
ヨルダン川の西のそのような位置をさらに支持しているように思われるのは,後にアベル・メホラがソロモンの第5の行政区の一部を成し,ヨルダン川の西の他の土地と共に挙げられているという事実です。(王一 4:12)そこはサウルの娘婿,メホラ人アドリエルの故郷であったようです。(サム一 18:19; サム二 21:8)収穫を祝う祭りの踊りがこのアベル・メホラという名の起こりかもしれません。